01、下町食堂の看板娘
このお話には、血生臭い表現や口の悪い人物が出ますので、苦手な方はご注意ください。大丈夫な方はぜひお付き合いください。少しでも楽しんでもらえると幸いです。
カランと軽快な音が響く。
立て付けの悪い扉を造作もなく開けて入ってきたのは、大柄な男が数人。がやがやと喧騒と共に現れた男達はお世辞にもガラが良いとは言えない。
数日は湯浴みしていないであろう髪に、ところどころほつれて汚れた服。ガハハと笑い合う声は、店の外にいる時から聞こえていたほど。
そんな男達に、店の看板娘である私は明るい笑みを向けた。
「いらっしゃいませ!」
「酒だ酒! ありったけ持ってこい!」
良いことでもあったのか、男達は我が物顔で席を埋めていく。その数、十人。既に馴染みの客が数名いたが、二十も人が入れるかどうかの狭い店は一気に満席状態になった。
投げやりな注文に軽く肩を竦め、店の奥にいる店長のエンへと声をかける。
「店長」
「ああ」
男達の大きな声は、私が伝えずとも注文として通っていた。酒のつまみを用意するエンの傍らで、同僚のティオが安酒を注いではトレイに乗せていた。
二人で手分けして配膳した酒は、あっという間に男達の大きな口へと吸い込まれる。これはすぐ次の準備が必要だと、ティオからトレイを回収し裏へ戻ろうとした時。
「ミトロピアのお貴族様のおかげで、今日も大儲けだったな!」
「はっ、金はあるところにはあるからな。結婚準備だかなんだか知らねえが、こっちとしちゃあ大助かりだぜ」
「なんでも、レイエンダの聖女をもらうんだって?」
聞こえた単語に思わず足が止まる。
ここ、アルマドゥラ国はイストリア王家が統治している魔法国家。
長らく戦争はしていないものの貧富の差は酷く、生まれが全てを左右すると言っても過言ではない。余程のことがない限り、貴族に生まれた者は生涯華やかに、下町で生まれた者は生涯地べたを這って生きていく。
違わないのは、五臓六腑の数と魔力を持って生まれること。魔力を使って火を起こし、水を出し、風を操る。
日常に寄り添う魔法は使える魔力の量や相性こそ異なるが、魔力を持たない者は居ない。
男達が話しているのは、この国に住まう者なら誰もが知っている名家、ミトロピア家とレイエンダ家についてだった。
王家の下で大小様々な貴族が名を連ねる中でも、ミトロピア家とレイエンダ家は別格だった。国が出来たとほぼ同時に隣国と接する西と東の領地を与えられ、国の守護を司る双璧。当然歴史は古く、強い魔力を宿す子を代々輩出する二家は文字通り、なくてはならない存在。
そのニ家の婚姻とあり、王都ではそれはそれは盛大な宴が予定されているらしい。
「……」
近頃はこの話ばかりで気が滅入る。
王都の中心ならまだしも、ここディソナンテは王都の最端にあるその日暮しばかりが集う下町。腹の足しにもならないものには興味ない者ばかりのここですら、こんな賑わいなのだ。王都はさぞ盛り上がっているのだろう。
「あん?」
つい横目で見ていた私に、機嫌よく笑っていた一人が気付いた。ゆらりと立ち上がった男の視線は冷たいのに、頬は赤らんでいるのが面白い。
自分の倍はあろう体躯の男が近付いてくるのを無感情に見つめ、不意に眉根を顰めた。
酒臭い。
この店では一杯しか飲んでいない。どうせ別の店から追い出されでもしたのだろうと当たりをつけ、すでに出来上がっている男に営業用の笑みを向ける。
「追加のご注文ですか?」
看板娘らしく親しげな笑みを向ける私を、男は上から下まで不躾に眺めた。
少々つり目がちな新緑色の瞳。後ろで一つに纏められた赤茶の髪が、小首を傾げた拍子に馬の尻尾のように揺れた。
給仕用の簡素な服を着ているとは言え、今年十七になる私は少女ではなく女性と呼べる見た目へと成長していた。
にやりと男が野卑た嗤いを浮かべる。
どうやら私の品定めが終わったらしい。周りの男達も似た表情で成り行きを見ている。分かりやすい男達だなぁと笑みだけは崩さず白けた視線を向ける。
「嬢ちゃんもこっち来て飲めよ。俺達がおごってやるからさぁ」
「仕事中ですので」
「一緒にお偉いさんのお祝いしようってんだ、堅苦しいこと言うなって」
「お気持ちだけ頂きます」
「来いっつってんだろ!」
下心丸出しで肩を抱こうとしてくる男を避け、オブラートに包みつつもキッパリ断る。途端、男はドスのきいた命令口調へと変わる。
元々居た客は我関せずと、それぞれが食事を続けていた。荒くれ者が多い下町では、これくらいの小競り合いは日常茶飯事なのだ。
「お、お客さん困ります!」
「あぁ? ガキは引っ込んでろ!」
「わっ」
「ティオ!」
慣れた景色とは言え、店員が黙っているわけにはいかない。
ティオが慌てて間に割り込むが、呆気なく突き飛ばされた。それはそうだろう。ティオは私よりも五つ年下で背も頭一つ分は低く、大柄な男の半分程度しかない。見た目も可愛いので、働き始めた時はしょっちゅう女の子に間違われていた。
「大丈夫だよ」
「奥に行ってて」
テーブルや椅子が倒れはしたものの怪我はない。右頬を掻いて眉尻を下げるティオに、エンのいる厨房を目で示す。指示通りに姿を消したティオに、男達がゲラゲラと笑い始めた。
「ヒャハハ、嬢ちゃん見捨てられたな!」
「助けを呼びに行かせたつもりか? ガキとこんな店の主程度じゃあ俺達の相手になんざならねえっての!」
耳障りな笑い声は広まり、店の中で木霊した。腹を抱えたり、机を叩いて大笑いする男達に、この人達についている耳は飾りなのか、脳みそが残念なのか、どちらだろうとぼんやり考えていた。
ティオは私を見捨てたのでも、助けを呼びに入ったのでもない。
邪魔だから退いてろと言われて、従ったまでだ。
「追加のご注文はないんですね?」
「仕事熱心な嬢ちゃんには、ご褒美をやんねえとなぁ」
再度確認する私を囲むように、三人の男が左右と後ろに立った。一緒にいると似てくると言うのは本当らしい。顔と存在の気持ち悪さがそっくりだ。
視界の端で、元からいた客が食器やコップを持って壁際に移動するのが見えた。さすが馴染み客だけある。
「冗談はその不細工な顔だけにしてもらえます?」
客でもない雑魚に用はない。目の前の男を見上げ、微笑む。営業用ではなく、教え込まれた武器としての笑み。
おそらく男達が今までの人生で見たどれよりも綺麗であろう笑みに、添えられた言葉が釣り合わない。視覚と聴覚で得た情報が一致せず、男達は無表情になったかと思えば、数瞬後には見るに耐えない表情へと変貌した。表情の変動まで一緒だなんて、面白い人達ね。くすりと笑う。
「このアマ!!」
それが引き金になったのか、いきり立った男達が一斉に手を伸ばしてきた。
隙間をすり抜けながら右手で一人の男の手を掴んで思いきり引く。更に違う男に足を引っ掛ければ、バランスを崩した二人が激突し床に倒れた。
予想外のことに反応が遅れた男達は転がる塊に足を取られ、勢い余って向かいから襲いかかった仲間とぶつかる。よし、これで半分に減った。
「あら。こんな何もない所でこけるなんて、飲み過ぎでは?」
「こいつ! 調子に乗るんじゃねえぞ!」
ぶつけた頭や顔を押さえて蹲る男達に、傍観していた残り五人が立ち上がる。
一人目の男の勢いと風の力を利用して別の男へ投げつけ、二人目の顎に掌底を繰り出し、三人目の腹にはスカートを翻しながら足をめり込ます。残り二人になった所で一人が逃げ出した。そんな小物を追うほど、私暇じゃないの。
「お、お前何なんだよ!」
「私はこの食堂の看板娘、フィーラ。注文がないのなら、そこのゴミを拾ってお帰り下さい」
「くっ……」
一応名乗ったけれど、覚えてもらわなくて結構。もうあなた達と会うこともないでしょうから。
男達は聞こえているのかいないのか、伏したまま動かない。愕然と見開いて固まっていた最後の一人の目を正面から見返すと、我に返ったのか慌てて手を前に差し出した。
「なめんじゃねえぞ!! 集え!」
男の呼び声に応じて、空気が揺れる。一見ホコリかと思う小さな塊が男の周りに現れ、あっという間に手の平サイズにまで肥大化した。
どうやら男は土属性が得意らしい。無数の土塊がひっつき、伸びて槍の形に収まる。構えは堂に入っていて、使い慣れた武器だと知れる。いつの間にか倒れていた男達も起き上がり、椅子やらナイフやらを片手にこちらを睨んでいた。
「!」
後ろにいた男が束ねていた私の髪を掴み、力任せに引き倒した。痛みに顔を顰めたのは一瞬で、視界いっぱいに並ぶ下卑た顔をぐるりと見回す。その男達の周りに無数の土塊が増えていた。
ああ、本当に馬鹿な男達。そんなモノで私をどうにか出来ると思っているなんて。ここまで来るといっそ哀れだ。
「ふふ、本当に見てられないほど醜悪な顔」
見る者を魅了する微笑みを浮かべた私に、男達の息が止まる。
怯えた表情でも浮かべるとでも思っていたの? 言ったはずよ、私はここの看板娘。その意味が、あなた達にわかるかしら。
さらりと流れた前髪から、隠れていた額が現れる。そこには古い火傷の痕があった。
「やれ!」
それは土塊に対してか、仲間にか。
男達が一斉に襲いかかるのを、私は他人事のように眺めていた。
「さようなら」
私がそう口にした途端、土塊が爆発した。
いつの間にか土塊の中で成長した蔦が飛び出し、男達を絡め取る。油断しきった背後からの攻撃に男達が悲鳴を上げる。
「ぎゃあ!」
「なんだよこれ!?」
腕や足、全身に絡みつく蔦。残念ながら、この蔦は暴れる分だけ絡まりは複雑となり身動きが取れなくなっていく。
土で作られた槍にも花が芽吹き、持ち主の男へ牙を剥いた。男は慌てて槍を投げ捨てた。あら、もう少しであなたも綺麗な花の養分になれたのに。
鼻の下まで蔦にぐるぐる巻きになった男が、一人また一人と立っていられずに床に倒れた。
「終わった?」
「ええ」
厨房へ通じる入り口からティオがひょっこりと顔を出した。蔦に縛り上げられた男達を確認すると、こちらへ小走りでやってくる。
「そっちはどうだった?」
「酒代にはなるけど、これだけ暴れられちゃ全然足りないや」
「「!」」
小馬鹿にした物言いで肩を竦め、手に持っていた複数の小袋を揺らした。見覚えのあるそれに、男達は懐を検めようとじたばたもがく。
「こいつら売ったら丁度いいくらいじゃないかな」
「中身だけなら外見は関係ないものね」
世間話のような軽さで話す私達に、男達の顔色は一気に悪くなる。
当然だろう。負けるはずがないと思っていた女に負けた挙句、子供にあり金を全て取られ、自らの臓器すら売買されそうになっているのだから。
人身売買や誘拐を取り締まる法はある。が、下町では効力などない。
弱肉強食、狩るか狩られるかの世界。それは女子供であろうが、下町で生きる以上は暗黙のルールだった。
男達が諦め悪く暴れだすが、その程度では蔦の拘束は緩まない。どうせ、その汚い性根と酒臭い口から出てくるのは、わざわざ耳を貸すに値しないものでしょうし。
「……っ」
冷や汗を流し、ガタガタと震え始める男達。
私はしゃがんで男達と目線を近付け、優しい眼差しを送った。
「これで綺麗になれるわね。おめでとう」
再び蔦がざわざわと蠢き、恐怖に彩られた男達を頭の先まで覆い尽くした。
何も見えず、何も聞こえない世界の中で、男達は何を思い、何を願うのか。
ティオと手分けして繭のようになった蔦の塊を店の外に出し、全てを合体させた大きな球を作る。
「さてと。ティオ、後はお願いね」
「はーい」
ティオの何倍もある蔦の球は、綺麗な円なので子供の力でも簡単に転がる。球ころがしの要領でころころ押していく背を見送り、店の中へ戻る。
きっと男達は今まで連れ添った臓器との別れよりも、襲いかかる遠心力に弄ばれているのだろう。隠しきれない笑みが零れた。
「おーい、フィーラちゃん。一人で笑ってないで片付けてくれや」
「あとビールの追加を頼む」
「ただいまー」
隅に避難していた馴染み客の声に明るく応じ、手をひらりと振る。
「風よ舞え、砂塵よ集え」
右手で食堂内に散らばった土を集めて大きな塊にする。花の種が植わった土だ、後で花壇にでも足そうと近くの入れ物に一時的にまとめておく。風と蔦を使って乱れたテーブルや椅子を元の位置に戻しながら、壊れた部分を補修した。
直しようがないものと土が入った入れ物を裏に片付け、ついでに注文のビールを運んでいた所でカランと軽快な音が聞こえた。
「いらっしゃいませ!」
すっかり元通りになった店の中で、看板娘である私はにこやかに新たな客を迎え入れるのだった。
不定期連載となります。よろしくお願いします。