17、妖魔
この世界には、妖精と精霊がいる。
妖精とは世界に溢れる魔力が具現化したもので、人を手の平程に縮めた姿で空を飛び回る。幼い頃は誰もが見えているが、成長するにつれて見えなくなる。その理由は諸説あるが、嘘や偽りといった邪心を覚えることで穢れが苦手な妖精が見えなくなると信じられている。私達が使う魔法は、妖精の力を借りて行われる。
精霊は魔力を有する人外の総称。獣だったり、人に似ていたり、得も言われぬ姿だったりと様々だけど、常にそこにいて見えなくなったりはしない。
妖精と違いはいくつかある。
一つ、自我があること。魔力の権化である妖精は自我を持たず、詠唱という指示のまま力を貸す。しかし精霊は自我があるので、気が向かなければ力を貸さない。
二つ、魔力量。個々の精霊で使える属性と魔力量は異なるものの、妖精の何倍もの力を有している。それこそ、その気になれば町の一つや二つどころか、過去には国が滅んだこともあるらしい。
三つ、危険度。妖精一体が持つ力は小さく、自我がない分感情の起伏は少ない。逆に精霊は一体一体の持つ力が大きく、性格は同じ種類の精霊でも個体によって違う。精霊と一口に言うのもどうかと思うくらい個々で性質が異なるのだが、人間に友好的でないのは共通している。
そんな精霊は、ごく稀に人間と契約を結ぶ。
気に入る魔力を有する人間に、魔力を提供してもらう代わりに力を貸すという契約だ。契約精霊と呼ばれるその関係は、ただただ精霊の気まぐれによるものなので、精霊の祝福とも呼ばれている。それだけ精霊の持つ力は強く、魅力的なのだ。
祝福を得るために敢えて精霊に近づく猛者はいるけれど、怪我どころか命を落とす危険もある。だから大人は子供に精霊を見かけたら絶対に近寄るなと教える。怒りを買えば、本人はもちろん周りにいるものも巻き込まれる可能性があるからだ。
そして、そんな精霊よりも近づいてはならない存在が”妖魔”。
妖魔は町中に突如現れ、あらゆるものを破壊する。迅速に対応しなければがひたすら破壊し続けるので、町には必ず自警団が存在する。自警団で対処が難しければ領主が組織・統括する警備隊、王宮騎士へと段階を上げて討伐隊を組む。
再び鳴り始めた警鐘を聞きながら、妖魔を見つめる。
人間の三倍はあろう巨体は黒く、巨体に似合わぬ細長い棒のような手足が横から生えている。ずるずると地を這うように動く塊の前では、自警団がすでに応戦していた。妖魔は攻撃を鬱陶しそうに、手足で払おうとしている。
「攻撃が効いてない。二人だけじゃ足りないんだ」
じっと妖魔を見つめると、核が見えてくる。透けて見えた核の属性は水。
対する団員は水属性のモトハと土属性のノリ。出来れば、火属性のユージン。いなければ土属性のサイガ、もしくは水属性の団長カイルで、同属性で力を合わせて押すしかない。
急いで妖魔から離れて、人目がなくなった所で壁に手を付いた。ボコ、と音をさせて壁から突起が現れる。その斜め上へと次々現れる突起を足がかりに建物の屋上へと駆け上る。
「オッタはあそこで……いた、ユージンさん!」
妖魔の後ろに一人、少し離れたところに三人、自警団員の証である赤いベストが見える。逃げ遅れた人や、町への被害を抑えるために待機しているのか、妖魔を見てはいるものの近づく気配はない。
オッタもユージンも少し離れたところから妖魔を見据えている。
「よし、じゃあ」
身をかがめて見えないようにしてから、火球を一つ、二つと作り空へ放った。
弧を描いて降ってきた火球がぶつかり、妖魔の体からじゅわりと蒸気があがった。これで属性は何か自警団にも伝わっただろう。
来たときと同じように、突起を足がかりに建物から下りる。
「確かこの辺……あ!」
屋上から俯瞰で見た時、道からは置いてある箱が目隠しになっていて気づかれにくい場所に小さな影があった。人なのか、ただの荷物なのかが遠目では分からなかったけど、近寄ると子供が二人蹲っていた。
「あなた達、大丈夫? 怪我は?」
「……」
「とりあえず、ここは妖魔から近すぎるから移動をーー」
「……ほっといて」
「え?」
「私たちがどこで死のうが、関係ないでしょ」
どうりで人目につかない場所だと思った。
一人は覇気のない声ながら拒絶し、もう一人は声を出すことすら億劫なのか、焦点の合わない目で虚空を見つめている。
妖魔との戦いが激化したのか、地鳴りが続く。
「そうね。あなた達がいつ、どこで死のうが私には関係ないわ」
「……」
「好きなだけ現実から目を反らして蹲ってるといいわ。私も好きにするから」
「ひゃっ! な、なにするの」
「大きな怪我はなさそうね」
人目から隠れるためか、路地で眠るためか、二人をぐるりと包んでいた布を引っ剥がす。さすがに驚いたらしく、二人がこちらを見た。
きちんと食事を摂れていないのか、骨と皮になっている二人をじっと見つめる。かすり傷はあるけど、血も出てないし骨にも異常はなさそうだ。
「ねえ、何食べたい?」
「は……? なに言って……」
「考えといてね」
その時、ずしんと地面が揺れた。パラパラと上から建物の欠片が落ちてくる。
再びお互いを抱き寄せる二人に向かって手を伸ばし、植物で覆う。いつかの男達のように蔦で球体を作ると、それを置いたまま道に戻る。
「少し、手伝いますか」
自警団には全属性を揃える決まりがある。自警団として運営する上での最低条件のため、抜けや偏りがないよう配慮される。
ディソナンテの自警団も全属性はいるものの、火・木・金属性は一人ずつしかいない。重複も団長と副団長がいない時用で、かなりギリギリな人数。もう少し人手が欲しいとオッタはよく愚痴を言っているが、自警団として前線に立てるほど魔力がある人もコントロールが得意な人もいないのが実情だ。
自警団には女も入団出来るものの、私にはアコルデもあるし、オッタと違ってバスラ名と本名を分けていない。町の人がバスラを黙認しているから謀反だと罰せられずにいるだけなので、下手に目立つわけには行かない。
人目がないことを確認し、息を吸う。
「集え。ほまれ高き火の妖精たちよ」
空気が揺れる。ぽん、ぽんと小さな灯りが生まれ、私の周りを無数に照らす。
「赤き火の温もりで終わりなき苦しみを焼き尽くせ。悲しき同胞に救いを」
遠くに見える妖魔を抱きしめるように両手を差し出す。小さな灯りがふわりと舞って、妖魔の元へと飛んでいく。灯火は妖魔を囲んだかと思えば、勢いを増して大きな火柱へと成長した。
妖魔の咆哮が下町に響いた。
「虹へおかえり」
咆哮と火柱が消えた時には、妖魔の姿もなくなっていた。
後は自警団が対応してくれるだろう。建物の破損や怪我人の有無も後で教えてもらおうと背を向け、路地に残した子供二人が入った蔦の球体を解く。
「もう出ても大丈夫よ」
さっきと変わらず、互いを守るように抱きしめ合う子供達。
「……あんた、なに?」
「ただの通行人だよ。それで、決まった?」
「決まったって……?」
「言ったでしょ」
片方が目線を上げ、じろりと睨んでくる。その目に僅かな恐怖を滲ませ、後ずさった。その視線に合わせてしゃがみ込む。
「何食べたいか考えといてって」
* * *
「ただいま」
「おかえりフィーラ。あれ、その子達は?」
「お腹空いてるみたいだから連れてきた」
「攫ってきたの間違いじゃ……」
一人を抱きかかえ、もう一人の手を引いて正面入り口から戻る。
妖魔の影響か、客は少ない。空いている席に二人を座らせているとティオが厨房に入っていった。子供達に待つよう言い置いて、別のテーブル席にいた客へと声を掛けた。
「トルトゥラさん」
「忙しい所すまないね、フィーラちゃん」
「いえ、二人共お元気そうでなによりです」
先日、誘拐から無事戻った二人だが、様子を見に行った時は感動の再会中だったので声を掛けなかったのだ。
元々アコルデへ顔見せに来るところだったという二人と簡単に話を済ませて見送る。大体の事情はフエーゴとシュウから聞いていたので、当事者である二人から聞き出す事もなく、どこで誰が聞いているかわからない場所で話すつもりもなかった。
「フィーラ出来たよ」
「ありがとう」
厨房から出来立ての料理を受け取り、そわそわと落ち着かない様子の子供達の元へ戻る。
見るからに栄養失調の子供達に合わせた、胃に優しく滋養のある料理を目の前に、子供達は不安のそわそわに少し期待を混ぜたような目でこちらを窺っていた。
「店長エン特製のおかゆよ。どうぞ召し上がれ」
「!」
「ああ、毒味がいるなら言ってね。一口が大きいからたくさん食べちゃうかもだけど」
「だ、だめっ」
優しく胃袋を刺激する美味しい香りに触発され、子供達はスプーンを握りしめて必死に息を吹きかけていた。自分で食べるだけの力があれば問題ない。
ひとまずご飯を食べさせた後はシュウのところに連れて行って、と脳内で段取りを組んでいるとオッタが店に入ってきた。
「お疲れさま」
「おう」
任務途中に抜けてきたのか、自警団のベストを着たまま。
オッタはちらりと子供達を見たが、子供達はご飯に夢中で見もしない。オッタが懐から取り出した小瓶には、魔石に似た黒い石が一つ入っていた。
「ほらよ」
「ありがと」
小瓶ごと受け取ってポケットに仕舞う。また夕食時にでもカラの小瓶を渡さないとと考えていると、オッタがこちらを見ていた。
「で?」
「二つ頼みたいことがあるの」
「こいつらか?」
「そう、妖魔がいた近くの路地で見つけたの。あ、怪我人とか被害状況は?」
「倒壊した建物があってな。そこに住んでた数人が軽症だ」
「だったらシュウは忙しいかな」
「今は止めといたほうがいいだろな。ま、これだけ食えてれば問題ないんじゃね」
「お願い出来る?」
「しゃーねえ。これも自警団の仕事だ」
さすが慣れている。自分たちの今後についてだとは思っていないのか、食べ終えた子供達はきょとんとしていた。
私もオッタと同意見なので、子供達は教会に連れて行ってもらうことになった。私が連れて行ってもいいが、妖魔の被害状況や町の近況も自警団が纏めて領主に報告している。なら、自警団員であるオッタに任せたほうがいい。
「この人は町を守る自警団員。これからどうしたいかは、この人達と話してね」
「……あんたは?」
この子達からしたら、私はとても勝手に見えるだろう。勝手に願いから遠ざけた挙げ句、無理やり連れてきてご飯を食べさせ、最後は他人に丸投げ。
不服そうに顔を顰める子供に営業用の笑みを向けた。
「私はフィーラ。食堂で働く、ただの店員よ」
私は下町食堂アコルデの店員。表向きはそれ以上でもそれ以下でもない。
妖魔対峙に手を出しておいて何を言ってるんだ、と無言の圧を横からじわじわ感じるけど無視してもう一つのお願いを切り出した。
「後ででいいから、そこに落ちてる人回収してくれない?」
私が指差した先。ぐってりとテーブルに突っ伏して微動だにしない男が一人、そこにいた。
「……後で色々と話聞かせてもらうからな」
ひくひくと口元を引き攣らせつつ了承したオッタは、子供二人を連れて出ていった。
オッタから受け取った小瓶に入っている黒い石。蓋を開けて黒い種を一粒入れる。寄り添うような黒に再び蓋をして、引き出しに仕舞った。
次の休みに森へ持っていかないと。カレンダーを確認し、部屋を出る。
突如現れ、災厄を撒き散らすと恐れられている妖魔。
その正体が穢れに取り込まれて苦しむ妖精だと知る者は、少ない。