14、望まぬ邂逅
「何をしている!」
じりじりと寄っていたハルセと使用人からの奇異の眼差しに対応を悩んでいると、一人の男が駆け寄ってきた。
てっきり怪しい私に向かって言ったのだと思い身構えたが、男は私を庇うように背を向けて間に入った。
「へ?」
「ハルセ! 急にいなくなったと思ったら、こんなところで何をしている!」
「強いやつの気配を察知したからな!」
「……はあ」
今度から縄を持ち歩くことにしよう。そんな物騒な呟きを溜息と共に零した男は、どうやらハルセの知り合いらしい。
私より頭一つ分は高い背に視界を遮られ二人の様子はよく見えないが、助けてくれた男が普段からハルセに振り回されていることだけはわかった。
「あの、」
「ああ、すまない。うちの者が失礼した」
「!」
振り返った男に、声を掛けたことを後悔した。
銀色の髪はよく手入れされ柔らかく、紫色の瞳には理知的な光が宿っている。整った顔立ちに当惑の色をのせているが、着ている服と立ち居振る舞いで貴族、それも高位の者だと一瞬で見て取れた。
唖然と固まる私に、男は今気付いたとばかりに手を胸にあてた。
「紹介が遅れたな。私はリツ・ミトロピア。この者は私の護衛をしているハルセ・フォルクロレだ」
「え!?」
目の前の人物が噂のミトロピア次期当主なことではなく、ハルセがその護衛だったことが信じられず、驚きが取り繕う暇無く飛び出してしまった。
「そちらは? 見ない顔だが」
リツとハルセを交互に見ていた私に、リツが水を差し向けた。
名乗られたのなら名乗り返すのが礼儀だ。はっと我に返ると、私も手を胸にあてて頭を下げた。
「お初にお目にかかります。フィーと申します。レイエンダ邸には配達で時々お邪魔しております」
「配達?」
「その者は姉の薬を届けてくれているのです」
「!」
怪しまれないよう堂々と自己紹介することに気を取られ、再び後ろに人がいることに気付かなかった。肩に置かれた手にびくりと体を揺らすと、手に力を込められた。
首だけで振り返ると眩しい赤が目に入り、慌てて視線を逸らす。
くせのない赤色の髪、梔子の勝ち気な瞳。
隣にいるのはレイエンダ家当主、アキト・レイエンダ。その人に間違いなかった。
「彼女の?」
「ああ、薬と言っても滋養薬ですのでご心配無く」
「そうか」
この状況はおかしい。今すぐにでも消えてしまいたい。
隣と正面は穏やかに、ハルセはうずうず、そして私は冷や汗をだらだらと。早くこの場を去りたいけど、声を発した途端全員から視線が向けられると思うと耐えられない。
「なー! もういい? もういいよな?」
「わっ」
打開策をぐるぐると考えていた私に、ぴょんとハルセが飛びついた。
ふらついた私を隣で肩を掴んでいた男が支え、ハルセの襟首はリツの手がしっかりと掴んでいた。
「私が誰かと話している時は斜め後ろで静かに待機。そう教えたな?」
「待ってたじゃん!」
「私がいいと言うまでずっとだ。それと、急に飛びかかるのはやめるように」
「よし、行くぞー!」
「先に言えばいいものでもない!」
どう見ても飼い主と駄犬だ。
思わず生暖かい視線で見守ってしまった私に、リツがごほんと咳払いした。
「失礼。貴方はハルセと面識が?」
「いえ」
「ないのか?」
「あるじゃん!」
「あるのか?」
「ありません、初対面です」
「アカズ・キンだろ!? そう言ってたじゃん!」
「フィーです! つい先程名乗ったじゃないですか!」
というか、赤ずきんって名乗ったの、本当に名前だと思ってたの!?
急な爆弾投下に、犬の戯言に耳を貸してはらないと目で訴える。怪しまれたのか、じろじろ見つめてくるリツに眉を寄せる。私を男だと思っているから出来ることだ。これが女だったら不躾すぎて嫌われる行為だ。
「貴方は強いのだな」
「え?」
「ハルセが感じたという、強い者は貴方なのだろう?」
「そう!」
「ハルセは黙っていなさい」
「何を持って強いとおっしゃっているのか分かりませんが……俺は平民です。ミトロピア様の護衛をされるほどの方に、強いと言われるような部分はないかと」
本当にどんな嗅覚でどんな強さを察知しているのかしらないが、面倒ごとに巻き込まないで欲しい。仕事柄、貴族なんかに顔を覚えられるわけにはいかないのに。
「貴方さえ良ければ、今度ハルセの相手をしてやってくれないか。日々力が有り余って仕方がないようでね」
「えっ」
「やったー!」
「ちょ、」
突然の提案に虚を突かれ、断る前に駄犬が飛び跳ねた。やるなんてひとっことも言ってない!
社交辞令に決まっている。絶対そうだ。たとえリツの表情に疲れが見えたとしても、私は全力で聞かなかったことにした。
そんな私を横から見ている視線に気付かないふりをしていると、メイドがやってきた。
「アキト様、リツ様。アカネ様の準備が整いました」
「ああ」
「っ! ミトロピア様!」
「どうした?」
メイドに付いていこうとするリツを慌てて呼び止める。
平民の私が公爵を呼び止めるなんて、不敬罪に問われても文句を言えない。それでも、言っておかないといけないことがあった。
「どうか俺のことは誰にも話さないでください。特に……アカネ様には」
「なぜ?」
「その、」
リツの表情から不快感は読み取れない。どうやら貴族にありがちな高慢な性格ではないらしい。
訝しむ視線から逃げるように目を彷徨わせていると、腕を取られた。
「この者は私達姉弟と昔馴染みなのです。それこそ”災禍”前からの、ね」
「ならば、君の話をしたほうが喜ぶのでは」
「いいえ、逆です。昔を、幸せだった頃を思い出させてしまうからと、いつもひっそり訪れるのです。姉だけでなく私にすら会わぬように来るものですから、私も会うのは久しぶりでして」
「そうか……」
僅かに目を伏せ、哀愁を漂わせるアキトにリツが申し訳なさそうに「そういうことなら黙っておこう」と快く頷いてくれた。問題はハルセが黙ってられるかだが、そこはリツが何とかしてくれると信じよう。
にしても、耳障りよく整えられたアキトの話に寒気を覚える。物は言いようとはこのことか。余計な口を挟まぬよう、俯いて表情を隠す。
「そういうわけで、私は少々旧友と話したいのですが」
「!」
「急な来客が来たとでも伝えておこう」
「ありがとうございます」
これで口封じも済んで帰れると思ったのも束の間、アキトからの爆弾に顔を上げる。アキトは素知らぬ顔でリツと言葉を交わしながら、掴んだままだった私の腕に力を入れる。
リツが仏頂面のハルセを連れて去っていくのを、軽く頭を下げて見送る。
「……逃げないから離して」
「離すわけないでしょ」
ぐいと雑に引っ張られて、二階へと連れて行かれる。
使用人からの視界を遮るように帽子を引っ張りながら俯いていると、書斎に辿り着いた。ようやく腕から手が離れたと思った矢先、全身が包まれた。
「会いたかった」
むぎゅ、と正面から抱きつかれた。私より上にある頭に、大きくなったなぁと感慨深くなる。昔は私が抱きしめていたのに。過去に思いを馳せかけて、慌てて頭を振る。そんな悠長なこと言ってる場合じゃない。
手を体の間にねじ込んで押すと、あっさり離れる。それでも絡まる視線だけは離れてくれなくて。
「庇ってくれたのは礼を言う。でも、どうしてあんな事言ったの」
「そういう君こそ。なに、アカズ・キンって。安直すぎるでしょ」
「安直なのは私じゃなくてあっち!」
馬鹿にしたような笑いに、思わず声を荒げる。
アキトがリツ達に話した私の紹介に偽りはない。私達は古い知り合いで、災禍を切欠に疎遠になり、会わないようにしてきた。それを多少脚色しただけ。
「これ」
「ああ、いつもありがとう」
持っていた小袋を押し付ける。机に直そうとするアキトから視線を外す。
本が詰まった棚がいくつかと、重厚な机、細かな装飾を施されたローテーブルを挟んで向かい合わせの革張りのソファ。部屋からレイエンダの森が見えるようになっていて、手前の台に置かれた花が彩りを添えていた。
「ありがとう」
「?」
急に礼を言われ、森からアキトへ視線を移す。アキトも森を見ていたのか、視線をこちらへ向け苦笑した。
何に対する礼なのかを察し、ゆっくりバルコニーに近寄る。私の身長より大きなガラス扉を押すと、新鮮な空気と森独特のみずみずしい香りが飛び込んできた。
「森に行ったんだって?」
「……会ってはくれないくせに、情報は筒抜けなわけだ」
誰がと言うと、メリダという精霊だ。あの子は昔からアキトが好きではなく、滅多なことでは姿を見せようとしない。
「良い人そうね」
「ああ」
リツに会ったのも誤算だった。この国に二家しかない公爵家の次期当主が、あんな人物だとは思わなかった。もっと、憎たらしい人物だったら良かったのに。
「ねえ、そろそろ教えてよ。君が何をしようとしてるのか」
そよそよと心地よい風が、帽子からはみ出ていた髪を揺らす。
言えるわけがない。あなたの姉を殺そうとしているなんて。唯一の肉親を、血で染めようとしているなんて。
「成人、おめでとう。あと当主も」
「当主に関してはまだ見習いだけどね」
アルマドゥラ国では男女共に十六歳で成人となる。
アキトは今年十六歳となり、ようやく当主を正式に継ぐ資格を手に入れた。今までも当主代行と共に実務をこなしていたのだから、立派な当主にすぐなれるだろう。
「もう、ここに来るのはやめる」
バルコニーに足を踏み出す。くるりと振り返ると、アキトの真剣な眼差しと目が合った。
アキトが成人したら、ここに来るのはやめると決めていた。
「もう、会わない」
「待って、僕は!」
「さよなら」
とん、とバルコニーから飛び降りた。
* * *
「……」
バルコニーから消えた彼女。
その背を追うことは出来ない。拳を握り、耐える。
ずっとずっと会いたくて、話したくて、触れたくて。何度自分から会いに行こうと思ったことか。
衝動が湧き上がる度、一人で頑張っている彼女に甘えるのかと、自分に鞭を打ってきた。
災禍の後、彼女と会えたのはたったの二回。
一度目は彼女の居場所を突き止めた時。二度目は今日。どちらも数分の出来事だった。特に今日は何の心づもりもなく会ったものだから、はしゃぎすぎた自覚はある。
もう会わない。彼女はそう言い置いて、消えた。その言葉を守る気なんて、僕にはない。
あと少しで準備が整う。そうしたら、今度はこちらから会いに行こう。