13、レイエンダ家
「いい天気」
レイエンダの森に沿って歩く。
ディソナンテに近い部分もだけど、この辺りも火の手が酷かった。それが今は青々と茂り、枝葉の隙間から陽光を届けてくれる。
私の暮らす下町、ディソナンテはレイエンダ領とディアブロ領の境にある。
領と呼ばれるのは侯爵以上の位を持つ貴族が治める大きな区分であり、現在は四大貴族と呼ばれているレイエンダ公爵、ミトロピア公爵、モンストルオ侯爵、ディアブロ侯爵。そこに王家の直轄地である王都を加えた五区画から成っている。それを更に町や村といった小さな区分に分けたものを中小貴族が治めている。
ディソナンテは本来レイエンダ領に含まれるのだが、ディアブロ家が侯爵位を賜った時に荒くれ者が住み着くようになり、元々の住人が町を去る現象が起きた。
ここで新しく法を定めたり自警団や警備隊を置いて治安を保つことが出来ればよかったのだが、当時治めていたイヌーティル子爵は気が弱く荒事が苦手だった。新参者を取り締まることも、去る民を引き止めることも出来ず、あっという間に町は荒れた。それに拍車をかけるように、子爵が消えた。殺されたのか、夜逃げしたのか、理由は不明のまま。
そこで急遽治めることになったのが、メンティロソ子爵。自分なら見事に治めてみせましょうと声をあげたものの、口先だけで実力が伴っておらず早々に音を上げた。
その次に来たオブスティナド子爵は出ていった町民を戻そうと躍起になりすぎ、フエルサ子爵は荒くれ者を無理やり追い出そうとして返り討ちにあい、オネスト子爵は就任したものの改善も改悪もする気はないと正直すぎる宣言をし、マニーア子爵は細かすぎる法規制で抑え込もうとしたが従う者がおらず精神を病んだ。
どんどん荒廃していくディソナンテにとどめを刺したのは”レイエンダの災禍”だった。
災禍の少し前、もはや子爵では埒が明かないと、英明で即断力に定評のあったアストゥト伯爵に白羽の矢が立った。ディアブロ領にも土地を持つ、荒事にも慣れた伯爵はあっという間にディソナンテを統治した。しかし、それは表向きだけ。
アストゥト伯爵は荒くれ者をまとめ、水面下で悪事に手を染めるようになったのだ。ディソナンテに来る者拒まず、去る者は許さずの町となり、町民は逃げ場を失ったまま金や命を搾取され続けた。
さらには、それを取り締まるはずのレイエンダ家が、間の悪いことに災禍で子供以外一族全員が焼死。一部ではアストゥト伯爵の策略ではないかと噂されていたらしい。小さな下町を救う手はなくなったかに見えた。
その少し前、とある男が家族を連れてディソナンテへ移り住んだ。ディソナンテの現状を知った男は、町民に身を守る術を教え、奪われる事に慣れてはいけないと訴えた。
始めは伯爵の報復を恐れて男を遠巻きにしていた町民達も、次第に男に心を開いていった。男は元王宮騎士で正義感に溢れ、相手を蔑んだりしなかった。レイエンダ家の監視がない内に力を強めようと伯爵が暗躍する中、元王宮騎士を中心に団結力を高めたディソナンテの住民はある計画を立てた。
圧政を敷く、悪しき伯爵の手から自由を取り戻すーー。
その計画は実行する前に気付かれ、見せしめとして計画の主犯は処刑された。それは戦い方を教えただけで計画とは無関係の、元王宮騎士だった。
元王宮騎士は処刑の間際こう言った。
『自分が立てたのはアストゥト伯爵ではなく、さらに上への抗議だ』と。
これを知った国がディソナンテを調査した事により、アストゥト伯爵の悪事が露呈。断罪された。
自警団も騎士を慕った者で構成されていたため解散。以後、独断で自警団を作ることも、似た活動を行うことも禁じられた。現在はレイエンダ家と王宮から配属された者を自警団長および副団長として置くことを条件に、新たに構成された自警団が下町を守っている。
そうしてまた統治する者がいなくなったディソナンテだが、至る経緯が血生臭すぎて貴族に敬遠され、なり手がいなくなってしまった。
仕方なくレイエンダ家から王家へ統治権を戻そうとした王を止めたのは、アキト・レイエンダだった。
生き残ったレイエンダ家の姉弟の弟で、当時六歳。ようやく災禍の傷が癒えて名代も決まったからと、ディソナンテは引き続きレイエンダ家で治めさせてほしいと王に進言したらしい。
さすがの王も、心身ともに傷だらけの幼子には無理だと難色を示した。ただでさえ親や親戚だけでなく、レイエンダが積み上げてきた過去の遺産や森までもが燃え、今後の領地運営は難航を極めるのが目に見えていた。
しかし、アキト自身が強く希望したため、表向きに名を貸してくれる貴族を見つけられれば、とお許しが出たらしい。王にもアキトと似た歳の子がいたため、少しでも望むものを与えたかったのかも知れない。
そんなこんなで、現在は表向きレント子爵が治めている。
先日オッタとサンドイッチの取り合いをしていた自警団団長カイルも、レイエンダ家から送られてきた元王宮騎士。副団長のダイは現職の王宮騎士なので、たまにしかディソナンテにはいない。
「着いた」
ようやく見えた大きな屋敷に、帽子を被り直す。
帽子から覗く髪は黒い。赤茶の長い髪は、ヘナという植物を煮出して作った液に浸されたことで一時的に色を変えていた。流石に瞳の色は変えられないので眼鏡を掛けている。
年齢と共に膨らんだ胸はさらしで潰し、質素なシャツとズボンを身につければ、下町のどこにでもいる少年の出来上がりだ。
「前まではそのままで行けたのに」
胸部を圧迫する息苦しさに辟易しながら、大きな屋敷を見上げた。
敷地を囲む背の高い格子の果ては遠い。目隠し用らしき植物の合間から、落ち着いた色合いをした建物と色とりどりの花が咲き誇る庭、そして噴水がよく見えた。
先日侵入したセクエストロの屋敷と違い、静謐ながら生を感じる。まあ、規模も桁違いなので、比べるだけ無駄だけど。
そんな、一見すれば綺麗な豪邸の背後には、今にも屋敷を飲み込まんとする緑が存在感を放っていた。
「……」
じっと屋敷を見つめる。門番がいないのは必要ないからだろう。
レイエンダ家は屋敷を含んだ森全体に結界を張り巡らせている。一族と共に焼失したと思われたその技術は、レイエンダの新しい屋敷が経つ頃にはアキト・レイエンダが復元させていたという。
「入るか」
レイエンダの屋敷には使用人用の裏口などなく、正面玄関しか存在しない。
大きな門扉には更に小さな扉が付いている。使用人など、屋敷の主や客人以外が使う扉だ。
門の前で長居しては怪しまれると、小さな扉に近づいて軽く押す。
「……」
キィ、と抵抗無く出来た隙間から身を滑らせる。誰かに見つかる前に、すぐに建物の影へと回り込んで息を潜めた。溜息を一つ零して表情を引き締める。
白昼堂々、侵入者がいるなど思ってもいないのだろう。
メイド服の女や、堅苦しい服装の男が行き交うのを影から見つめる。
「やっぱり多いか」
人のあまり寄り付かない場所でもあれば、そこから入れるのに。慌ただしさの理由に心当たりがあった。
噂が確かなら、当主の姉アカネ・レイエンダの婚姻は光の季節に行われる。今は花の季節だから、準備が佳境に入っているのだろう。
この国は、六つの季節からなる。
草木が芽吹く花、太陽が力を増す光、日差しが照りつける灼熱の砂、天気が不安定な空、生き物が年超えの準備を始める雪、世界が白に包まれる時。
あまり身近に既婚者がいないので詳しくないが、三つ以上前の季節から準備を始め、一つ前の季節にはおおよそを終えていないといけないと聞く。
王都だけでなくディソナンテにまで噂が届くのだから、準備にもあれこれ手がかかるだろうと容易に想像がついた。
「うーん、本当に人が途切れないな」
目指すは建物の三階、レイエンダ家のプライベートエリア。最悪、二階にある書斎でもいい。そう思って好機を待っているのに、業者も出入りしているようで掻い潜る隙が見当たらない。
「その辺に置いといたら拾ってくれるよね」
「なにを?」
「!?」
懐から小袋を取り出して独りごちる私に、背後から声がした。
振り返ると、息がかかるほど近くで男が覗き込んでいた。灰色の瞳とばちりと目が合い、反射的に距離を取った。
「なっ!?」
そこにいたのは今一番会いたくない男、ハルセだった。
何でこいつがここに、と聞こうとして我に返る。ハルセと会ったのはバスラの時だけ。フードに隠れて顔なんて見えなかったはず。
「どなたか知りませんが、背後に立たないでください」
つまり、私とハルセは初対面。迂闊な発言をするわけにはいかない。
煩い心臓を抑え抗議する私に、ハルセは心底嬉しそうに目を細めた。
「やあっと見つけた」
「!」
ぞわわと体を駆け巡る気持ち悪さ。今すぐここから走り去りたい。それが無理ならハルセが動けなくなるまで殴りたい。
そんな物騒な考えを懸命に押し込め、引き攣った笑みを浮かべる。
「あの、俺に何か?」
「手合わせしようぜ!」
「どなたかと勘違いされてるのでは、」
「手合わせ手合わせ!」
「聞いてくださ、」
「いいだろ、ちょっとだけだから!」
聞けよ!!
思わず口汚く罵って殴り飛ばしそうになるのを、拳をぐっと握って耐える。いや、これ初対面だとしても殴って許される案件じゃない?
よし殴ろう。そう決めたのと同時に、握っていた腕を掴まれた。
「ちょ、離してください!」
「あっちに良い場所があってさー」
「離せつってんだろ!!」
ぐいぐい手を引っ張られる。意外と力が強いらしく、ちょっとした抵抗では全く動じない。なので、思い切り掴まれた腕を取り返すと、きょとんと驚いた表情でこちらを見ていた。
「誰と勘違いしてんのか知らねーけど、アンタとは初対面! 手合わせなんてやらないし、用があって来てるんで! 失礼します!」
思わず叫んだ。言い終えてから、使用人達がなんだなんだと見ていることに気付く。しまった、目立つとバレる!
慌てて去ろうとする私の手を、誰かが掴んだ。誰か、なんて分かりきっていて。
「いつならいい?」
「は?」
「この間も、今日も、用があるからダメなんだろ? じゃあ、いつだったらいいんだ?」
聞き間違えでなければ、この間も、って言わなかった?
初めて会った時、私を女だと言い切った。今も、確信を持って言っている。
報告の時に、ハルセは嗅覚が野生の獣並みだと例えたが、あれは間違いだ。
こいつは、本物の獣だ。