12、酔っぱらい
「うわ」
アコルデの裏口から入ると、中は大惨事になっていた。
飛んできた包丁が壁に刺さる。抜いて厨房を覗くと予想通りの人物が次の獲物を手に掴んでいた。
「この料理狂い! 大馬鹿野郎! 眼鏡!」
エンを罵っているのは、羅列された言葉とは縁遠そうな見目麗しい女性。
柔らかく波打つ紫紺の髪は手入れが行き届き、胸元や足に露出の多いドレスが彼女の抜群の体型を彩っていた。赤紫の瞳がぎろりとエンを睨んでいる。
その頬が赤いのは、怒りからではない。
「うんうん。一先ず、包丁と鍋を投げるのはやめてもらっていいかな」
「アンタは大馬鹿じゃないんだから頷かないの!」
厨房の壁にも包丁が刺さり、鍋だかフライパンがぶつかったらしい凹みが複数出来ていた。完全に帰るタイミングを間違えた。
貶したいのか、そうではないのか。ぎゃんぎゃん叫ぶ女性の名はトヴォ。こうなった彼女は落ち着くまでが長い。
これでも、バスラのNo.2でオッタの師匠にあたる。
「あ」
裏口から厨房を覗く私とは反対に、客のいる食堂入口側から何対かの目がこちらを向いているのに気付いた。
その中にオッタを見つけ、手と目でトヴォを止めろと訴えるが、両手を交差させて首を振られてしまった。触らぬ神に祟りなし、か。気持ちはとても分かるけど、このまま放っておくと営業に支障が出る。
「そこにいるのは分かっているよ、フィーラ」
「!」
「えっ、ほんとだフィーちゃんいるじゃーん!」
「うっ……」
呼ばれてしまっては仕方がない。出てきた私にトヴォが飛びつく。
うわあ、酒臭い。今日は一段とよく飲んだのね……。
「すまないが、頼んだよ」
すりすりと機嫌よく頬ずりされて皮膚が摩擦で焦げそうだ。エンに頼まれてしまえば断ることなんて出来ない。
仕方なく酔っぱらいを連れて上の住居スペースへ向かう。
二階まで来ると、トヴォは近くの扉に手を掛けて無遠慮に入る。勝手知ったる場所とばかりに、中のベッドに倒れ込むと猫のように体を丸めた。
「フィーラ、どこに行ってたの?」
「フェムのところだよ」
「あといつものとこ?」
「うん」
さっきまでの喧騒はどこへやら。穏やかな表情で話すトヴォに上掛けを被せ、椅子をベッド横まで持ってきて座る。
部屋の作りと窓際に置かれたベッドは私の部屋と同じでも、雰囲気はまるで違う。壁際には本がぎっしり詰まった棚が置かれ、無駄なものは一切ない。服も落ち着いた色合いしか持っていないので、全体的に部屋の色は似ている。
「ほんと、色気のない部屋よねぇ」
トヴォは呆れたような、曖昧な笑みを浮かべていた。ここはアコルデ店長である、エンの部屋だ。
通路を挟んだ向かいに客間もあるけど、使っているのはオッタがほとんど。たまに本当の客が泊まったりはするが、トヴォが使っているのを見たことはない。
エン曰く、トヴォは人恋しさが募ると酒を飲みすぎてここへ来るらしい。だから、たまにしか使わない客間は人の気配を感じなくて好きじゃないのだろう、と言っていた。
「フィーラ」
「なに?」
「ふふ、呼んだだけ」
「なにそれ」
幸せそうに微笑むトヴォは蠱惑的で、それでいて無邪気だった。つられて笑うと、手が伸びてきた。
何だろうと体を寄せる私の髪を指先で遊ぶ。赤子が気を紛らわす玩具に手を伸ばすような仕草が、髪から頬へと移動する。
「髪、伸ばさないの」
「これくらいの方が動きやすいから」
「そう。フィーラが来て、もう十年かぁ。道理で私も歳をとる訳だわ」
「どうしたの急に」
「ううん、あの焦げて性別も分からなかった子が綺麗になったなと思って」
酷い表現だけど、その通りだったので苦笑で返す。
十年前、私は”レイエンダの災禍”で燃え、同時に大切なものを失った。
虫の息だった私を拾ってくれたのがエン。そして、治療したのがディソナンテへ来て日が浅かったフェムことシュウだ。
エンは私を拾って命を助けただけでなく、バスラとして、アコルデの店員として、生きる場所を作ってくれた。エンがいなければ、とうに私は死んでいただろう。
「あの時はビックリしたなぁ。急にこの子を拾った、育てる。だもん」
アコルデでも酒が入ると昔話を始める男がいるが、トヴォも同じらしい。
私がバスラに入った時、構成員は相談役のノルを除いてたったの四人だった。しかも一人は非戦闘員で、たまに情報を手土産にお茶をしに来るような存在。だからだろう、エンは当時七歳だった私をバスラへ引き入れ、育てた。
数少ないバスラ創設メンバーでもあるトヴォには、まだ私が幼い子供に見えるのかも知れない。
「ねえ、まだ諦めてないの?」
「なにを」
「復讐よ、復讐」
眠たげに欠伸をしながら吐くには物騒な言葉だ。
私にとって忘れるはずのないことだけど、こうやって確認されるのは久しぶりだった。
復讐を果たすために力を蓄えたい私と、ディソナンテを守るために少しでも仲間を増やしたいバスラ。災禍で名前も捨てた私に、エンが用意した名がフィーラ。それからずっと、フィーラとして生きてきた。
「諦めてないよ。諦めるわけない」
十年前、私から全てを奪った存在への復讐。それが、私がバスラ入りを決めた理由だった。
コンコン、と控えめなノックに立ち上がると、扉を開ける。
申し訳なさそうな顔をしたエンが、トレイに食事や水を乗せて中に入るのと入れ違いで外へ出た。ここまで落ち着けば、食べて寝て起きた時には元に戻っているだろう。
「お、やっと来たな」
「おかえりフィーラ」
「ただいま」
部屋で着替え終えると、バタバタしていて言いそびれていた挨拶を交わす。
夕食時の忙しさから抜けつつあるのか、客はさっきよりまばらになっていた。だが机に食べ終わった皿が置いたままだったりと、忙しさの余韻が残っている。
汚れた皿を回収し、流しに浸けられていた食器と共に洗う。厨房は復旧済で壁の穴や凹みも無くなっていた。
「しまった、言い忘れた」
帰ったら報告しようと思っていたのに、トヴォの襲来ですっかり忘れていた。
どうせ夕食時にシュウと話した事も伝えないといけないので、その時にしようと再び頭の隅っこに追いやった。
* * *
「またアイツに会ったあ?!」
「オッタうるさい」
夜のまかないを囲みながら、今日合ったことを報告した。
シュウからの情報と、私自身が種を通して得た情報。そして、私が森からの帰り道で起きた出来事。
「その子、本当にフィーラを探してたの?」
「たぶん」
寝てスッキリしたらしいトヴォがフォークで魚を刺して口に運びながら言う。
私だって間違いであって欲しかった。でも、既の所で隠れた私が数瞬前までいた場所で「あれ、いない。今日こそ手合わせ出来ると思ったのに」と呟かれて他人事とは思えるほど、私は楽観的ではない。
「正体がバレたってこと?」
「分からない。でも、最初もフード被った私を女だと言い切ったり、見えてた訳じゃないのに追いかけて来たりしてたから、人の皮を被った獣だと思った方がいいのかも」
「人の皮を被ったケモノ、なぁ」
不安げなティオに、フォークを口に加えて揺らすオッタ。エンは考え事をしているのか難しそうな表情を浮かべていた。トヴォは口の中のものを水で押し込み、立ち上がった。
「状況は分かったわ。トレとニオに連絡を取って、こっちでも少し調べてみる」
「もう行くのか?」
「あら、寂しいの? まだまだおこちゃまねぇ」
「だっれかおこちゃまだ、クソババア!」
「んだとクソガキ!」
「オッタ、トヴォ」
一瞬で火がついた師弟の言い合いは、一瞬で沈下した。
静かな怒りを滲ませるエンに二人はびくりと肩を揺らし、視線を明後日へ向けた。なんだかんだで似ている師弟だ。
「さてと。そろそろ本当に行かないと」
「ああ、気をつけて」
「そこは危ないから送ってあげるって言うところでしょうけどね。まあいいわ、引きこもりの料理馬鹿に言っても仕方ないし」
最後までエンに容赦のない言葉を投げつけ、トヴォは颯爽と出ていった。
トヴォは王都にあるバーで働いていて、昼夜逆転生活をしている。翌日が休みだったり遅番だったり、飲みたい気分の時に好きなだけ飲んでここへ遊びに来ては、食べて寝て帰っていく。
何かあって来たのか、なくても来たのかわからないけど。二人がそれでいいのなら静観している。
「そういえば、トヴォと何の話をしてたんだい?」
食後の洗い物をしながら問われ、なんだっけと記憶を手繰る。
オッタは今日仕事が休みだったからと私の代わりにアコルデで働いてくれていたので、片付けは私が買って出て二人は部屋に帰した。
「ああ、私が拾われてもう十年経ったんだねって話をしてたよ」
「十年? そうか、もうそんなになるのか」
しんみりとしつつも布巾で水分を拭う手は止めないエンに、最後の皿を渡す。
こんなのは水と風の魔法であっという間に片付くのに、エンはあまり魔法を使いたがらない。調理中は火の魔石を使うし、私やティオが魔法を使う分には何も言わないけど、エン自身が魔法を使うのは調理器具を手入れする時くらいだ。
「フィーラ」
「なに?」
「まだ、復讐したいのかい」
食器を棚に戻す手が止まる。まさか一日に二度同じ質問をされるとは。
再び手を動かしながら、言い切る。
「するよ。それが私の生きる理由だもの」
この十年、何も考えずバスラとして任務をこなしてきたわけじゃない。
力の使い方、体の使い方、人の考え方、様々なことを学んできた。全てはいつか復讐するために。
「策もね、もう用意してあるの。近々レイエンダの屋敷に潜入してみようと思って」
「フィーラ」
「大丈夫よ。最初に言った通り、私一人でする。迷惑はかけない」
咎める色が滲むエンの方を振り向かずに続ける。生きる術を、場所を作ってくれたエンやバスラ、ディソナンテには迷惑なんてかけない。一人でやりきるために、ずっと力を蓄え続けたのだから。
「本当に、アカネ・レイエンダを殺すつもりなのかい」
赤ずきんは暗殺集団だと言われている。が、少なくとも私は誰かを手に掛けたことはない。エンや他の面子もそうなのかなんて聞いたこともない。
「ええ」
手を汚した事のない私を心配するエンに、私はにこりと微笑んだ。