11、レイエンダの森
「さて、フィーラ。申し開きがあるなら聞こう」
席に着いた途端、足を組んだシュウににっこりと微笑まれた。
笑っているのに笑っていない、上辺の笑み。貴族として幼い頃から叩き込まれた武器を向けられ、嫌でもシュウの怒りが伝わってくる。
「……ごめんなさい」
「それは何に対する謝罪かな」
「その、」
「一、私の言いつけを破ってハルセと名乗る男と接触した事。二、更にその男に然るべき処置を講じなかった事。三、深追いして仲間を危険に晒した事。四、食人植物を使って王都を混乱の渦に放り投げた事」
「三と四以外」
接触したかったわけではないけど言葉を交わし、何かあった場合ハルセを闇に葬れと釘も刺されたのも破った。二重で助言を無下にしたのだから、怒って当然だ。
正直に答えた私に、シュウは不機嫌そうに肩を竦めた。演劇でも見せられているような、気障な仕草だった。
「酷いな。まるで、私が他人をなんとも思っていない人でなしじゃないか」
合ってるでしょ、と言いたくなるのをぐっと堪える。
ディソナンテで暮らすしかない人々を、降りかかる火の粉から守ろうとするのが私達バスラ。でも、シュウは違う。
医者を続ける為にディソナンテへ来ただけ。続けられるのなら別の場所でも構わない。だからか、バスラとしての仲間意識は薄く、協力者と言ったほうが立ち位置としては正しい。
「それで、その男とどんな話をしたのかな」
「名はハルセ・フォルクロレ。強い相手に手合わせを申し込むのが生き甲斐らしい」
「成る程。それで君を追いかけ回していた訳か」
得心がいったと頷くシュウに、魔力がないと言っていた事も話すべきか迷う。
シュウの情報網は広く、あらゆる事を即日で調べ上げられる。なのに、昨日の時点でシュウはハルセの存在を知らなかった。そんな事があり得るだろうか。
「フォルクロレ、ね。リタ」
「存じ上げません」
「となると、どこかで情報統制が行われているのかな。聞く限り、噂するには事欠かない人物のようだしね」
シュウの言う通り、情報統制なんかで抑えられる人物ではないだろう。
仮に統制が行われているとしたら、魔力がないことが関係しているように思えてならない。昨日ハルセを抑え込んでいた人達はきちんと訓練を受けた人に見えた。一昨日、恐らくハルセを探していたであろう数人もそうだ。
「ともかく、引き続き調査はしよう」
「お願い」
情報統制が敷かれた人物を調べるのは難しい。でも、何事もそつなく熟すシュウには格好の暇潰しになる。
また何か起こらない限り王都に行く用はない。後はシュウに託して日常に戻ろう。
「そういえば、誘拐された人達は全員無事だったそうだね」
「なんとかね」
船に隠されていた女子供の中には、探していたフエーゴの家族も含まれていた。全員ミトロピアの検問員から警備隊に引き渡され、今日の午前中には家族の元へ返された。
朝に種を通して知り、フエーゴの家にも寄ってきた。心配だったのだろう、仕事を休んでいたフエーゴと感動の再会をしていたのを見て、声を掛けるのは止めた。話は後日聞こう。
「船の持ち主だったセクエストロ家はミトロピア領主から呼び出しを受けて、今日明日にでも事情聴取をするそうだ。大人しく出頭しなければ、自領のあるディアブロ領主を通すと脅してあるから問題ないだろう」
「へえ、おぼっちゃまがねぇ」
「結婚前に問題を長引かせたくないのだろうね」
「ふん」
元々見落としたのはそっちだろうに。ささくれ立つ気持ちのまま口を尖らせる。
ともあれ、これで私としては誘拐事件は片がついた。
「これがディソナンテで誘拐されていた人の一覧」
「ああ」
「また何かあったら連絡して」
体調が悪い人に関してはミトロピアで検査を受けたようだけど、精神的苦痛が後々響いてくることもある。一覧にさっと目を通したシュウからリタがメモを受け取る。
該当者のカルテを探し始めたリタを横目に、診療所を出た。
* * *
一旦アコルデに戻ってエンに報告すると、再度外へ出る。
エンが用意してくれた昼食が入った籠に部屋から取ってきた荷物も詰め込み、買い物客で賑わう大通りまでやってくる。
そこで追加を幾つか買い、大通りから路地へ入る。両側の建物に切り取られた、鬱蒼と茂る木々を前に頬が緩む。
「だいぶ戻った……」
レイエンダの森と呼ばれている、妖精の森。
大火事の後、森の面積は激減しディソナンテに接していた部分は燃え滓となっていた。普通の森だと再生に数百年を要するが、目の前にある森は災禍の前と変わらない状態まで回復していた。
「みんな元気かな」
近くに人の気配も視線も感じない事を確認し、木々の隙間に足を踏み出した。
サクサクと草を踏む音と鳥の声。
ときおり別の音も聞こえるが、気に留めずに突き進む。鳥とは明らかに異なる鳴き声や、囁くような声も徐々に増えていく。けれど何も警戒する必要はない。
ここには私を害そうとするモノはいないのだから。
ふわりと風が吹いたかと思えば、視界が光に覆われた。
『おかえり』
『おかえり』
「ただいま」
ぺたりと私の顔に張り付いて視界を遮っていたモノが笑う。くすくすと微かに空気を震わす笑い声は無邪気で愛らしい。
微笑んだ私の頬や髪に彼らがじゃれつく。
『きょうはいいてんきね』
『いっしょにあそぼう』
「あとでね」
小さな人形に羽を生やしたイキモノ、妖精。気づけば籠の中にも何人か入って、追加で買ったお菓子を興味津々でつついていた。
ここレイエンダの森は、森が気を許した相手しか入ることが許されない。子供達に言った話は全て本当だ。
邪気を苦手とする妖精達は聖域である森を大切にし、森もまた彼らを守るために許可した相手以外を受け入れない。許可なき者が足を踏み入れれば、彷徨い続ける。そのことから迷いの森として恐れられると同時に、親の説教や肝試しに使われるほど身近な場所なのだ。
「怖くなんてないのにね」
教会で怯えた様子の子供達を思い出す。
森は彷徨わせたいわけじゃない。許可もなく入ってくるから、目的地に辿り着けないだけ。むしろ、彷徨い疲れて寝た人を外へ放り出してくれるのだけ優しい。
森への恐怖心は、放り出された者が悪い夢でも見たのかと、心に刷り込まれた怖い印象を疲弊した心身が増長させるのだろう。
どんな相手が来ようと、森から何かすることは決してない。
歩き続けてどのくらい経っただろう。
まだ木が少なく寂しい箇所を通り抜け、ぽっかりと拓けた場所に辿り着いた。
葉に遮られることなく燦々と降り注ぐ陽光が湖に差し込み、跳ね返った光が辺りを照らしていた。湖の中心には一際立派な大樹が風で気持ち良さそうに葉を揺らし、歌っている。
樹齢何百年かも定かではない大樹は、大人の男が十人集まって手を繋いだ輪でも届くかどうか。太い幹、太い枝、さざめく葉。そして、その大樹の根本には、幼木と白い花が所狭しと咲いていた。
『おおきくなった』
『たくさんおひさまあびたものね』
『おみずもたくさんのんだものね』
こだまする声達は大樹を見上げる私の横で満足げ。
彼らが言っているのは大樹のことではない。大樹の根っこに植林した、赤ちゃん苗のことだ。純白の美しい花の隙間から顔を出した苗木は、私の胸辺りまで成長していた。
およそ十年前。
たくさんの人ならざるモノが住み、広大な緑を誇っていた森は燃えた。半分以上焼き尽くされ、煙や熱気で煽られた木々も共に枯れた。妖精や獣達も巻き込まれたり、別の場所へ逃げたり。あらゆる意味で森は多くを失った。
原因はレイエンダ家で起きた火事。
くしくも、その日はレイエンダの血を引く親戚が集う年に一度の会合日で。獰猛な炎によって屋敷も、人も、森も、彼らも燃やされてしまった。
全てを焼き尽くそうとする業火は、人ならざるモノの決死の努力によって森の約三分の一を残して鎮火。全員焼け焦げたと思われたレイエンダの人間も、奇跡的に子供だけは助かった。
「うん、大丈夫そう。次来た時に植え替えよう」
籠の荷物には手を付けてはいけないと言い含め、大樹の根本に行くと一本一本確認する。どれもすくすく育っているので、場所を移しても根を張れるだろう。
『やったあ』
『なかまがふえるね』
『たのしみだね』
「宿り木になれるまでは、まだ何十年もかかるよ」
レイエンダの森にある木々は、全て聖樹の子供。火事によって聖樹である大樹も致命的なダメージを受け、ここ数年でようやっと新しい苗木を作れるようになった。
水の妖精は蒸発し、風の妖精は遥か彼方へ、土の妖精は逃げ惑い、木の妖精は大樹を守った。火の妖精は炎に取り込まれたのか姿が消えていた。
『あたらしいこ?』
『あたらしいおはな?』
「そう、仲良くしてあげてね」
籠に入れていた荷物から小瓶を取り出す。中に入れていた黒い種を手の平に出すと、空に投げる。妖精達が受け取り、それぞれ好きな場所に植えに行く。
黒い種から咲くのは、カデナの花。聖樹の根本で光を浴びて輝く純白の美しいその花は、妖精達と同じで邪気のある場所では芽吹きすらしない。
『おおきくなあれ』
『おおきくなあれ』
湖の側にある倉庫から取ってきてもらった如雨露で湖の水を汲み、苗木に撒いていく。葉に乗った水滴がキラキラと光った。先程よりも増えた妖精たちが歌う。
あどけない子供のような妖精達の祝福を聞きながら、全てに水を与え終えると如雨露を再び妖精に託した。
「おいしい」
エンに持たされた昼食を食べる私の周りでは、妖精達が買ってきたお菓子を頬張っていた。基本的に妖精は食事が必要ないのだが、お菓子が別腹なのは人間と同じらしい。
『もういっちゃうの』
『もうすこしあそぼうよ』
「また来るよ」
髪を引っ張る妖精を宥め、来た道を戻る。
この森は特殊で、中と外では時間の流れが違う。夕食までには戻らないとエンに心配をかける。
「次来たときは植え替えするから、手伝ってね」
『はーい』
引き止めていた割にあっさりと聖樹の元へ戻っていく妖精達に苦笑を漏らす。
妖精たちは皆、気まぐれだ。気まぐれな生き物代表の猫よりも気まぐれだが、絆を交わした相手には深い情を持って接する、一途な存在でもある。
「メリダ」
呼び声に、ぴょこんと新緑色の髪と空色の目を持つ妖精が私の髪の隙間から現れた。ふわりと目の前を通過して頭の上に落ち着いたメリダは、愛らしさに艶を混ぜた声音で話し始めた。
「三つ報告があるわ。一つ目は、外へ出ようとした子がいたらしいの」
「妖精?」
「ええ」
基本的に妖精たちは森から出ない。外は邪気に溢れていて、行きたいとも思わないのだそうだ。だけど、それは外へ出たことがある妖精の意見。森の再生と共に生まれた新しい妖精の中には、外に興味がある子がいるのだそう。
仮に出てしまった場合、早く連れ戻さなければ邪気に負けてしまう。が、いたらしい、と言うなら未遂で終わったのだろう。
「次は?」
「水と土の妖精がはしゃぎすぎて、沼が出来ちゃったから気をつけて」
あっちね、と沼が出来たらしい方角を指差すメリダに溜め息が漏れる。森の獣達と追い掛けっこをして、木を何本か折ったのは先月の出来事ではなかっただろうか。
そうこうしている内に森の切れ目が見えてきた。
「最後は?」
報告は三つだと言っていたはずと促す私の髪をメリダが掻き分ける。
「あの子が来てたわ」
「……わかった」
言うなりメリダは再び髪の中へ姿を消した。
もう見えなくなった聖樹を振り返り、踵を返す。ふわりと揺れた髪の隙間に緑色のピアスが一瞬輝いた。