09、謎の男再来
「手合わせしようぜ!」
ハルセは水球に囲まれた私に向け、握りしめた拳を突き出した。
やる気満々のいい笑顔を向けられた所で頷くはずがない。私は任務のためにここにいるのであって、ハルセやその他の男達と遊ぶために来たわけではないのだから。
「ハルセ! いいから戻るぞ!」
「やだ!」
「やだじゃねえ!!」
「おい、貴様ら検問の邪魔をしおって! 大人しく出頭しろ!」
「すみません! こいつも悪気があって邪魔したわけでは!」
「あそこにいるのは、もしや赤ずきんか!?」
「昨日のように逃げおおせると思うなよ!」
入り乱れる主張に苦笑する。
飛び交う言葉から、ハルセを追いかけてきた知り合い、ハルセが邪魔したらしい検問の護衛、王都の夜警、さらにはミトロピアの警備隊までいるらしいと察し、頭を抱えたくなった。
これが全部、ハルセを追いかけて来たなんて。ここに来るまでに一体何をしでかしたんだか。
「でも、どうして王都の夜警がここに?」
他はまだわかる。ただ、ミトロピアの警備隊にも夜警ではなく、王都を守護する警備隊の者がここにいるのか。きちんと制服を身に纏っているということは、昨日のことを踏まえて手を組んだのかもしれない。
どちらにせよ、私にとっては全員が敵だ。それだけ分かっていれば問題はない。
「オレも混ぜろー!」
「お前が暴れて怒られるのは俺らなんだぞ、このばかたれ!!」
「頼むから大人しくしてくれ!」
「はーなーせー!」
ハルセの前後に張り付いて必死に止める男達がなんだか可哀想になってきた。ともかく、ハルセが動けない今の内に他を片付けよう。
じりじりと隙無く距離を詰めてくる夜警と警備隊。橋にいる人達の注意も引き付けたいけど、橋は警備達の向こう側。目の前の包囲網を突破する必要がある。
「相手が一人だからと油断するな!」
「他にも仲間が潜んでいるかもしれん。応援を呼んでこい!」
いつの間にか後ろにも数人が回り込み、前後を固められた。でも人手をこちらに集めてくれるのなら助かる。
気付かれないように前後の男達をじっと見る。僅かな魔力の波動から、どの属性が得意かを感じ取る。正面に火、水、金。背後に水、土、木。他にもいるけど、注意するべきはこのあたりか。
そうなると、水や火で突破するのは難しい。木で縛り付けても燃やされるか切られるだろうし、土と金はこの状況に向いてない。
「さて、どうしようかな」
しんどいけど複数属性を同時に展開すれば、ここを突破するくらいは出来る。ただ、その後オッタが船で一仕事終える時間を稼がないといけない。さらに言えば、時間稼ぎがバレるのも避けたい。
明日は休みをもらおう。腹を括り、水球の数を増やす。
その時、上からパシャンと水が降ってきた。
「あ、あれはケルピー!?」
「どうして陸にいるんだ!?」
建物の壁を蹴り、水を撒き散らしながら悠々と降りてくる透明な馬。すっかり存在を忘れていた。
ケルピーは水の精霊。
姿こそ馬だけど、たてがみは魚のヒレに似ている。水辺で人を誘惑し、背に乗せたまま水の中に飛び込んで食らうと言われる、実は結構危ない精霊。まあ、精霊は基本危ないから近寄らないほうがいいんだけど。
そんなケルピーが街中に現れることはそうない。その所為か、警備達の視線がケルピーに集中している。当のケルピーはと言うと、警備達そっちのけで私をじっと見ている。さっきあげた水球がお気に召したようだ。
「それなら、もう一度手伝ってもらおうかな」
攻撃する為に用意した水球を集めてひと塊にして、魔力で圧縮する。魔力を内包した水球はキラキラと輝き、ケルピーの鼻息も荒くなる。
近寄ってきたケルピーがぶるりと体を揺らしたかと思えば、いつの間にか手綱がついている。馬の姿をしているだけあって、上手く乗りこなせば駿馬だと言う。
「橋の近くまで行きたい。連れて行ってくれるなら、これをあげる」
会話は出来なくても言葉は理解出来る。その証拠に、ケルピーは鼻頭を私の手に擦り付け、パクリと水球を食べた。
精霊は気まぐれではあるが、約束は違えない。つまり、交渉成立。鐙に足を掛け、跨る。
「ケルピーに乗った、だと!?」
魔力を食べて元気になったケルピーは、威嚇するように上半身を上げて水滴を飛ばした。驚いた警備達の隙を突いて、風のように間をすり抜ける。
噂通りの速さに、警備達が反応する前に横を通り過ぎる。遅れて声が上がるのを背に聞いていたが、ハルセは違った。
「!」
手こそ届かなかったものの、ばっちり目が合った。
これまでで一番至近距離でハルセを見たが、やはり何も感じない。微力すぎて感じ取れないのだろうかと、ケルピーの背で揺られながら考えるもどこか腑に落ちない。
「ケルピーだ!」
「く、来るな!」
「うわあ!?」
橋の上まで運んでくれたケルピーから降りて、背を撫でる。
颯爽と帰るケルピーは、ついでとばかりに橋の上にいた警備を二・三人連れて行ってくれた。今はお腹いっぱいだから、食べはしないだろう。
「貴様!」
「待てー!!」
「ちっ、もう来たか」
橋の上にいた警備と向かい合ったところで、間の抜けた声が割り込んできた。
それなりに距離があったはずなのに、一直線に向かってくる。その少し後ろから、残りも来ているのが遠目に見えた。
「悪いけど、無駄に戦う気はない」
必要となれば容赦はしないけど、と心の中で付け足しながら、右手を前に水を呼ぶ。川が近いから水には困らなくて助かる。そこに火を足して、水を蒸発させる。
「何だこれは! 前が見えない!」
あっという間に水蒸気が霧のように立ち込める。視界を遮る白に、手を無意味に振る人や、剣を抜く人まで。
鉄をアーチ状に張って作られた橋の上へ一足先に退避し、水蒸気を追加しながら状況を見守る。
こちらとしては時間が稼げればそれでいい。ちらりと船を見るも、静かで現状が読み取れない。早くしろ、馬鹿。
「あ、遊ばれてる」
霧で足を滑らせたのか、川に数人が落ちていった。
それを何気なく見ていると、ケルピーに連れて行かれた人が見えた。どうやら泳げないらしい。遊び相手が増えて嬉しそうにじゃれついているが、あのままでは死んでしまう。
「仕方ないな」
懐から橙の種が入った小瓶を出し、一つを下に投げる。壁越えでよく使うこの種は、程よい太さの幹と枝が持ち味だ。
私のいる橋の上まで伸びた幹を、懐に入れてある短刀で切る。落ちていく幹が運悪く激突したりしなければ、これにしがみついて難を逃れられるだろう。
「みーつけたっ!」
「げっ」
川の方に気を取られて、種から出た幹を上る人影に気付かなかった。
そこには、にんまりと笑みを浮かべるハルセが立っていた。まるで、かくれんぼで隠れた人を見つけた鬼のようだなと他人事のように見ていた。
「手合わせしようぜ!」
「断る」
「なんで!?」
にべもなく断る私に心底驚いた様子で距離を詰めてくる。その分後ろに下がると悲壮な表情で追ってくる。
なんでと言われても。逆に、何故で手合わせしないといけないのか。
「私達は遊びに来たわけじゃない」
「オレは強い奴が好きなんだ!」
お前の耳は飾りか。咄嗟に口から出ていきそうになった悪態を飲み込む。
私は橋を支える鉄柱の上にいるけど、ハルセは私の出した植物の上。不安定なその場にいれるだけ、ハルセの運動能力は高いのだろう。脳裏で聞こえるフェムの言葉を無視し、ハルセを観察する。
「あなたは強いの?」
「おうよ!」
「魔力が弱いのに?」
「魔力? ないよ」
「え」
どうせなら探りを入れてみようと聞いただけなのに、ハルセはあっけらかんと言い放った。
魔力が、ない。本当に?
自分でも感じていたことなのに、言い切られると何故か不安になった。魔力がなくて、今までどうやって生きてきたのだろう。子供だって、老人だって、犬猫だって魔力を擁していて、使うことが出来るというのに。
「お前、強いだろ。昨日も、今日も。ここにいる中で、お前が一番強い」
そう言って笑うハルセは、魔力がないことを心の底から気にしていないようだった。そんなハルセの横を妖精が飛び交う。やっぱり見間違えじゃないんだ。
シユーは魔力を制御できない。
常に魔力を放出している状態で、周りも本人も危ないのでバスラで保護した。魔力コントロールを教えようとはしたものの、放出し続けるのは走り続けるのと似ていて。コントロールを覚える前に疲れが眠気となって現れ、負けてしまう。その垂れ流しの魔力に妖精が集まる為、自然と妖精との親和性が高まった。
そのおかげか、周りにいる水の妖精を媒介にして遠くの出来事も知ることが出来る。ただし、それなりに条件が必要だ。更に四六時中眠いもやしっ子で、戦闘に不向き過ぎるのでバスラとして動くのは本当に稀。
「どうして、そう思う?」
私は相手の魔力を感じ取ることでおおよその強さを測る。それが出来ないオッタやエンは所作から感じ取ると聞いたことがある。だとしたらハルセは何を持ってそう言い切るのだろう。
そう思って聞いた私に、ハルセは自身たっぷりに言い放った。
「勘!」
聞いた私が馬鹿だった。
「なー、いいだろ? ちょっとだけ!」
「……」
真面目に相手するだけ無駄ね。
今すぐ立ち去りたい気持ちを押さえ込み、せめて情報だけでももらおう。これだけ拘ってるなら、手合わせを餌にすればそこそこ教えてくれそうだ。
「その前に教えて。あなたの名は?」
「ハルセ! ハルセ・フォルクロレ! お前は?」
「……”赤ずきん”」
聞き返されるとは思わず、妙な間が空いてしまった。
それにしても聞いたことのない名だ。これだけ自由奔放なら、噂になってもおかしくないのに。戻ったらフェム辺りに調べてもらおう。
「昨日もだけど、ここで何を?」
「走りたくなったから走ってた」
「……路地にいた時は?」
「寝てた!」
どうしよう、殴りたい。
走りたくなったから夜の王都を走り回り、眠くなったから路地で寝ていた、と。つまりそういうことよね?
子供だってそこまで衝動のまま動いたりしない。赤子と同じにすることすら、赤子に対して失礼だろう。
「……」
住んでいる場所や仕事、聞き出したいことは山ほどある。が、呆れ返って言葉が出ない。
ハルセはというと立ち話に飽きたのか、器用に座り込んで「手合わせはー?」と体を揺らしてぼやいている。私と近い歳に見えるのに、やることなすこと子供っぽい。
「!」
その時、船の方が騒がしくなった。
耳をそばだてると、複数の言い合う声や戸惑う声に混じって子供の泣き声がしている。
オッタが無事任務を終えたらしい。私も撤収して合流しよう。
「なあってば!」
「さよなら」
「てあわせえぇ〜〜!」
立ち上がろうとしたハルセの足場を消す。
執着を感じる悲鳴と共に落ちていくハルセを見下ろし、踵を返した。