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Amore Medicina

作者: 成宮カナタ



 ──とある魔法の存在する国の、昔の話。


 知恵ある人々は、魔法を有効に活用し、生活に役立てながら暮らしていました。何もない暗闇に明かりを灯し、渇いた大地に雨を降らせます。

 その一方で、一部の強欲で心無い者たちは考えました。


「この力があれば、この世界を支配する事が出来る」


 魔法を使えるのは、その国の住人だけだったのです。


 やがて心無い者たちは、他国に攻め入り、あらゆるモノを破壊し、住人を大量に殺し、自分たちに従うよう言い渡しました。

 当然、そんな理不尽な要求に他国の人々は従うはずもなく、武器を持って必死に抵抗しました。しかし、心無い者たちは、いくら攻撃されても、魔法であっという間に回復してしまいます。

 他国の人々に、為す術はありませんでした。心無い者たちに殺されていく仲間たちを、ただ見ている事しか出来ません。

 他国の人々が絶望しかけた時、この世界の全てを支配する神様が天から現れて言いました。


「心無い者たちよ。私は、そのような事のために、あなたたちの国に魔法を与えたのではない」


 心無い者たちは、神様がお怒りになっているのを見て、畏れて言いました。


「神様、どうかお許し下さい。如何なる罰も受けましょう」


 神様はさらに言いました。


「魔法を国から取り上げる事はしない。一部の者の罪を、全てに償わせはしない」


「はい。寛大な対応に感謝いたします」


「その代わり、二度とこのような事が起きないよう、命を奪う魔法と、傷を癒やす魔法を使えないようにする」


 神様はそう言うと、魔法の使える国から、命を奪うための魔力と、回復するための魔力を奪い、天に帰って行きました。



 この物語は、そんな昔話を持つ、全ての魔法使いの故郷の国『ティエラナタル』での出来事である。





 * * * *





 ────やってしまった。


 とても重大なミスを犯してしまった。この状況を、一体どうすれば良いのか、リノには見当もつかなかった。

 手に持った小さめの甕の中は、何度確認しても空っぽだ。

 足元にいる、使い魔である黒猫のノエルに助けを求めて視線を送る。しかし彼は、「あーあ」と呆れたような声を出すだけで、助言の一つもくれはしなかった。

 仕方なく、リノは目の前でびしょ濡れ状態になっている、軍服姿の男に声をかけた。


「あの……大丈夫、ですか?」


 命に別状は、ないはずだ。躓いて、持っていた甕の中の薬をぶっかけてしまっただけなのだから。

 ただ、その───薬の効果が、問題なだけで。

 いきなり液体をぶっかけられて、呆然としていた男の視線が、リノを捉えた。

 反射的に、リノはビクッと肩を跳ねさせる。嫌な予感しか、しない。


「大丈夫ですよね、そうですよね、それでは失礼しま───」

「待って!」


 クルリと踵を返し、走り出そうとしたリノの手首を、男が掴んで止めた。


 ──まずい。

 薬の効果が出る前に、早く逃げなければならないのに。


「な、何でしょう…?」


 悪あがきでもするかのように、ゆっくり、ゆっくりと振り返る。身体中から、冷や汗が出た。

 足元から、「もう手遅れだな」と、処刑宣告のような台詞が聞こえる。頼むから希望を捨てないで欲しかった。例え微塵もなかったとしても。


「やっと、やっと会えた───!」


 歌うように響いた男の声は、やけに感極まっていた。あからさまに嬉しそうな声音に、ビクッと肩が跳ねる。

 まさか、もう薬の効果が出ているのだろうか。リノはきゅっと唇を引き結んだ。焦りに視界をぐるぐるさせていると、ふいに、


「リノ!」

「え」


 男の口から、自分の名前が飛び出して、目を見開いた。

 この男に、見覚えはない。

 見知らぬはずの男が、何故自分の名前を知っているのだろうか?


「何で、私の名前、知って……えっ、何、まさか、貴方、ストー……」


「違う違う違う! ストーカーじゃないって!」


 男は慌てた様子で首を振る。胡散臭い。


「俺、アルバートっていうんだ!」

「はぁ、そうですか」


 リノは適当な返事を返しながら、男の手から逃れようと密かにもがいてみる。しかし、彼の手はびくともしなかった。

 軍服を着ているのだし、恐らく軍人だろう。ただでさえ非力なリノが、普段から鍛えているであろう男に敵うはずもない。しかしそれでも、あがかずにはいられない。


 まずい。

 本当に、まずい。

 男から危ない匂いがプンプンする上に、薬の効果が───


「リノ───君が、好きだ!」

「それは幻想です!」


 興奮気味な男の言葉を、リノは即座に否定した。

 足元で、ノエルが「げ、幻想…!ブフッ」と他人事のように笑っているのが腹が立つ。


「そんなはずはないよ! 君を見ているだけで、俺の心臓は今にも破裂しそうなのに!」

「いっそのこと破裂して下さい!」


 涙目になりながら、ヤケになって叫ぶ。

 もう嫌だ。薬の効果が、完全に出てしまっている。

 男は必死な様子で主張してくるが、それが余計にリノを絶望させた。


「誰だか知りませんが、その気持ちは薬のせいです!」

「だから、俺はアルバート───え、薬?」

「そうですさっき貴方にぶちまけちゃった薬のせいなんです!」


 リノは勢いで一気に捲し立てた。

 男──アルバートは、訳が解らないといった風に、目をパチクリさせている。己の顔面に滴る雫を軽く拭うと、不思議そうに濡れた手を眺めた。


「この液体、薬なの? 一体何の?」

「……………惚れ薬なんです」

「惚れ薬!?」

「叫ばないで下さい!」


 アルバートの叫びを食い気味に止めると、足元から「いやお前もな」と至極冷静なツッコミが飛んできた。

 とても今更な事ながら、ここは街中だ。

 先程から、あり得ないくらい目立ってしまっている。普段は人通りの少ない道だというのに、それでも複数人が足を止めて何事だとこちらの様子を伺っていた。


「場所を変えて説明します。着いて来て下さい」


 人々の視線から逃れるように、羽織っていたケープのフードを目深に被る。


「何処に?」

「私の家です。あと、離して下さい」

「え? あ、ああ、ごめん」


 リノが少し腕を引きながら言うと、アルバートは案外あっさりと手を離した。その事に、少なからず安堵する。

 「君を離したくないんだ!」とか言われたら、どうしようかと思った。この薬では、そこまで盲信的と言うか、言葉を選ばずに言うと鬱陶しい事にはならないらしい。


「こっちです」


 アルバートに背中を向け、リノは自宅に向かって歩き出す。少し早足で近付くと、野次馬の人々は気圧されたように道を開けてくれた。

 人垣を抜けると、ノエルが肩に軽い足取りで飛び乗って来る。ちょっと重い。


「おい、アイツ、どうすんだ?」

「耳元で喋らないでよ。猫のくせに無駄に良い声しちゃって」


 響くバリトンと呼吸と細い髭で、少しだけ耳が擽ったい。長いこと一緒にいるが、これだけはどうも慣れなかった。


「お誉めにあずかり光栄だ。で、どうすんだよ」

「…………ど、どうすれば良いと思う?」

「オレに聞くのかよ」


 呆れた様にため息を吐かれて、リノはムッとする。


「いいでしょ。さっき私のこと見捨てたんだから」

「いや、どうしろってんだよ、あの状況で」

「……魔法であの人ぶっ飛ばすとか」

「自分でやれ」


 ペシッ、と肉球で頬を叩かれた。全く痛くない上に、プニプニしててちょっと気持ち良い。


「む、冗談ですー、さすがに被害者に危害加えるのは反対ですー」


 と言うかそもそも、人が吹っ飛ぶような魔法など使えない。

 わざとらしく唇を尖らすと、半笑いででグニグニと頬を押された。


「良いじゃねぇか。色男だし、そのまま惚れさせとけよ」

「ダメでしょ普通に考えて! ………え、色男?」


 何だか驚愕の言葉が聞こえた気がするのだが、気のせいだろうか。怪訝な顔をすると、呆れ半分、哀れみ半分な視線を返された。

 失礼な、ちょっと心の余裕がなくて相手の顔を半分以上認識していなかっただけだ。


「よく見ろ、アイツの顔」


 ノエルが尻尾で後ろを示す。リノは好奇心に完敗して、恐る恐る後ろを振り返った。

 アルバートは素直にリノの後を着いて来ている。その顔は、ノエルの言う通り、確かに色男だ。

 翡翠色の瞳の目はアーモンド形で綺麗だし、黄金色の髪もサラサラで、鼻筋も通っている。身長も高い。あの薄い唇に好きだと言われたのかと考えると、今更ながらにドキドキした。

 リノが見ている事に気が付くと、彼は嬉しげに顔を綻ばせる。


「何?」


 しまったイケメンだ。


「なななな何でもありません!」


 ぐわっと顔が赤くなるのを感じて、リノはそれを隠すように前に向き直った。


「な? 色男だろ?」

「うん……何か……ビックリするほどイケメンだった……」


 至極真面目な顔で頷く。

 ニタニタと顔を覗き込んでくるノエルの横っ面を押し退けながら、いまだにバクバクと激しく脈打っている心臓の辺りの服をギュッと握りこんだ。


「薬、そのままにしとくか?」

「ますますダメ」

「何でだよ。普通逆じゃねぇか?」

「私にあのイケメンは、勿体無さ過ぎる!」


 リノは拳を握って、力説して見せる。

 ノエルが「またか」とでも言いたげに、呆れた様な顔をした。


「オレ的には、あの男にリノは勿体ねぇよ」

「何言ってんの!? この顔を良く見て!」


 ビシッ、とリノは自分の顔を勢い良く指差した。

 リノは自分の顔が好きではない。

 少し垂れた目も、ゆるくウェーブのかかった髪も、全く気に入っていなかった。中途半端で、全然可愛くないと思っている。


 ──端から見た、他人の評価は全く違うのだが。


「毎日良く見てるから言ってんだよ」

「視覚がおかしくなる呪いでもかけられたの?」

「かけられてねぇよ。もういい」


 はぁ、と疲れた様にため息を吐かれ、リノは納得出来ないながらも何も反論出来ない。


「仲良いね。羨ましいな」


 リノとノエルのやり取りをずっと見ていたのか、アルバートがそう声をかけてくる。

 足を止めて振り返ると、アルバートが寂しげに眉を下げていた。リノの心に、膨大な罪悪感が芽生える。

 そんな捨てられた仔犬のような顔をしないで欲しい。その「羨ましい」という感情も、薬のせいなのだから。


「いいだろ?リノが子供の頃から一緒なんだぜ」


 ノエルは得意気な声で応えると、リノの頬に顔をすり寄せてきた。髭が少しくすぐったいが、ノエルのサラサラな毛並みは気持ち良い。


「子供の頃から? いいな。子供の頃のリノ、見たかったよ」

「そりゃー可愛いかったぜ?」

「ノエル! 嘘を吹き込まない!」


 ノエルを黙らせようと、リノは彼の髭を引っ張る。


「引っ張んなよ。抜けるだろ」

「ノエルが嘘を教えるからでしょ」


 リノが髭から手を離すと、ノエルは逃げるようにリノの肩から飛び降りた。飛び降りる寸前、「本当だっての」と聞こえたのは、幻聴という事にしておこう。


「彼は嘘を吐いていないと思うけどな」

「はい?」


 アルバートの言葉に、リノはいぶかしげに眉を寄せる。

 何言ってんだ、この男は?


「だって、ほら───」


 アルバートはリノ近くまで歩み寄って来ると、リノの頬にそっと手を添えた。

 愛しげな表情に、不覚にもドキッとする。


「こんなに愛らしい人の子供時代が、可愛いくない訳がないだろう?」

「────◎¥※△*#□ё!?」


 リノの口から、意味を成さない言葉の羅列が、叫びとなって飛び出した。

 顔が驚くほど一気に熱くなる。

 妙に冷静なノエルが、「何語?」とツッコミを入れているのが足元から聞こえた。


「あ、あ、愛らしい!? 何言ってんですか!?」

「事実だよ。赤くなってるリノも、可愛い」


 すり、とアルバートの手が頬をすべる。


「いやぁあぁぁ!!」


 とんでもない程恥ずかしくて、リノは思わず悲鳴を上げた。薬の効果は絶大なようだ。自業自得とはいえ、正直辛い。

 そんな蕩けるような笑顔を向けないでほしい。心臓が破裂したのではないかと錯覚してしまったではないか。

 咄嗟に手に持った甕を投げつけたい衝動にかられた。これで殴り掛からなかっただけ褒めてほしい。

 そもそも、身動きできなくなるほどガッチガチに身体が固まってしまったので、しようにも出来ないが。


「お願いですから黙ってて下さい! 無理! 耐えられない!」


 身を引くこともできず、せめてもの抵抗にギャアギャアと喚き立てる。小さな子どものようで恥ずかしいが、今のリノにはそれしか方法が浮かばなかった。


「え、ご、ごめん、そんな酷い事言ったかな」

「謝らないで下さい! 罪悪感が爆発します!」

「えーと…じゃあどうすれば…」


 困りきって眉が下がりっぱなしのアルバートが、頬骨をなぞるように親指を動かす。

 何故そう、火に油を注ぐのか。


「知りません!」


 力いっぱい叫ぶと、ノエルに尻尾で足首を叩かれた。


「理不尽すぎだろ。アイツが可哀想だ」


 そんな事は解っているが、リノにもどうしたら良いのか判らないのだ。誉められる事に、リノは慣れていない。

 しかも、彼の賛辞は薬の為のものだ。アルバートが本当にそう思っている訳ではない。

 ノエルの声で幾分か冷静さを取り戻し、アルバートの手をそっと押し退けて身を翻す。


「とりあえず、早く家に向かいましょう」


 リノは火照った身体を冷ますように、自宅に向かって速足で歩き出した。


 早く、この状況を何とかしなければ。

 リノの後を慌てて着いてくるアルバートを見て、そう思った。





 * * * *





「ここです」


 リノの家は、街外れにある森の中に、ひっそりと建っている。周りに民家は見当たらない。

 リノが家の扉に向かって「ただいま」と言うと、その声に反応して魔法錠が開く。扉を開けて、リノはアルバートを中へと招き入れた。


「こんな森の中に住んでるの?」

「リノは薬師だからな。薬草を採りに行くのに便利なんだよ」


 甕をテーブルに置き、パチン、とリノが指を鳴らすと、部屋が一気に明るくなる。天井に、特定の音に反応して光を発する魔法具が付いているのだ。

 部屋の中にはカウンターがあり、その奥にある棚には多くの種類の薬草が、瓶詰めにされて並んでいた。

 見慣れた風景にほっと息を吐き、フードを外す。


「凄いね。ここにある薬草、全部種類判るのかい?」

「判りますよ」

「じゃねぇと仕事出来ねぇだろうが」


 ノエルがヒョイ、とカウンターの上に飛び乗る。

 リノはアルバートに、客用の椅子を勧めた。


「じゃあ、あの、説明しますね」


 アルバートが椅子に座ると、リノはカウンターのなかに入って口を開く。


「先程も言った通り、貴方にかけてしまったのは、その、ほ、惚れ薬なんです」


 恥ずかしさに、リノの顔が自然と赤くなる。

 フードを再び目深に被りそうになるのをぐっと堪えた。


「どうして、惚れ薬なんてあるんだい?」

「……実験の産物なんです」

「実験?」


 アルバートが首を傾げる。それだけで絵になるのだから、顔の整った人は凄い。

 やたらと輝きを放つアルバートから視線を反らして、リノは意味もなく棚から一つの瓶を取り出していじる。残りが少なくなってきているので、そろそろ補充しなければならない。


「……この国には、魔法が存在していますよね」

「そうだね。今この部屋が明るいのも、魔法のおかげだ」

「はい。魔法は今では、世界中に広がって、とても便利に発展しています」


 昔はティエラナタルにしかいなかった魔法使いも、時代が進むにつれ、あらゆる国へと旅立って行った。おかげで、魔法はティエラナタル特有のものではなくなった。

 しかし、今でも魔法が一番発展しているのはティエラナタルだ。


「でも、命を奪う魔法と、回復するための魔法だけは、誰にも使えません」

「神様に没収されたんだよね。ティエラナタルの有名な昔話だ」

「そうです。だから、ティエラナタルに『薬師』という仕事と、『軍人』という仕事が生まれた」


 リノはいじっていた薬瓶を棚へ戻す。


 命を奪う魔法を失ったティエラナタルの人々は、あらゆるモノと戦う術を無くした。

 だから、代わりに剣や銃を使って戦う『軍人』を生み出した。


 回復するための魔法を失ったティエラナタルの人々は、あらゆるモノを治す術を無くした。

 だから、代わりに薬を作り出して治療をする『薬師』を生み出した。


 ただ、魔法を使う事に慣れてしまったティエラナタルの人々に、この二つの仕事はとてつもなく難しい事だった。

 だから、この二つの役職に就いている人は今でもとても少なく、同時にとても重宝されている。

 魔法が世界中に広まったこの時代では、ほとんどの国において同じ事が言えるだろう。


「『薬師』は、色々な薬を生み出す必要があります」

「で、新しい薬を生み出そうと実験してたら、『惚れ薬』ができちまった、と」


 澄ましたように座っていたノエルが、ハァー、と盛大なため息を吐きながら呆れたような声音で続けた。今日だけで、ノエルにはかなりため息を吐かれている。自業自得で何も言い返せないだけに、物凄く腹が立つ。


「どうして、そんな物を持ち歩いてたんだい?」

「棄てるつもりだったんです!」

「街中で? 森に棄てればいいんじゃ……?」

「森なんかに棄てたら、植物にどんな影響が出るか判らないじゃないですか! それに、動物や魔物たちが飲んじゃったらどうするんですか!?」


 カウンターをバシバシ叩きながら、リノは必死に訴えた。

 この辺りの森の中は、ほとんど人が立ち入らず、自然がそのまま生を謳歌している。人口施設など、リノの家を除いてほぼ存在しない。

 反対に、街は人が暮らしやすい環境を整えてあり、便利な施設や機関が沢山ある。当然、ゴミ処理場だってあるのだ。

 何があるか分からない森より、ゴミを処理する専門機関に捨てたほうが良いに決まっている。

 リノの剣幕に、アルバートは少しの間驚いた様に目を見開いていたが、すぐに優しい微笑みを浮かべた。


「君は、自然に優しいんだね。とても、素敵な事だ」

「※♪▽≒○∵φ†!?」


 アルバートのイケメンオーラに耐えられなくて、リノは奇声を発しながらカウンターの下に引っ込む。

 不意討ちだ。心臓がバクバクいっている。


「え、どうしたんだい?」

「気にすんな。嬉しがってるだけだ」

「ノエル!! 黙ってて!!」


 図星を突かれて、リノは恥ずかしさを隠すように叫んだ。ノエルは完全にこの状況を面白がっている。


「そっか」


 アルバートの、明るい声音が恥ずかしさをさらに増幅させた。

 リノは落ち着くために何度も深呼吸を繰り返す。

 鼓動が正常に戻ってきた頃、リノはカウンターからやっと顔を半分だけ覗かせた。


「あの…、本当に、ごめんなさい」

「あはは、それ、小動物みたいで可愛い」

「いやぁぁぁもう許して下さいぃぃぃ!!」

「あ」


 性懲りもなくべた褒めしてくるアルバートに、リノは再びカウンターの下に引っ込んだ。

 そのやり取りに、ノエルが「ブフッ」と吹き出す。イラッとしたので、カウンターから垂れていた尻尾を思い切り引っ張ってやった。


「い゛ッ…てぇな」


 非難の目を向けられたが、リノはあえて無視する。

 顔を出すのが段々躊躇われてきたので、リノはカウンターの下に隠れたまま会話を続行することにした。


「あの、すぐに、解毒剤を作るので、少し待ってて下さい」

「惚れ薬は毒扱いなんだね」

「いや、どう考えても毒だと思います。害にしかなってません。直ぐに治しますからご安心下さい!」


 リノはギユッと拳を握り、自分に気合いを入れて勢い良く立ち上がる。

 と、ゴンッ、と思い切りカウンターに頭をぶつけた。


「~~~~~~~~ッ!!」


 リノは涙目で頭を抱えながら、よろよろとカウンターから出る。


「カッコつかねぇなぁ……」


 しみじみと言われ、言い返す言葉が全く見付からない。


「あの、それで、材料なんですが、貴方に協力してもらう必要のある物があるんです」

「それは別に構わないんだけど…」

「けど?」


 何だか含みのある言い方に、リノは首を傾げる。

 アルバートは、悪戯好きな子供のような笑顔を浮かべた。椅子から立ち上がり、カウンターに手を付く。


「『アルバート』って、名前で呼んで欲しいな。『貴方』じゃなくて」


 距離はあるが、光を背負うイケメンの圧は中々だった。


「……………………………………………名前、で」

「何だ今の間は。名前呼ぶだけだろうが」


 ダルそうに丸まってこちらを見上げるノエルに、それが大事なのだと心の中で言い返す。


「あ、もっと気軽に、『アル』って呼んでくれても良いよ?」

「はい!? 難易度高過ぎます! 私はイケメンに対する免疫力0なんです!」


 代替案とばかりに言われた内容の重さに、裏返った声が出た。何でレベル上げてきた。


「イケメン? 俺が? 君にそう言ってもらえるなんて、嬉しいな」

「お前も反応するのはそこかよ」


 完全に反応する箇所を間違えているアルバートに、ノエルは呆れた声でツッコミを入れる。

 リノはこれ以上この話題が続かないようにと、話を戻した。


「それで、あの、貴方に協力してもらいたい物なんですが」

「『アルバート』」

「…………………」


 無理だった。

 笑顔のアルバートから、かなりの威圧感を感じる。ズイッ、とカウンター越しに身を乗り出され、思わず怯む。

 リノは観念して彼の名前を口にした。


「あ、アあアアアルバートさん」

「どもりすぎだろ」

「うん、よし」

「いいのかよ」


 どもりすぎなのは解っているが、リノにはこれが精一杯なのだ。アルバート本人も「よし」と言っている事だし、許して欲しい。

 イケメンの名前を口にするだけで、こんなに心臓がバクバクするとは知らなかった。


「それで、ですね。あ、アアあアアアルバートさん」

「うん?」

「泣いて下さい」

「……………………………………………………………うん?」


 アルバートの返事に、かなりの間があった。


「それは、一体どんなプレイなのかな?」

「は、はい!? ぷ、プレ……!? 違います!!」


 わりと真顔でとんでもない発言をして下さったアルバートに、リノはカウンターをバシバシ叩きながら叫ぶ。

 顔はよく熟れたトマトのように真っ赤だ。

 ノエルが「ブハハハハハ!」と大笑いしながら、リノに叩かれないよう、ヨタヨタとカウンターの隅に移動していった。


「解毒剤の材料として、あ、アルバートさんの涙が必要なんです!」

「俺の涙?」

「そうです!私の作ったあの薬は、飲んだ相手の涙がないと、解毒剤が作れないんです!」


 だから別に変なプレイではないと、リノは涙目で訴えた。なんて間違いをしてくれるのだ、この男は。


「うーん……涙、ね……ちょっと、難しいかな」


 すると、アルバートは難しい顔で顎に手を当てた。

 何かこんな絵画ありそうだな、と思わずアルバートに見とれてしまったリノの頭を余計な思考がよぎる。

 そんな事を考えている場合ではないと、我に返ったリノはブンブンと頭を振って雑念を思考の外に追い出した。


「難しいって、どうしてですか?」

「俺、軍人なんだ」


 でしょうね。

 パット見で分かることを言われ、思わずリノはノエルと顔を見合わせる。

 キョトンとした顔で視線を戻すと、アルバートは困ったような笑みを浮かべた。


「鍛えられてるからね。滅多な事では、泣かないよ」

「まぁ、服装からして軍人なのは判ってたけどよ。厄介だな」

「あぁあぁ何でよりにもよって軍人さんに薬ぶっかけちゃうかな私……!」


 肩をくすめて見せるアルバートに、リノは本気で頭を抱えた。

 軍人は、そんなに多くは存在しない、むしろ殆んど存在しない役職の人だ。そんな人に薬をぶっかけてしまうなど、運がないとしか言い様がない。


「泣いて下さい! 何とかして!」


 リノはアルバートに詰め寄ると、彼の軍服の襟を掴んで物凄い勢いでガクガクと思い切り揺さぶった。


「あはは、リノ、激しい、アピール、だね」


 そんな事をされても、アルバートは涼しい顔で笑っている。頭が揺れまくっているのに、気持ち悪くはないのだろうか。

 流石、鍛えられてると言うだけはあるとリノは思うが、この場合それはマイナスにしかなっていない。


「ま、ソイツの涙は後にして、他の足りない薬草集めるしかねぇな」

「うぅ……」

「ええと……ごめん、ね?」

「同情するなら涙を下さい!」


 リノはアルバートの襟を離すと、さっさと薬草を収集しに行く準備を始めた。

 とは言っても、ケープは既に来ているので、籠の中に空の瓶を入れただけだが。


「ア、ア、アルバートさんは、ここで泣く努力をお願いします」

「いや、俺も収集、手伝うよ」


 リノの言葉に、アルバートが涼し気な顔で襟元を直しながら、そう申し出る。


「え、いや、でも」

「ここでじっとしているより、森に行って色々体験した方が、泣ける可能性高いと思うよ」


 確かにそれも、一理あるかもしれない。

 しかし、森で泣くような出来事が起きるとも思えない。


「オマエ、仕事はいいのか」


 カウンターの上で再び丸まりながら、ノエルがアルバートにそう尋ねた。

 すると、アルバートは笑顔で首を振る。


「これから休みで、家に帰るところだったんだ。全く問題ないよ」

「じゃあいいだろ。リノ、オレはここで寝てるから、今日はソイツに付き添ってもらえ」


 ノエルは首を引っ込めて、完全に寝る体勢に入ってしまった。

 こうなったらもう、仕方がない。ノエルの安眠を邪魔すると、物凄く怒られる。リノは怒ったノエルがこの世で一番恐い。

 休日を潰させるのは問題がある気はするが、諦めてアルバートを連れて早々に家を出る事にする。

 扉に向かってリノが「行ってきます」と言えば、自然と魔法錠がかかり、扉は開かなくなる。便利だ。


「じゃあ、あの、よろしくお願いします」

「うん」


 ペコリと頭を下げると、太陽のように輝かんばかりの笑顔が返ってきた。眩しい。目がチカチカするような気がする。気のせいだが。


「嬉しいな、リノと二人きりになれるなんて」

「♯♪√*@$&※∬♭!?」


 ボフン、と頭から湯気が出そうなほどに、リノの顔が一気に熱くなった。この男、出しなからかっ飛ばしてくる。

 相変わらず、咄嗟に口からは訳の判らない叫び声しか出てこない。


「なななななな何言ってるんですか! い、いいいい行きますよ!!」


 リノはアルバートの前から逃げるように、速足で森に歩を進める。こちらはほとんど小走りのようなスピードで足を動かしているのに、アルバートは散歩でもしているかのような歩みでリノに追いついて来た。足長いなコノヤロウ、隙のないイケメンめ! と、リノは心の中で悪態になっていない悪態を吐いた。

 森の中に、舗装された道は途中までしかない。だんだん荒れていく道を、リノは迷わず歩いて行く。


「あ、ここから先、足元気を付けて下さいね」

「え?」

「地面が湿ってて、苔がいっぱい生えてるんです。ここに来ると、私は大体二回以上は必ず転びます」


 至って真面目な顔で言うと、吹き出された。


「ちょっと、何で笑うんですか!」

「いや、ごめんごめん、可愛くて、つい」

「バカにしてますよねソレ!? いいです、アルバートさんなんて転んじゃえばいいんです!」


 イーッ、とアルバートを威嚇して、リノは苔道へと足を踏み出す。

 と、案の定、足元が滑った。


「わ、キャッ、」

「おっと」


 バランスを崩したリノを、素早く移動したアルバートが抱き止める。

 思わずしがみついた腕が、見た目からの予想以上に逞しくて、心臓が大きく跳ねた。


「あ、りがとうございます……」


 声が変な風に裏返ってしまい、とてつもなく恥ずかしい。リノはドギマギしながら、アルバートから身体を離した。

 すると、急にアルバートに手を握られて、リノの心臓がさらに跳ね上がる。


「え、あの、アルバート、さん?」

「手、繋いで行こうよ。転んでも、すぐに助けられるように」


 イケメンオーラ全開な、輝かしい笑顔にリノは思わず反射的に頷いてしまった。

 ありがたいが、恥ずかしい。

 嬉しそうなアルバートと手を繋いで、苔道をさらに奥へと進んで行く。


「ははっ、嬉しいな。実は、リノと手を繋ぎたかっただけなんだよね」

「§〒β∽∵¥π☆≧↑ⅧΩ!? そ、そう言うのは素直に言わなくていいですから!」

「だって、言った方がリノの可愛い反応見れるし」

「……!?」


 はは、とはにかみを混じえて爽やかに笑うアルバートに、リノはただパクパクと口を動かす。

 恥ずかしい事しか言わない彼に、正直どう返せばいいのか判らない。先程から、うるさくなる一方の心臓を、鎮めようとする事に精一杯だ。

 薬のせいだと判っているのに、どうしたものか。


 ストレートに好意を伝えるのは、きっとアルバートの性格だ。リノの作ったあの薬は、人の根本的なところに作用するほど、強くはない。

 元々、真っ直ぐな性格をしているであろうアルバートを、リノは素直に格好良いと思った。


「どうかした?」


 無意識の内にアルバートを見上げていると、不思議そうに、しかしどこか嬉しそうに微笑みながら首を傾げられた。


「あ、いえ、えと、その、な、何でもないです」


 リノは慌ててアルバートから視線を反らす。

 意識しない内にアルバートを見つめてしまっていた事も、それが彼にバレてしまっていた事も、両方恥ずかしい。繋いだ手が、微妙に汗ばんできてしまった事が、その羞恥心に拍車をかける。


「──ッ、あ、あの、早く行きましょう!」


 せめて、この状況から早く抜け出せるようにと、リノは勢い込んで足を踏み出した。

 すると、足元でぐにっ、と言う、嫌な感触がした。サッ、と血の気が引く。

 リノが恐る恐る足元に視線を向けると、「ヴヴヴヴヴヴ……」と低く唸り声をあげて、グーロ──体は大型犬、顔は山猫に似た魔物──がリノを睨んでいた。

 リノの足は、しっかりとグーロの尻尾を踏みつけている。


 ──また、やってしまった。


 そろそろと、これ以上グーロを刺激しないように尻尾の上から足をどかす。


「あ、あの、ご、ごめん、ね…?」


 冷や汗が出るのを感じながら、リノは数歩後退りした。

 グーロは唸り声を上げたまま、むくりと起き上がる。怒りが治まった様子はない。

 どうしよう。

 じわりと、リノの瞳に涙が滲む。

 「ガァァァァ!!」と咆哮しながら、グーロが飛びかかってきた。


──やられる!


 そう思い、ギュッ、ときつく目を閉じた瞬間、勢い良く後ろに引っ張られた。

 それとほぼ同じタイミングで、ゴッ、と何かを殴り付ける、鈍い音がした。


「──リノ、大丈夫!?」

「え……?」


 何が起きたのか分からず、恐々と目を開ける。

 最初に視界に入ったのは、何故か地面の上に伸びているグーロだった。


「え?えっ?」


 視線を横にずらすと、微妙に焦った顔で、サーベルを鞘から抜かないまま構えているアルバートが目の前にいた。

 近い、と思ったが、それもそのはずだ。

 リノは、守るように片手でアルバートに抱き締められていた。アルバートの手が、がっちりリノの肩を抱き寄せている。


「Θ∽%#〒×☆♂$♪¥@!? ち、近、いや、あの、ええと、大丈夫ですありがとうございます!?」


 突然沸騰したかのように、一瞬で顔を真っ赤にし、パニックを起こしながらも、アルバートは自分を守ってくれたのだと理解して慌ててお礼を言う。

 アルバートは安心したように笑顔を浮かべ、サーベルを腰に戻した。


「良かった、無事だね」


 そっと、アルバートの腕がリノの肩から放れる。

 割とアッサリ放れていった腕に物足りなさを覚え、リノは独りでに恥ずかしくなった。


「すみません、ありがとうございます。あの、グーロは……」

「大丈夫、生きてるよ。殴って気絶させただけだから」

「あ、そ、そうですか。良かった」


 ほっと息を吐いてから、助けてもらっておいて、襲ってきた魔物の心配をするなんて何事だ、とハッとする。


「あ、ご、ごめんなさい!私、守ってもらっておいて……!」


 リノは慌てて頭を下げる。

 すると、ふわりと頭を撫でられた。


「どうして謝るんだい? リノは、魔物に対しても優しいだけだろう?」

「でも……」


 リノが顔を上げると、アルバートは優しく微笑んでいた。

 怒っているような様子は、微塵もない。


「リノが気にすると思って、一応傷は付けないようにしたんだけど……駄目だったかな」

「そんな、そんな事ありません!」


 顔を曇らせてしまったアルバートに、リノは慌てて首を振る。

 咄嗟にそんな事が考えられるなんて、凄い以外に言い様がない。


「良かった。俺は、リノのそんな優しいところが好きだよ」

「#◎※△♯θ㎎∵♪*≠¥!? だ、だから、そう言う事は言わなくても良いんです!!」


 輝くような笑顔で、爽やかに好意を口にするアルバートに、リノは顔を真っ赤にしながら反抗する。

 惚れ薬の効果が絶大すぎて笑えない。


「はは。じゃあ、グーロが目を覚ます前に、行こうか?」


 アルバートは笑いながら、リノの手を掴んだ。先程まで放れていた手が、また繋がれる。その事に、何故か妙な安心感を覚えた。


 ──本当に優しいのは、きっとアルバートの方だ。


 そんな事を考えながら、リノは再び魔物などを踏んでしまわないよう、足元に注意しながら歩き出す。

 それから、気を付けていたにもかかわらず、二、三回苔に足を滑らせ、その度にアルバートに助けてもらいながら、やっと目的地にたどり着く。


「あった、よかった」


 お目当ての薬草を発見して、リノは一旦アルバートに手を離して貰うと、籠から空き瓶を取り出し、その中に必要な分だけ摘み取った薬草を入れた。

 薬草を入れた瓶の入り口に手をかざすと、リノは小さく呪文を唱える。


「薬草の中に潜む水たちよ、自然へとお帰り下さい。アクア・ボルベール」


 すると、瓶の中の薬草は一瞬にして乾燥した状態へと変化した。

 アルバートが、リノの横で感心したように小さく拍手している。


「お見事」


「このくらいは、練習すれば誰でも出来ると思いますが……」

「うーん、とりあえず、俺には無理かな。軍で全く魔法使わないから、魔法具ないと魔法使えなくなってきたんだよね」


 あはは、とアルバートは恥ずかしそうに頬をかいた。

 その姿を、なんだか少し可愛いと思ってしまったが、男性に対して可愛いは失礼だと思い直す。


「えと、魔法、使わないんですか?」

「うん。訓練に魔法使っても、意味ないからね」

「軍人さんは、魔力関係ありませんしね」


 この世界の軍人に求められるのは、基本的に体力や筋力、身体能力や、反射神経など、その他諸々も含めて魔力とは全く関係のないモノばかりだ。

 魔力は筋力と同じで、なくなりはしないが、使わなければ衰えていく。軍人の魔力が衰えていくのは、半ば必然的な事だ。

 リノは納得して頷くと、瓶の蓋を閉めて籠へと戻した。


「では、戻りましょう。他の必要な薬草は、家にありますので」

「はい、じゃあ、お手をどうぞ、お嬢さん?」


 笑顔であまりにもサラリと言われたので、最初、何を言われているか分からず、ポカンと動きを止めてしまう。


「……&♯♀☆Ω☆¥%$※@α!? お、おじょう、え、いえ、そんな、お嬢さんなんて大層なものでは……!?」


 我に返ると同時に、いつも通りの謎の悲鳴が出た。

 首を思い切り振り、顔を真っ赤に染めながら、思わず何歩か後退りしてしまう。

 リノが下がった分、アルバートは前に出る。


「俺にとっては、誰よりも素敵なお嬢さんだよ」


 アルバートは笑いながら、もう一度手を差し伸べてきた。


「だから、はい、どうぞ?」


 差し出された手をじっと見つめ、その視線をアルバートの顔へとゆっくり上げていく。

 相変わらず、目眩がしそうなほど輝かしい笑みを顔に浮かべている。


「か、帰りも…ですか?」

「もちろん」

「そ、そうですか……」


 何故か、彼に勝てる気がしない。

 リノはおずおずと、遠慮がちにアルバートの手を掴んだ。するとアルバートにぎゅ、としっかり握り直され、顔が熱くなる。

 歩き出したところで、アルバートは思い出したように声を上げた。


「あ、ところで」

「はい?」

「それ、何て薬草なんだい?」


 アルバートはリノの持っている籠を指差している。

 おそらく、先程収集した薬草のことだろう。


「これですか? これは、『オルビダール』という薬草です」

「おるびだーる? 効能は?」

「これは、乾燥させると、忘却作用が出るんです」

「………………………………え?」


 リノの言葉を聞いて、アルバートが歩みを止めた。

 必然的にリノも歩みを止めてアルバートを振り返ると、彼は目を見開いて、リノを見つめている。


「……忘却作用?」

「そうです」

「それを、解毒剤に、混ぜるの?」

「はい」

「俺は──、何を忘れる事になるんだい?」


 気のせいか、問いかけるアルバートの声は、少し震えているような気がした。


「あの薬が効いている間の記憶、全てです」


 解毒剤を飲めば、惚れ薬を飲んだ事さえ忘れるだろう。

 当然のように、今、この瞬間のことも。


「それ、は……どうしても、忘れなきゃならないのかい?」

「そうです。今、貴方が私に対して抱いている感情は、全て薬のせいです。偽物の感情は、忘れるべきです」


 リノはアルバートの瞳を真っ直ぐに見据えながら、迷うことなく答えた。

 自分の作った薬のせいで、彼は偽物の感情を抱いてしまっているのだ。そんな感情は、覚えていてはいけない。本来なら、彼はリノの他に好きな人がいたかもしれないのだ。

 ───そう考えると、何故か少し、胸が痛かった。


「………偽物の、感情?」

「そうです。薬のせいで生まれた、マガイモノです」


 リノがそう断言すると、アルバートは少し視線を下に落とした。


「……俺、今なら泣けそうな気がするよ」

「えっ!?本当ですか!?」

「あからさまに嬉しそうだね。うん、今なら泣ける」


 あはは、と笑うアルバートの声は力がなく、何故泣いていないのか不思議なほど、悲しそうな表情をしている。

 その表情の理由が解らなくて、リノは一瞬動揺したが、すぐに落ち着くと繋いでいた手を離し、籠の中から先程の瓶を取り出し蓋を外した。

 アルバートの目から、一筋だけ、涙が流れ落ちる。リノはその涙を、薬草の入った瓶で受け取とって蓋をした。


「あれ、思ったより出なかったな。そんなんでいいのかい?」

「はい、一雫でいいので」


 そう言って、リノはまた瓶を籠の中に入れた。

 元々、オルビダールにつけるための涙なので、一緒の瓶に入れても何の問題もない。


「……帰りましょう」

「……そうだね」


 アルバートが再びリノの手を握り、二人並んで歩き出す。

 帰り道、アルバートはずっと、何だか元気がなかった。

 リノが足を滑らせた時、助けてはくれたが、視線は一度も交わることなく、家に着く。手は、いつからか自然に離れていた。

 リノは、よく解らない胸の痛みを感じながら、「ただいま」と魔法錠を開ける。

 アルバートと共に中に入ると、ノエルがちょうど眠りから覚めたところだった。


「おう、おかえ……って何だ。どうした、二人とも暗い顔しやがって」

「ノエル、涙、手に入った」

「の、わりに嬉しそうじゃねぇな」

「……そんな事、ないよ」


 リノはゆるく首を振る。

 嬉しいには、嬉しいのだ。ただ、何故か少し、胸が痛いだけで。


「急いで解毒剤を作るので、少しの間、座って待ってて下さい」

「……直ぐに、できるモノなのかい?」

「できますよ。魔法、使いますから」


 回復するための魔法は使えないが、薬を作る事に魔法を使えない訳ではない。

 魔法を使って作った薬は、ちゃんとした手順をふんだものより効果は薄れるが、その分すぐに完成する。


「…………そっか」

「……少しの間だけ、待ってて下さいね」


 座りもせず、ただ悲しそうな顔をするアルバートに背を向けて、リノは家の奥に引っ込んだ。

 オルビダールと彼の涙が入った瓶を、ギュッと抱き締める。


 あんな表情、しないで欲しかった。


 アルバートは本当に自分の事を好きなのではないかと、錯覚しそうになる。そんな筈は、ないのに。

 リノはキュッと唇を引き結ぶと、薬の調合の開始した。





 * * * *





 それから、十分も経たないうちにリノは小瓶を持ってアルバートたちのところへ戻った。


「できました」


 そう言って、リノは持っていた小瓶をアルバートに半ば押し付けるようにして手渡す。小瓶の中には、薄く碧に色付いた、半透明の液体が入っている。


「綺麗だね」


 アルバートは、受け取ったそれを光に透かして見つめた。目を細める横顔は、悲しんでいるようにも、ただ眩しがっているだけにも見える。


「……そうでしょうか」


 薬の碧は、心を捻じ曲げられたことに対する哀しみの碧だ。少なくとも、リノはそう思う。


「ねぇ、リノ」

「……何ですか?」

「俺、惚れ薬が効いてる間の事忘れても、全く問題ない事、思い出したよ」

「………はい?」


 アルバートは、先程までの悲しそうな顔とは打って変わって笑顔を浮かべている。

 何の話をされているのか解らなくて、リノは首を傾げた。


「記憶がなくなったら、リノの事を忘れるかと思ってたよ。でも、忘れるのは薬が効いてた間の事だけだろう?」

「え、まぁ、そうですけど」

「リノとの思い出を忘れるのは悲しいけど、また作ればいいしね」

「はぁ、そうですね……え?」

「そもそも、俺がリノを知ったのは今日じゃないし」

「………へ? ……え!?」


 アルバートの感情の変化と思考に付いて行けずにグルグルしていると、ニッと笑った彼は勢い良くキュポンと小瓶の蓋を外した。


「何も問題ない! よし、飲もう!」

「え、ちょっ、待っ……!」


 リノの制止の声も聞かず、アルバートは小瓶の中の液体を一気に飲み干す。すると、アルバートの体がグラリと傾いた。薬の副作用で、眠ってしまったのだ。

 リノは慌てて彼の体を受け止めるが、自分より大きな、しかも軍人でガッチリした男の人など支えられる筈もなく、尻餅をつく。


「あたたたた……」

「オイオイ、大丈夫か?」

「うん、一応」


 リノは自分にもたれ掛かったまま眠っているアルバートを、膝枕する体勢に動かした。


「……アルバートさん、気になる事言って眠っちゃった」

「リノのこと、前から知ってたみてぇな事言ってなかったか?」

「……言ってた」


 しかし、一体どういう事なのか聞く前に、彼は眠ってしまった。そのせいで、詳しい事は、何も判らないままだ。


「見事に言い逃げしやがったよな、コイツ……」


 ノエルが軽い足取りでカウンターから飛び降り、リノのすぐ横に座る。


「起きた時に、何か聞けないかな。でも、覚えてないよね」

「多分な」


 うぅ、と思わず小さく呻いた。

 気になるが、起きた時に突然聞いても、彼には何の話か訳が判らないだろう。

 リノは無意識のうちに、膝の上にあるアルバートの頭を撫でながらため息を吐いた。


「……髪、綺麗だな」


 指通りのよいアルバートの髪を、何度も指ですく。だんだん楽しくなってきた。


「……気持ち良い」


 頬の筋肉を緩めて、夢中で髪をすく。横に座ったノエルが、何故かため息を吐いた。


「……お邪魔虫は退散するか」

「ノエル?」

「部屋で寝る。リノ、ベッド借りるぞ」

「え? ああ、うん」


 ノエルはくぁ、と人間くさく欠伸をしながら、家の奥に引っ込んでいく。

 さて、この状況をどうしたものかと、リノは相変わらずアルバートの髪をすきながら考えた。

 とりあえず、そろそろ足が痺れてきた。

 睡眠状態になるのは、記憶を処理するためだ。そんなに長い間の出来事でもないし、もう処理は終わっているだろう。

 起きてはくれないかと、優しく体を揺すりながら声をかける。


「起きて下さい」

「……………………」

「あの、そろそろ、起きて下さい」

「……………う、ん?」


 アルバートが、僅かに身動ぎし、その瞼がうっすら持ち上がった。

 彼は寝ぼけ眼のまま、ゆっくりと体を起こしてリノを見る。


「あれ……? 俺、死んだのかな。天使が見える……?」

「てッ、ててててて天使!? 寝ぼけすぎです! アル……ッ、貴方は生きてますよ!」


 アルバート、と彼の名前を呼びかけて、そう言えば彼は薬が効いている間のことを忘れているんだったと慌てて言い直した。名乗った覚えのない相手から名前で呼ばれたら、驚いてしまうだろう。

 アルバートは数秒間、何故か目を円くしながらリノを凝視していた。


「君は……いや、ここは……?」

「私の家です。えっと……あ、そうだ、近くで倒れていたので、ここまでお運び致しました」


 視線を泳がせながら、リノは口から出任せを吐く。胡散臭いのは解っているが、他の言い訳は思い付かなかった。


「倒れて……? 疲れが出たのかな……そんなにヤワじゃないはずなんだけど……」

「きっと、とてつもなく疲れてたんですよ! そうだ! そうに違いありません!」


 不思議そうに首を傾げるアルバートを、リノはごり押しで無理矢理納得させる。

 本当の事など説明したら、解毒剤を飲ませて記憶を忘れさせた意味がなくなってしまう。それは避けたい。


「それで、なんだけど」

「はい?」

「君、リノさん、だよね?」

「…………………はい?」


 顔をズイッ、と近付けられて、リノはのけ反りながら目を見開いた。

 名前、呼び捨てじゃない。惚れ薬効いてないからだろうか? いや、違う。疑問にしたいのは、そんな部分ではない。

 やはり、アルバートは、自分の事を知っていたようだ。何故?


「そう、ですけど……」

「やっぱり! ずっと、会って話したいと思ってたんだ!」

「え? え?」


 ぎゅ、と両手を握られて、動揺すると共に顔が赤くなるのを感じた。

 アルバートは笑顔で、いかにも嬉しそうだ。


「俺、アルバートっていうんだ」

「は、はい」


 知ってます、とは流石に言えなかった。リノは曖昧に返事を返す。


「初めて見た時から、ずっと気になってたんだ」

「……………………………………」


 微妙に、愛の告白に聞こえる。

 羞恥心から、リノはアルバートから微妙に視線をずらした。


「あ、あの……いつ、私のこと、ご覧になったんですか…?」

「え? あぁ、確か、半年前くらいかな。リノさん、定期的に軍の本部に薬届けに来てるよね?」

「あ、はい、そうですね」


 軍人は仕事柄、怪我が絶えない。

 よって、傷薬などの消費が激しく、リノは定期的に薬の補充を届けに行くのだ。

 リノにとって、軍はわりとお得意様だったりする。


「その時も、リノさんは薬を届けに来てたんだ」

「そ、それが何か…?」

「うん、その時にね、受け取った男が、『ありがとうございます。いつも、大変助かっております』って言ったんだ。そしたら──」


 リノの手を握るアルバートの手に、若干力が入った。

 そのことに驚き、思わずアルバートを見ると、彼は少し顔を赤らめながら、とろけるような微笑みを浮かべていた。

 リノの心臓が、痛いくらいに跳ねる。


「──君は、『こちらこそ、ありがとうございます』って、本当に、心の底から嬉しそうに笑ったんだ」


 ──彼が照れているのを、初めて見たような気がした。

 何故か、心臓が何かに締め付けられているような感覚がした。アルバートのはにかんだ顔を見ていると、どんどんそれが強くなってくる。


「その笑顔を見て、思ったんだ。あぁ、何て綺麗に笑う人なんだろう、って」

「えと、あの、その」


 おかしい。

 呼吸をする事は、こんなに難しい事だっただろうか?

 喉が震えて、いつもの奇声を発する事さえもままならない。顔が熱すぎて、不思議と出てきた涙で視界が滲む。


「それで、今こうしてリノさんと向き合ってみて、聞きたい事が出来たんだ」

「なん、でしょう?」


 アルバートはそっとリノの手を離すと、その手をゆっくりとリノの頬に添えた。

 少し冷たい彼の手が、火照った顔に気持ち良い。


「貴女に─────リノさんに、恋をしても、いいかな?」

「─────────~~ッ!?」


 リノの口から、声にならない悲鳴が飛び出た。

 一瞬、この人は心臓発作か何かで自分を殺そうとしているのではないかと考えてしまう。

 滲んだ涙が、ついに雫となってリノの目から溢れ落ちた。それを見て、アルバートが目を見開いて慌てる。


「え、ごめん、嫌なら───」

「やめる、んですか」

「え」


 リノはうつ向いて、アルバートから泣き顔を隠した。

 震える喉を酷使して、何とか言葉を紡ぎ出す。


「私が、イヤって、言ったら、やめる、んですか」

「………無理、かな。でも、心に閉まっておく事にするよ」


 ハハ、と力ないアルバートの笑い声が聞こえた。

 瞬間、リノは衝動的にアルバートの胸にすがり付いていた。


「ッ、」


 アルバートが、目を円くして息を飲む。


「ダメ」


 珍しく赤面しているアルバートの服を握り、リノは夢中でうったえた。


「そんなの、ダメ。閉まって、おかないで、下さい」

「えっと……」


 アルバートは恥ずかしそうに頬をかいている。

 覚えてないにしても、今までリノに散々恥ずかしい事をやらかしてきたくせに。


「じゃあ、その……振り向いてもらえるように、努力してもいいかな?」


 アルバートの問いに、リノはただ無言で頷いた。

 アルバートの表情が、嬉しそうな笑顔に変わる。


「ありがとう」


 さりげなく背中に回された彼の手を、リノは恥ずかしく思いながらも受け入れた。










*END*

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