婚約発表の夜
私の名前はメラク・ミスリー・オーランド。この国の第3王子である。
今日、学園の卒業パーティーがあるこの日、婚約者のノイエ・ノーキン子爵令嬢をパーティー前に呼びつけた。
彼女は、パーティーを前にしていろいろと忙しいだろうに、私の呼び出しに快く答えてくれた。
私の部屋をトントン、トンと軽くノックする音がして、従者が応対に向かう。彼女はいつも連れ歩く下女だけを共に姿を見せた。
萌木色の艶やかなドレスを着込み、春を告げる妖精のような彼女を目にして、息を飲んだ。
彼女は、そんな私の様子に気づいたのか、頬を染める。
その動き一つ一つ、全てが愛らしく、いとおしい。
あれほど悩んで、決心した決意が揺らぐ、彼女を離したくない。誰にも、彼女を渡したくない。
しかし、先日、耳にした言葉が頭に響く。
いけない。これは彼女の為なのだ。
私は断腸の想いで顔を彼女から逸らした。
「メラク様、ごきげん」
「すまないが、私との婚約を解消してくれないか?」
不調法にも、私は目の前に立つ彼女に顔を背けたまま、挨拶を口にする最中に呼び出した用件を伝えた。
一瞬にして、部屋の中の空気が変わった。
私の従者は、こちらを驚いた顔で見つめ、彼女の下女は口を開けて、呆けた表情を浮かべる。
「え、あの、待ってください。何か、わたくしに落ち度が、」
彼女はあたふたと狼狽しつつも、私の言葉を理解して、私を責める言葉ではなく、自分の責を口にした。
私は、違うと口にしたかった。君はなにも悪くなどないと叫びたかった。私には君しかいないと、彼女を抱き締めて、先の言葉は忘れてくれと言いたかった。
しかしまた、あの言葉が、あの女の声が、頭に響く。
彼女の事を大切に思うならば、愛しているならば、私は、続けなくてはならない。
「話は以上だ。父には私から話す。後は、君の好きにするといい!バトー、客人のお帰りだ!」
私は、感情を殺し、伝えるべき言葉を口にして、話を一方的に切り上げた。
「まっ、待ってください、せめて何か、理由を」
「そ、そうです。なぜ、いきなり!」
「メイ、駄目。黙って!」
「でも、お嬢様、」
下女が鼻息を荒くして、私に詰め寄ろうとするが、ノイエは押し留めた。ここで、やっと私の従者が動き出した。
「ノイエ様。申し訳ありませんが、こちらへ。」
「ま、待って、メラク様、あ、あの、申し訳ありません。何か、わたくしが」
「バトー!」
「ノイエ様、こちらへ」
「待ちなさい!あんた、いい加減に、」
「駄目!メイ!」
「ノイエ様、誠に申し訳ありません!どうぞ、こちらへ!」
彼女は、今にも暴れだそうとする下女と連れ出そうとするバトーに挟まれオロオロし、助けを求めるように、顔を向ける。
私は顔を背けたままでいた。彼女と顔を会わせられない。
あんな言葉を口にしたのだ、彼女に会わせる顔がない。
「え、えっと、あ、はい、あの、パーティーは?」
彼女は、なんとしても顔を向けて貰おうと、別の話題を口にした。
今日は、卒業パーティーがある。
女性は誰かにエスコートを頼まなければならない。
婚約者がいれば、その役は普通は婚約者が務める。
いなければ、年の近い親族を用意するが、ノイエには私という婚約者がい・・たので、当然、親類の手配などしていない。
もっとも、ノーキン家は彼女の祖父が功を成し生まれた新しい貴族であり、親族が極端に少ない。
彼女には、家族がいない。
世界的な英雄として名を馳せた祖父も、将来の宰相と期待された父も、社交界の花と呼ばれた母も既にいない。皆、亡くなっていた。
父は婿に入った為に、父の実家とは縁が遠くなり、唯一の血縁と呼べるのは、教会に出家した祖父の妹だけだが、高齢に加え、エスコート役は男性が務めるものなので、彼女の周りには適当な人間がいない。
ノイエは懸命に言葉をつなぐ。
「わ・・わたくしは、近くに頼める親族がなく、せめて、」
「今日、いきなりでは手配はつかないか、わかった。」
「で、では、」
「後で、誰かに私から直接頼んでおこう。君は、誰か頼みたい奴はいるか?」
私は、出来る限り冷たい言葉を選ぶ。
こんな、言葉を吐きながら、彼女の口から別の男の名前が出てこないように、心から祈った。
ノイエは遂に口を閉じた。
顔を伏せて、体を小刻みに震わせながら、か細い声で呟く。
「い、いえ、いりません。わたくしはパーティーには出ません・・、」
最後の方の言葉は掠れるようで、全く聞こえなかった。
「あんたぁ!ふざけやがって!行きましょう!ノイエ様!早く!」
「・・・申し訳ありません。こちらへ、どうぞ、」
下女は、明らかに不敬な言葉を吐いたが、私は無視した。
バトーも下女を咎めない。おそらく、同じ気持ちなのだろう。
私も同感だ。淑女に対して、いや、女性に対してこのような仕打ちはあり得ない。絶対にしてはならない。
だが、今の私にはこの手しかなかった。
「メラク様、失礼しました。」
扉を閉める前に、ノイエがこちらに向かい言葉をかけてきたが、私は無言のまま、あらぬ方に顔を向けていた。
従者のバトーは、扉を閉めようとしない。
無言であるが、私に対して猛烈な抗議を上げているのだ。
私が、何か言葉を返すまで閉める事はないだろう。
「あぁ、こちらこそ失礼した。ノ、君の人生に幸多からん事を願う。」
「・・、失礼します。さようなら。」
最後の別れの言葉、私は彼女を懸命に見ないで言い切った。
彼女の最後の言葉は震えていた。
バタンと扉が閉まる。
扉が閉められて、私は、彼女が、ノイエが立っていた場所を見つめた。部屋にはバトーと私だけしかいない。
「・・では、ご用の際はお呼びください。」
バトーは普段よりも、冷たい声音で使用人の部屋に下がる。
私は、最後まで彼女の名前を呼べなかった。
あんな、素晴らしい女性は、もう二度と現れないだろう。
私は、心からそう思う。
彼女と添いとげたい。
共に、しわくちゃになって、よぼよぼになっても彼女とならば、生きていきたいと思っている。
しかし、それは、もう選べない。
あの女、未来を知るという侯爵令嬢、ザーマ・ハイビッシャーの言葉どおりならば、私が彼女を連れて、このパーティーに参加すれば、彼女は遠くない未来に死ぬ、殺されるらしい。
国民からの支持があるノイエを迎え、新興の実力をもつ貴族たちから、私を次の王にという声が高まり、王位の簒奪を恐れて、兄上、第一王子サダーク・ビア・オーランドが英雄の血を引く、彼女に毒を飲ませるという未来の話。
荒唐無稽な出鱈目だと笑ってしまうか、不敬だと叱責するべきか、これを言い出したのが、ハイビッシャー家の神子でなければ、誰も信じなかっただろう。
ハイビッシャー家の神子は、王家や上級貴族の間では有名な人物だ。
誰も知らない、様々な知識を持ち生まれる神子。
ザーマは特に神に愛された娘である。
国境の荒れ地で人が住めない土地と言われたハイビッシャー領を改革した。
曰く、麦の収量を3倍にし、他にも様々な作物を育てて、領の収入を10倍にした。
曰く、近衛に負けないような魔法騎士団を組織し、国境を荒らす夜盗を壊滅させた。
曰く、様々な特産品を考え出し、近隣の貴族領、王都はもとより、各国に販売して、今では、王家の金蔵よりも金貨が高く積まれている。
などの噂がささやかれる。今、もっとも力を持つ貴族。王家であっても無視できないハイビッシャー家の躍進を支えているのが、ザーマ・ハイビッシャーだ。
彼女は、私やノイエと同じく16歳で、今年、学園を卒業する。
そんな、彼女が私にいきなり内密な話と人払いを頼み、先の事を話してきた。
ノイエが殺される。
話を聞き、一つ一つを検討し、その事を理解したときには、彼女は去っていった。
馬鹿な事を言うな!と一喝するには説得力がある話であり、加えて彼女の積み上げた功績は大きかった。
私は、彼女の話に悩んだ。
誰にも言えずに、悩み続けた。
神子の件を含め、こんな話を聞いてくれそうな人物など、学園の狭い世界では片手で数える程度しかいない。
幼い頃に、城を抜け出して、人さらいに捕まった私を励まし、優しく諭してくれた少女。やっと、見つけた彼女と身分を越えて、ここまで来たのに、私は、ノイエを、どうすれば?
一週間、朝も昼も夜も悩み、悩み続けた。
私の前に、ザーマが再び現れて、相談があると話を持ち込んだ。
ザーマは、選択するべきだと私に迫る。
このままでは、ノイエは殺される。
絶対、確実な未来なのだとザーマは言い切る。
ノイエを殺されるために連れまわしますか?それとも、いっそのこと、元凶を絶ちますか?
暗殺はノイエが死ぬまで、決して、終わらない。一度や二度守っても意味がない。
ではいっそ、ノイエを守るために兄上を殺すか?
いや、駄目だ。
私もノイエも反逆者になってしまう。
何より、ノイエは、そんなこと望まない。
何か、何か手はないのか?
・・・・
一週間悩み、答えが出せなかった事を、ザーマは言い当てる。
彼女は、手があると私に言ってきた。たった一つ解決策がある。と力強く話してくれた。
彼女との婚約を解消すればいいと彼女はいう。
私が出した結論と同じ答えを、未来を知る侯爵令嬢は持ってきた。
兄上の疑念は彼女から逸れると言われて、私は、彼女を守るために、ギリギリまで悩み婚約を解消した。
いつか、兄上の疑念が晴れる。
いつかは、彼女と結ばれるはずだ。
未来を知る神子の言葉が、悩む私に心地好く聞こえた。
ザーマの言葉を信じた。
卒業パーティーにノイエの姿はなく、彼女を連れてこない私に、パーティーの参加者は物言いたげな表情を浮かべていたが、私は、気にもとめなかった。
卒業後、正式に私とノイエの婚約は解消されて、私は数多くの貴族から年頃の令嬢を紹介された。
ザーマもその一人として現れた。
彼女は私に向かって言った。
私が楯になりましょう。
私ならば、他の貴族は口を出せません。
第一王子であっても、神子である私を攻撃することはできないはずですから、第一王子の猜疑の心が落ち着くまで、婚約を続けましょう。
ノイエ様のことをただ純粋想い続ける王子を守るために自分が犠牲になりましょう。
あなたを守りましょう。
約束された私は感謝の言葉を口にした。
ノイエを失ってから、初めて誰かが横に立つことを許した。
ザーマとの婚約が発表され、一月とたたずに結婚の話が王国中で話題となった。
ザーマに詰め寄れば、目眩ませの為だという。
それだけは、出来ないと拒み続けたが、遂に、勅命が下る。
来月の20日にザーマ・ハイビッシャー令嬢と結婚式を挙げよ。
その日は、一年前にノイエと婚約を解消した日であった。
翌日、ノイエが行方をくらませた。
ノイエに様々な噂があることを初めて知った。
彼女は、王子に捨てられたらしい。
理由は、どうやら不貞らしい。
彼女は、実はとんでもない女だったらしい。
彼女は、騎士団の将来有望な騎士をたぶらかして、二股をかけていたらしい。
彼女は、伯爵家の放蕩息子に貢いで、三股をかけていたらしい。
彼女は、天才魔術師と名高い少年を誘惑して、四股をかけていたらしい。
彼女は、王子様の親友の公爵令息と人目を偲んで、五股をかけていたらしい。
だから、真実に気づいた王子様が彼女を捨てて、聡明で貞淑なザーマ・ハイビッシャー様を迎えたらしい。
全く、同じ令嬢といっても、大違いだ!
ハッハッハッ!
嘘だ!そんな噂は全くの出鱈目だ!
噂される相手には、検討がつく。
皆、耳目を集める男達だが、ノイエに彼らが近づいたことはない。
私が彼女を愛していることを彼らに直接伝えた。
私が彼女しか愛せないことを彼らに直接伝えた。
皆、納得した。いや、させた。
私が、彼女に近づける男を選び、彼女は彼らを知るはずがない。
ここで、気づいた。
噂の出所が巧妙に隠されていることに。
王家の力を使っても、そこが見えないことに。
そもそも、絶大な力を持つ貴族と結び付いたのになにも言わない兄上たちに。
あぁ、君か、君が黒幕かい?
ザーマ?
暗い、窓もない部屋に、私は一人で膝を抱えて座っている。
扉をじっと見つめながら、座っている。
私は待っている。
あの日の様に、扉の向こうにノイエが立ち、私に向かってサヨナラと言いに来ることを。
巷では、私と関わりがある人間に大変な不幸が訪れているらしい。
次は、次こそは、私の番だと待ち続ける。
扉の前で君が泣き続けた日を思い出す。
待つさ、いつまでも、待つよ。
さよならと言うまで、ここで、待つよ。
ねぇ、奥さん!知ってまして?
乙女ゲームに悪役令嬢ってほとんどいないんですってよ!
しかも、ハーレムなんてないんですって!