第7話 初夜は長く、温かく
「随分と殺風景な部屋ね」
ああ、恥ずかしい。何故こんなにも身体が熱いのか。
天草は平静を取り繕いながらも、しかし心中は穏やかではなかった。
まさか部屋に入るなんて展開は、十数分前の自分には予想できていなかった。というか新開 大和と出会うことなんて考えてもなかった。成り行きで誘われるがまま部屋に入ってしまったが、よく落ち着いて考えてみれば異性の部屋に入るなんて人生初めてのことである。
ど、ど、ど……どうしようっ。こんなの想定外過ぎるわよっ。
「変に飾り立てるよりかはマシだろ」
強がって殺風景なんて言ってしまったけれど、実際にそんなことは口からでまかせみたいなもので、思考回路がきちんと機能していない時の台詞だからどうか忘れていて欲しい。し、シンプルで良い部屋じゃないかしら? なんて……今から言ったって遅いわよね。
「男の子って、部屋にポスターとか貼ってるイメージがあったわ。あと漫画とかゲームとか」
天草は大和の部屋を見渡しながらそう言った。母校である靖道第一中学校の男子生徒はよくそういったジャンルの話をしていた気がする。
確かに年頃の男子ならもっと個性があっても良いのかもしれない。しかし漫画やゲーム、小説等は崇や千春、和海、志月が網羅していて共有し合っていたので、その手の娯楽は大和にとっては事足りていた。その為、わざわざ部屋に置く必要はなかったのである。
「そりゃ好きなスポーツ選手やアイドルがいたなら貼る奴もいるだろうけど、俺はそういうのに興味は無いからな」
「無趣味はモテないらしいわよ」
ついつい皮肉を言ってしまう。そりゃアイドルのポスターを貼っていたら凄く気まずいけれど。
「女性の大多数が多趣味で金を掛けている男と結婚して苦労したいなら、否定はしない」
わざわざお茶を沸かして、私の前の机に注がれたコップが置かれる。
「あ、ありがと。別にペットボトルでも気にしないのに」
「茶葉しか持ってきてないんだよ。荷物になるし」
そうね、ペットボトルは楽で良いし、何よりゴミが増えるのは御免だものね。
「それより、さっきも言ったけど、久しぶりだな。元気だったか」
大和は自分の分のお茶も用意し、天草と向かい合うように座る。大和にとってさり気ない、別に何でもない動作であったが、男性慣れしていない天草にとっては意識してしまうくらいの接近であった。
「そ、そうね、お久しぶり。まぁ、元気だったわ」
何だかはっきりとしない口調に少し違和感を覚えた大和だが、何はともあれこうして再会できたことはそう悪くないことだろう。そう考えて、深く追求しないことにする。
「いや本当に驚いた。まさか同じ学園になるなんて」
何時ぞやのフラグが成立したような気がする。
「私の方がびっくりしたわよ。も、もうちょっと、その、部屋の前じゃなくて、別の場所で会いたかったけれど」
天草は少し照れ臭そうに、ぼそぼそと呟く。聞き取りにくかったが、彼女の言っている言葉は何となくわかった。
「え、何でだ?」
意味はさっぱりわからなかったが。再会は再会だろうよ。
「……アンタ、朴念仁とかって言われない?」
何もわかっていない。乙女心というものをわかっていない。例え好きでない男でも、再会するシチュエーションというはロマンチックでありたいものなのだ。やはり男は、女を理解できない。
「それほどでもない」
「いや褒めてないから」
どこをどう解釈すればそう取れるのか。
「まぁ、奇跡的にもこうして再会できたんだし、これからよろしく頼むよ」
そう言って大和は手を差し出し、握手を求める。
「え、ええ……こちらこそ」
その裏表の無い誘いに応えるべく、天草は躊躇いつつもぎこちなく手を出して重ねた。
自分より大きい手。触る機会など無かった異性の肌に、今自分は触れている。
この手で、私を守る為に、あの人形を――。
そう思うと、何だかやるせない気持ちになる。自分の記憶では酷く赤に塗れ、その白い肌は壊れていた。外見はもう完治していても、天草にはどうしてもその手が痛く見えて仕方が無い。
「そうそう、明星館にアイツ等も来てるんだよ。えーと、剣道の試合の時に、観客席で騒いでた奴等」
そんな純情な乙女の感動を中断するように、大和はさっさと手を離す。彼は決して悪気があるわけではない。天草はそう自分に言い聞かせて、衝動的な行動を抑制した。
「ああ……あの人達ね」
確かに記憶にある。しかし今はそんな外野のことなど、どうでもいいだろう。何故握手を取り止めた。私はまだ握手していたかったのに。とはいえ、それも自分の都合だろうと我慢した。
そう、きっと彼は照れている。私みたいな女の子と握手できて、触れて恥ずかしくなって握手を止めたに違いない。これ以上欲情しないように……あら、結構紳士なところもあるじゃない。それとも、単なる意気地無しなのかしら。
なんて自分勝手な妄想も膨らませておいた。
「あ、剣道の試合と言えばそうだ。全国優勝おめでとう。志月から聞いたよ……ええと個人戦は優勝で、団体戦は」
「準優勝よ。できればそっちも優勝したかったけれど」
大会の結果、知っていてくれていたんだ。う、嬉しいけど、どうせなら団体戦も優勝したって言いたかった。それが凄く残念。
「俺からしてみれば十分凄いけどな。ほら、足怪我していたのによく間に合ったなって」
「それは……仙道学園長が治してくれたおかげよ。次の日には練習に参加できたし」
折れていた、と自分でも確信できるくらいの怪我であったが、流石は学園長。持つ武装も治癒効果が備わっているほどに強力な物で、真宮を発って家に辿り着いた時には歩けるぐらいにまで回復していた。
「というか、アンタの方が重傷だったじゃない。大丈夫だったの?」
「後遺症も特に無いし、俺も次の日には普通に遊んでいたよ」
それを聞いて、僅かに……実はもの凄く安堵する。元気そうな姿を見ていても、やはり言葉として教えてくれるとより効果がある。彼がああまでしてくれたのは、自分の為だ。それを負い目に感じなかった日は無い。
「そ、そのことなんだけどね……」
「ん?」
今こそお礼を言うべきだ。言え私。素直に、ありがとうと言わなければ一生後悔することになる。
「その……あの時は、た、たす」
紅潮する熱で血が沸騰しそうだ。先程以上に体が熱く、汗も感じる。
「た、助け」
決死の覚悟で言い切ろうとした瞬間、とても日常では聞こえない音でそれは遮られた。
玄関のドアが乱暴に破られようと、揺れる音だった。
「大和! 飯食いに行こうぜ!」
「寝てるんじゃない? センちゃん、もっとドアをガチャガチャって!」
「インターホンで良いだろうがよ……」
「それじゃつまんねぇだろ? それにこっちの方が寝てても起きるって」
「近所迷惑だけどね……お隣さん、ごめんなさい」
2人の思考が同時に固まる。先に口を開いたのは、誰だか瞬時に把握できた大和であった。
「まずいな……今日は集まらないって油断していた」
今のこの状況、開けたら間違いなく誤解されてしまう。何せ大和自身に下心は全く無かったにせよ、一人暮らしの部屋に女性を招き入れているのだ。それが普通の女性ならばまだしも、天草 桜花という美少女なのだから、女性陣はおろか男性陣も黙ってはいないだろう。
「ど、どうするのよ!」
まさか学園に来て初日で変な誤解を受けたくないのは天草とて同じこと。彼と私はそんな関係ではないのだから。
「アイツ等を放置しておくと後が怖い。かといってこのままじゃお前にも迷惑かけてしまうし……」
自分の部屋を見渡して、大和は閃いた。まったく、自分の発想は中々に都合が良い。
「天草!」
● ●
「悪い、寝てた」
大和がドアを開けると、そこには6人全員が揃っていた。
「お前がこんな時間帯に昼寝かますなんて珍しいな」
戦が早速疑惑の目を向ける。この手のことのみならず、全体的に勘が鋭いのが彼女の特徴であり、長所でもある。
「荷解きとか部屋の整理で疲れて、ついな。で、何だって?」
「そうそう! 晩ご飯を食べようよ! 近くにファミレス見つけたから! 真宮には無いお店だよ!」
千春がそう言いながら靴を脱いで玄関を上がって来る。
「いやちょっと待て。何で入ってくる。後、俺今日は集まらないって聞いていたから先に済ませちまったよ」
ええー、という残念そうな声が続々と上がり、扉が閉まる。見れば全員、既に靴を脱いでいるではないか。
「お、おい! だから何で」
「いやー、念願の一人暮らしってことで、皆の部屋見て回ることにしてんだわ。でも、大和ってエロ本の1つも持ってないからつまんねーかもなー」
それ、俺は皆の部屋を見てないことにならないか。凄く不公平なんじゃないか。なぁ!
「和海。そんなベッドの下とかにも俺はそんな本を隠していないから、ってか探るな! ついでに千春! 菓子を勝手に開封するんじゃない!」
「大和君のお菓子は私の物なのだよッ! というかどうせ私の為に買って来てくれたんでしょー? だって全部私の好物だし。流石は大和君、よっくわかってるぅ~!」
きゃはっ、とか可愛い子ぶりながら、この幼女体型の自称妖精さんは菓子を持ち逃げする。これが素なのだから、本当に滅入る。
「あれ? 大和ォ、俺が前に貸しためっちゃエロい、抜ける写真集は!?」
「ああ……それならここに来る前にお前の家に送り返しておいた」
崇の顏が一気に青くなる。
「それって、どういう……?」
「だから封筒に入れて、郵送しておいた。今日の朝だから、明日の夕方に着くんじゃないか?」
口は開かれ、呻くように何やらよくわからない単語を繰り返し始める。遂には涙目になりながら俺の肩を掴んでは揺らしに掛かってきた。
「何でそこでご丁寧な対応をするんだよ馬鹿野郎ォォー!! あれ凄く使えるんだぞ! お供として超絶優秀な部類に入るんだぞ!」
「それだけ効果が高いなら、尚更良かったじゃないか。痛まないように、きちんと配達してくれるさ」
「問題はそこじゃねぇよ! あんな破壊力高いモン、親に見られちまうよ畜生!」
「崇んとこのお母さんとお父さんなら、もう息子の異常な性欲と性癖には気付いていると思うけど……」
志月、それ全くフォローになっていない。わざと過ぎるぞ。
「まぁ崇の馬鹿は放って置いて。それにしても何だよこの部屋。実家とあんまり変わらないじゃんか」
「大和らしいっちゃ、らしいけどな」
善吉、お前あんまり動くな。ただでさえお前と志月はデカ過ぎるのに、加えてこの部屋に7人も密集していたら狭い。
……正確には、8人だが。
「ま、大和がいきなり彩のある部屋にするわけねぇよ。部屋に女でも連れ込んでたら、話は別だけどな」
コイツは人外か。そう思わせるほどに今日の戦は勘が良過ぎた。まさか、そこに座るかよ。
クローゼットの前。閉められた戸を背にして、戦にとって一番楽な、足を組む姿勢、つまりあぐらをかいていた。
本当は何もかも気付いていて、あえてそこに座ったんじゃないだろうな。そう勘繰りたくなる彼女は、今何よりも脅威を感じる存在であった。
そう、クローゼットの中には天草がいる。当初の計画では、玄関先で6人をやり過ごし、その後に時を見計らって颯爽と隣の自室に戻るはずであった。しかし予定外に彼等の侵攻を許してしまったことにより、まだ服がそんなに収納されていないとはいえ、狭い空間に彼女は押し込まれたままなのである。
このクローゼットは少し小さめに作られている。しかし、彼女と同じ年頃の女性ならばそう苦しくは無いくらいの奥行きは有しているはずだ。多少の閉塞感や息苦しさも何とかなるレベルであった――彼女の体型が一般的に普通であれば。
呼吸が苦しくなるほどに、天草は自身を押し込んでクローゼットに入っていた。何故なら、そうしなければクローゼットに収まり切らなかったからである。
端的にその要因を言うならば、胸のせいである。非常に豊満な爆乳は、このような危機でも彼女を苛ませ、より苦しめている。
このような、クローゼットに押し込まれるという状況を想定していなかったとはいえ、これほどまでに自身の胸を呪ったことは無い。ブラジャーを何度も買い直させる、その停滞を知らない成長性に嫌悪感を抱いていたが、それを上書きするほどの息苦しさを、今この胸のせいで味わっているのだ。クローゼットの奥の壁を跳ね返すように平べったく変形して、これでもかとその柔らかさと弾力性に富む張り具合を主張している2つの果実は、思い切り天草の肺を圧迫している。今は自力で踏ん張っているものの、このまま戸にもたれ掛かれば瞬く間に戸が開いて全てが台無しになる代わりに、この窮屈感から解放されるだろう。
しかしそれは叶わなくなった。戦の背が戸を防いでいることによって、彼女が移動しない限りは戸が開かれることは無い。もたれ掛かることができるようになったので多少は窮屈感が和らいだが、決して楽になっているわけではない。むしろ中途半端に余裕が生まれたことで、余計なもどかしさが出てきた。
まるで自身の身体が、胸が征服されたような――妙にふわふわとした快感を覚え始める。
その息遣いは徐々に官能的な色を帯び、色香を匂わせるようになりつつあった。最早、発情した雌犬のように静かに喘ぎ出すそれと何ら変わらない。
その背後から流れてくる特有な匂いを、戦は当然感付いていた。部屋に入った際に真っ先に気付いた、男には無い体臭が混じっているという事実から浮上した疑惑は、今ようやく確信に変わったのである。
戦場ヶ崎 戦は鼻が利く。勿論犬のような鋭敏さは持ち合わせていないが、およそ一般的な五感を遥かに凌駕したモノを有している。目も良いし、耳もよく聞こえる。手先は非常に器用で、舌も確かだ。大和がそのことを失念していたわけではない。しかし、これは戦が曲がりなりにも女性であったから、気付き得たことである。仮に戦が真に男であったなら、気付かないでいたかもしれない。逆を言えば、戦ほどの鋭い女性であれば必ず気付くのだ。この部屋には女性がいた――あるいは、今でもいる、ということに。男である大和では到底理解できない、女だけに許された特権を用いて、戦は天草の存在を嗅ぎ付けたのである。
それに対して、別段怒りを覚えるわけでも、嫉妬に駆られるわけでもなかった。自分はその手の事情には無頓着であるし、新開 大和という男に惚れているわけでも惹かれているわけでもない。種の保存、という生物的な観点で考えるなら、強い男を目指す彼の子種を受け入れても良い、とは考えている。しかしそれほど進んで性交をしたいとは思わないし、そんな肉体関係も、少なくとも今は興味が無い。恋愛関係と言うならば、尚更である。
俺と大和はそんな関係じゃない――。
だから、新開 大和が誰を部屋に連れ込もうが、抱こうがどうでもいい。互いが合意であれば構わない。男なのだから仕方ないだろう。むしろ、そうしてくれた方が嬉しいという感情まで芽生えてしまいそうだ。彼が肉食系男子となって女性に興味を示すことは、これまでの彼の異性交流を考えれば、良い傾向だと思う。
別に呉上水で女子に嫌われていたわけではない。むしろ、贔屓目に見ても好かれていたと思う。顔は決して悪くないし、成績も志月や自分ほどではないが、上位であった。運動神経は言わずもがな。性格だって今の軟弱な優男の傾向とは異なり、実に男らしいはずだ。身長も平均より高く、身体も筋肉質の傾向にある。女性にとって高評価を揃えた男ではないだろうか。
だが、モテない。『良い人』止まりだと和海が言っていたが、その通りなのかもしれない。
そう、下心が無さ過ぎるのだ。正確には、下心が隠れ過ぎている。賢者と呼んでしまう要因。性欲は年相応に旺盛だろうし、女性に対して欲情もする、普通の男には違いない。しかし、女性に対しての男のフェロモンというか、匂いというか、『恋愛対象として見ています』といった感情がちっとも伝わってこないのである。その言動全てが、女性を惹き付けない。
彼は異性との交流に、何の緊張も抱かない。どれだけの超絶美少女で、どれだけいやらしい身体をしていても、彼は反応すれども変わらず、分け隔てなく平等に接する。
だからこの部屋の、自分の後ろに隠れている女性にもそういった態度を取っていたに違いない。普通に接して、友達感覚で部屋に招き入れたのだろう。
愛を知らぬのだ、この童貞は。知識上では知っていても、その実感が全く湧いてこない。女性を真に孕ませたいと、真に愛したいと思えたことは一度も無いに決まっている。その歳で初恋がまだなのだから。
本気で愛したいと思える人物が彼の前に現れてくれれば、彼は変わるだろうか――。
そんな展開を友人として望みつつも、また絶対に望まない自分もいる。
変わってしまって、強さを追い求めなくなった彼を、自分は殺したいと思えるだろうか――。
それはかつての約束。2人だけの秘密。それが果たされなくなるのではないかと、密かに寂しく恐れている。壊れてしまいそうなくらいに、痛くなる。
だから、自分は何も言わない。この背には“空のクローゼット”があるだけだ。自分は何も気付いていない。殺風景なつまらない部屋を見ているだけだ。
「食っちまったんならしょうがねぇよ。また明日にでもしようぜ」
戦は立ち上がり、玄関へと向かうよう他の5人を促す。
「むー……そうだね、明日があるもんね。じゃあ大和君、明日は昼から出掛けるよ! 皆で学園都市を探検する!」
「ああ、わかったよ。悪いな」
ついでにその菓子やるよ、と千春に付け足して、ぞろぞろと廊下に流れていく彼等を見送る。
「腹減ったら電話して来いよ。しばらくファミレスで駄弁ってるからよ」
崇が大和の肩に手を置いた。できればこの7人で夕食を楽しみたかったし、結果的に1人だけ除け者扱いになるのは崇が最も嫌うことだ。それを大和は十分に理解している。
天草との誤解を持たれない為とはいえ、こういう嘘はこれっきりにしたいものだ。それに彼の言葉に甘えて、時間が経った後にお腹が空いた設定で、合流しても良いかもしれない。
そうして彼等は部屋を出て行った。念の為エレベーターに入るところまで視認してから、ドアを静かに閉じる。
「……ふぅ」
思わず溜め息が漏れた。危なかった……彼女は大丈夫だろうか。
「天草? もう出てきても良いぞ」
しかし返事は無い。どうかしたのか、と思いクローゼットの前に立つと。
「もっ、もう無理! 絶対……ダイエットしてやる!!」
荒い息遣いをしながら、天草が飛び出してきた。顔は赤く、肩を上下に動かしてその場にへたれ込むように座り、深呼吸を始めた。
「わ、悪い……少し長かったな。でもそんなに息苦しかったか?」
クローゼットには数着の服しか収納されていないし、ゆとりもあったと思うが。
「長過ぎよ! て、ていうかずっと潰されてたから胸が痛い……うぅ」
整息をしつつ、自らの胸を隠すように手で覆う。その姿が何とも艶かしく、大和は直視できずに目を胸から逸らして、座り込んだままの彼女に手を差し出す。
「と、とりあえず、もう今日は部屋に戻れ。また今度、ゆっくりな」
「ちょ、ちょっと待って……もう少し休ませてよ……」
まるで事後のような甘い声を出されてしまう。無防備な姿でその魅了を存分に発揮するのはどうかと思う。流石にこれで興奮して襲い掛かるほど脆弱な忍耐は持ち合わせていないが、こちらまで変な気になってきてしまうではないか。
平静を保て、そう自分に一喝する。軽く頬を抓って、彼女の回復を待っていると、またもや安心を壊す音が鳴った。
それは、スマホの着信音。相手先は司馬 千春と表記されている。いや、それより注目すべきはスマホそのもの。このスマホは大和の物ではないのだ。
「大和~? 悪いんだけど、私のスマホ、置いてってねぇ?」
ドンドン、とドアが叩く音が続く。
「やばい! あっ、天草! 悪いけどもう一度入ってくれ!」
「ええ!? い、嫌よもう! 胸が壊れちゃうわよ!」
「そんなわけあるか! あと少し、あと少しだけだから!」
「ひぇ!? ちょ、腕引っ張らないでよ! せ、せめて、もうちょっとだけ休ませ」
彼女の訴えはそこで途切れた。顔を見れば硬直して、今にも泣き出してしまいそうだ。
「ほう?」
着信音、ゲームのBGMであろう音楽が鳴り響く部屋に、静かに怒れる声がした。
振り返ると、長い金髪の毛先を弄りながら、酷く冷たい目線をこちらに送っている和海だった。
何せ、片手で胸を押さえた、かつ息の荒い女性の腕を無理矢理に引っ張っている男の図。目的地はクローゼットだが、見様によってはベッドとも取れなくはない。
「何か声が微妙に聞こえたんで何事かと思って、ドアを開けようとしたら鍵掛かってなくてさ。入ってきたわけですが……」
鍵を掛け忘れていた……まさかの失態である。
和海は机の上にある自分のスマホを手に取り、通話ボタンをタッチして耳に当てた。
「ああ、千春? そう、うん、やっぱり大和ん所にあった。でさ……千春と崇ってさ、確かエアガン持って来てたよね。それ、ちょっと部屋に戻って持って来てくんない? そう……うん、他の全員も連れてきて。善吉とセンには、身体温めとくように言っておいて。相手、大和だからさ、全力でやらないと。ついでに志月には救急車を呼べるように準備しといてって、言っといて」
流石に天草の腕を放し、誤解を解こうと口を開こうとしたが、和海の眼光が、雰囲気がそれを許さない。こちらから目を離すことなく、着々と話を進めていく。
「うん……え? そりゃあ、大和がめっちゃ可愛い女の子を部屋に連れ込んで、今から童貞卒業しようと躍起になってるからだよ」
少し離れた距離であるにも関わらず、崇の理解不能な叫び声が聞こえた。しばらく騒いでいる音がした後、ぷつり、と通話が終了される。
「とりあえず、逃げんなよ大和。ああ、そこのお嬢さんも。ちょっとお話聞くだけだからさ」
天草はその体を小刻みに震わせながら、顔はどんどんと紅潮の色を帯びていく。あわあわ、と涙を滲ませて、どうすればいいか、とこちらに視線を投げ掛けてきた。
どうすればいいかって? ……俺が聞きたいくらいだ。
● ●
夜のファミレス。若者を中心に客は構成されており、多人数の客も少なくは無い。この大テーブルには8人がただならぬ雰囲気を醸し出していた。
女性4名、対面に男性4名。
「まずは、説明して貰おうかな」
和海が切り出す。
「大和、どうしてお前は部屋に女の子を連れ込んでいたのか。そしてそれを隠すようにしていたのか。私等が部屋を出た後、彼女に何をしようとしていたのか」
まさに修羅場一歩手前だ。和海の問い詰めの声は一段と厳しいものである。
「というかその前にこの女の子、もしかしなくても天草 桜花ちゃんだよね。去年の夏の、おっぱいすっごいでっかい女の子だよね」
「その呼び方は止めて……」
千春の的確な表現は、その隣にいた天草の元気の無い声でNGとされた。
「つまりアレか、大和。お前の部屋にエロ本が無い理由ってのはそういうことか。実物があるんだぜ、的な意思表示で俺等に宣戦布告ってかァ!!」
ファミレスに相応しくない思考を持ち、かつそういった発言を行った崇は言うまでも無く、戦によって粛清を受けた。いくら何でも飛躍した言いがかりであり、どう考えても先郵送に関する件の復讐としか思えない。
「とりあえず、大和の言い分を聞こうよ」
男性陣の良心にして味方その1である志月が擁護に回り、事の顛末を話す機会を与えてくれた。
まずは女性陣+崇の誤解を解かなければならない。天草とは偶然出会って、部屋に招いたこと。その時に丁度皆が訪ねてきて、妙な誤解を受けて自分は勿論、彼女に迷惑を掛けたくなく、ついクローゼットに隠れることを思い付いたこと。その後も何とかやり過ごそうとしたが、失敗したこと。決して童貞卒業とか、下心というかやましい気持ちがあったわけではないことを強調しつつ、詳細に伝えた。
……クローゼットから出てきた天草に、僅かながら興奮を覚えたのは事実だが、それは黙っておくことにした。
「それなら仕方ねぇーんじゃねぇの? ウチの女共と崇が騒ぎ立てるのを回避しようとしわけなんだしよ」
味方その2である善吉も、俺の言うことを信じてくれている。というか善吉はこう見えても冷静に物事を見ているので、判断を見失うことは無い。そう、コイツ等みたいにエアガンを突き付けてブッ放してくることなんてしやしない。
「すみません。このアイスと、あとポテトも追加で」
戦に至っては我関せず、と言わんばかりに店員を呼んでは食後のデザートを楽しんでいる。こういうことには真っ先に戦が突っ掛かってくると思っていた分、何やら拍子抜けするというか……とにかく、あちらの戦力は激減しているわけである。元から強大であった為、特にこちらが有利になるわけではないが。
「だとしても、だ。 何で女の子をあんな狭い所に隠す必要があんだよ」
「じゃあお前等、俺の部屋に女がいたら、どう反応していた?」
「先越された畜生! って乱入する!」
崇が真っ先に復活してはまたもや戦に沈められた。懲りろよ。
「そりゃ勿論、赤飯炊き始める。その場で」
和海らしい反応である。しかし実際にその現場に遭遇した場合、それができるほどの冷静さを彼女が持っているとは考えにくい。
「えー? 潰すかな?」
何処をですか千春さん。
「切り落とす」
戦、お前もちゃっかり混じってんじゃねぇよ。
「現実的なのは、それをネタに大和を強請る、かなー」
志月ならやりかねん。というか一番怖いし背筋がゾッとした。
「帰る」
眠かったら寝ても良いんだぞ善吉君。そんな無理して答えなくてもいい。
「あー! んじゃ、もういいよ! えーと、天草ちゃん!」
「へ?」
金髪を掻きながら、和海は当事者にもかかわらず蚊帳の外状態であった天草の名を呼ぶ。
「ウチの大和、何か変なことしてない? って何かこういうの前にも聞いた気がするような……まぁいいや」
「し、してないです……」
クローゼットに入って隠れてやり過ごす、という提案をしてきたこと以外は、大して変なことはされていない、はず。
「はい、解決! 新開 大和は無罪放免! 閉廷!」
そうして和海は裁判官のようにリズム良くテーブルを手で叩き、ガラスのコップに注がれていたジュースを一気に飲み干した。その飲みっぷりはどこか中年男性を思わせる。
「そういえば自己紹介してなかったよね? 司馬 千春でーす。ちなみにその胸は豊胸手術ですか?」
「何聞いてんだ馬鹿!」
「え? え、ええっと……そんな手術は記憶には……」
「ほら泣きそうじゃん! ごめんな~……私、覚えてる? 相良 和海だよ。平和の和に、海って書いてほずみって読むんだ」
「戦場ヶ崎 戦。センで良いから」
「真田 善吉。まぁ、よろしく」
「白石 志月です。志って書いて、星の月で志月です。よろしくね」
「はい! はいはい! 真宮が生んだ最大最恐の鬼才こと、須藤 崇です! とりあえずお近づきとしてバストの数字を教えてくれると嬉しブフォあッ!」
「……えーと、こんな感じで、崇のセクハラ発言に関してはセンが自動的にツッコミを入れてくれるから、あんまり気にしないでやって。ほれ、最後は大和だぞ」
一通りの自己紹介兼コントが終わったと思えば、最後に自分に振られた。てっきり天草の番かと思っていたが。
「……新開 大和。これからコイツ等共々、よろしくな」
こうもかしこまって自分の名を告げるのは少しだけ気恥ずかしい。この雰囲気に慣れていないだけなのか。
そして、トリの天草に全員の視線が集中した。それを受けて、コホン、と咳払いをして姿勢を整え直す。
「……あ、天草 桜花です。靖道第一中学校から、この春に明星館学園へと入学します。その……よろしく」
このような同学年に囲まれて自己紹介する経験など無かった。中学時代に部活終わりこうして部員達とファミレスでご飯を食べて駄弁ることもあったけれど、とてもこんな温かい関係ではなかった。
不仲ではなかった。ただ、この7人の仲が良過ぎるだけで、眩し過ぎるだけで。
少し、羨ましい――。
「よし! 学園都市に来て初めてのお友達をゲット! さぁ~桜花ちゃん! 飲んで飲んで~ジュースだけど」
千春は横にある天草の前に置かれた空のコップを、並々とジュースが注がれたコップと入れ替える。
「でもすげぇ偶然だよな! 夏に会って、ここでも会うとか、運命感じるわぁ~」
「崇。どうでもいいこと言ってないでさ、早く私の分のジュース、ドリンクバー行って入れてきてよ」
「和海、さっきも俺が行ってきたじゃん! あれ、もう空!?」
「おお、なら俺もお茶頼むわ」
「僕はコーヒーが良いかな」
「……だってよ、大和! 頑張れよ!」
「手伝ってやるからさっさと行くぞ」
しばらくは寮の部屋に帰れなさそうだ。悪いが天草も巻き添えを食って貰うことにしよう。
実際、満更でもないようで、千春からのセクハラを時たま受けながらも打ち解けつつあるようであった。
何にせよ、友達が増えることは悪いことではないだろう。天草は少なくとも、信頼できる人物だと思える。できればこの先も学園内で交流できれば、何かと良いに違いない。
真宮を離れて、皆も何かと不安だったのかもしれない。だからこうして無駄に騒いで、それを紛らわす。そう考えると、結果的にとはいえ天草を自室で1人にさせなくて本当に良かった。これで彼女の寂しさや不安が少しでも和らげば、幸いだ。