第1話 少女は夢を見て、少年は日常を堪能する
主人公って奴はどいつもこいつも「誰よりも強くなりたい」だの「力が欲しい」だのと、いとも簡単に吠えやがる――それがさも恰好良いかのように。
その、あまりにも無責任な意志がどれだけ恐ろしいか、人を狂気に染め上げるか――何も知らないくせに。
紫電一閃。暴れ狂う剣戟の最中、その一撃は放たれた。混濁した天を切り裂く奔流は斬撃の衝撃波となって繰り出される。無尽蔵の力が爆発し、敵を滅さんと咆哮するその必中必殺を見て、またソレは嗤った。嗚呼、何て――懐かしいのか。何度見ても、美しい。ソレの心中は懐古の感情に満たされながら、迫り来る暴力を、軽く、撫でるように優しく、掻き消した。
だが、彼は怯まない。この一連の流れはもう既に、何十何百と繰り返している。放たれた必中必殺はソレを飲み込んだ記憶など無く、掻き消す掌を傷付けることすら叶わない。しかし、それがどうしたとばかりに彼は咆哮する。ソレを倒すまで、ただ全力を尽くすのみ。次の機会により強い一撃を繰り出せば良いだけの話である。
そして、剣戟は再開された。二振りの刀の嵐は他の世界を凌辱の如く蹂躙する。その姿は最早、天災程度では済まされない。これは世界の命運を決する局面。小説で例えるのならば、物語の佳境。クライマックス。最も盛り上がる場において、そんな中途半端なものでは許されない。今、まさに2人の悪鬼羅刹が死闘を、戦争を展開しているのだ。
だがこれは、私は知っている。この物語は駄作だ。クソゲーだ。レビューは☆1が当然で、星すら勿体無いという評価が殆ど。もし、この物語に、この人生に評価がされるのであれば、きっと間違いなく絶対にそうだろう。だって、主人公たる彼があんなに失敗しているのだから。
鬼畜外道。それはかつて彼が最も憎み、己の正義を掲げて成敗を決めていた、人道外れた化外のこと。そのゲテモノに、彼も成り果てた。心優しかったはずだ。頼りになる存在であったはずだ。仲間からとても好かれていたはずだ。私のことを深く――私が幸せ過ぎて死んでしまいそうなくらいに深く、愛してくれているはずだ。
けれど、彼は変わった。私への愛のみを残して、何もかもかなぐり捨てて、その愛をより一層、狂おしい程にまで深めて、彼は最強の失敗となった。最早私が愛した彼の全ては殆ど失われて、そこにあるのはただ2つ――愛と■■だけ。そのたった2つだけで、彼は構成されている。
少なくとも私の人生という物語では、彼が主人公だった。彼と出会うまでの私の人生は、まぁ前日譚のようなものであり、本編は彼と出会って色々あって恋に落ちて、告白が成功して付き合い始めてキスをして、深く愛し合って……それから結婚して、子供は3人くらい産んで幸せに暮らす――そんな、頭の緩い甘々な筋書きだったはずである。でもそれは仕方のないこと。だって彼はあまりにも――これは愛していたから当然誇張表現なのかもしれないけれど――あまりにも魅力的で、素敵だったから。好きで好きで堪らなかったから。私の全てを差し出せるくらいに愛していたから――彼はきっと私の王子様。私というヒロインを颯爽と助けてくれるヒーロー。最高で最愛の主人公。
何を言いたいかと言うと、勿論、彼との甘い蜜月を語りたいわけではないし、それは私だけのものにしたいという独占欲もある。要は、物語というのは主人公の良し悪しで形作られていて、物語の中核として主人公が機能している、ということだ。ここでアンケートを取れるものなら、『ゴミクズみたいにダサくて格好悪くて、何より弱い男』が主人公の物語、読みたい? 聞きたい? 私の主観で語るなら、おそらく9割の人間は読みたくないと思う。残りの1割はきっとネタか罰ゲーム。そんな、誰もが望まない――私だって本当は望んでいなかった主人公に、彼はなった。
今、名目上世界の為に戦っていて、激戦を繰り広げている彼が『ゴミクズみたいにダサくて格好悪くて、何より弱い男』なのか。答はNOだ。絶対に違う。彼は決して自分の渇望を捨てなかったし、それを貫き通していて、格好良い。何より強い男。強くなった男。女である私の為に、全てを捨て去って辿り着いた最強の極致が、彼である。故にソレと戦っているのだ。
だから、彼は失敗した主人公。真のラスボスであるソレには決して敵わない。そういう存在を倒すのは、いつだって成功した主人公の役割だから。■■を追い求める渇望は、彼とソレと比べると全く同じ狂気の域にある。だけど彼はソレを倒すことはできない。絶対に、できない……。これは確定事項。奇跡なんて起こらない。では彼とソレの勝敗を決定付けるモノは何か――至極、簡単だ。単純に、ソレと比べて、彼はどうしようもなく、■■の。
どうやら決着は付いたようだ。けたたましい轟音が鳴り響き、かの鋼鉄は引き千切れている。
彼は負けた。当然死んで、私は泣いていて、その光景を見てソレは狂喜乱舞に嗤う。その声が引き金となり、地獄の窯が開く。漆黒の海は裂け、その裂け目からは深棲の化物が溢れんばかりに進行を始める。皆全て、ソレの部下であり手下であり奴隷であり、ソレにとって何でもない空気のようなものである。ソレに対する恐怖心による隷属でただひたすら突き動かされて、進撃しているだけ。ソレが求めてすらいなかった副産物は、この瞬間、何とも都合の良い兵隊と成り上がった。
戦争が、始まる――ソレはまだ、諦めてはいなかったのだと、私は再度思い知らされた。これより極めて一方的で、圧倒的な蹂躙で、世界は犯される。狂ったソレがソレである為に必死に貫いてきた唯一の渇望を全世界に知らしめる為に。悲戀で終わらせない為に――今度こそ成就する為に。
ソレは笑った。屈託の無く、まるで好きな人に告白するかのような――小恥ずかしそうに。私に笑いかけた。
「■■■■、■■■■■■■■■■?」
それを聞いて、私は、心底自分を殺したいと思えた。ソレが許してくれるまで、何度でも何度でも殺してやろうと思った。かつて彼が、昔の自分をそう思い続けてきたように、私も――。
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ああ、またか――。これは夢。内容ははっきりとしていない。はっきりとしたことなんて一度も無い。その記憶すら曖昧だけれど、鮮明に内容を思い出せないことは確か。元から希薄だった夢の内容は目が覚める頃にはすっかり無くなって、代わりに増していくのは虚脱感。絶望感。悲壮感。喪失感。とにかく胸が締め付けられる、心の痛みがどうしたって癒えない。吐き気もするけれど、どうせ吐けない寸止めで終わって悪化させるだけだから、我慢することにした。頬の濡らす液体は、何とも生温い。
昔から、それこそ記憶障害という正体不明の病気に苦しめられていた頃から時折このような夢を見て、望まない時間に起きてしまい眠れなくなる。掛かり付けの医者に相談しても、精神的な問題で、直に治ると言われてしまった。別に日常生活に支障があるわけではない。その日一日はどうにも気分が乗らないだけで、10年近く連れ添ってきた分、生理と比べると幾分か楽であろう。
真夏のせいか、夢のせいか、汗で身体中がぐっしょりと濡れていて、特に彼女の最大の特徴でもある、パジャマとして利用していた白無地のTシャツをこれでもかと押し上げて今にもはち切れそうな曲線が透けていることで、通常以上の淫靡さを曝け出している。
この巨大な2つの塊のせいで、パジャマを始めとする衣服の胸元部分のボタンが弾け飛ぶ事件が頻発。直しても結果的には再発する上、サイズを変えたところで停滞を知らないとばかりに成長を続けるそれにはその場凌ぎでしかない。彼女の小遣いの殆どはオシャレの為ではなく――生活の為に使われていた。
午前3時。スマートフォンの画面を確認して、目覚まし時計でセットしておいた時間より2時間程早く起きてしまったことを理解する。シャワーを浴びて着替えることを考えると、二度寝する余裕は無い。
もう起きてしまおう。そう思い、彼女はベッドから身を起こして立ち上がる。その僅かな動作でも、彼女の大きな胸はゆさゆさと揺れた。この気恥ずかしさはもう――勿論、家の中限定であるわけだが――慣れたものである。
今日は遠征があるから、竹刀を握っておくのも悪くないかも。今日はどこと練習試合するんだっけ……ええと、ごじょうすい? 呉条水中学校。全国では見たことないけれど、確か昔は相当強かったはず。ならば尚更、素振りでもしておくべき。
今日のことを考えると、不思議と気持ちが軽くなった気がする。少なくとも、胸を貫く意味不明な悲しみは和らいでいる。あの夢は、今度いつ、見るのだろうか――。
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「次の問題。1945年、第二次世界大戦が終結した後に世界会議にて採用された世界規模の計画を何というか」
鈴虫の声が窓の隙間から流れてくる夜、殺風景とも取れる部屋で問題が出された。回答者は4人。その後ろには手に何やら厄介なモノを携えた、試験監督張りの風格を醸し出す女性が1人。
「はい! はいはい! はーい!!」
4人の内、真っ先に手を挙げたのは、赤毛混じりの黒髪の少年――他を制しての威勢の良い挙手であった。
「よし崇、言ってみよう」
崇と呼ばれた少年は「待ってました」と言わんばかりに机に身を乗り上げる。
尖りのある顎に伸びるような輪郭は小顔を表している代わりに鼻はやや低めであり、決して不細工の部類には入らないとはいえ、昨今の女性が好みの顔立ちではないことは明白であり、加えて中肉中背ということも相まって、ウケはよろしくない。
しかし彼は悲観せず。美少年とは言い難い極めて平凡なレベルな顔であると自他共に認めている。それは彼の明るい性格によるものであろう。
そのように元気な彼はやや溜めた後に、声を大にして答えた。そう、今こそ須藤 崇の本領を発揮するときであると、彼は意気込んでいる。
「人類補○計画ゥ!!」
「補完されて堪るか馬鹿者ォ!!」
質問者とは違う、女声が部屋に響くと同時に少年の頭上はハリセンで打ち抜かれる。何とも良い、中が全く詰まってない空洞であることを知らせる炸裂音。この音はこの崇という少年がどれだけの馬鹿であるかを真に教えてくれた。
言わずもがな、後ろに控えていた女性によって為された制裁――もとい罰ゲームである。
「……えーと、千春。答えてくれるか」
問題提起した少年は、一発KOで撃沈した崇の横、人形のような愛くるしさを感じさせる少女の名を呼んだ。
「えっ、私? えぇー」
非常に童顔な彼女は左右に長く束ねられた茶色の髪を弄りながら、大きな目をキョロキョロと移動させ、 少し困ったような、しかし何か企んでそうな、そんなはにかんだ笑顔を見せながら口を開いて答えを発した。
ちなみに彼女、司馬 千春がどのような回答を行うかは問題提起の彼には予想できていた。しかしダメ元、奇跡よ起これと彼は懇願する。
「うーんとね、そ、“想像を絶する作戦”……! とかどうかな?」
彼の奇跡の願いは、儚くも散る。木端微塵に。全くの未知の回答だとは、流石に予想外である。
「……お前の頭の方が想像を絶しているよ」
薄い胸を自信満々に張っていた彼女だが、その体型はやはり平均を大きく下回る。そんな彼女相手に現役の男子中学生を叩き潰したハリセンは流石に気が引けたのか、デコピン一発で済ませられた。
「あいたっ。センちゃん痛いよぉ~」
茶の前髪を掻き分け、少し赤く腫れた額を擦る。しかしそのアピールは、肝心の加害者である彼女から背を向けられて失敗に終わった。
センちゃん、それは彼女の一種のあだ名であった。先程からふざけた回答をする愚か者に制裁を加える立場として、彼女、センちゃんこと戦場ヶ崎 戦はいる。
乱暴に切り揃えているものの、それがまたよく似合ってしまっている黒髪。中性的に整った美形、色素の抜けたような白い肌といい、彼女も千春とは異なる意味で人形的な印象を持たせる。
「それはイギリスがソ連に実行しようとしてた戦争作戦だね。時期的にはまだ第二次世界大戦中だったはずだよ。でも、よく知ってるね」
それはお前にも言えることだが。
千春の渾身のボケに律儀に返した少年――身長的には最早青年と呼ぶに相応しい――を見て、問題提起の少年は内心ツッコミを入れておく。
中学生の段階ではおそらく習わないであろう知識を、名前だけ知っていた千春とは異なりペラペラと掻い摘んで、端的に披露したのは白石 志月。
照明の明るさを飲み込むくらいの、見事に痛みの無い黒髪は今風に整えられ、顔は鼻筋が通っているがやや面長であり、良くも悪くも薄い顔立ちをしている。その目は穏やかで、優しさを感じさせた。
この部屋の中において、間違いなく最も常識人として挙げられるだろう彼は、クイズ大会よろしくの、便宜上勉強会の席にて唯一呑気に部屋の隅にて漫画を読んでいる。つまり、彼にはこのクイズ大会に参加する必要が無いということである。
この流れ……そろそろ断ち切らないとマズいな。
この混沌とした状況下、平然と漫画を読める志月から視界を外し、問題提起の彼は溜め息1つ吐いて唸る。まだ1人、ハリセンを食らってもおかしくないことを言いだしかねない女がいるのだ。
「先に言っておくけど、もうボケは要らんからな」
予防線を張ることで、もう既に仕掛けようとしていた彼女に対して先手を打つ。しかし彼女はそんなことでめげるような女性ではない。良い意味でも、悪い意味でも。
「うぐっ。ま、まぁ聞いてから判断しろよ。崇みたいにそのまんまじゃないし、千春みたいな格好良過ぎるヤツでもないからさ。なっ」
それだとお前はハリセンを食らうんだって、と彼女の脳をこれ以上傷物にしない為にツッコミを入れようとすると、ようやく望みの、救いとも呼べる正解が現れた。
「“人類武装化計画”だろ」
正解を答えたのは彼、またもや中学生とは思えない体格をした真田 善吉であった。身長はあの志月すら軽く超え、もう数センチで2メートルに達するとされているほどの体格の持ち主。
その身長に比例するかのように、身に纏う筋肉量は規格外であり、筋骨隆々に鍛え上げた硬い身体は彼の最大の特徴と言って良いだろう。
顔も強面でありながら、頬や顎などに余分な肉が一切無い引き締まった印象がある。短く切られた黒髪も精悍さを存分に出していた。
彼もまた、常識人の部類に入るだろう。加えてこの4人の中で唯一、これまでの全ての問題に正解している。
「良く言った善吉。そう、この“人類武装化計画”が採用されてから今現在、約80年が経ったわけだ」
ようやく無為な流れが終わった、と安堵した矢先、ボケを食い止められた女が反撃を開始する。
「オイ善吉ィ、そこはお前がボケてりゃ良いんだよっ。つーか大和、さっきから教科書の文を丸パクリで問題出してるじゃん。もっと捻れよ、なぁ」
問題提起の彼を大和、と呼んだ少女の名は相良 和海。金髪ロングという種類に分けられるが、これまた大した手入れもしていないと窺える、腰辺りまである長さの金髪である。
その髪や目つきからして、傍から見たら決して素行不良と見做されてもおかしくない彼女であるが、その間違った認識の最大の原因でもある、(淑女としては)口の悪さがここでも見られる。
健康的な色をした肌に大きな目、逆三角を表しそうな小さな顎、そしていかにも女性らしい――少なくとも、ここにいる女性陣の中では――肉感的な体型をしている彼女は自分の回答権を奪った善吉に攻めていく。
「俺はそんなキャラじゃねぇだろ」
善吉はもっともらしい返しをするが、そんな常識的返答など和海は納得しない。スイッチの入った彼女は更なる言葉で自分より一回りも大きい善吉をまくし立て始めた。
その始まったやり取りを横目に、文句を吐けられた教科書を閉じた、問題提起の新開 大和はまたもや溜め息を吐いてしまう。この状況ならば、幸せの方も逃げたくなってしまうに違いない。そう心中で呟いた。
決して短いというわけではなく、今風に長めの黒髪で整えているが、善吉とはまた異なった精悍さを醸し出している。ある意味で、清潔感と言っても良いだろう。
イケメン、とは呼ばれたことはなく、男らしい、と呼ばれることが多々ある。そのような顔立ちをしており、事実、眉は細いものの真っ直ぐに伸び、その目は力強さを感じさせ、鼻筋もきっちりと通った小顔は端正に整えられており、欠点らしい欠点は無い。
逆を言えば、人を惹きつけるだけの魅力を有した顔のパーツを持ち合わせていない。俗に言うなら『レベルの高い平凡』である。
最早時間は無いというのに、何故この連中はこうまでお気楽なのだろうか。今に始まったことではないが、そろそろ年齢的にも改善されておかしくはない。せめてもう少しでも、上方修正されないものか。
次の問題を出すべきか考えていた時に、今まで痛みで悶絶していた、ある意味でこの不穏な流れを作り出した元凶である崇が目を覚ました。
「っだぁー! 何で俺がハリセンで千春がデコピンなんだよ! センおいコラ! おかしくね? おーかーしーくーねぇー!?」
戦に食いかかるものの、ハリセンを盛大にかました戦本人はものともしない。と言うより、相手にしていない、という表現の方が正しいか。連続する反論に対して永続する無視で返し続ける。その目はしっかりと崇を捉えてはいるが、真顔で口を閉ざしたままである。
それを見かねた千春は、長いツインテールを揺らして立ち上がる。
「可愛いは正義! 許されるんだよ、崇!」
机を踏み台にして、何やらポージングを取る千春。
「『魔法少女らぶりぃ☆アヤノ』の決めポーズだ。腕の角度といい、完成度高いね」
真っ先に反応したのは志月。善吉ほどではないにしろ、彼もまた中学生離れした身長を持つが、決して筋骨隆々というわけではなくむしろ棒、細長い印象が強い。加えて生来物静かな性格の彼の正体は、何も知らぬ一般人ならドン引きするくらいの重度の二次元オタクである。
というかそこまで正確に評価できるお前が本当に怖い。
大和は、幼稚園から連れ添ってきた友人を初めて畏敬の目で見てしまう。
しかし崇はそこに着目せず、千春の言動に注目する。
「うっわこのロリ、自分で可愛い言いやがったよ。おっと今日はピンクっすか千春さん」
そう、彼女はスカートを履いている。しかもこの机に片足を乗せている。そこから導きされる行動は、パンツ見ること。それしかない。故に崇はその股の間に顔を覗き込ませる。
「そういうの、覗きって言ってな。裁判かけるまでもなく死刑なんだよ。覚えとけ」
その人道に反した行為を、戦は見逃さない。見逃す筈が無い。思い切り、踵落としにも似た挙動で崇の頭を踏み抜く。
「痛ってェェェエエ!!」
断末魔の叫び。痛みを必死主張せんと、両手で床の畳をバンバンと叩き抜く。流石にここまで騒がしくなれば、家主でもある大和も注意をせざるを得ない。
「……お前らな」
しかし、この馴染みの友人達のヒートアップは止まらない。仲が良過ぎる弊害が、まさかこんな形で表れるとは大和自身も予想できていなかっただろう。
「疲れた! 善吉、そこの菓子取って」
「ったく。ほらよ」
「あっ、ほずみぃズルい! 私も食べる! センちゃんも食べる?」
千春は未だに崇の頭部を踏みつけている戦に向けて、ポテトチップスをヒラヒラと差し出す。
「貰うかな。崇の頭蓋骨砕けたら」
そうして、より一層足に力を込めた。
「俺も食う! ってか砕くまで踏もうとすんな男女! 痛ぇよ重ぇよ!」
「は?」
戦にとって男女、という呼び名は別段蔑称でも何でもなかった。むしろ“そうして育てられてきた”のだから当然である、と戦は考えている。曰く、『女であることは捨てている』と豪語する彼女にとって、勿論『重い』という体重を示唆する言葉にも怒りは覚えない。
それでも、踏み抜く力をもう1段階強めた理由は至極単純。立場を徹底的に理解させる為である。
「ごめんなさい許してください足をどけてください」
震え声になりながら、崇は許しを懇願する。戦はサディストを気取っているわけではないが、こうして素行が悪い者に対して制裁を加えるのは、彼女にとって天職なのだ。家柄的にも、実力的にも。性格的にも。
「脳ミソぶち撒けたら、考えてやるよ」
それを見かねて、和海達と一緒に菓子を食べていた志月が戦を諌めにかかる。
「センさんセンさん、それだと死んじゃうって。それに大和の部屋汚しちゃ悪いよ」
言葉だけ見れば止めているように見えるが、行動はそれと一致しておらず、崇の口元に菓子をチラつかせて煽っている。許容範囲での悪ノリができるからこそ、常識人という立ち位置を獲得しているのだ。
「志月テメェェエ!!」
戦も本気の線に踏み込まない冗談の範疇で崇を痛め付けている。傍から見ればそれは仲の良いじゃれ合いとしか映らない。(一方的ということは置いておいて)
そう、仲が良い。自分を含めたこの7人は殆ど行動を共にして、この中学最後の夏休みもこうして泊りがけで集まっている。喧嘩や絶交、という縁切りも無かったわけではないが、最長でも3日くらいで忘れてまた遊んだ、というぐらい切っても切れぬ縁である。男女混合の友情は有り得ないと聞くが、今、こうして平和的に機能しているのだから有り得なくはないだろうと思える。
今まで共に助け合ってきた、そしてこれからも助け合うことになる、おそらくは一生涯の友達を、大和は10数年生きただけで、しかも6人も得ている。これは喜ばしいことであり、故にその友人の為に、今自分は何ができるか。窮地に立たされた友人4名の為に、何ができるか。
「あと数時間で補習の奴等は、もっと危機感を持てェェエ!!」
あと少しばかり本気で勉強させる為に。その本来の目的を思い出させる為に、近所迷惑にも甚だしい、今日一番の怒声が深い夜に轟いた。
● ●
「でもよぉ、“人類武装化計画”って言っても、何で武装すんの? 特に俺等日本は敗戦国じゃん。武装なんかさせてもらえねーだろ、普通」
頭頂部に大きなたんこぶを抱えた崇は、以前習った疑問について言及を始める。
「まぁ、普通は無力化されるよねぇ。しかしこの計画って、今は日本が主導してるんだっけ?」
「それってさ、おかしくね? 第2次世界大戦でよーやく日本を黙らせたってのに」
崇と千春のやり取りを聞いていると、この馬鹿にも救いはあるのかもしれない、という希望のような錯覚を何度も持たされる。
何故なら彼等は、日本視点で考えているのではなく、世界の視点から、日本の在り方を考えているからだ。普通の日本人では、どうしたって少しは日本寄りになってしまう。
「そーいやそうだよなぁ。てか、そもそもの話さ、“人類武装化計画”の目的って、個人に武装させて自衛を図るとか云々? それ、聞こえはいいけど国民を兵士化させてるようなもんじゃんか」
ここで和海もその話し合いに加わり始めた。
まともに授業を受けていないからこそ、こうした疑問も普通に生まれてくる。無知は罪ではないし、彼等は知ろうとしているのだから、決して愚か者ではないだろう。
「それね、僕も気になってた。てか、皆気になってたと思うよ。授業中でもそこら辺は『知ってて当たり前』みたいに軽く解説されて終わってたし」
この7人の中で最も成績の良い、加えて知識も豊富な志月が口を開いた。
「インターネットとかでも調べてみたことはあるよ。質問版にも、似た質問がいくつかあった。まぁ結論を言うと――高校生、つまり武装学園高等部で詳しく教えられるみたい。法律では個人の武装化は高校生からだからね」
志月の言った法律に関しては事実であり、その関係もあって、高校生までが義務教育として扱われている。
武装学園――現在、日本で十数校しか開校されていない教育機関であり、中学卒業後は誰しも通うことになる場所でもある。“人類武装化計画”の中心ということもあり、大規模な設備、敷地等を要する為、その数は必然的に限られているのだ。学園ということもあって初等部、中等部、高等部と分かれているものの、大和達のような近くに学園が無い場合は、高等部からの編入学、という形を取る。その際は義務教育と言えども入学試験を設けており、著しく結果が悪い場合は大学進学などに影響を与えてしまうのだ。
「それは俺だって流石に知ってるっての。志月ィ、お前は殆ど調べてるだろうから、俺等のモヤモヤをさっさと取り払ってくれよ。何で武装すんのか? 何で日本が主導になってんのか? ってか“人類武装化計画”ってそもそも何だよ?」
常に皆の疑問に答える立場に立ってきた志月に対し、崇は自分達の疑問をぶつける。この光景を、大和は幼稚園の時からよく見ていた。
変わらないな。
それは、最早当たり前となってしまった、今の平和な日常を感じさせるワンシーンでもあった。
「えぇーとね。まず……順番は前後するけど、“人類武装化計画”ってのはね」
志月は自前のPCタブレットで検索を行い、情報を整理する。
「和海の言った通り、“高校生以上の国民全員に武装化を行い、自己防衛目的でのみ武装を顕現させることで、戦争を抑止させる”ってこと。何で戦争抑止に繋がるかってのは、多分、牽制効果を期待しているんじゃないかな」
「つまり、常に緊張状態を保つことでこの平和な国際社会を築いているってことか」
「そういうことになるのかな。流石は大和。え、と、崇はわかった?」
「アレだな! 毒を以って毒を制す、だろ!」
「当たってんのかズレてんのか……」
善吉の感想を含めたツッコミには同意だが、とにかく理解はできているようだ。志月もそれを確認して、次の解説に進める。
「これで1つ目と3つ目の質問はいいね。じゃあ、次。どうして日本主導なのか」
「うん。普通はさ、敗戦国が世界的な計画に口出しできるわけないじゃん? 何でかなー? って」
千春は首を傾げる。
「これは、明確なソースが見つからなくて諸説があるんだけれど……日本では第2次世界大戦以前から“人類武装化”が進められていたって説が一番有力かな」
「おいおい、それじゃあ日本は負けてねぇだろ」
「センさん、日本で地上戦が行われたのは沖縄のみだよ。兵士を武装化させても、戦局がひっくり返るほどの戦果は期待できないと思う」
戦の問い掛けに答え、補足として更に言葉を付け加える。
「それに第2次世界大戦中はまだ実用段階じゃなかったのかもしれない」
「ああ、なるほどな」
「あとは……世界各国でもその研究は進められていたらしいけど、日本はその頃から一線を画していたみたい。“人類武装化計画”を進める為には、技術レベルの高い日本を引き入れて、技術を吸う方法しかなかったんだと思うよ。結果としては、日本スゲー! になってるけどね」
志月は苦笑しながら、全ての質問に答え終え、PCタブレットをスリープ状態にする。
「これで、大丈夫かな?」
「おう。いやぁ、やっぱ凄いわお前。流石学年トップでオタクの番を張ってるだけあんなぁ」
不思議に感じていたモヤが晴れ、気分快活となった和海は志月の背中をバシバシと叩く。
「いっ。痛いよ和海! というか、オタクの番長を気取ってるわけじゃないってば!」
「細けぇことは気にすんなって! なぁ大和!」
「そうだな。志月は確かに凄い。お前等も見習わなきゃな」
即座に異変を感じ取ったのは、意外にも千春であった。続いて、残りの2人も何となく現状を察する。
「……あ、と、大和君? 私、少しお寝むかも……?」
「おい大和……? 何でお前は数学の参考書なんて刺激物を持ってんだ?」
千春と崇が後退る。和海は思い出したかのように顔を青ざめさせ、先程の朗らかな声はどこにやったのか、呻き声に似たよくわからない言い訳をブツブツと呟いている。
「崇。千春。和海。お前達は今から数学だ。補習が始まるまで、まだ4時間近くはある。疑問が解決して気分がさっぱりとしたところで、勉強を再開するぞ」
大和のにこやかな、しかし腹黒さが垣間見える笑顔はまさに威嚇か。蛇に睨まれた蛙の如く、3人は動けない。
「ああ、善吉は志月の作ったまとめのテスト、これ終わらせて採点が終わったら寝るなり復習するなり、好きにしてていいぞ。戦、お前は引き続き俺と見張りを頼む」
「おう。志月、難しくしてねぇだろうな」
「補習レベルに合わせて作ったから、善吉なら大丈夫だよ。採点も僕がやるね。さ、皆も頑張ろう」
今度は志月の、黒さなど全く見当たらない励ましと笑顔が、怠けていた3人の心が突き刺さる。最早、死ぬ気でやるしかない。3人の未来は確定された。
「その通りだ。オラとっとと机に並べ。千春、お前もベッドから降りて来い。そのまま寝たら今度はデコピンじゃ済まさないからな」
最後の追い込み。戦も今まで以上に監督(制裁役)気取りに熱を入れる。
この補習が終われば、最後の夏休みがようやく本格的に始まることになる。武装学園に入る為には、一応は受験勉強をしなければならないし、何度か登校もしなければならない。しかしこの7人、誰一人として欠けることの無く、この夏を思い切り満喫したい。これはこの場にいる全員の総意であった。故に徹夜で勉強を見るし、応援する。補習などという障害で俺達を阻めやしないということを証明してやろうじゃないか。
ああどうか、この夏も人生最高と思える思い出になりますように――。