第13話 侵蝕する拒絶
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今回から少し不穏な雰囲気かもしれません。
それでは、どうぞ!
「おい! 大和! おーい!」
大和? それは――ああ、俺の名前だ。誰の声だ? 確か――そうだ、崇だ。
気が付けば、目の前には崇の顏があった。何やら必死に俺の名を呼んでいる。
「た……かし?」
「おお、そうだよ。どうしたんだよ急に黙りこくっちまって。心配するじゃねぇか」
俺は、何を見ていたんだ? 何処にいたんだ? 何かとても深い所に――駄目だ、全く思い出せない。いや、そもそも思い出す内容があったのか?
何かを体験していたような感覚は急速に自分から抜けていく。残るのは虚脱感。絶望感。悲壮感。喪失感。とにかく、胸が締め付けられる。
「俺……寝てたのか?」
「は? お前マジ大丈夫か? 寝るも何も、今注射器打ったばっかりだろ?」
どうも俺は“魂此処に在らず”とばかりの様子で、固まっていたらしい。見れば、崇の言う通り左手にはしっかりと注射器が握られていた。
「ってか、あんまり喋らせんなって……あー、すっげぇ頭痛い」
視線を周囲に移す。A組の皆はそれぞれ、楽な姿勢を取っている。しかしどの表情も暗く、とても先程まで和気藹々と笑い合っていた姿は無い。
そう思っていると――えも言われぬ寒気と気持ち悪さが奥底から上乗せするかのように込み上げてきた。
吐きたい一心を必死に堪え、手で口を覆い、少しでも食い止めようとする。
「辛いか? そんなもんだよ、武装を魂に定着させるというのは」
その光景を、いつもと変わらない澄んだ目で淀峰所長は見ていた。
「吐きたいだろう。でも吐けない。どうしようもないくらい、何もしたくなくなるだろう。しかし堪えてくれ。大丈夫だ――お前等ならできる」
それが彼女にとっての最大の励まし。彼女だってこのような、生徒が苦しむ姿は見たくないはずだ。
長瀬先生もその気持ちは同じであり、何人か俯いてしまっている生徒に声を掛けて励ましている。
「つまりは試練、あるいは儀式だ。お前達が真に“血戦武装”を持ちうるに足る存在か、定着という過程で試す」
そうして彼女は傍に控えていた勅使河原さんに命令を出した。
「水かお茶を頼む。希望する生徒に飲ませたい」
「もう持って来てるで。そら流石に毎年こんなもん見せられたら覚えますわ」
そう言って彼は横のキャスター付きの台を手元に引き寄せる。その上には確かに透明な液体で満たされたペットボトルが積まれていた。
「一応、全員分は用意してありますんで。お茶は向こうに、同じ数だけ」
「そうか、ご苦労」
淀峰所長は簡素ながらも有能な助手に礼を告げると、すぐにその台を押して生徒達の方へと向かって行った。
「う、僕……ちょっと欲しいかも」
横で志月がへたり込みながら力無く呟いた。
「よし、貰ってくる。崇、お前は?」
「いや、要らねぇ。胃がどうも悪ぃ……水なんか飲んだら昼食ったもんが勿体無い」
そうか、と返し、立ち上がろうとすると。
「っと……」
足に力を込めたもののすぐに脱力、上手く立てなかった。まるで運動機能すら惜しい、と言いたげに身体が拒否しているかのようだった。
ここは下手に動かず、甘んじて彼女の名を呼ぼう――そう思った時に、目の前にペットボトルが差し出された。
「ほれ。受け取るぐらいは大丈夫だろ?」
手分けして配る方が効率的だと判断したのだろう、長瀬先生の手には水が入ったペットボトルがいくつか抱えられていた。
「白石も。これ、一応須藤の分。おい戦場ヶ崎、聞こえてるか。水、置いとくぞ」
崇の横には俯き、頭を抱えるように顔を隠している戦がいた。いかに彼女といえども、この魂の定着とやらは厳しいようだ。それに歪んだ表情を見せたくないのか、一向にその体勢から動こうとしない。
手渡された水を飲んでも、一向に回復しなかった。むしろ水であるというのに苦みを感じ、余計に悪化したかもしれない。何か気分転換を、と思い辺りを見渡してみることにした。
まず自分の近く。千春もいつもの元気さはどこに行ったのやら、暗い表情で彼女の特徴でもあるツインテールを弄っている。髪に触ることで少しでも気を紛らわそうとしているのだろう。
善吉は悔しそうに歯軋りをしていた。このような状態が好ましくないのか、とにかく少し怒っているような、しかしやはりどこか無理している雰囲気があった。
和海はというと、女子にしては何とも奇怪な姿勢を作っていた。腹を抱えるように前のめりで倒れ込み、まるで手を前についていない土下座のようなポージング。彼女にとってそれが楽な姿勢であればそれで良いのだが。
真宮勢は予想以上に惨事のようだ。勿論、他の皆も同様だった。
雛埜宮と鷹頭は互いに支え合うように並んで、壁に背をつけている。鷹頭の立場としても雛埜宮の前では弱く情けない姿を見せたくないのか、懸命に踏ん張っている印象があるが、対して雛埜宮は息も絶え絶えで、傍に鷹頭がいるという安心感でかろうじて保っているような状態だった。
近坂もいつもの元気を発揮しようと周りに声を掛けて励まし合っているし、大賀島は横になって動いていない。勘解由小路は渡されたペットボトルに口をつけながら、平静を保っているものの、その顔は青ざめて、とても平気そうではない。
端の方では天草がスカートを押さえて体育座りで俯いていた。時折、先生や淀峰所長の声に顔を上げて応えていたが、苦痛に堪える顔そのものであり、彼女もまた辛い思いをしていることがよく理解できた。
何という凄惨な絵図――気分転換にもなりやしない。淀峰所長はこの状態が30分程度続くと言っていた。個人差はあるだろうが、大体はその目安のはずだ。
今だけは、時間が高速に進んで欲しいと切に、自分勝手に願った。何か楽しいことを思い出したり考えたりしようとしても、次々と生まれてくる心の苦痛がそれを許さず、何もかも塗り潰しにかかる。
何も考えず、時が過ぎるのを待つ――皆も同様に思い至ったのか、次第に声は聞こえなくなり、最終的には無音がホールを包み込んだ。
● ●
暗闇の中で一筋の光明が射したように、淀んだ意識の中でソレは突然浮上してきた。
「――――」
神託の如く“その名”が心に刻まれる。決して忘れないように、深く、深く。
「――来た」
誰かが言った。そしてその反応は、徐々に増えていく。
今までの苦痛が嘘のように身体が軽くなるのを感じる。突然の変化、急回復に戸惑う生徒も多かった。
その惑いは、いつしか歓喜の声に変わっていく。その光景は魂の定着が終了し、各々の武装の名を知った証拠に他ならなかった。
「凄い……これが、“血戦武装”かぁ」
志月が武装の獲得を嬉しそうに言葉にする。彼の頭の中には、どのような武装なのか、その特徴は何なのか、など細かな情報で埋め尽くされているに違いない。それは“血戦武装”を真に得た時に理解できる『取扱説明書』のようなモノで、まずそれを整理していくことから始まる。
それは横にいる崇もそうであった。
「やっべぇ……やっべぇよ……!」
崇は落ち着かない様子で顔を綻ばせる。彼もまた、新しいゲームを早くプレイしたいというワクワク感を抑えながら説明書を読んでいるような、そんな気持ちだろう。
皆は笑顔になっている。それを見て、長瀬先生、それに淀峰と勅使河原は一段落ついた、とばかりに表情を――長瀬先生はネクタイも――緩めていた。
ああ、それはとても喜ばしい。俺も苦痛から解放されて、何とも晴れやかな気分だ。身体の気怠さも一切取れ、立つことも軽々とできるぐらいに回復していた。
――さて、問題が発生している。事前に長瀬先生から、そして淀峰所長から伝え聞いていた教えによれば、“血戦武装”が定着した段階で、武装の名前とその『取扱説明書』が開示され、武装の具現化が可能となるはずだ。
名前は理解できた。感想を述べよ、と言われれば、素直に嬉しいことを伝えられる。淀峰所長も粋なことをしてくれるというか、単に適合率で考えれば俺と最も同調するのは“アレ”しか有り得なかったのかもしれない。
また1つ、俺に圧し掛かるプレッシャーが増えたわけであるが、それは大歓迎。男ならば茨の道を歩くのもまた一興。実に最高のプレゼントだ。
しかしそれは、その次である『取扱説明書』が開示されれば、の話であるが。
「……何でだ?」
小声で疑問を口にする。言葉として発しても解決するとは思えないが、無意識で行ってしまった。
理解できたのは、自分の武装の名前だけ。他全ては全く思い浮かんで来ない。2人が嘘の情報を与えていたのならば、それを聞いていた皆も同様の色を示し、近坂辺りが質問するだろう。いや、そもそも彼女達にはそんな嘘を吐くメリットが存在しない。
他の人に確認を取ろうにもどう問えば良いのか、今は言葉が見つかりそうにない上、この雰囲気を壊しかねない。
もし――自分1人だけ、この状態に陥っていた場合は、自分は集団を乱す異物に過ぎないということ。それは御免だ。俺は足手まといになる為に明星館に来たわけではないのだから。
名前はわかっているのだから、一度具現化を挑戦してみるか? という考えも脳内で過ったが、自分の武装の大部分を理解できていないというのに、その試みはあまりにも危険過ぎる、と自分を諌めた。何より、武装のイメージが掴めていない以上はどうしようも無い気がするが。
淀峰所長に相談しよう――彼女は“血戦武装”の生みの親。きっとこの現象の解明が可能であるはずだし、力になってくれるに違いない。自分の子供のような存在である“血戦武装”に異常があると知れば、例えこちらが断っても力ずくで治しに掛かるだろう。
そう思い立ち、淀峰所長の元へと向かおうとした矢先に。
「よし、全員の定着が確認できた。これより具現化を行おう!」
自分の決断の遅さを恨む。もっと早く決断していれば良かったものを、そのチャンスをこうしてみすみす逃してしまった。
仕方ない。こうなってしまった以上は、他の皆が具現化をしている間に、何とか淀峰所長に接触して――。
「新開! お前クラス委員長になったと聞いたぞ。良い、実に良い。男たるもの、そうではなくてはな。だから、まずはお前が模範となれ」
――運命の神様とやらはどうやら俺のことを嫌っているようだ。俺は確かに神という存在は人間の創作物だと考えているが、別に存在否定をしているわけでも、貶しているわけでもない。それだというのに、この仕打ちはあんまりではだろうか。こうも試練と称した、個人に対する罰を行っていると信奉者が減るぞ。
「何してる? ほれ、こっちに来い」
今言い出しては皆の不安を煽る形になるかもしれない。それこそ、クラス委員長としてやってはいけないことだろう。
簡単な話だ。名を念じて、具現化すれば良い。成功したのならば成功したでこの場を切り抜けることはできるだろう。失敗した、すなわち具現化できなかった場合は……その時に考えよう。何とかなる。いいや、何とかする。してみせる。
淀峰所長の呼び掛けに応え、彼女と相対するように皆の前に出る。
「バシッと決めてくれよ。何度も言うが、名を念じ、武装をイメージするんだ」
名前はクリア。しかしイメージ、か――俺の武装は、一体どんな武装なのだろうか。
俺が予想するに、“血戦武装”はその所持者の心の鏡ではないだろうか。淀峰所長は言っていた。
『要するに、お前は自分の、真の狂信的な祈りにも似た渇望を理解している。それがわかっただけで十分』
彼女は面接という形を通して、何かしらの自覚を促していたと考えられる。俺の場合ならば、どこまでも強くなりたいという、決して満たされない渇望を理解していること――それを自分自身で確認する。それが“血戦武装”を造る上で、必要な条件だったに違いない。
そこから予想される俺の武装――全く姿形は掴めないが、おそらく、いやきっと俺の渇望に関係のあるモノに違いない。ベースとなった名前と合わせて、まさに俺だけの、俺だけに許された“血戦武装”だ。
あくまでも推測。だというのに何故か妙な自信が湧いてきた。ここで男として、一発具現化してみせる。
俺は心の中で、その希望鋼鉄の名を叫んだ――。
● ●
どうして、俺は恥を掻き捨ててでも彼女にすぐ相談しなかったのだろう――という反省は勿論しているが、だからといって後悔はしていない。
人生の一瞬一瞬が全て分岐点。右か左か、上か下か、その選択肢は数多く、それだけに人生というものほど不確定なモノはないと思う。それ故に人生をゲームに例えて“クソゲー”などと揶揄する者もいる。
得られるのはただどうしようもなく、自分は生きているという実感のみ。失敗も絶望も、死の痛みも何もかも、およそ人生で得ることができる全ては生きているからこそ感じ取ることができる。
そんな無慈悲で容赦のない、ただ一度きりの人生を生きるに当たって、俺は全力を尽くすと決めていた。
それはすなわち、どのような選択肢を選んでどのような分岐をしても自分が選んだ最良の道だと信じ、決して後悔はしない、ということ。
志月がよくパソコンに向かってマウスを頻りに動かしているゲーム――通称アドベンチャーゲームの多くは、選択肢によって物語の展開が変わる。それは確かにそうだろう。ある意味で、人生の縮図のようなものだ。
しかしキャラとの交際を図る為のルートで、誤って間違った選択肢をしてしまった場合の多くは、そのキャラとの交際は行えなくなることがある。
如何にゲームといえども、それは違うだろう、と思う。ゲームだからまた選択肢のシーンまでロードしてやり直せるが、人生にセーブ&ロードは無いのだ。それは自明の理であるはず。
だからこそ、全力でその選択肢を選ぶ。攻略という道標も無く、その時の自分の、最良だと感じた選択肢を選ぶ。
好きな女の子に告白してフラれたからもうその子とは一生涯付き合えないか? いいや、それならばフラれた原因を直し再アタックする、あるいは他に男がいるのならば奪い取ってみせるくらいの気概を身に着ける――そういった努力をするのが人間ではないだろうか。
勿論、これは俺の考えであるし、別に人に押し付けるつもりなんて一切無い。個人の考え方や意志は尊重されるべきだ。
しかし、俺は貫く。俺はこの人生を何が何でも満足のいく、納得したモノにする為に努力を惜しまない。
だから――この選択がどうしようもないくらいの失敗であっても、どれだけの非難を浴びようとも、俺は決して悔んだりしない。他を羨んだりしない。自分が選んだ道、望んだ道。どんな茨の道でも突き進むのみ。それが新開 大和だ。
だから俺は、その名を呼んだ。
「――――ッ」
ふと、何かが潰れたような、あるいは切れたような、とにかく終わりを告げる音が聞こえたような気がした。
鈍い光が右手を包み込み、あっと言う間に乱暴に塗り潰したかのような黒色へと様変わりする。その黒には鮮血の如き赤光の亀裂が走っており、その亀裂もまた何かの紋様のように荒々しく、しかし規則正しく刻まれていた。
まず、最初に感じたことは『これが俺の“血戦武装”か』などという感想ではなく――。
「あ――」
――この身を粉微塵に轢き千切りそうな痛みだった。
「あああぁああああああああ――ッ!!!」
ホールに劈く絶叫。どれほどの忍耐力を持ち合わせていたとしても、新開 大和はまだ十数年しか生きていない少年なのだから、相応の鳴き声だろう。
否。これは最早、年月の問題ではない。例えどんな人間であろうとも、その痛みを堪え凌ぐのは不可能に近いはず。
それは勿論彼も例外ではなく、故に彼の忍耐の限界は刹那にして振り切られ――壊れたのだ。
その光景現象を自分が知り得る限りでは、少なくともこうして目にするのは2回目。
“血戦武装”の拒絶反応――武装が所有者となる人間を拒絶している状態。
武装のベースとなった材料との適合率が低いと死亡するケースがあるが、近年でそのような事件は全く起こっていない。
何故なら武装化する前にその人間の血から魂の情報を読み取り、その人に最も適合するベースを選ぶからだ。更にその適合率を100%にする為にベースの改良すら加えて、結果的に失敗――つまり死亡する生徒を出さないようにしている。
その能力が世界で最も長けているのが淀峰 麗子である。勿論、他にも彼女の下で“血戦武装”の製造能力を身に着けた弟子達がいる。彼等は他の学園で活躍しており、彼女同様に細心の注意を払って“血戦武装”を造っている。彼女の意志も間違いなく受け継がれているからこそ、淀峰は他の学園での製造を許しているのだ。
だが――これはあくまで適合率の話。新開 大和に見られている現象とは全く関係ない。そもそも、適合率という面で見るならば、彼とベースになったモノは改良の必要すら無いほどの高さを誇っていた。
何より、この現象は適合失敗の死亡例とは何もかもが異なっている。適合失敗の場合は、凄惨な死に様を演出してしまうものの、今の新開 大和は右腕が変化しているのみ。
そう、右腕が武装によって侵蝕されているのだ。認めないと、屈しないと、全てを拒絶すると叫んでいる――最大の抵抗が、1人の少年を苦しめている。
彼を襲う激痛の嵐を鎮めんと、淀峰は決断した。
「新開ィッ!!」
ひたすらその痛みを耐え切ろうと、虚しい努力を続けている彼をまずは無力化する。
腹部に一撃。幼い少女の姿から放たれた剛拳が大和の体躯を貫く勢いで叩き込まれた。
「がっ――ぁ」
その威力は普通の人間なら即気絶するレベル。どうやってその細い腕でそれだけの威力の拳打を発揮できたのかは定かではない。
しかし、痛みに苦しみ武装に侵蝕されていても彼は新開 大和である。“神開一新流”をその身に刻み込んだその身体、その精神は彼女の一撃をもってしても気絶に至らしめることはできなかった。
「玄一郎め……どんな鍛え方をすれば……ッ!」
戦友に悪態を吐きつつ、ならばと大和の頭を両手で掴み、そのまま思い切り床に叩き付けた。ホールの床を震わせる衝撃は、今度こそ確かに新開 大和を物理的に無力化できたことを告げる。
鳴き止んだ大和の左手を掴み上げそのまま引き摺るように連れて行く。ゆらゆらと左右に揺れている右手は、やはり黒色に変化したまま。
「ちょ、待てってセン!」
「す、ストップ! センさんストップ!」
その歩みは、和海と志月の声によって遮られた。正確には自分の真後ろで同級達に押さえつけられ、今にも飛び掛かって来そうな野獣の眼光をこちらに向けている――戦の怒りが空気を通ってこちらに伝わってきたのだ。
「テメェ……どういうつもりだ」
大和に何が起こったのか、戦にはわからなかった。それでも、彼の声が痛かった。彼は苦しんだ。きっと彼は良くない状態になってしまった。それだけは直感的に理解できたからこそ、今戦は怒りに怒って燃えている。
大和に何をした。大和があんな痛い声を出すわけがない。よくもよくも、俺等の大切な大和を――。
和海、崇、千春、志月、そして善吉の5人に腕を掴まれ肩を掴まれ、足を絡まれながらも彼女は淀峰に向かって歩もうとしている。
善吉の腕力で肩を押さえつけられて今は進めずにいるものの、一向に彼女はそれに怯まず、ただひたすら抵抗しながら淀峰だけを睨んでいた。
「おい! 落ち着けってセン」
「落ち着いてるよ善吉。俺ァ普通だろうが」
「全然普通じゃねぇだろうが! 何が何だかわからねぇけどよ、俺達が出張る問題じゃねぇだろ!」
善吉の至極真っ当な制止を振り切らんと、戦は吠えた。
「テメェ等、頭を殺られて『はい、わかりました』で済ますのか!? あぁ!? “返し”が先だろうが!!」
「センちゃん、大和君まだ死んでないって」
「というか、お前のその理論は一般人には適用しねぇから!」
「うるっせぇよ千春! 崇! 舐めた理屈捏ねてないで黙ってろ! おいコラ待てよテメェ! 大和をどこに連れてくつもりだゴラァ!」
淀峰と戦を結ぶその進路に勅使河原が遮り、同時に戦の目の前に長瀬が立った。
「何だよ……退け」
「戦場ヶ崎。止めろ」
長瀬とて今の状況を完全に理解できているとは言い難い。だからこそ戦場ヶ崎を鎮めて、“血戦武装”の専門家である淀峰に任せようと考えた。教師として、結果的に生徒を守る為の判断だった。
「いいから退け! 一発どころか百発ブン殴らねぇと気が済まねぇ!」
「それは無理やわ。ええか、麗子ちゃんは優しいから何も言わへんから、俺が言うたる」
「勅使河原」
彼女は制止の声を飛ばす。しかし、彼はそれをあえて無視した。
「君のお友達の大和君はな、武装に拒絶されてああなった。どういう理屈で拒絶されたんかは知らん。何せ俺も実物で見るんは初めてなんやよ」
何だそりゃ――そう戦が激昂しようとした時に、勅使河原はそれを先読みして手を前にかざす形で抑える。
「要するに、これは不測の事態ってこと。ちなみに麗子ちゃんが大和君を気絶させたのは少しでも痛みを感じないようにする為。暴力で無理矢理そうしたのは、単純に彼女が不器用やからや」
「一言余計だ馬鹿者が。無駄な不安を与えてどうする」
これ以上説明下手な助手に任せてはおけない――そう思い立ち、淀峰は口を開いた。
「だが、ソイツの言っていることは本当だよ。少なくとも、私の予想を遥かに超えた展開だ。だから、新開を私に預けてくれ。ああ、悪いようにはしない」
戦の返事を待たずに、彼女は横に戻った勅使河原と長瀬に今後の動きを伝える。
「勅使河原。お前は安住を呼んで、残った生徒達の武装具現化を確かめろ。同様の現象が出るとは思えんが、もしかすると汚染している可能性もあるんでな。念入りに頼む」
「はいよ。俺等で何とかしますわ」
「長瀬、お前は喜美に連絡を入れて、私の所へ来るように伝えろ。その後は通常の予定通り、ここで生徒達の様子を見ておくように」
「は、はぁ」
ゆっくりと振り返り、淀峰は鬼の形相を作っている戦を見据えた。
「先の暴言は不問にする。方法はどうあれ、友人の為にそこまで怒れるのは良いことだよ。誇っていい。新開も幸せ者だな」
少しだけ顔を綻ばせて、優しく彼女は言った。
「お前は優しい奴だよ、戦場ヶ崎。それは自分でも無意識に自覚しているんだ。だから――お前はその名前が気に入らないんだろう」
仲間の為の怒りは負の感情ではない。淀峰はそう信じている。
素晴らしい。もっと怒るべきだ。私を憎んでも構わない。そんなお前の為にも――そしてそんな馬鹿な奴等に愛されいる新開の為にも、何としてでも私はこの自らが招いた失敗に全力で解決する。淀峰 麗子の名に懸けて、必ず新開 大和を救おう。
そのまま淀峰は大和を連れて、ホールから出ていった。それを邪魔する者はもうおらず、またその歩みを食い止めようとする声も飛ばなかった。
● ●
条件、というものがある。それは何かを成立する為に必要なモノであり、かつ制限といったような付加でもある。
“血戦武装”でもそれは同じ――具現化には、自らの深層意識を知る、つまり自覚するという共通の条件が組み込まれている。
武装は自らの写し鏡。その人の魂を武装として具現する。故に、自らを認め、知るという行為が絶対的に必要であった。
「では、武装の方に何も問題は無いのですね?」
しかし、この武装は異なる。というより条件が1つ、余分に多い。
「右腕を見る限り、これは間違いなく私が造った、新開 大和の武装だ。欠陥も無く、武装としての最低限の機能は働いている」
武装が定着した際に、人間は2つの効果の影響を受ける。
1つは装甲が身体に付随する。従来の鉄でできた装甲のことではなく、身体の頑丈度のことを言い表している。そして武装が具現化した際に追加装甲として、武装としてのより強固な防御性能が備わるのだ。
現時点で、新開 大和はその装甲の表れは確認できている。つまり、定着という段階においては何も問題なく適合していることになる。残り1つは単純な身体能力の飛躍的な向上であり、それは今確かめようがない。それよりも問題はその後。
「適合はできていて、装甲もきちんと施されていて、どうして具現化ができていないのかしら……」
喜美がベッドに横たわる大和の顔を覗き込む。今は睡眠作用の薬で眠っている状態で、それは半年ほど前に見た寝顔とそう変わりは無かった。
変化と言えば、その問題となっている右腕。見ていると不安になりそうなくらいな深淵さを醸しているその黒。紋様の如く走る、忌避を感じさせる血色の赤。これが彼女に以前見せて貰った、新開 大和の“血戦武装”とは言い難い。
「具現化ができていない、というのは少し語弊があるな。右腕は武装に拒絶を受け侵蝕されているものの、一応は変化しているんだ。元来の武装の形ではないとはいえ、その右腕も立派な“血戦武装”さ」
「彼の武装は“武装具現型”よね……そうなるともしかして、“武装融合型”に変化してしまった、とか」
彼女はその右腕が武装だと言う。だとするならばその特徴を押さえているのは“武装融合型”が最も適当だろうと喜美は予想した。
「その線も有り得るだろうが、前例が無い以上は何とも言えん。定着から具現化の過程でどうすれば型を変化させられるのか、私が教えて欲しいくらいだ」
その予想は決して悪くないが、決定打に欠ける――そう言い終え、淀峰は溜め息を吐いた。
喜美は視線を映し、再度大和の右腕を見た。その右腕は金色に輝く、やや細めの帯で軽く包まれている。黒色が見える程度にはだけられているそれは、しかしその効果を存分に発揮していた。
封印――“血戦武装”の機能を一時的に停止させる、淀峰が極秘に造り上げた対“血戦武装”の道具の1つ。
包帯のように念入りに巻く必要は無く、今のようにある程度はだけさせても大丈夫であるらしい。
「この封はどれだけ持つの?」
「ざっと3日、かな。何、私がいる限りは何度でも新しい奴に交換してやる」
「できればすぐに、大和君を教室に戻したいのだけれど」
学園長という立場である喜美には、大和をこの第1研究所に閉じ込めておくわけにもいかず、一生徒の学習や生活を乱すわけにはいかなかった。
「それなら安心しろ。この後に新開が目を覚ませば、寮に戻す。勿論、その封はしていて貰うが」
「お風呂はどうするの?」
「いくらでもやりようがあるだろう。お前が心配せずとも、コイツの周りの連中が世話を焼いてくれるさ――それよりも、今はどうやって新開の“血戦武装”を元に戻すか、だ」
淀峰は大和の右腕を軽く持ち上げ、見定めるようにその変化を調べている。
「それ以前に“血戦武装”の具現化を止めるというのは通常、本人の意思による具現化の中止か……あるいは気絶や睡眠などで意識が飛んでいる状態で具現化が消滅するか、そのどちらかしかない」
「――だけど貴女が言った通りならば、彼はこうして寝ていても具現化を続けている」
「そうだ。おかしいんだよ。私の見る目に狂いは無い。この右腕は確かに“血戦武装”として具現している。だが拒絶されているとはいえ所有者は新開だ。コイツが寝ている以上、こうして変化するのは道理に外れている」
現に彼女が大和を物理的に気絶させた後も右腕は元に戻らず、その黒を主張していた。
「新開 大和は学園に戻すが、しばらく第1研究所に通って貰うぞ。とにかく本人が起きて話を聞いてみないことには、これ以上は進まん」
そう言い、淀峰はドアへと向かい始める。
「私は」
ドアノブに手をかけた際に、喜美の声が耳に届いた。
「私は、この子をこんな姿にする為に明星館へ呼んだわけではないわ」
その声は震えている。必死に感情を抑え込もうと喉を震わせている。
嗚呼、全く――生徒のことですぐ泣く癖はまだ直ってないのか。ここ数十年は見れたモノになってきたと、少しは様になったかと思っていたが、やはりコイツはまだまだガキんちょだな。
「私を信じろ。そもそも、新開を万が一にも壊してしまったら私が玄一郎にブチ殺されるんだ。何が何でも全力でやるさ」
だから――なぁ、その泣き虫を生徒の前で見せてくれるなよ。威厳とやらを保ってくれよ。学園長だろうが。
第13話、いかがでしたでしょうか。お楽しみ頂けたならば、幸いです。
大和はどうなってしまうんでしょうか。
よろしければ、お気に入り登録・感想・評価・レビュー等をして頂けると感極まって嬉し泣きで踊ります。
次回の更新も一週間後を予定しています。今後は改稿とかを予定していて、何かとストックも十分に貯められないかもしれません。
またそろそろ4月となるので、リアルの方も多忙になってきてしまいます。一週間の更新を頑張っていきたいですが、更新の間が空いてしまう可能性もある、ということを先にお詫びしておきます。本当にすみません。
それでは、また第14話でお会いできることを祈りつつ締めさせて頂きます。
本当にありがとうございました!