第10話 夢の痕
やっとこさ2ケタまできました、第10話です。
最近、PVやユニークが少しずつですが増えてきている気がします。
とても嬉しいです。どんどん頑張ります。
それでは、どうぞ!
彼が海に浮かぶ鋼鉄に降り立った。鋼鉄の主であるソレは彼の登場を祝福するかのように最大の賛辞を並べている。皆全てソレの本心であり、彼はそれを甘んじて受けた。
甲板の上を2人が歩み寄る。双方、携えているのは軍刀。一方は血と、魂と繋がった武装兵器。もう一方もまた同じ――本人の強靭な意志の力により血戦の武装を体現した、彼の、そして彼女の為の兵器である。それを手にしているということは、すなわちこの2人は、最低でも個人で戦略破壊級の威力を有した人間兵器ということに他ならない。
そうして2つの影はすれ違い――激突の火蓋は切って落とされた。
重なる初撃は共に相殺され、その余波で足場となっている希望の鋼鉄が大きく揺れては軋みを上げた。海はそれに合わせて嗤うかのように揺らめきを演じた。
超高速で展開される剣戟は既に何百、何千と繰り返されている。ソレは嗤い、彼も嗤う。
嗚呼――お前を倒せば彼女は俺の女だ。故に滅する。彼女は渡さん。我が最大の恋敵よ、この俺に倒されろ。
奇しくも、彼とソレは全く同じことを考えていた。壮絶な殺し合いを繰り広げている彼等の胸中にあるのは、たった1人の女性のことのみ。
ソレは彼女の為に世界を犯す。
彼は彼女の為に世界を守る。
彼等にとっての最重要事項は世界などではなく、特定の女性である。そう、これは世界の命運を賭けた一大決戦などではない。世界を巻き込んだ、至極傍迷惑な女の取り合いである。
愛しているのです。ただひたすらに、愛しているのです。この戀を讃えましょう。この愛を謳い上げましょう。
この戀は色褪せず、常に輝き彩り鮮やかに、熱く深く漲っているのです。
この愛は永久不変。ただ貴女だけに注ぎ、捧げる真実の祈り。故に決して干渉など許さない。
彼女の隣にいて、一番愛しているのは間違いなくこの俺だ。これは真理にして絶対である。紛い者など認めんぞ永遠の二番手。消え失せろよ、お前はお呼びじゃない。
双刀が交わり、衝撃が幾度となく発生しては世界が悲鳴を上げる。世界にはこの2人の激突が耐え切れないのだ。巻き起こされるは怒号の嵐。その威力、規模、何もかもが世界の容量限界を超えている。
そんなことは知らん、とばかりに彼とソレは吠えた。同時に自らを更なる強人にせんと鼓舞するかのように、外野は黙れと一喝するかのように、唯一の女性に愛を囁くかのように、酷く、けたたましく吠えた。
そして雷撃の如く、彼の一撃が放たれた。滅尽滅殺にして必中必殺の祈り。大艦巨砲主義者の彼に相応しい矜持の表れ。その規模は空を裂いて哭かせるほどであり、彼がどれだけ“狂った”のか、その結果がよく理解できる――成果であった。
しかし――その迫る暴力の奔流も、ソレにとっては好物に過ぎなかった。ソレは手をかざし、瞬く間に虚しくその一撃を葬り去る。
彼とソレの実力差は歴然。武装も肉体も精神も、どれも彼はソレと同等のものを有しているはずなのに、彼はソレに遊ばれている。そう、彼は先程から一度も、ソレに触れてはいないのだ。
それは最早不可能、と言った方が良いのかもしれない。では――ソレが強くなった彼よりも遥かに、ずっと強いのは、何故なのか。
答えは単純明快。懸ける想いが桁違いなのだ。ソレは超深奥の海底でただひたすら愛する■■■を想っていた。押し寄せる八百万の裏の塵芥に気を曲げられず、順調に、かつ恐るべき速度で狂気に染まり切っていった。
絶対に埋めようのない差というもの。懸けた年月が違う。十数年の想いでは、約百年の想いにどうして勝てようか。
故に彼は負ける。どうしようもなく、あっけなく負けて、死ぬ。
天より来たるは常勝不敗にして必中必殺、滅尽滅殺の一閃。彼のそれとは悲しくなるくらいに規格外の巨大さと威力を誇る一撃。
神の怒り、神の鉄槌――嗚呼、好きに呼べ。これは審判の攻撃である。故に裁かれるは俺と彼女の戀を邪魔する間男よ。さらばだ、最大にして最高の恋敵。
ゆっくりと、しかしそれは実に一瞬で、彼は鋼鉄の半分と共に掻き消えた。
確信が現実に変わり、私は泣き叫びながら彼がいたはずの――何もかも飲み込んだ漆黒の海を睨んだ。名は体を表すという言葉に習うにしても、なぜ彼は沈まなくてはならないのか。
簡単だ。俺より弱かったからだよ。さぁ、笑ってくれ■■■。今宵、貴女に史上最高の勝利を捧げる。
地獄の窯は開かれた。世界が割けては兵隊と化した化物共が溢れるように飛び出して、この世界の何もかもを汚しに掛かる。
それはさながら地獄絵図。既に陸に上陸し、凌辱の如く大地を犯し、生物を弄ぶかのように引き千切っては食い、撫で、放り投げては潰している。
ソレは私の涙を指で優しく拭き取った。その顔はとてもこの悪神、廃神、腐神、崇神――八百万の裏の塵芥を強引に従えさせた至天の主とは思えないほどの善人顔。まるで愛する女性にだけ見せる、ソレに唯一残された特権。
ソレは笑った。
「■■■■、■■■■■■■■■■?」
絶叫する。ソレの顏が見えない。見たくない。痛過ぎる。眩し過ぎる。死にたい死にたい死にたい。どうか殺して。彼のように私を裁いて。何度でも何度でも死にますから。どうか許してください。彼の元へと――逝かせて。
● ●
そうして、私は目を覚ました。頬に伝う涙はまだ止まりそうにない。
久しぶりに例の夢を見た。いつもと同じく、思い出せない上に何故か悲しみだけは強く残っている。思い出せないもどかしさはもう慣れたが、この心に残る後悔に似た念はどうしても慣れそうにない。
ようやく、涙が止まる。滴り落ちて濡れたパジャマを見つめて、私はようやく頭が冴えてきた。
枕元に置いてあったスマホを確認すると、午前5時50分であることを示していた。
入学式から5日後――今日は学園に入学してから初めての休日ということになる。本来なら心置きなく二度寝したいところであるが、例の夢を見たからにはもうそれは叶わないだろう。
とても寝られる気分じゃない。胸の奥に何か異物が混入しているような奇妙な感覚が拭えないのだ。まるで悲しむことを、絶望することを、無気力になることを強要されているような、何とも言えない状態になる。
この夢を初めて見たのは、物心付いた頃からだろうか。とにかく気が付いた時にはもうこの夢に襲われていた。この夢を見てから何か良からぬことが起こる、予兆のような役割を果たしていたのならばまだ有用性はあっただろうが、ちっともそういった機能は無い。ただ天草 桜花という人間を一時的に希薄にしているだけの、嫌がらせみたいなものだ。
幽霊が私に憑いていて、その記憶を見せているのか――そう考えて両親にお願いしてお祓いにも出かけたが、まるで効果は無し。そういった類のモノは見当たらない、良い御嬢さんだと言われる始末に終わった。
唯一、心当たりがあるのは幼い頃の記憶障害。幼少時の私はとにかく身体が弱く、時折よくわからない言葉を喋っては精神的に不安定な日々を送っていたらしい。原因不明の病気で記憶がごちゃ混ぜに掻き乱され、そのせいで私は幼稚園時代の記憶が全く無い。忘れ切って思い出せないのではなく、そもそも幼稚園という施設に自分は通っていたか、ということすら抜け落ちているのだ。自分の思い出せる限りで最古の記憶は小学校の入学式。これは医者に薦められた――今も欠かさずつけている――日記にも記されているから、間違いない。最初のページはその入学式について、とても拙い字で埋められており、それ以前はとても記録できるような状態ではなかったという。
私は考える。かつて私を襲った記憶障害が原因して、時々に見る例の夢があるのではないか、と。記憶が混在しているのでは、そんなオカルトも色々調べてみたがどれもとにかく夢の内容を知らないと確かめようにもない。
しかし、思い出せない。一度だけしか見せないとばかりに、想起させることを頑なに拒んでいる。そして警告しているかのように“しこり”を心に残していく。夢の内容は教えない。でも、見たことは決して忘れるな――自分の知らない本能がそう告げているような気がした。
とにかく、少し勿体無い気がしつつもベッドから離れることにした。冷蔵庫を開け、水のペットボトルを取り出してコップに注いだ。
コップを持って戻ろうとすると、外から音が聞こえた。靴と床が軽くぶつかる音だ。いかに防音が施された部屋とはいえ、ドア一枚隔てた廊下の音は多少聞こえてしまう。
こんな時間に出かけるなんて、一体何処の誰かしら。
単純な好奇心。窓から見える空は明るみに帯びているが、それでも時間帯が時間帯だ。外に出る生徒は一体どのような人なのだろうか――知ってみたいという欲が出た。まだ音が聞こえていることから、もしかすると姿が見えるかもしれない。コップを机に置いてドアへと向かい、ドアスコープを覗き見た。
まさか自分の部屋の前に音の主がいるはずも無く、映るのは目の前にある部屋のドアと廊下のみ。音の大きさ的にそう遠く離れてはいないだろう。隣か、2つ隣くらいだろうか。
不意に、人が右から通った。黒髪の少年。一瞬目を疑ったが、見間違うはずが無い。隣の部屋に住む、新開 大和だ。
「な、何で?」
そういえば自己紹介で健康に気をつけているとか言ってたっけ? あの時はおじいちゃんみたいってこっそり笑っていたけれど、早朝ランニングでもするのかしら。服装もよくわからなかったけど、ジャージっぽかったし……。
『第一、天草よ。お前は奴のことを何一つとして知らんだろう?』
ふと、淀峰 麗子の言葉を思い出す。確かに、自分は新開 大和のことを名前と出身と、健康に気を使っていること――自己紹介で知った情報しか知り得ていない。
思い返せば、実に彼は謎だ。あの夏の時に何故もっと疑っておかなかったのだろう。彼は、あの金属人形と対等に渡り合っていたではないか。それどころか、途中までは圧倒していた。喧嘩上手というには洗練された動きであったし、何より喧嘩なんて遊びであの体術は決して身に付かない。古武術の名家か何か? とにかく、普通に生きていればあんなモノは得られない。
一度考え出すとキリが無い。気が付くと、自身もパジャマを脱ぎ捨てて大和と同様にジャージに着替えて外に飛び出していた。
自分でもどうかとは思うけれど、知りたいという気持ちはそう悪いものではないはず。だから、今からやることは決してストーカーみたいな悪いことじゃないんです。見逃して神様。
そう、心から念じながら大和に気付かれないように後を追って行く。不明な夢を見た作用である憂鬱な気分はいつの間にか、何処かに吹き飛んで無くなっていた。
● ●
何とかバレずに大和のストーキング……もとい後追いを続けて十数分、辿り着いたのは浜辺であった。人工ビーチとして夏には何かしらの催し物があるのだろう、天然のそれと全く遜色違わぬ完成度を誇っており、まるでこの場所が人工島であることを忘れてしまいそうだ。問題は、このような場所に来て彼は何をするつもりだろうか、ということ。ただのランニングであるならば、行きをこんな短時間で済ませるはずがない。
すると、浜辺を中ほどまで進んだ後、大和はおもむろに準備体操を始めた。まるでこれから激しい運動をすることが予想できるほどに念入りに身体を伸ばす。その様子を桜花は少し離れた所から物陰に隠れて見ることにした。
何故、浜辺を選んだか。別に大した理由は無い。以前に仲間と人工島を探検していて、たまたま見つけたからであり、距離的にも小規模の軽いランニングで身体を温めることもできる上、ここでなら人様に迷惑を掛けることはそう無いだろう、と判断したから。当初は部屋で行っていたのだが、いくら何でも床が抜けそうであるし、下の階の住人に騒音を与えては申し訳ない。何より狭過ぎて思い切り動かすことができない。条件としてはここが現状、最適だと考えられた。
程良く身体が起き上がったことを確認できると、大和は早速それに取り掛かった。
やることは1つ――常に欠かさず続けてきた日課である。新開 玄一郎がいなくても、最早自分の1日を始める為に必要な習慣となっている以上はやらないわけはいかないし、元より彼の相手を務まる人間など存在しないのだから、この環境で相手を望むのはお門違いというものだろう。
虚空を切り裂くように、新開 大和の殺人蹴撃が繰り出された。その光景は、当然天草の目を丸くするものであった。
シャドーボクシングという訓練方法が存在する。対戦相手がいない場合や不要な場合に1人でも行える、人間だからこそ可能とした方法だ。想像した相手をあたかも目の前に実在しているかのように想定し、自分はそれと戦闘するかの如く手足を動かす、というもの。仮想の相手からの攻撃を避けながら、攻撃を繰り出し、また回避して……これを繰り返す。
傍から見れば1人で無闇に動いているだけであり、気でも狂ったのかと思われてもおかしくはない。この訓練方法はあくまで行っている本人のみ理解できるもので、故にそれ以外の他者からの理解は難しい。
そもそも、この訓練は想像力豊かで、かつその想像を極限にまで維持できる精神力を有した、という前提条件をクリアした人間でなければ効果は得られない。
新開 玄一郎がいない環境に3年間身を置く大和にとって、この訓練方法は必須であった。故に彼は当然、この前提条件をクリアしている。
放たれる拳打と蹴撃の数々。それらは全て空を切っている。しかし大和にとってはどの一撃も仮想の相手に叩き込まれているのだ。
シャドーボクシングを始めて、まず真っ先に想定したのは自分に敗北を容赦なく突き付けた、あの金属人形。受験勉強の休憩という口実で暇を見つけては新開家の道場に足を運び、想像した人形との戦闘に明け暮れていた。現実味の無い存在であった為、幾分想定するのには苦労しなかった。生身でもあの金属に損傷を与えられるように、まずは筋力以前の問題として相手に慣れなければならない。あの時に受けた、硬い金属を叩いた痛みを必死に思い出して相手の硬度を再現した。
加えて毎朝、修羅の如く立ちはだかるは、おそらく人類最強と呼んでも過言ではない祖父との一騎打ち。あの人形が生身だとしたら、単純な強さで比べると玄一郎の方に圧倒的に軍配が上がる。人形を忠実に再現した副作用である、人形の劣った体術等で身体が慣れないようにしなければ毎朝泣きを見ることになる上、本末転倒に他ならない。このバランス調整は非常に苦労したものであった。
そして今、正直に言って依存しきっていた祖父の元を離れ、たった1人で此処に大和は立っている。
つまり、現在の大和は唯一である現実の対戦相手を失った状態なのだ。それは自分の鍛錬にとって非常に大きな痛手となる。大和の日課に付き合える相手は新開 玄一郎しかいないのだから。
しかし、大和は逆にこう考えた。“新開 玄一郎も想像してしまおう”と。生まれた頃から一緒に暮らし、数え切れないほどに拳を重ねてきた相手。自分が考え得る最強の新開 玄一郎を想像するのもまた、彼との記憶が深く身体に染み込んでいるからこそ、容易に行えた。
それでも足りない。如何に最強を想定しても、あくまで玄一郎は人間である。あの金属のような硬度は持ち合わせていない。
だからこそ、組み合わせてみた。最強の新開 玄一郎を原寸大でそのままに、かつその体は金属の如き硬度を誇っている、最悪にして最高の組み合わせの想像に成功した。どちらも身体と脳がこと細かに記憶していたからこそできる、裏ワザ的芸当だと言えるだろう。こんな如何にも現実離れしたシャドーボクシングは通常有り得ないのだ。
故に初撃から放ち続けていた攻撃はあっけなく全て無傷で受け止められ、玄一郎の筋力と重心移動から為せる攻撃力――金属の破壊力も加わっている――による殴打を回避することなどできるはずもなかった。
身体が捩れる。最中、いくら何でも最初から難易度を上げ過ぎた、と後悔した。しかし難易度を下げようにも一度イメージしてしまうと、中々どうして払拭は難しい。
こうして怯んでいる間にも想像上の金属化した玄一郎は攻撃の手を緩めない。迫る想像の壁。これを乗り越えなければ、現実にて再度、人形と相対した時には無惨に殺されるだけだろう。
つまり、難易度を上げるという選択肢はあっても、下げるという選択肢は絶対に有り得ないのだ。あの人形と対戦できる未来があるとは限らない。遭遇しても勝てるかはわからない。だからといって何もしないのは愚の骨頂。敗北したのならば努力で強引に解決して勝利に繋げるのも、また男の矜持の1つだろう。
これしかない。例え傍から奇異な目で見られても、“神開一新流”を磨き上げる日課を続けていくには最早のこの方法しかないのだ。
決して妥協はしない。そう、一度決めたからには貫き通す。何度も心を固め、眼前に映る玄一郎に向かっていく。左方向の回し蹴りを片腕で止められてもすかさず追撃とばかりに身を翻して拳による攻撃を連続させた。仮想の硬度は、現実の痛覚に反応させた。
この硬さだ――なら、もっと硬いと自分の身体はどれだけの悲鳴を上げる?
そのような実験感覚を持ち合わせつつ、迫る猛反撃を果敢に凌ぎ切った。
とうとう、頭が壊れたのかと思ってしまった。だって、いきなり手や足を頻りに動かし始めたのだから、流石の私も開いた口が塞がらないわ。あんぐりよ、あんぐり。
しかし少しの間、彼の奇行とも取れる動きを注意深く見てみると、その動きが不思議な踊りに類するものではないということが徐々に掴めてきた。
まるで1人相撲を彷彿とさせる身体の動かし方――彼のやっていることは、間違いなく洗練された武術に相当する。
繰り出される拳や蹴り。身体の捻り具合。どれも見覚えのあるものだ。そう、あの夏での事件にて自分を守る為に彼が用いた戦闘術に他ならなかった。
「もしかして……戦っているつもりなの?」
彼は1人だ。他に早朝の浜辺にいるのは見渡しても自分のみ。彼の前には誰もいないはず。であるというのに、彼は虚空に向かってひたすらに攻撃をしては回避する動作を見せ、あたかも戦闘しているかのようだ。
天草とて武道を歩んだ人間。大和が行っていることがシャドーボクシングのような空想を利用しての訓練であることに、何となく察しは付いた。
新開 大和が仮にその訓練を今実行していたとする。では想定している相手は誰だ? 人外であった人形相手に善戦した彼をああまで苦しめる相手は、一体誰なのだ?
底が知れない。新開 大和が何かしらの武術を修めていて、それを用いて仮想の相手と今この瞬間も戦闘を繰り広げている、というのはわかった。では、何故?
理由が見えない。何故彼はこのような早朝にこのような演武紛いの訓練を行っている?彼のことを知ろうとすればするほど更なる疑問が増えて、結局は不明瞭のままになってしまう。それでは意味が無いというのに。
私に、新開 大和を理解できる日が来るのだろうか。そして彼も私を理解してくれる日は来るのだろうか。
恋心――というのは少し違うかもしれない。純粋に、明星館に来て直接的な関わりを持った男子生徒が彼だけだったという事実を基に、今の自分の自滅にも似た学園内の立ち位置から脱却したくて、既にクラス内でも打ち解けつつある彼に近付いた、というのが正しいだろう。
新開大和に対する、彼女の根底にある感情がどのようなものであるのか、それは置いておいて、今日彼の後を追ってきたのはそういった目的があったから、というのは天草自身でも断言できた。
もっと見なければならない。彼のことを、より理解していきたい。その気持ちが先行し過ぎたのか――。
「あ……まくさ?」
彼が今やっていることは決して夢見心地の踊りではなくて、必死の鍛錬であることは見ていて少しは理解できていた。それだけに、彼の邪魔をしてはいけない、という気持ちも十分強く持っていた……はずだった。
決して悪意を持って邪魔しよう、なんてちっとも考えてはいなかった。それは嘘偽りない真実で、事実私は何もしていない。ただ、いつの間にか身体が動いていて姿を露出し過ぎてしまっただけで――ああ、本当にごめんなさい。
シャドーボクシングといった仮想訓練は、言わば究極に己のみ、個だけで完成する方法である。本来ならばある程度余裕のある広さを有した、かつ誰の介入も許さない密室空間が望ましい。大和は傍から見られても我関せず、と貫くつもりであったが、なるべくなら見られるという他者の視線も危ういのである。
天草 桜花は新開 大和が自分自身に展開していた仮想の世界に犯すかのように入り込んだ。これはつまり、想定した相手とは別に相手の侵入を許したことになり、当然、第三者の情報処理しなければならない。
この場合、仮に女代表として戦や和海、千春の誰かであったなら、即座に鍛錬を中止できていた。彼女達は自分がこの訓練方法で日課を行っていることを知っているし、こうして自分の視界に入ってくるまで近付くなと強く禁じていたはずであるから、そのまま説教に移行したかもしれない。
だが、自分の視界に飛び込んできたのはジャージ姿の天草だった。それがいけなかった。何故なら彼女は一度、人形と交戦して襲われているから。
限りなく厳密に想像して創造した、玄一郎の強さと姿形を持ちつつも、人形の攻撃性が発動する。つまり――あろうことか想定した相手は割って入った天草に標的を変えて、彼女の瑞々しい肉体を破壊せんと一撃を放ったのだ。かつて彼女を傷つけたという過去がその攻撃行動に繋がったと言える。
己が想像力には恐れ入る。勿論これは想像でしかなく、それと相対する、想像し得た本人のみにしか危険性は無い。第三者である天草には危害を加えられることなど万が一にも有り得ないのだ。そもそも、彼女はこの空想が見えていない。
そう、冷静に考えればそのはず。彼女をすり抜ける拳を見て、ようやくこの訓練は中止できる。彼女が何故ここにいるかは知らないが、一部始終見られていたとすればやはり気恥ずかしい。
いや待て。そうじゃない。ふざけるなよ。
「天草ァッ!」
彼女の顔に迫る拳から守るようにして彼女を抱き覆い、自らの背を盾にする。拳を弾くだけの時間は足りないと判断し、自身を肉壁という犠牲にしてでも彼女は守らなければならないという本能での決断、行動だった。
第三者である彼女に存分に触れたことで、強制的に仮想は消え去る。残ったのは波が砂浜に打ち付ける音、そして男が女を抱き締めた図である。
その現状にようやく気が付いたのは、彼女の柔らかな肉感を直で感じたから。胸元には更に柔らかい、2つの大きな塊が押し付けられて、単純に男としての性欲を掻き立てられる。片方の手は彼女の後頭部に添えられて、その綺麗な黒髪はちっとも痛んでおらず、滑らかな絹を思わせる質を誇っていた。耳のすぐ横では彼女から漏れ出た吐息が聞こえてくる。どうにも純真に甘ったるい、しかし悦びに悶える艶かしさを備えた、女特有のそれは時として男の理性を粉微塵に破壊する。そして何より、温かい。女を抱き締めるという行為は、こんなにも心を満たし、癒し、安堵を与えるのか。嗚呼――これは、溺れる。
――女を知らぬ。愛を知らぬ。意味は知っていてもそれを実感したことなど一度も無い。
家族の愛を存分に受けてきたとは言い難い。祖父の愛は紛れも無く真実であったが、それの殆どは“神開一新流”という形での享受。決して悪いものではなかったことは確か。
長倉家による愛も当然、真実。新開家という異分子を快く受け入れて、新開 大和を1つの個として認めてくれた。
いいや、違うのだ。それでも、それだけの愛を受けても尚、彼は真人間としては欠陥品なのだ。何よりも本物である親の愛がこの身に覚えが無い。何一つ、自分から消え失せてしまったかのような――しかし不思議と簒奪された感覚は無く、故に彼は愛情飢餓に陥ったことは無い。
それ故に足りない。母は遥か記憶の彼方。顔や声、その全て何もかもが思い出せない。父は僅かにその後ろ姿は思い出せるものの、その身体が、自分に触れたという記憶は持ち合わせていない。
両親不在。それは別段、極めて珍しく一線を画すほどの特別性を有しているわけではない。大和とてそのことは理解していたし、それで何か困ったことがあったか、と問われれば、無かった、と答えられる。生まれた時には既に長倉家と密接な関係となっていたそうで、家事類に関しては全くの心配は無かったし、学校関係でも玄一郎は歳不相応に活力漲っていた為、父兄参観にも必ず顔を出していた。一際目立つ彼を見て周りから意地悪くからかわれたこともあったが、全く気にも止めなかった。
彼は尊敬できる祖父であり師である。格好良くて、いつでも孫を愛してくれた真に良き祖父だと、離れた今でも誇りに思っている。
すなわち両親がいなくとも、新開 大和は捻じ曲がることなく真っ直ぐに育ち、今まで生きて来られた。それは周りの環境が恵まれたものであり、温かい輪であったからに他ならない。
だからこそ――何でもない、関係ない、別の環境で育った女の温かさは未知の味わいだった。この瞬間、初めて大和は女性というものをその身体で抱き締め、そして今も尚、それが続いている。本来ならばすぐに彼女を解放しなければならないはずが、しかし本能がそれを許そうとしない。
対し、天草は酷く動揺していた。近付いてしまったのは自分に非がある。しかし、いきなり抱きつかれてしまったことで、彼女の豊かな妄想が広がった。押し倒されればそれで終わり。彼を犯罪者にさせるわけにもいかず、かといって合意とするには覚悟も意志も定まっていない上、いくら何でも時期尚早過ぎる。そもそもロマンチックな展開で事に至りたい願望もあった為、何かと踏ん切りがつかない。しかしこのままではいけない、と貞操の危機を感じ取り、身体全体の熱を一気に上昇させる。頬は桃色を通り越して紅色のように染まり上がった。
「あ……ひ……」
カチカチと歯を鳴らし、横にある彼の顔を視認して――狙い定めた。
「ひゃあああああああー!!」
噴火して溢れ出るマグマの如く、感情を燃え滾らせて爆発させた。
朝の浜辺に鳴り響く平手打ち。その音は大和を現実に引き戻すには十分過ぎるほどの威力であった。
天草は処女。男に触れたことはあっても、手を繋いだことは無い初心だ。当然、父親以外の男に抱き締められるという超高度な接触は一度たりとも経験したことが無い。
男慣れしていない彼女にとって、父親以外の、初めての男の温もりはあまりにも熱く、蕩けてしまいそうで――そのまま身を任せてしまいたい衝動と相反するように、その一撃は防衛行動として放たれた。
● ●
海を眺めるように並んで浜辺に座り、事の説明を行った。これは日課であること。シャドーボクシングを行っていたのは今まで相手をしてくれていた祖父がいない為であること。浜辺でやっている理由に加え、何故彼女を抱き締めてしまったのか、その言い訳が苦しい理由も細かに、かつ必死に説明させて貰った。
「つまり……私が危ないっていう想像をしてしまって、それでつい私を守ろうと身体が反射的に動いて抱きついてきた、と」
未だに熱が残る声。身体の火照りも完全に消えたわけではないが、それでも天草は幾ばくか冷静さを取り戻していた。
「まぁ……天草からしてみれば何が何だかわからかったよな。その、悪い」
いかにシャドーボクシングという訓練を行っていても、第三者であった天草には何も見えていなかったのだから、彼女には酷く申し訳ないと思っている。
そりゃあ、いきなり男に抱きつかれたら女は張り手の1つや2つくらいするだろう。警察沙汰になっても何ら不思議は無い。それでもこうしてきちんと話を聞いてくれて、そればかりか隣に座ることも許してくれた彼女の寛大な処置には感謝するばかりだ。
「そういえば、何で天草がここにいたんだ?」
そんな彼女が、どうして都合良く――あるいは、都合悪く――自分と同じ場所にいたのか、それが問題であった。
「え? あっ……えっと、それは……」
まさか後を追った、なんて言えない。彼ならきっとそんな酷いことは言わないだろうが、ストーカー系女子、だなんて印象は絶対に持たれたくない為、真実を伝えるのは却下。だろう。時には嘘も必要なのである。
天草は言葉を濁しながらもどう切り抜けようか、思案していると。
「ああ、わかった。朝の散歩だろう。朝に海は定番だしな」
意外にも、大和の方から切り出してくれた。その内容は、どうも私を誤解しそうなものであったが、この際酷いものでもない限り文句は言っていられない。彼の意図せぬ助け舟に甘んじるとしよう。
「そ、そうなの! ちょっと早く起きて……二度寝しようにも、目が冴えて」
「あるある、だな。俺もよくあるよ」
「新開、君……でも?」
「何だ、意外そうだな」
何やら君付けされるのも妙な気持ちだが、いきなり名前で呼び合うのも変だろう。確かに自分達の出会いは特殊であったものの、それを除けばまだ友好は築けていない、出会いたての友達のような間柄だ。……その友達をクローゼットの中に押し込んだりいきなり抱き締めたりはしたが、まだその友情は崩壊していない、はず。
「だって、健康マニアだって自己紹介で言ってたし」
「別にマニアとは言ってない。それに、健康とその現象とは何も関係は無いと思うぞ」
予定より早く起きてしまって、まだ寝たいはずなのに身体が言うことを聞かず、そのまま――なんてことは人類共通、誰にだって一度は経験したことがあるだろう。それをよくある、と表現したのは、特に意味は無い。記憶としてまばらに残っていただけだ。
「自己紹介、と言えば」
大和が切り出した。しかし、急に話題を間違えた、という風に表情を崩す。
「その、何て言うか」
「な、何……? 遠慮しなくても良いから、言ってみてよ」
意図的に言葉を引っ張っているわけでもないだろうが、とにかく今は話題を繋げて話をすることが重要だ。急かすように、天草は受け入れる態勢を作る。
「……友達、できたか?」
遠慮しなくても良いとは言ったけれど。そりゃ確かに言ったけれども。ドが付くほどのストレートに聞いてくるなんて思いもしなかった。というかこんなの予想できない。何? 新開の頭の中では自己紹介と言えば友達作りに繋がるの? 凄い思考回路ね私にもそれ1つ頂戴よ。
「……まだか」
そう判断するのは当然だ。天草は明らかに動揺な挙動を見せ、目は横に逸らすようにして泳がせている。
「……別に、作りたくないわけではないわ。孤高っていうの? そんな間違った格好良さなんて、私は持ちたくないし。ていうか、何でそんなこと、貴方が言うのよ」
「だって天草、お前この1週間で同級生と話したか?」
「……千春と、和海と、戦場、じゃなくてセン。それに須藤君と白石君と真田君と、そして新開君は、何度か」
「俺とアイツ等はノーカンしろ。他には? してないだろ」
「し、したわよ! えーと、ほら、近坂さんと」
「アレは駄目だ。見境無く誰にでも話しかけてる」
2人は近坂、という同じA組の生徒を思い出す。非常に活発で、まるで話すのが生き甲斐と言わんばかりにとにかく舌がよく回る女子生徒。将来の職業は決定しているようなものだ。
「そもそも、自分から話しかけたりしたか? 俺が教室内で見た天草は窓際でずっと外を眺めているか、机で次の授業の準備をしているか、このどっちかしかしていないんだが」
大和の言う天草の行動は嘘偽りなく真実であった。
「そ、そんなによく見てるの? 私を?」
「勘違いするなよ。別に下心あるわけじゃない」
――何よ、別に勘違いぐらいしたって良いじゃない。そんなはっきりと言わなくたって、良いじゃない。
「ただ……気にかけているってのは本当だな。色々とあったがこれも何かの縁だし、できることなら力になりたい。お隣さんだしな」
お隣さん。ああ、やはり彼にとって自分はそのような存在か。意外とこれは、自信を失くす。
「……どうして、そこまで?」
確かに自分と彼とは、あの夏の出来事がキッカケで知り合ったし、再会してもこうして打ち解けることができている。でも、それだけでこうも自分を、他人を心配するだろうか。
「どうしてって。そりゃあ、俺のエゴなんだが……見捨てるなんて、できないだろう」
「見捨てる?」
「そう。明星館に来て今日まで色んな奴と話して、中にはもう友達と思っても良いかなって奴もいたけど、その中で一番は天草なんだよ。というか、俺の中ではもう友達だ」
よくこのような臭い台詞を臆面も無く簡単に言ってくれるものだ。天草はそう感じずにはいられなかった。どうしてこう、琴線に触れるようなことを平気で言ってくれるのか。嬉しくて、赤面していないかが心配だ。
と、同時に――嗚呼、やっぱり友達止まりなのかなって、小さな不安が膨れたりして。
「そんな友達が、1人でいるのを放っておけって言う方が無粋だろうよ。天草が迷惑じゃないなら、手助けしたいと思っている」
「……本当?」
それは願ってもない話だった。元より、その手掛かりを掴めればと思って大和を追い掛けてきたのだから、細部は違えど自分の望んだ展開になりつつある。その喜びが顔に表れたのか、大和もそれに笑顔で返した。
「本当。冗談で済ますほど、俺は性悪じゃないぞ」
「……ありがとう」
ああ、これは素直にお礼が言えた。欲を言えば彼の目を見て言いたかったけれど、それは今の私には難しい。直視したら、沸騰しそうなくらい自分自身が熱くなって堪えられなくなるだろうから。
いつか、あの夏のお礼はきちんと顔を見て、はっきりと言えるといいな。そう、心に誓う。
「お礼は結果が出てからで頼むよ。まぁ、結局は天草次第なんだけどな……明星館に誰か、俺達以外に知り合いとかいないのか?」
真宮勢はきっと天草の為に尽力してくれるだろうが、それでも味方が多いことに越したことはない。そう思い、尋ねてみた。
「知り合い、というか……顔見知りというか」
しかし、天草は急にきまりが悪そうな表情で返してきた。
「何だ、いるのか。その人にも頼ってみたりは」
「それは無理。できない」
天草はそうきっぱりと断言する。聞いた限り、まるでその顔見知りとは関わりたくないような、ある種の拒絶を込めた言葉である気がして、天草にも都合があるのだろう、と自分を納得することにした。その顔見知りの協力が得られない分、自分がフォローして上げればいいだけの話だ。
「ちなみにその顔見知りって、同じ中学の?」
その問いに、天草首を横に振って言葉を繋げた。
「剣道の大会で何度か会ったことがあるだけ。ただ、何て言うの? 悪く言えば馴れ馴れしい。良く言えば、距離感がバグってるって感じ?」
後者の方が何気に酷くないか、などと心中にツッコミを入れておくが、彼女としてはあまり思い出したくないことなのかもしれない。
「でっ、でも……一応靖道の方では友達はいるのよ。同じ部活だった人達とか」
「流石に部活だと、な」
彼女曰く、剣道で有名になり出してから、何やら友人と距離が遠く感じるようになったそうだ。
孤独ではない。友人はいた。しかし、密接な――それこそ俺達7人のような深い絆ではなく――間柄は築けず、どうも薄っぺらく感じてしまうらしい。
「メールでやり取りもしてるけど、本当に友達なのかなって。私だけじゃないかなってどうしても考えちゃって。貴方に生徒会のこと聞こうとしたのも、もっとメンバーと仲良くなれる方法が見つかるかも、って思ってのことだったの」
「なるほどね……」
彼女からしてみれば、俺をダシに使ったあの顧問の態度や周りの雰囲気からして、彼女の知る生徒会とは異なるモノだったのだろう。それで、きっと意を決する思いで俺に話しかけたに違いない。
「それは悪いことしたな。その後のこともそうだし」
その後は、完全な擦れ違いで妙な展開になってしまったのだ。あの一件で、彼女は生徒会の話を聞く機会を失ったことは事実。
「ううん、悪いことしたのは私。いつもなら、あんなことで怒ったりしないんだけどね。その日は、ちょっと機嫌が悪かったというか、調子が悪かったっていうか」
「ああ――目をこんなにして、言葉も今よりずっとキツくて、せっかくの美人が台無しになりそうだったな」
俺が目尻を指で持ち上げる仕草を見せると、天草はムスッと頬を膨らませて、それでも美人という単語に反応したのか、薄い桃色に染めた。
「意地悪。そんなに酷くなかったわよ」
そう呟くように彼女は言った。その後に見せた笑顔は朝日に照らされて輝いていて、でも何処か陰りがあるような――とにかく、とても愛らしいと、愛おしいと不覚にも思ってしまった。
これが彼女の素の姿。剣道に打ち込んでいた彼女も、学園内の彼女も、何処かフィルターのような壁を作ってしまっている。その壁を易々と乗り越えていける程、俺は主人公ではないだろう。
だけど、そんな俺でも、この彼女の魅力的な笑顔を日常的に引き出す手伝いはできる筈だ。現にこうして、俺に見せてくれた。本当の天草 桜花というモノを、見せてくれている。
絶対に、彼女の不安を取り払おう。希望戦艦の名に懸けて誓う。彼女に、最高の学園生活を送らせてやる。
「よし……」
話し的にもキリが良い。そろそろ帰ろうか、と切り出そうとすると。
「ね、ねぇ! それより、その……あ、貴方の、新開君の話が、聞きたいんだけど。他の皆のことも、一応」
これは意外。どうやらまだまだ帰れそうにないようだ。何やら言い訳がましい言葉を後から並べているが、乗り掛かった船は何とやらだ。付き合うことにしよう。
● ●
Intruder! Intruder! Intruder!
侵入者を示す、赤い窓枠陣が所狭しと広がり続けている。自然界では警戒色ともされているその赤色を、彼女は手で掻き消すように処理していった。
彼女は歩き続ける。赤で覆い満たされた無機質な鋼の通路を、平静に進んでいく。
向かうは1つ。侵入者の存在が確認された一室へ。目的は2つ。侵入者をこの手で引き裂き完膚なきまでに殺すこと。そして、アレの無事を確認すること。
“戦略破壊・血戦武装”第一研究所――彼女、淀峰 麗子の真の居城であり、世界の最先端を更新し続けている日本の裏の中枢。それだけにセキュリティは完備されており、第十三まである研究所の中でも難攻不落を誇るのがここだ。故に、こうして侵入を許していることは、相手は余程の手練れであり、かつセキュリティの超強化を検討しなければならない、という未来の不安が広がった。
そもそもの話、ここに無断で侵入するということは、日本人が行った場合は国家反逆罪で即死刑囚扱いである。外国の手先であるならば、国際会議にて強く糾弾しなければならず、国際問題に発展してもおかしくはない。
それが淀峰にとって非常に面倒であるのだ。故に殺す。例外なく、殺害して処理しておく。それが最も簡単で、最も都合の良い終わらせ方だ。
外政など知らぬ。どうでもいい。総理大臣は黙っていろ。傀儡政権に興味など無い。貴様等とて、一々他国との面倒事を増やしたくはあるまい。
最後の窓枠陣を取り払い、目的地へと到達する。いつものように、重々しい扉を開いた。
「――――」
何一つ変わっていない。それは電気を点けて部屋全体を明るくしても同じこと。隅に置かれた段ボールに詰め込まれた書類の角度も自分が記憶したそれと同一。なるほど、侵入者は早々と退散したようである。侵入はおろか、退散まで許すとはふざけたセキュリティだ。せめてどっちかは不可能なぐらいに究極的にしておけよ、と愚痴を零したくなる。
当然、ソレも間違いなく同じ場所、部屋の中央に安置されていた。
カプセル状の装置の中には透明な溶液に満たされ、浮かんでいる物体が一振り。
刀だった。正確に分類するのならば軍刀であるが、その形状はサーベル系統ではなく、通常の一般的な刀のそれに近い。
異なるのは、その刀身が深海の如く漆黒であること。白と金の装飾が端整に施された柄とは対照的な、強引に荒々しく塗り潰されたような色だった。
そう――これこそ“血戦武装”。現状において最高の兵器。そして、少年少女達に贈る最高の誕生日プレゼントのようなものだ。
何故、この武装だけ他の武装と異なる場所で安置されているのか。答えは彼女の心奥のみにある。簡単に説明するならば、この武装はどうしたって特別扱いをせざるを得なかったからだろう。今は厳重に保管してある他の武装の所へ、この武装を移動させるわけにはいかなかった。これは、史上最高傑作にして最悪の失敗作だから。
これに関しての言い訳としては、最終調整に手間取った、ぐらいが丁度良いだろう。事実、この武装の調整はかなり難解であったし、何よりもこれは適当にできない。
勿論他の武装も真剣に製造したし、手抜きなど一切無いが、気持ち的にこの武装は思い入れがある。いつも以上に気を引き締めて、ようやく造り上げたばかりであったのに、タイミング悪く侵入者という誤報かもしれない情報で要らぬ心配が増えてしまった。おそらくこの騒ぎで念の為にと、また全ての武装を再点検しなければならないだろう。侵入者は真剣に丁寧に存分に殺してやりたい。
また、眠れない。もうどれだけ寝ていないだろうか――そんなことを考えながら、 彼女は装置からその軍刀を取り出し、そのまましばらく見つめる。
遥か深海、超深奥の希望戦艦の名を冠する“血戦武装”が胎動した。
一億総特攻の魁となるのだ。
死ぬことが至上任務である。
違う、こんなのは間違っている。
それこそ大日本帝国に捧ぐ我等が忠。
天皇陛下万歳。
ただ、愛しているのです。
声が聞こえた気がした――気のせいだろう。彼等は死んだ。平和の為の犠牲となったのだ。あの地獄のような世を必死に精一杯生き抜き、椿の花が落ちるように悉く、あっけなく死んでいった。
嗚呼、全くお前が死んで、日本は滅茶苦茶だよ。軍人でありながら戦争を諦観して日本の将来を心配していた、心優しいまともな大和漢よ。結局はお前も沈んだし、実際全くまともじゃなかったが、それでも嫌いではなかった。
今も見ているか。お前の棺桶がこうして、お前と同じ意志を、同じ渇望を抱いた子供に受け継がれるぞ。良いよな? 安心しろ、決してお前のように間違えさせたりはしない。魔改造が過ぎたかもしれんが、貫く鋼の信念は何一つ変わっちゃいない。
「伊藤……私はお前を、死なせたくはなかったよ」
悔恨の渦に巻き込まれながら、彼女は英雄の名を口に真実の言葉と共に吐いて、その幼い顔を歪ませる。黒い刀身に、一滴、雫が垂れ落ちた――。
第10話までお読み頂き、ありがとうございます。
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皆様の声を聞いてみたいです。
次回更新も予定通り進めば四日後ぐらいにお届けできるかと。ストックがあるので、おそらく大丈夫だとは思いますが。
何はともあれ、本当にありがとうございました! 次もまたお読み頂けると幸いです!