第9話 読心する代弁者
第9話です。
お気に入り登録して下さった方、本当にありがとうございます。
この調子でどんどん色んな方に読んで頂けると幸いです。
それでは、どうぞ!
教師になった理由は、色々とある。まず父親が教師を職としていた。その背中を見てきたからか、教師という職業がどういうものかを少しは知っているつもりであった。その影響か、何となく人生の選択肢に教師という道が追加されていたのは事実だ。
そして明星館を卒業して、東京の大学で教育学部に進学したのは、学園長に薦められたから。『君は人に教える立場が向いているでしょうね』などと彼女は微笑んで言ってみせた。当時は将来のことなど微塵にも考えず、ただ遊んで過ごした高校3年間。それを彼女は当然知っているはずなのに、非常に自信に満ちた表情だった。
当然、ある程度は受験勉強をした。親も勿論応援してくれたし、担任の先生も最初は驚いていたが、すぐに過去問も提供するなど、協力の姿勢を見せてくれた。決して楽なものではなかったが、自分の人生においては3番目に勉強したに違いない。
それで何とか、奇跡的に合格して4年間は大学で教育学を勉強し、教員採用試験も必死になって対策し、臨んだ。これが2番目。
結果は不採用。落ちてしまったものは仕方ないと割り切り、さぁこれからどうしようか、と考えていた時に、久々に彼女から電話があった。
『明星館、来てくれる?』と、まるで過去に戻ったかのような――高校生であった自分に話しかけるような――口調は、ちっとも懐かしさや感動も生まれてこなかった。
彼女の誘いは願っても見ない申し出であり、当然断る道理も無い。母校でもある明星館学園で臨時講師として何とか雇われることになった。その翌年で試験に合格、晴れて正式に教師として、明星館学園に赴任した。
それから3年――別に教師の仕事を苦痛に思ったことは無い。確かに最初は失敗も多く、苦労はした。だが給料は貰っている以上、そして面倒を見てくれた学園長の面子の為にも弱音を吐いているようでは社会人として、何より自分という1人の人間として駄目だと考えているからこそ耐えてきたし、最近では楽だとも思えるようになってきた。会社員で営業として移動しまくるより、デスクワークで頭を悩ませるよりかは高校生相手に話をする方がずっと楽だろう。女子生徒からはチョコとかを貰えたりして、多ければ食費を浮かせたりもできる。男子生徒とは歳もそう離れていない為、話していて楽しい時もある。
唐突に、はっきりと宣言しよう。俺は生来不良とかヤンキーとか、浮ついた人種が苦手だ。中学校時代では、調子に乗り始めて粋がっていた連中とは何が何でも関わらないようにしていた。明星館でもその手の人間が決していなかった、というわけではなかったし、特に大学では俗に言う、チャラチャラした大学生を何人も見かけた。
更に驚いたのは、そういう人種が教育学部にもいたということだ。未成年だというのに平気で酒飲んだ、だの煙草吸っている、だのと自慢げに話している彼等が同じ教師を目指す仲間とは、正直思えなかった。
教師になるつもりならば規則正しい、誠実な人間として行動しろ! なんて正義ぶるつもりは一切無い。そもそも、それは正義の押し付けでありお節介というものだ。
加えて、決して見下しているわけではない。自分はそんなことができる人間ではないと自覚しているし、それは彼等の人生だ。いちいち口挟むべきではないだろう――俺は彼等の教師ではないのだから。
とにかく、俺は苦手なのだ。故に明星館での俺のやるべきことは、生徒を彼等のような人間にしないことである。華の東京、その武装学園でしかも寮での共同生活となれば誰だって浮足立つ。その3年間の結晶、青春は一生の宝物。その大切さは痛いほど、できれば何度でもやり直したいほどに理解できている。だから、生徒から青春を奪うようなことは決してしない。
異性間交流、万歳。合意の上での健全的性行為、まぁバレなきゃ構わないし、節度と限度さえ守れば好きにしてくれ。部活で流す汗や育む友情、最高じゃないか? 放課後に教室で友達や恋人と駄弁る光景、おお何て微笑ましい。寮内移動や寝泊り、問題を起こさなければドンドンやって良し。
だが非行に走ることは許さない。いくら明星館は対人戦闘行為がある程度推奨されているとはいえ、不必要な暴力や破壊行為等は見逃さない。高校生風情が煙草なんて吸うことも認めない。酒も同様だ。麻薬等の薬物使用は免職食らってでも半殺しにして叱ってやる。俺が教師である以上、生徒であるお前等は従って貰わなければならないのだ。
ある意味で、正しい青春をして欲しい。どうか捩れないで欲しい。自分達で自分達の価値を高めることが青春であり、逆に低めることは青春ではない。調子に乗れば、ただの犯罪だ。
要するに俺の、教師である為のモットーのようなものだ。
熱血教師を演じるわけじゃない。ああいう、不良とかヤンキーを更生させる感動物語はソイツ等ありきで成り立っているし、そもそも俺は熱血じゃない。ただ自分が苦手なだけで、それを教室に、学園内に置いておきたくないだけだ。
だから、コイツ等もそう。何やら学園長が言うにはキャラが濃いというか、一癖も二癖もある連中だそうだが、だからといってこっちが折れるはずがない。俺が教師で、コイツ等が生徒である以上、不良やヤンキーのような捩れた人種にはしない。そういうわけで、俺に嫌がらせなんかしないでくれよ、頼むから。
● ●
「長瀬だ。長瀬 博文。担当は日本史。1年間、このA組を受け持つことになった。まぁ、気軽によろしく頼むわ」
長身痩躯、身に着けたスーツをだらしなく着こなし、1年A組の担任として教壇に立つ彼はやや長い黒髪を邪魔そうに手で掻き上げてそう言った。
「ちなみに先手を打って言わせて貰うが、俺は少年非行とかそういうの、許さんから。何やらこのクラスは家柄が凄い奴とかいるみたいだが、そんなの関係無いぞ。俺が教師である以上、お前等は生徒なわけだ。だから、身分もクソも無いからそういうので脅さないように。先生は結構小心者なんだ」
眼前に映る少年少女――中には自分より背の高い生徒もいる――に警告しておく。予防線を張って少しでも面倒を減らすというのは常套手段だろう。
「俺に何されても良い奴だけ、好き勝手に暴れろ。物理的な意味で留年させてやっから」
すなわち、復学が間に合わないほど病院のお世話になるということ。やることは勿論、体罰。長瀬本人は体罰と思って実行する。昨今では何かと体罰が問題視されているが、約束を破ったのならば罰は必要だろう。義務教育とはいえ明星館を選んだ以上、それは生徒である彼等に課せられた責務の1つなのだから。
「そんでなぁ、今日の予定はアレだ。えーと、最初に自己紹介して貰おうかな。今の席は出席番号順だろ? じゃあ、1番、浅月から順に頼む」
出席簿を眺めて、天草の前の席に座っていた少年を呼ぶ。
「あー、前に来いよ。人前に立つってのも、結構大事だぜ。名前と、出身と、特技とか好きなもんとか、ご自由に。聞く方も質問とかあるんならしても良いから、好きにやれ」
そうして、自己紹介という、ある意味で外せない重大な交流イベントが始まった。
「さ、相良 和海、です。えーと、出身は真宮って所で」
順番が回り、ようやくさ行に入った。和海は非常に緊張しているのか、声が上ずり目も泳いでいた。いつもの口が悪い和海はどこへやった、と言いたげな6人であるが、こうも知らない人が多いと和海ほど顕著ではないにしろ、緊張はしてしまうのが年相応で当然なのかもしれない。
「と、特技ぃ? んー……あっ! 蹴るのは得意? じゃなくて、ええと……とっ、とにかくスポーツとか、身体を動かすのが得意だよ!」
そういえば小さい頃はよく彼女に蹴られたものだ、と大和は思い出に耽る。彼女の蹴りは印象的で、記憶にも強烈に焼き付いている。喧嘩となったら出るのはまず足。近所のガキ大将を蹴っては泣かせていたこともある。
「好きなもんって言ってもなー……あ、甘い奴。アイスとか、あぁ後は菓子が好き!」
せめて趣味も付け足せ、と大和は心中ツッコミを入れておく。好物ばかりで彼女のターンは終了した。
次は善吉。教室内で最も背の高い、巨きい男が前に立った。
「……真田 善吉。出身は真宮。ってか、こっから後5人も全員真宮なんで」
そう、善吉の言う通り後ろに控えるのは真宮勢。その次も真宮。その次も。
全員の名字が見事にさ行なのだ。相良。真田。司馬。白石。新開。須藤。戦場ヶ崎。おかげで学校内の行事でも何でも常に一緒。それが今回も遺憾無く発揮されている。せめて間に別の誰かを割り込むくらいできただろうよ学園長。
「バイトする予定なんで、店決まったら来てくれよ」
善吉がバイトするというのは、大和も知っていた。勿論、他の皆も。
遊ぶ金欲しさでバイトするのではない。彼には家庭の事情というものがある。バイトをして稼がなければならない身であり、中学時代ではそれを過剰になってしまった為、度々補習の対象となってしまっていた。
高校生という立場になったことで、できるバイトの種類は増える。今後、彼はバイトに勤しむだろう。もう以前のように毎日遊ぶことは難しいかもしれない。
「バイトか。わかってるだろうけど無理しない程度にな」
長瀬先生もその事情が事前に知らされているのか、特に追求せずに労いの言葉を掛け、終わりの雰囲気を見せていた善吉の自己紹介を締めた。
次は、問題児の千春。一番背の高い男子生徒のバトンタッチをジャンプして受け取ったのは、一番背の小さい女子生徒であった。
「司馬 千春です! 善吉君の言う通り、真宮出身だよ」
和海と同じ女子とは思えない、堂々とした振る舞いで長いツインテールをたなびかせて自己紹介を進めていく。千春は外見とは裏腹にどこか達観した考えを持ち合わせており、そのせいかこういう人前に立つ際の気恥ずかしさは微塵にも感じないそうだ。
「えーと、好きなものはゲーム! あとはほずみぃと同じでお菓子かな?」
ああ、ゲームといってもゲームの悪魔、あるいは申し子だけどな。流石全国ランキングを総ナメしたお方は余裕たっぷりでいらっしゃる。
この小動物のような女性は、ことゲームになると豹変して最凶の肉食動物に変貌する。格ゲーを始め、FPS、MMO、RPG、アクション、パズル……何でもござれのゲーム超人が司馬 千春なのだ。卓越したゲームセンスは他の追随を決して許さず、俺達のような一般人相手でも手は抜いても勝ちは譲らない、ある種の化物だということをこの教室の仲間は今後知ることになるだろう。それでもどうか、友達でいてやって欲しい。そこさえ除けば、彼女は愛くるしい馬鹿でしかないのだから。
兎の如く飛び跳ねているような足取りで次に交代したのは、またもや背の高い男子生徒、志月。
「白石 志月です。出身は……もう良いかな」
甘い声だった千春と打って変わって成熟した、落ち着いた雰囲気を醸す声の主。誰がどう見ても大人びた彼は、聞き取りやすい速度で自分の趣味や好物を言葉にしていく。
「……というわけで、僕はアニメとか、漫画とか好きなんですよ。世間的に言えば二次元オタクですね。だから平気でライトノベルとか読んだり、その手の話をしてしまって皆の気分をもしかしたら不愉快にしてしまうかもしれませんが、どうか仲良くしてください」
一礼して、話を締めた。
平均して3分くらいだった自己紹介を長々と10分以上も話した志月。完全にスイッチが入ってしまっていて、声は熱を帯びて止まらなかった。隅に控えていた長瀬先生も止める気力を無くしていたのか、とにかく凄い内容の濃さ。流石と言うべきだろう。9割方は志月本人に直接関係ある者ではない、アニメ作品等の紹介だったが。
次は、新開。そう、俺だ。
頑張って、という志月の声に軽く返事して、教卓の前に立つ。これでも中学では生徒会長をしていたし、人前で話すというのは慣れている。全校生徒が相手であった頃に比べれば、この人数は大したものではない。
不意に、天草と目が合った。彼女の自己紹介の時は男女共に色めきだった声が多く、しかしそれでも彼女はそんな声に左右されずに堂々と、自分をしっかり保って振る舞っていた。ここ最近では赤面した表情ばかり見ていたが、彼女とて基本は冷静な人間なのだろう。少しネジがおかしいだけで。
俺にそういった声は無い。当然だ。彼女のような老若男女問わず人を惹き付ける魅力などは持ち合わせていない。それくらいは自覚しているから、別に残念なんて感情は湧いて出て来ない。すなわち重要なのは、俺にはハンデが無いということだ。
彼女はもう慣れていたのかもしれない。しかし、女である彼女は結果的には立派に自己紹介をしてみせたのだ。それを男である俺が、ハンデ無しで彼女以上に振る舞わなければならない。これは意地。単なる幼稚な、加えて一方的な敵対心。
「新開 大和です。先の4人と同じく、真宮市という所の出身です」
ただ淡々と、自己PRほどではないにしろ、聞こえやすいように心掛ける。高橋先輩に教えて貰ったことだ。相手に聞いて貰うには、聞こえやすくすること、その努力をすること……変人で奇想天外で、摩訶不思議なまでに変態な彼女であるが、生徒会長としての能力は非常に優秀であった。当時の俺でもその言葉に、いつものおふざけは一毛たりとも組み込まれていないと直感的に理解できた。
「最近は健康に気を使っています。寮生活とはいえ、1日3食と十分な睡眠を目標にしていこうかと」
少し年寄り臭いかもしれないが、本音だから仕方ないだろう。趣味と言われても趣味らしい趣味は無いし、好物も特に見当たらない。バイトも悩んではいるが、それは今後次第だ。
「他の6人共々、どうかよろしく」
嘘偽りの無い内容を少し話し、締めた。特に盛り上がりも無い、平凡な自己紹介であったかもしれないが、それでこそ新開 大和の紹介としては大成功だろう。
和海のような愛らしい特徴のある人間ではない。
善吉のような大きく逞しい人間ではない。
千春のような遊び心を備えた人間ではない。
志月のような誠実で賢い人間ではない。
崇のような楽しく明るい人間ではない。
戦のような冷静で不動な人間ではない。
天草のような魅力ある綺麗な人間ではない。
そう、俺は俺なんだ。新開 大和という1つの個でしかない。だから俺らしい、良く言われる“つまらない”自己紹介で十分なのだ。欲は無い。持ってはいけない。自分らしさを偽ってアレコレと手を出す必要なんて無いのだ。
大いに満足だ。これで次の崇も、戦も、安心して聞くことができる。
「うっす! 須藤 崇って言います! もう出身は良いよな」
元気良く崇が前に躍り出る。昔からコイツは教卓の上に乗って演説紛いのことをしてきた為、この手の注目を集めるものは得意だろう。事実、崇の話は下手な芸人より面白い時もあるし、今のこの教室でも小さな笑い声が聞こえる。普段は馬鹿なことしかしていないが、須藤 崇はその程度の認識では留まらない。
「まぁ、こんなうるせぇ奴だけどさ、よろしくな! んじゃ、次で長かったさ行も終わりだぜ。仏頂面で言葉も一々キッツい奴だけど、仲良くしてやってくれな!」
さり気なく次に控える戦を紹介し、立ち上がった彼女にバトンタッチの手を求めようと挙げた。そのすれ違い様に、彼女にボディーブローを食らったのは言うまでも無く、そのリアクションでまた笑いを引き起こしたのは崇ならではの手法だろう。
「――」
しかし、その温かった空気が急速に冷めていった。彼女が前に立ったことで、崇の起こした笑いも一気に失われた。
鋭い眼光が射抜く――俺達はもう慣れたが、初対面では彼女の醸し出す雰囲気が異質と気付き、近寄りがたい印象を持つに違いない。事実、彼女は小学校6年間、友人と呼べる友人が一切存在しなかった。それどころか俺達と出会うまで、同学年と交流を持つことは殆ど無かったらしい。
ある程度需要があるだろうショートの黒髪で、ウケの良い中性的な美形であっても、彼女の家柄がその畏敬という印象を付随させている。笑えばきっと美しい。しかし、それを素直にできないし、できてもその顔に見合った感想はきっと返って来ない。何故なら彼女は戦場ヶ崎だから。
戦清会という極道組織の一人娘は、一般人からして見れば天華族とはまた違って関わりたくない存在に違いない。何故なら彼女は生まれた瞬間から構成員4万人以上の上に立つことを定められた、ある種の王に他ならないからだ。
彼女は異質。言うなれば不純物。一般人が多いこの教室において、彼女は間違いなく浮いた人間だ。
「戦場ヶ崎 戦。戦争の戦という漢字を2回も使う羽目になっている」
静かに呟いた。教室の生徒達は彼女の自己紹介から耳を離せない。
それはおそらく、無意識下の恐怖による支配統制。天草のように惹き付けるのではない。崇のように雰囲気を温めるのではない。ただ言葉を出すだけ。しかし常人とは異なる生き方をしてきた人外の言葉は、それだけで耳を貫く力があった。
「可笑しな名前だとは自分でも思う。ついでに気に入っていない。遠慮なくセン、と呼んで欲しい」
そう――本当にふざけた名前だ。男として育てたのは良いものの、どうしてこんなインターネットの掲示板で笑われそうな名前にした。
戦。読みはいくさ。肉体的に女の我が子に付けた名前を、父である富嶽は誇らしげに思っているらしい。戦事の多い極道社会で生き抜く力を持った人間たれ――なるほど、父上はつまり、こう言っているのですね。戦え、と。
よし、了解したよ親父殿。ならば俺は貴方のご期待に必ずや添えてみせましょう。名の通り、戦事で生き抜いてみせましょう。気に入らない手下がいれば、ソイツ等の指を1本ずつ跳ね飛ばしてご覧に見せましょう。不要な組は1人残さず、事務所ごと破壊してみせましょう。それが貴方の望む私なら――俺は戦に生き、戦に死にましょう。
「趣味は昼寝。好物は肉だ」
思い切り戦いましょう。存分に暴力を振るいましょう。私は女であることを捨て去ります。身体は女でも、心は男として、戦場ヶ崎 戦を作り上げます。
「以上7名、真宮市からこの明星館学園に来た田舎者達だ。どうぞ、よしなに願う」
口を薄く歪ませて、三日月状の笑顔を作る。妖艶。その笑顔を最も形容できる2文字がこれだ。男らしい口調の和海とは違う。男と違わぬ口調をした女子生徒はゆっくりと歩いて自らの席に戻った。
凍り付いた雰囲気を溶かすように、長瀬先生は次の生徒の名を呼ぶ。ここまで無音だった自己紹介はそう無いだろう。気になって後ろを振り返って見ると、崇が既にちょっかいをかけていた。当然の如く暴力で黙らされている。
大和の懸念事項は、戦に真宮以外の友人ができるか、ということであった。外部の人間として、天草とは話をしているが、自分達の域には程遠い。というより、彼女は自分達とは話さない、究極に閉鎖的かつ依存的な人間であるのだ。自分達という殻を破り、新しい交友関係を開拓することも重要だとは、彼女も理解しているに違いない。とはいえ、彼女をこのような完結した人間に完成させてしまったのは、他ならぬ大和であるわけだが。
● ●
自己紹介を終えて、次に担任の長瀬先生から知らされた予定は、先程新入生に演説を広げた淀峰 麗子という人による面談らしい。採血とちょっとした世間話をするだけらしいのだが、A組から順に今日から行っていかなければ期日までに新入生全員分の“血戦武装”を返せないそうだ。
私の前の浅月君、という無口な――見間違いか、少し疲れたような顔をしている――男子生徒と入れ替わるようにして、淀峰 麗子という名前プレートが貼り付けられたドアを開けた。
「失礼します」
室内は小児科のように机に診察台、人体骨格模型などの備品が揃っており、その中央に椅子で深く腰掛けた彼女、淀峰 麗子はさながら医者の位置にいるようであった。
「おお、天草 桜花だな。随分と特攻しそうな名前じゃないか」
「は、はい」
それは特攻兵器である航空機『桜花』のことを言っているのだろうか。私はそんな人を死なせる兵器のような女ではないと思うのだが。
「まぁ、座れよ。聞いていると思うが、今日は採血をする。だから制服の上着はあらかじめ脱いでおいてくれ」
舞台に現れた黒い着物を今は着用しておらず、代わりに真逆の色、小さい体型に不釣り合いなサイズの白衣を着こなしている。おそらく歩けば引き摺るだろう。
「ほう……剣道が優秀だな。凄いじゃないか。武装の形状は決まったようなものだな」
事前に学園側から渡された天草 桜花の個人情報が記載された資料を読んで、淀峰は素直に感心の声を出した。中学生とはいえ全国大会を個人戦三連覇というのは、非常に人間として優れているだろう。
「ありがとうございます」
「それで、明星館でも剣道はやるのか? 部活は存在するぞ?」
「あ、いえ……」
天草は高校に入学してからは剣道を続けるつもりは無かった。それは中学全国制覇を成し遂げる前から決めていたこと。
剣の道を歩くことに苦痛を感じたことは無く、また挫折はあっても絶望を感じたことも無かった。
それでも少しだけ、“スポーツ化した”剣道から離れてみようと、あの夏から思っていた。しかしそれよりも、剣道を除けば自分には何が残るのだろう――自らを使った実験的な意味合いの方が強い。
「何だ、やらんのか。勿体無いが、本人がそう言うなら仕方ないな」
淀峰は本当に残念そうに表情を作り、資料を捲る。
「……兄弟はいるのか? あるいは姉妹か」
「へ? あ、姉と兄がいますけど」
「ほう、天草 美緒と天草 寛人か?」
彼女は名探偵よろしく、どういうわけか自分の姉と兄の名前を言い当てた。これには驚きを隠せない。
「な、何でですか!? 何で知って……?」
「ん? そりゃ明星館の卒業生だからに決まっているじゃないか。天草なんて名字はそうあるものでもないし、何より少し似ている」
そういえばそうだった、と天草は自分が明星館を選ぶ要因になった事実を思い出す。
自分は姉と兄の明星館の話を聞いて、進学を決定したのだった。2人から飛んでくる明星館の魅力が詰まった情報は、卒業生であった2人だからこその説得力を有していた。
「2人は元気か? 特に美緒の方は無駄に私に絡んできた記憶があるが」
「すっごく元気ですよ。今は大学も卒業して、入社2年目です」
姉である美緒は非常に明るい性格で、常に友達に囲まれて、更には教師からも好かれていた。私とはまるで真逆な。とても羨ましくて届かない存在。淀峰が覚えているのもその為だろう。
「ほう、会社員か。まぁ顔も良かったから結婚はできるな。寛人はえーと、大学生か?」
「はい、今年で3年生です」
対して兄の方は口数少ない、寡黙な性格であったがコミュニケーションスキルは高い為、浮いた存在であったわけではないだろう。真面目であったし、学業に関しては優秀であったことから、淀峰の記憶にあるのではないだろうか。
「まぁ、アイツなら基本的に上手くやっていけるだろう。で、問題はお前なんだが」
丸椅子をくるり、と一回転させ、そのまま椅子ごと天草に近付いてきた。
「な、何でしょうか……?」
「顔が上の2人より良い分、かつ剣道の功績でまるで高嶺の花みたいな扱いを受けてきたと見るが」
淀峰の言葉が天草の心を射抜く。どきり、と心臓の鼓動が高鳴ったのを感じた。
「友人はいた。だが付き合い程度だったんじゃないか? 仲が良いと自分で思っているだけなんじゃないか、そんな不安をいつも抱えている」
「そ、そんなことは……」
天草の心が見透かされている。反射的に出た否定の言葉は自己防衛。自身の本音を悟られたくない。しかし彼女にはその言葉の壁も無意味だった。
「男子生徒からも話しかけられたことが全く無い。どうして他の女の子みたいに気軽に声を掛けてくれないのか。何故自分だけあからさまに接する態度が違うのか。自分の何が悪いのか全くわからない。どうしようどうしよう……」
彼女はまさに代弁者。本音を言えない者に代わって、簡単に言葉にしてみせる超常的な存在。心を見通し、囁くように責め立てる彼女は悪魔に似ていた。
そう、代弁者もまた悪魔の1つ。心を食い潰し、その溢れた甘い蜜を至上の美味と一心不乱に舐めて吸い尽くす。
天草は恐怖した。彼女は、淀峰 麗子は真に人間なのか。自分の過去を調べたにしては、やけに天草 桜花本人の真意を汲み取ったような表情と言葉の選び方だ。これは心中を覗かなければ不可能。故に確信できる。この目の前にいる彼女は、間違いなく心を読んでいる。
思えば、一生徒をそう都合良く記憶しているはずが無い。教師ならば有り得る話だが、彼女は研究者、教師ではない。他に記憶するべきことは未曽有にあって、研究対象であった人間の名前なんて一々覚えているはずが無い。故に彼女は天草の心を読んだ。姉の記憶とその心情を、兄の記憶とその心情を、覗いて答えてみせたのだ。
「だから嬉しかった。他校の人間が、あんなに私と真剣にぶつかって、見てくれた人が堪らなく嬉しかった。剣道が凄い人、なんて余計な知識に頼らず、私という本質を見抜いてくれる人はあの人しかいない。それが明星館で再会できるなんて素敵……何てロマンチック。何て運命。初めて真なる殿方を見て、胸が張り裂けそうなくらいにきゅんきゅんしている」
言葉を発することができない。彼女の言う男性と、今思い浮かべている男性は限りなく同一なはずだから。
「一目惚れ? そんなに新開 大和が良いのか?」
だから悪魔は、嬉しそうにその名を言ってのけた。
「男を知らんよ処女が。一毛も理解していない。男を見る目が無さ過ぎるとか、そういう次元の話じゃないな、壊滅的だ」
それは――。
「それは男の子と関わりを持てなかったから? いいや、それでも新開 大和は無い。第一、天草よ。お前は奴のことを何一つとして知らんだろう? 助けて貰って吊り橋効果で濡れまくって発情でもしたか? 自分を同級生みたいに畏敬紛いな対応をせずに、1人の人間として普通な対応をしたからか? それは奴にとっては何でもないよ。好意の表れではない」
「あ……貴女だって彼のことを知りませんよね……」
身体全体が熱くなる。何故なら彼女の言っていることは何もかも本音過ぎるから。それでも反抗しなければ自分を保てなくて、震える声を絞り出した。
「知っているよ。奴が生まれた時から、いや生まれる前から知っている」
しかし返ってきたのは、最早嘘でしかないだろうと思わざるを得ない言葉だった。
「意外か? しかし事実だ。正確には、私は奴みたいなイカれた存在が他にもいたから知っていた、だな」
イカれている? 新開 大和が? どうして?
「気付かんか。まぁいずれは知るだろうよ。アレは普通じゃない。アレは私なんかよりよっぽど人外だよ。狂気そのものだ」
彼女の言っている意味が理解できなかった。唯一わかるのは、彼女が彼を、何よりも人間扱いしていないということ。それは私が受け続けてきた扱いのどんなものより酷く劣悪で、実に冷たい。それがどうしても許せなくて。私を真に見てくれたのは彼が初めてという真実は変わらないから――私は恐怖を跳ね除けて、彼女を睨んだ。
「違います」
心底震えている。彼女から放たれる威圧感が痛い。それでも、はっきりと声に出した。
「彼は確かに、普通の男の子ではないでしょうね。それは話していてもわかります。考え方が古いというか、頭が固いというか……でも、それは異常なんじゃなくて個性だと思います。少なくとも、私は彼をそう見ている……決して狂気なんてものじゃない」
言い切った後、しばらくの間睨み合いが続いた。部屋は完全な無音。それでも繰り広げられている視線の攻防を破ったのは、淀峰だった。
目を伏せ、天井を見上げる。恐る恐る天草も釣られて上を仰いだ。
パカリ、と天井の板が外れ、ビックリ箱のように飛び出してきたピエロの人形。天草の鼻に掠るか掠らないか、すれすれの位置までにその顏が迫ってきた。
「にゃぁぁああ!!」
「ぶはっ! 猫みたいな声だなお前!」
伸び縮みするバネをくねらせて、ピエロは天井の穴へと戻って行き、板も自動で閉じた。
「天草 桜花は猫に近い奇声を上げて驚いた、と」
笑いを噛み殺しながらなにやら別の資料にメモをする淀峰。一方ようやく心臓の爆発的な高鳴りが収まった天草はわけがわからないといった表情で、問うことも忘れているようだ。
「ああ、すまん。私の趣味の実験でな。今年はこれを新入生全員に行う。だから他言無用で頼むぞ。知ってしまったら実験にならんからな」
「ひ、人騒がせな実験ですね……!」
「そう言うな。で、さっきの話の続きだが、悪いね。少しお遊びが過ぎたようだ。先に詫びを入れておく。すまなかった」
自嘲気味に声のトーンを落とす。どうやら本当にやり過ぎたらしく、反省もしているようだ。
「天草、お前の考えている通り、私は君の心を読んだ。どうか気を悪くしないでくれ。“血戦武装”を造る為にはどうしても心を読まなければならんのだよ。話すだけでは足りないのさ。私が生徒の本音を暴き、実感して貰わなければならない」
彼女は一息入れて、言葉を繋げる。
「まず自分を知ることから始める。だから、まぁ、その……新開 大和のところは完全に蛇足だ。私も調子に乗り過ぎた」
それは聞き捨てならない。そんな乙女の心を赤裸々に語っておいて、蛇足とはどういうことだ。
再度身体に熱が帯び、火照ってくるのを感じた。思い出すだけで恥ずかしくて死んでしまいそうになる。
「そう気を落とすな。安心しろ、この部屋は防音仕様だから私達2人だけの秘密だ。そう考えるとワクワクしてこないか?」
「しませんよ! というかそういう問題じゃないんですよ!」
「それもそうか……ま、まぁ済んだことだ。ほれ、採血するぞ」
「話を進めないでください」
「ええい、その話は終わった! 未来に目を向けろ若者め! とっとと脱げぃ!」
その後にもぎゃあぎゃあと言い合い、何とか下着姿になって採血が始まった。
「んくっ……」
「こんな細い針を刺されて血を吸われるくらい、我慢しろよ。これだから未通女は」
注射器と性経験がどう関係しているのかよくわからないが、もう反応するのも疲れてしまった。
腕から注射器の針が抜かれ、止血の絆創膏を貼って貰う。淀峰はその血を眺めて、満足げに呟いた。
「うむ。これなら期待できるな。ああ、もうその西瓜みたいな乳を私に見せつけなくていいぞ。死にたくなるから早く仕舞え」
「すっ、好きで見せつけているわけではありませんっ!」
またこの胸をからかわれた……男性を落とす為の女性の武器としては非常に破壊力があるのだろうが、自分にとってはデメリットが多過ぎる。
「ちなみに参考として聞いておきたいんだが、スリーサイズを上から言ってくれないか?」
「えっ? えー……ひゃ」
言葉が止まる。余りにも不自然な質問であったはずなのに、ついつい答えてしまいそうになった。
「い、い、い、言う訳ないじゃないですかセクハラですよ!」
「答えようとしていた奴に怒られても説得力が無いんだが……まぁどうせ健康診断で見せて貰うから構わん」
権力濫用にも程がある。ぐぬぬ、と悔しがりながらも彼女の目から隠すようにしてシャツを閉じてブレザーを着込み、身なりを整えた。
「あ、最後にもう一つ」
「……何ですか?」
淀峰は、この部屋に入ってきた時から気になっていた彼女の異常について、遠回しに聞いてみた。
「お前、最近調子とか悪くないか? 例えば気分が悪くなったり――変な夢を見たり」
その質問には、またしても反射的に嘘を吐いた。
「いえ……そんなことは」
首を横に振り、否定する。
その嘘を、淀峰はきちんと理解した。彼女が抱える病魔を、違うことなく狙い定めた。
「そうか……じゃあ、次の奴を呼んでくれ。くれぐれも実験のことは言うなよ」
このような少女に、これ程の陰りがあるとは思えなかった。しかし目の前にあるのは真実。オウカノカゲリ――彼女の心はこのまま放っておけば、食い潰される。
「ありがとうございました……」
いっそ実験のことを全員に言ってやろうかとも考えたが、後が怖い。素直に従うことにする。
何やら疲れてしまったが、これで武装化できるなら安いものかもしれない。とりあえずお礼は言わなければと思い、天草はドアの前に立ってお辞儀をする。
「おう。こちらこそ……あぁ、それとな」
顔を上げると、彼女は資料を捲りながら、こちらを見て微笑んだ。
「私はお前の姉も兄もきちんと記憶していたよ。別にあの二人みたいになれとまでは言わんが、友達は作れ。きっと明星館ならできる。あの二人もそう言っていただろう?」
今日話した中で最も優しい声だった。
● ●
何やら疲れている表情だったので体調が悪いのかと思い、部屋から出てきた天草に声を掛けたら、何故か思い切り頬を叩かれた。もうさっぱりわからなかったが、最早何も言及すまい。
そうして部屋の前で一列に並び、クラスメートとの雑談をしていたらようやく俺の名が呼ばれた。
「しっかりね……」
すれ違い様に志月が、酷く疲れた声で励ましてくれた。この部屋の向こうには一体何が待ち構えているのだろうか。
考えていても埒が明かん、そう決意して部屋に入った。
「失礼します」
ああ、と返事をしてきた淀峰 麗子の姿を確認し、ドアを閉めた。
振り返ると、ピエロがいた。正確には宙吊りになった、まるでビックリ箱から飛び出してきたようにビヨンビヨンと上下に揺れている、何とも滑稽な道化が眼前に現れていた。
危険――その信号が腕に伝達し、反射的にそのピエロを殴り飛ばしていた。仕掛けが壊れ、バネごと天井の穴から取り外れたピエロは淀峰の机に勢い良く載る。
「……あ」
もしかするとこれは淀峰なりの緊張を解きほぐすトラップだったのでは? そう考えると、自分はそれを思い切り壊してしまったことになる。やってしまった。
「……玄一郎はどういう教育をしとるんだ」
怒ってはいない。悲しんでもいない。何とも微妙そうな、仕掛けた本人すら予想していなかった行動にどう反応すればいいのかわからない、そのような表情を浮かべていた。
「す、すみません……って、え?」
何故彼女が、祖父の名を? その疑問が顔に出ていたのか、彼女はさらりと答える。
「何だ、喜美や本人から聞いてないのか? 私と玄一郎は友人だよ。というか、お前が赤ん坊の時にわざわざ真宮に出向いておしめを取り換えてやったこともあるぞ」
「なっ!?」
「嘘だと思うなら玄一郎に尋ねてみるんだな。とにかく座れ」
言われるがまま、指差された椅子に誘われる。仙道学園長といい、新開 玄一郎は一体に何者なのか。自分の祖父ながら不明過ぎる。過去を話したがらない性格で、本人が嫌がるならば聞くまいと考えていたが、せめてこの2人の女性との関係性くらいは今度尋ねてみても罰は当たらないだろう。
「……戦争をどう思う?」
手元にある資料を訝しげに眺めながら、唐突に彼女は妙な質問を飛ばしてきた。
「戦争……ですか? どうも何も、無い方が良いですよね」
「ふむ。戦争を嫌うか。いやそれは勿論善いことだよ。今の時代の人間ならば当たり前だろうさ」
「確かに嫌いですね。できれば徴兵はされたくありません」
「おいおい、“神開一新流”を受け継いでいる男にしては随分と情けないことを言うじゃないか」
「俺は人に暴力を振るう為に得たわけではないので」
「笑わせる。真にして偽なる殺人拳だぞ。武装化においても私は非常に期待しているんだ。まぁ……特に興味が尽きんのは、お前の本音だが」
てっきり期待しているのはこの戦闘術かと思っていた。それなのに、俺の本音だと? 何が言いたいのか。
「なぁ、教えてくれよ新開 大和。お前はどうなりたいんだ? 悪人をやたら滅多に叩きのめす正義のヒーローか?」
「……質問の意味がよく」
「わからない? そんなことはないはずだよ。お前は強くなりたいんだろう?」
大和は知らない。彼女の前ではどのような隠し事も全て曝け出されて見抜かれる。彼女は心が読めるのだ。どのような方法で心奥を覗いているかは知らないが、確かに彼女はその力を持っている。
故に大和の心も見える。故に恐ろしくなる。今すぐ嘔吐したくなる気持ち悪さを必死に抑え込む。これは――思った以上に歪みが酷い。ある意味で真っ直ぐ過ぎると言えるだろうか。
玄一郎……お前は息子だけでなく孫までも規格外の怪物にしたのかよ。
心中、かの同胞に嫌味のような言葉を贈る。それは紛れも無く彼女が畏怖していることに他ならない。この新開 大和は危険だと。第二の“アレ”になりかねないと。
「強くなりたい。強くなりたい。強くなりたい……当然だよなぁ、男だから。『真実、強くなければ男として生まれた意味が無い』と、物心つかないガキんちょの頃から刷り込まれてきたんだろう?」
否。決してそれは違う。確かに新開家という環境はそのようなものであった。しかし、彼の異常――天草が言うには個性――はそんな環境で左右されるような脆弱なものではない。
生来、母の胎内に存在していた時からこの少年は強さを欲する人間だったのだ。それを淀峰が気付いていないはずがなく、しかしあえて事実を覆い被した言葉を選んだ。
「お前ほど渇望している奴はそうはいないよ。少なくともこの世界において、間違いなくいない。それだけお前は狂気なんだ。狂っている」
「……強くなりたい、というのは本当です。それが他の人よりも強く願っていることも、知っています」
玄一郎の面影がある少年は自覚していた。自分はどうかしていると。何かがおかしいと。その歳になってまで、まだそんな子供染みたことを言っているのか、と。
「そう、お前は知っている。知っていて、止められないんだ。何故なら止めてしまえば強くなれなくなるから」
新開 大和は強さを得て満足することは無い。故に増長することは有り得ない。彼が喜びを感じているのは、強くなっている間のみ。強くなることに溺れているのだ。
「じゃあ聞くが、強くなってどうなりたいんだ? 何がしたいんだ?」
大和の思考が凍結した。
それはごく普通の疑問。故に誰も尋ねられない。簡単だ、男として女を守れるようになりたいから。仲間を守れるようになりたいから。そう答えれば良いはずであるし、それが正解だ。大和は心底そう思っている。思っているのに、言葉にできない。
強くなりたい。それは女を守る男が下された至高にして至上の命令。己に命ずる、強くなれ、と。
「強くなって守れるように、か。そう言いたいんだな」
淀峰が代弁した言葉に力無く頷く。一体自分はどうしてしまったというのか、自分は何がしたいのか、不明瞭に溶けていく。
「ああ、気にするなよ。言えなくたって、恥ずべきことじゃない。ただその対象が曖昧で漠然としているだけで、普通に言葉が出なかっただけだろう」
本当にそうだろうか。大和は自分を疑う。まるで、自分の知らない本能がその甘い渇望を許さなかったような……そんな気がするのだ。
「俺は……」
「……さっき私は言ったな。お前ほど強く渇望している者はこの世界にいないと。あぁ、それは確かに間違いない。だがね、正確にはもう1人いたんだよ。私のよく知る男だった」
気分転換を図っているのか、彼女は不意に昔話を始めた。大和と同じく、強さを追い求めた男の話を。
「ソイツも強くなりたい強くなりたいってお前みたいに吠えまくってなぁ。理由も同じさ。仲間を守りたい。女を守りたい。この大日本帝国を守りたい。男だから、それが当たり前だ……ってな」
懐古に満たされた声。彼女にとって、特別な人間だったのだろう、ということが窺える。
「お前を見ていると、ダブるんだよ。アイツが蘇ったみたいで……そんなはずは無いんだがな。お前は新開 大和。アイツは伊藤 整一。生まれも育ちも、何もかも違う」
その名に、聞き覚えがあった。
「戦艦『大和』の伊藤 整一提督のことですか?」
「何だ、知っているのか。玄一郎に吹き込まれたか? 玄一郎も伊藤に懐いていたしな」
知っているも何も、俺の目標である人物だ。
「日本軍人でありながら、戦争の先を見据えて、何よりも日本の将来を考えていた人」
「はっは! 軍人失格よな――本当に虚け者だったよアイツは。私は好きだったがね」
軍人失格、そうかもしれないが人間としては大成功、最高なのだ。
一九四五年四月七日 坊ノ岬沖海戦――戦艦『大和』が作戦を実行できなくなったとわかり、沈没する前に独断で作戦を中止。若い乗組員達を中心に退艦命令を出し、多くの人命を救いつつも、伊藤提督は最後まで退艦を拒否し、『大和』と共に海に沈んだ真の大和漢。
「俺は……あの人みたいになりたいです。例え、俺と同じ渇望を持っていて、同じように狂っていたとしても」
その願いを、淀峰は受け入れた。
「なれるさ。お前は自分の、真の狂信的な祈りにも似た渇望を理解しているんだ」
「――はい」
「それがわかっただけで十分。変なことを口走って悪かったな。じゃあ、採血するから脱げ」
そう言うと彼女は掴みかかって大和の服を脱がそうとする。
「え、ちょ、自分で脱ぎますから!」
「おいおい童貞臭いぞ。別に減るもんじゃないんだから、早く脱げ。さぁ脱げ」
涎を垂らした猛獣のような顔をされてその台詞は非常に危険だ。大和はそう直感し、ひん剥かれないようそそくさとブレザーとカッターシャツを脱ぎ捨てた。
「ああ、そうだ。お前、伊藤のような男になりたいと言っていたがな。それならとっとと好きな女を作れよ」
懐かしい戦友のことを思い出し、今大和に最も欠如している所を伝える。
「――え?」
注射器を確かめながら、彼女は大和の疑問に答えるように言葉を進めた。
「アイツには愛している女性がいた。もうとんでもない愛妻家でベタ惚れでな。最期まで――」
新開 大和は愛を知らぬ。故に、女を愛せよ。伊藤 整一は愛を知っていたぞ。愛しき最愛の千歳殿を愛したぞ。お前も奴みたいになりたいならば、愛を知れ。戀を讃えろ。
「――そう、最期まで愛する女性を想いながら死んだよ」
注射器が鮮やかな赤に満たされていった。
第9話までお読み頂き、ありがとうございます。
お楽しみ頂けたでしょうか。少しでも暇つぶしとなっていれば、嬉しいです。
次回更新もより読者の皆様に満足して頂けるよう、推敲を重ねて納得のいくものに仕上げたいと思っております。本当にありがとうございました!
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