メイドとレースのドレス
チカちゃん、と両親は私のことをちゃん付けで呼ぶ。
ずっと子供が出来なくて、ようやく授かった宝物みたいな子だから、ほんとうに可愛いからって言われて、他の子の親みたいに呼び捨てで読んでほしいとは言えなくなっちゃったけど。
今、両親は私の遺影に手を合わせながら、「チカちゃん」て祈っている。
もっと美味しいものを食べさせてあげたかった、とか。
もっとたくさん話せば良かった、とか。
あの時迎えに行っていれば、とか。
すごく自分を責めている二人がいる。
仏壇には私の好物ばかり上がっている。二人でお祈りした後、食卓に全部置きなおして、『三人で食事』して、少しも減らない『私の食事』を、寂しそうに見る両親…。
だめだ、泣きたい。
こんなのって無い。
どうしよう。両親にこんな思いさせる気なんて何にも無かったのに。
「チカコ、帰る決意は固まったかい?」
ぽわん、と目の前に『神様』が現れる。
神様というより天使のような、金髪でお腹がぷくっとしたキューピッドのような姿の『神様』。
「これは、本当のこと?」
「今現在、この瞬間のチカコの両親の様子だよ」
「じゃあ、私が帰れば、なかったことになるの?」
「5年前まで遡るから、無かったことになるよ」
そうなんだ。
やっぱり、私は帰らなくちゃいけない。
両親のためにも。
そして、旦那様のために、離婚しなくちゃいけない。だから!!
「あと少しだけ、待って! 嫌われてみせるから!」
そう言うと、『神様』は、「ちょっとだけだよ」と笑って消えた。
○○○○○○○○○○○
そういえば、遺影の写真を見て思い出したのだけれど、中学生の私はとってもとってもダサかった。
癖っ毛をひっつめて結んでいたし、眼鏡だったし、極め付けに歯科矯正もしていた!
そのまんま、笑顔に矯正が光る遺影の写真は、私の乙女心も合わせて撃墜されてしまいましたとも…。
でも今の私はそんなことは無いんだ!
癖っ毛をさらに巻いてお嬢様なロングヘアだし、視力と歯並びは魔法で矯正されてもう眼鏡も歯科矯正装置もいらないし。
それに、結婚してからのメイドさんたちの尽力により、私の肌や髪の艶は凄いことになっている。もうぴっかぴかのさらっさらなのだ。
プロって凄いよねぇ。
今日はそんなメイドさんたちに周りを囲まれながら、次のパーティーの衣装合わせをしている。
「やはりチカ様には、コーラルピンクやパステルブルーがお似合いでしょう」
「裾をスパンコール、襟元はレースですわね!」
メイドさんたちは普段は絶対にお喋りしないザ・仕事人なのだけれど、衣装合わせの時だけは相談と主張が凄い。私はこの勢いにいつも負けて、一度として口を挟めたことが無い。
でも、頑張るって決めたので、今日の私は頑張るのです。
「わたくし、子供っぽい色は嫌いよ」
私が初めてドレスに文句を言ったので、ぴた、と空気が止まった。
ひえっ。
私がびくっとしたのに気付いたのかどうか、メイドさんたちはすぐにまた、忙しそうに動き出した。
奥からいくらでも衣装が出てくるのが不思議だよ。
「でしたらこちらかしら? シルバーは流行色ですわ」
「ゴールドは…チカ様にはお似合いですけれど、ご主人様には…派手すぎますわね」
「まあ皆様! チカ様は大人らしいものがご希望ですのよ! バイオレットが素敵ですわ!」
と言って、先日私に『一生ついていきます』宣言したメイドさん(実は私付きのメイドさんたちをまとめているリーダーなのです)が手に持ってきたのは、腰から裾にかけてフリルで濃淡のグラデーションをつけたドレスだ。
確かに紫は大人っぽい。いつも子供というか少女っぽいものを着ていたので(なぜかそういう方がウケが良いのだ)着てみたいなとは思うけれど、ここで頷いちゃったら嫌われマスターへの道は遠いと思う。ので、頑張る。
「その色も好きではありませんの」
つん、とそっぽを向いて(あああ、扇子が欲しい顔を隠したい居たたまれない…!)冷たく言い放つ。
それなのに、リーダーメイドさんは笑顔を崩さずに「かしこまりました」と礼してドレスを奥に戻しに行った。
大人だ。プロすぎる。
ああ、もう、辛いなあ……!
私は心の中で泣きそうになりながら、メイドさんたちが次から次へと持ってくるドレスを体に当てて衣装合わせを続けていく。
正直、もうどれでもいい。
いっそ似合わなければ評判も落ちて丁度良いのかもしれないけれど、用意されているドレスはどれもこれも私の体にピッタリのサイズで、どれも素敵なデザインなのだ。どれだって似合うと思う。
そんな中、一つだけ雰囲気の違うものがあった。
「あら…」
と思わず声を出してしまうと、それを聞き留められて、メイドさんたちの手が止まった。
「総レースなんて珍しいですわねぇ」
そうなのだ。
そのドレスは、胸元から膝まで真っ白のシフォンスカートで、そのさらに上に、パッチワークのように様々な模様をつけたレースで覆っているものだった。首や肩、背中にも細かい刺繍のレースが当てられていて、中の素肌が見えるのが大人っぽいデザインだ。
レース自体は珍しいものではないけれど、とても手間がかかるものだから、全面につかったドレスは見たことが無い。
可愛い、と思ったのと、珍しいな、と思ったので声が出たのだ。
今まで白いドレスは見たことが無かったから。
「良い出来ですわね。でもこれ…どなたが用意したのかしら?」
いつの間にか私の隣に戻っていたリーダーが不思議そうに言う。
すると、一番新人の最も背が小さなメイドさんが、「はい…」と震えながら手を挙げた。
「す…すいません。じ、じっか、実家が…」
と言葉に詰まり、今にも泣きそうだ。
そりゃそうだ。リーダーの目、怖すぎるもの。
「あなたの実家で作ったものなの?」
「ひゃ!? あっ、はい! はい!お嬢様!!」
リーダーがじいっと見るばかりで何も言わないので、つい口を出してしまった。
小さなメイドさんは物凄く驚いたあと、そういう人形みたいにガクガク首を振って答えてくれた。
あ、あれ? 私のほうが怖がられているよ??
これは作戦が成功していると思っていいのだろうか。
「実家は服を作る店なのかしら?」
「あ、あの、そうじゃないんですけれど、お嬢様に似合うだろうとのことで…」
「わざわざ私の為に用意して持ってきてくれたの?」
「は、はい…」
「こんなに手間のかかるもの、高かったでしょうに…。お支払しなくてはいけないわ」
「えっ!? そんな、そんないいです!!」
慌てて体の前で手を振るメイドさん。
身長百五十センチも無さそうな小ささなので、どこか子供を苛めているような気分になってしまう。
そのため、つい嫌われキャンペーン中だということを忘れて、素で話しかけてしまって、しかも笑いかけてしまった。
「まずは試着してみたいわ。とても綺麗なんだもの」
手伝って欲しい、という意味を込めて手招くと、リーダーがその手を止めた。
「チカ様、このドレスは…」
ん? このドレスは?
そんなリーダーに気を取られた瞬間に、小さいメイドさんがばっとドレスを奪っていった。
「も、も、申し訳! ありません!!」
「えっ!? ちょっ!!」
走ったら危ないって!!!
ドレスは全身覆うものなので、抱えると結構大きい。さらに小柄なメイドさんが抱えると、前も見えていなさそうだ。
それなのに、全速力で部屋から飛び出て、走るものだから…
「えっ、きゃ、きゃー!!!」
ばしゃーん!!
と、部屋の外から水しぶきと悲鳴が…。
ああ、だよねぇ。ほぼ段差が無く水路が作られた、それが綺麗な庭に面した部屋だったものだから。
水路は浅いから溺れることは無いだろうけど、頭でも打っていたら大変だ。
すぐに近くにいたメイドさんにガウンを着せてもらって、パタパタと様子を見に行く。
すると、頭からびっしょり水にぬれて、泣き顔で水路の中に尻餅をつくメイドさん…と、あれ? 手の中には何か丸くてぐっしょりしたものがあるけど、さっきのドレスにしては容量が足りない。
まあ、何はともあれ人命優先、とメイドさんに声をかけようとしたけれど、リーダーやほかのメイドさんたちに間に立たれて、遮られてしまった。
「セリナ、その手にあるドレス、紙で作ったものでしたわね?」
………えっ!?
「チカ様に恥をかかせようだなんて!ロウンズ卿は何を考えているのかしら!」
「申し訳ありません! 申し訳ありません!!」
その大混乱が収まるまでは、ちょっと時間が必要でした。
○○○○○○○○○○
まず何があったかというと、私の衣装の中に水にぬれると即座に溶ける、紙で出来たドレスが混ぜられてしまっていたらしい。
同時にそのドレスを着せる要員としてセリナ嬢が私付きのメイドとして入ってきた、と。
ただ本人の性格上どうしてもドレスを着せることが出来なくて、奪って逃げて、うっかり水に落ちて、企みが露見した上にドレスも解けちゃって大失敗、と。
リーダーが怖かったのは材質が紙であることを見破ったかららしい。はあ…私はまったく気づかなかったけれど、メイドさんというのは凄いね。
ロウンズ卿というのはセリナ嬢を紹介してきた貴族なんだけれど、今回の件の首謀者はロウンズ卿の長女さんだったらしい。
次のパーティーで私に恥をかかせたかったとか。恥をかかせてどうしたかったのかはさっぱり分からないんだけれど、そのためだけに自分の乳姉妹のセリナ嬢を一人で送り込むとか何を考えてるんだろうね!?
イラッときたので、リーダーとセリナ嬢を呼び出して言ってやったよ。
「セリナ、あなたうちで働きなさいね」
「チカ様!!」
「イライザ。どんな理由があろうと私のメイドは私が辞めさせるまで働いてもらうわ。いいわね?」
「はっ…」
リーダーが綺麗に頭を下げて礼をするのを見てから、ぽかん、としたままのセリナ嬢に声をかける。
「いいわね?」
目を見て言うと、やっとセリナ嬢は自分に言われているのに気付いたらしい。みるみる目が泣きそうになって、でも嬉しそうに「はい!」と頷いて、「でも、でも私なんか良いんでしょうか?」とおろおろと困惑していた。
良いんだよぅ。だってセリナ嬢が助けてくれなかったら、赤っ恥かくところだったんだし。
服が溶けるとかとんでもないよ。パーティーじゃなくて、メイドさんたちの前でだって恥ずかしいよ。
嫌われるのはいいけど、さすがに、晒し者は嫌だもの!
後日、ロウンズ卿には改めて、「素敵なお嬢さんをお持ちなんですねぇ?」と微笑みながら、扇子で首元をトントンしてやりました。
(いつか落としてやるから、その首洗って待っていろ、の意)
ロウンズ卿は真っ青になってすぐにパーティーから帰って行かれましたとも。