護りの石
本当にあっさりと神様に会うことができた。私は昨日からどのくらいあり得ない体験をしているだろうか。
一頻りハクを撫でて満足したのか、サウラは芝生の上に腰掛け、黒豹を侍らせて寛ぎだした。
そこでようやく我に返った私は、本題に入るべく、声を上げた。
「あの……」
サウラはゴロゴロしたまま、初めて私に目を向けた。
「ここに人間が来たのは初めてだ。ようこそ、異世界人さん」
「……何で、私が異世界から来たってわかるんですか?」
自己紹介すらまだなのに……。
「だって、運命が見えないから。この世界のもので、私が見透せない運命はない」
すごい、本当に神様だ。
「なあ、サウラ。トーコは困っているみたいなんだ。助けてやってくれないか?」
私が感心していると、ハクが代わりに話してくれた。
そうだ、ぼんやりしている場合ではない。
「お願いします!私を元の世界に帰してください!」
私は膝を付いて地面に手を置き、頭を下げた。こんな時に恥も外聞もない。私は元の世界に帰るために必死だった。ところが……。
「無理」
サウラはあっけらかんとして告げた。
「私は魔法使いじゃないんだ。異世界転移魔法なんてできるわけない。私ができることは定められた運命を書き替えるくらいだが、お前は異世界人だから、それもできないしね」
「そんな……」
神様が帰してくれる、という期待は外れてしまった。私はがっくりと肩を落とした。
「もしかしたら、お前は異世界に来て、ここで生涯を終える運命なんじゃないか?諦めて運命を受け入れたら?」
サウラの言う通り、帰る方法は未だ定かでない。無事に帰れる保障もない。
しかし、彼は約束してくれた。
「神様は無理でも、アーティが帰してくれます。まだ方法はわからないけど……私が帰れないという運命なんてありません」
そもそもの原因で、変人だけど、頼りになる。既に異世界との繋がりを持つことが出来ている彼なら、必ず元の世界に帰してくれる。
出会ったばかりだが、私は彼を信じるしかない。いや、信じたい。
「……“希望”か」
堂々と宣言した私に、サウラは身体を起こし、真っ直ぐ向き合った。
「人間は運命に抗う不可解な生き物。だが、それがおもしろい」
ニヤリと笑ったサウラは、自身のネックレスを取り外す。
「帰してやることはできないが、代わりに良いものをやろう。“護りの石”だ。見たところ、お前に自衛能力は無さそうだからな」
サウラは私の首にネックレスをかける。胸元で光る黒い石が、“護りの石”のようだ。
「お前の運命の神が、私のように気ままなイタズラ好きでなければいいな」
サウラがそう言った時の笑顔は、慈愛に満ちた優しい神様に見えた。
石を渡した途端、昼寝の邪魔だからと追い出された私は、ハクと一緒に出口を探して再び暗い洞窟の中を進んでいた。
「あの黒豹は追い出さないんだね」
「ヘルゼはサウラの従者だから、常に一緒にいるんだ」
「ハクは従者じゃないの?」
「俺はただの狼だ」
そういえば疑問に思っていた。ハクは何故、この洞窟にいて、神様と親しげなのか。
「サウラは本当はとっても優しい神様なんだ。親が死んで一人ぼっちになった俺を拾って、この洞窟で育ててくれたんだ」
「親が……?」
嬉しそうに衝撃的なことを言うハクに戸惑う。
「サウラは言葉とか人間の学問とか、色々教えてくれたんだ。ハクって名前もサウラがつけてくれたんだぞ!」
尻尾を大きく振って喜びを露にするハクは、本当に幸せそうで、サウラに大事にされていたのだとわかる。
「その石がどういう力を持っているかはわからないが、サウラがくれたんだ。必ずトーコを守ってくれるぞ!」
「……そうだね」
私はハクの言葉に頷きながら、首に下がった石を握りしめた。
どうか、無事に元の世界に帰れますように。
そう願いを込めた、その時――
「桃子!やっと見つけた!」
洞窟の向こうにアーティがいた。
アーティは私に駆け寄り、目の前で止まった。彼は私の身体を上から下まで確認すると、ほっと安堵の息を吐いた。
「無事で良かった」
そう言った彼はほんのり表情が和らいだようで、本当に心配をしてくれたのだとわかる。私も安心して泣きそうになってしまったが、ふと視界に入ってきたもので涙が引っ込んだ。
アーティの後を、洞窟の入口で私達を襲ってきた鳥がふらふらしながら飛んできたのだ。足で大きな袋を持っている。
私がぽかんとしているのに気づくと、アーティは振り向いて私の視線の先のものを見た。
「ああ、あれ?桃子を見失った責任を取らせて、探すのを手伝わせてたんだ。無事に桃子が見つかったし、もう用はないけど……夕飯にでもする?」
「勘弁してくれ!!魔王だよ、あんた!大魔王だよ!!」
アーティにこれだけ酷い目に合わされて……。私は同情こそすれ、もはや恐怖心は抱かなかった。
アーティは次に、私の隣にいるハクに目をやった。
「……君は?」
「俺はハク!トーコが落ちてきたから、案内してやってるんだ!」
「そう。世話になったね。お礼に鶏肉でもどうだい?」
「ほんと、ごめんなさい!!勘弁してください!!」
「何を運ばせているんですか?あんなもの、ここに来る前はありませんでしたよね?」
あまりにも鳥が可哀想なので、私は話を反らすべく、鳥が必死で運んでいるものを指して尋ねた。
「桃子を探している途中で鉱石を見つけたんだ。この洞窟には珍しい鉱石がたくさんあるって書物にあったから。魔法に使えると思ってね」
……私より石ですか。いや、帰る魔法のためなら仕方ないが、なんだか複雑だ。
「ところで、桃子。そのネックレスは?」
「サウラに頂いたんです。護りの石だ、と」
「え……神様の?」
「そうですけど……」
アーティがきょとんとしている。……反応がおかしいぞ?
「ここがサウラの洞窟だと知ってて来たんじゃないんですか?」
「そうなんだ~。だから珍しい鉱石が多いのかな?」
「……つまり、ここには石目当てで来て、神様がいることは知らなかった、と。神様に私を元の世界に戻してもらおうと思ったわけではない、と……」
こっくり頷くアーティに、私は顔を手で覆う。自分の勘違いがちょっと恥ずかしい。
そんな私の様子にお構い無しで、アーティはじっと私の首にぶら下がっている石を見つめた。
「護りの石か……たしかに、桃子には必要だね。桃子、ちょっとそれを貸してくれる?」
アーティに請われ、顔を上げた私はネックレスを外して彼に押しつける。
「なに拗ねてるの?」
「……別に」
アーティは首を傾げながら、「まあ、いいや」と言って自分の額に渡されたそれをくっつけた。するとアーティを中心にふわりと風が舞い上がり、額と石の間から光が放たれる。一瞬で風と光が消えると、アーティはネックレスを私に返した。
「何をしたんですか?」
「おまじない。サウラの加護があるんだから、肌身離さず持つんだよ?」
「……はあ」
私はよくわからないまま、ネックレスを付けた。
「じゃあ、ハクくん。入口まで案内してくれる?」
「おう!」
「もう行くのかよ!?もっと休ませてくれよ!!」
さっさと歩き出すアーティに、鳥は泣きそうな声を上げながらついていく。私は襲われた恨みがあるので、手伝ったり、アーティを諌めることはしないが、ちょっと鳥を哀れに思いながら、ハクに並んで歩き出した。