黒い王子
授業が始まっても、休み時間になっても、また次の授業が始まっても、アーティが私の前に現れることはなかった。教師に聞いてみても、アーティから欠席の連絡すら聞いていないということだった。
そして、昼休み──
「さては、あの馬鹿。しくじったわね」
ミリアさんが苦虫を噛み潰したように言った。
「俺も心当たりを探したけど、いなかった。念のため、マリースに連絡したけど、知らないって……アティールに限って、と思ったけど、何かあったと考えた方がいいな」
今日も生徒会室を提供してくれたクリスさんは、難しい顔をしている。……いや、クリスさんだけでなく、ここにいる皆がそんな顔をしているのだ。あの、マオレク王子すら。
「……これって、緊急事態だよね?彼の姉だけじゃなくて、もっと上の人達に報告した方がいいんじゃない?」
「そうですね……早速、失礼します」
マオレク王子の言葉に、ミリアさんは席を立ち、部屋の隅へ移動した。国へ報告するためだろう。
「そういえば、この学園、特に魔法の使用禁止がされていないんだね。身分のある者が通うなら、争いを避けるために授業以外の使用を禁止するのが、常套なのに」
「明確にされていませんが、制限はかかっているみたいですよ。ちょっとした魔法でも、授業以外で使ったら消耗が激しく、体に相当負担がかかります。ミリア嬢が使ってる通信機は、世界的にも珍しいサザール特製の魔力を込めた機械なので、込められた魔力が底をつかない限り、問題なく使用できます。」
マオレク王子とクリスさんがそんな会話をしていると、ミリアさんがこちらへ戻ってきた。
「皆様とお話しされたい、とのことです」
そう言って、ミリアさんが皆の方へ向けた通信機に映っていたのは、セイヤ様だった。
『良くない事態のようだな……まさか、アーティが行方不明とは……』
「このような事態となり、申し訳ございません、殿下」
この中で年長で、アーティの親戚であるクリスさんは、アーティの行方不明を気に病んでいるようだ。
『ああ、クリスか。マオレク王子が無事なだけ、まだ良いが……クリス。不在のアーティの代わりに、王子の護衛を頼むぞ』
「承知いたしました」
『……さて、トーコ』
セイヤ様から声をかけられ、私は通信機に近づいた。
『何て顔をしているんだ』
「……どんな顔ですか」
『道に迷った子どものようだ……今にも泣き出しそうな顔だ』
……セイヤ様の指摘のとおり。今の私は、どうすればいいかわからない、行く道を見失った迷子だ。異世界に意図せず召喚されて……でも、私を必ず帰すと約束してくれた、いつも守ってくれた、手を引いてくれた彼(道しるべ)を──
「トーコ!元気出せ!俺が付いてる!」
「お嬢がそんな顔してちゃ、帰ってきた旦那に焼き鳥にされるだろ!」
「ミャーウ」
「ガウ!」
「……グゥ」
暗い私をハク達が飛びついて励ましてくれる。調子の悪い仔猫達まで……相変わらず、一匹は鳴き声ではなく、お腹の音だが。
『あいつのことだ。その内、ひょっこり帰ってくるさ。だが……そうだな。それまでは──』
セイヤ様がそこで言葉を切ると、通信機の画面が真っ暗になった。唐突のことに、何が起こったのかと驚いていると……。
ぽんっと私の肩に何かが置かれた。
「私が守ってやる。トーコ」
それは手で、そのまま、背後の声の主へ振り向くと──セイヤ様が現れた!
「……えええええぇ!?何でいるんですか!?」
「私もいるぞ」
「将軍!?」
「どーもー!カルヴァでっす!」
「ダンです」
「……ヨシュアです」
「えっ……ちょっとま……えええぇ!?」
「落ち着け、トーコ」
思わぬ人物が続々登場し、混乱状態の私を、ハクが背後からのし掛かって鎮めてくれる。
……ありがとう。でも、重い。
マオレク王子が羨ましそうにこちらを見ている。喜んで替わりますよ?
「セイヤ様!将軍まで……何故、こちらへ?」
「良い驚きっぷりだ。黙っていた甲斐があるな」
ミリアさんをまるっと無視して、セイヤ様は嬉しそうに私を見ている。どうやら、ここに来ることはミリアさんにも内緒にして、私達を驚かせたかったらしい。
「もう一人、驚かせたかった奴は不在か……あいつの反応も楽しみだったんだがな」
「悪いな、ティボルト。将軍閣下の婚約者と面談を兼ねたヒラン訪問に、セイヤ様が付いてくるとおっしゃって……」
「俺は、将軍に付いてきたマスターに付いてきました!」
「同じく。本国との伝令を兼ねて。ちなみに、マスターはここに来る途中、野暮用が出来たそうで、遅れていらっしゃいます」
アーティがいないことを残念がるセイヤ様に代わって、ヨシュアさんと覆面さん達が説明してくれる。……ああ、まさか、覆面さん達を公の場に連れてくる従者にしたのかという意味でも驚いたが、さすがに彼らは隠密で、従者はコンラートさんなのね。
「セイヤ様……ご公務がお忙しいのではないのですか?このような所まで来て、大丈夫なのですか?」
クリスさんが心配そうに声をかけると、セイヤ様はふっと不敵な笑みを浮かべた。
「次期宰相も帰ってきたし、国王夫妻も健在だ。少しくらい離れたところで、問題ない」
「いやー、ユーリ・レイノルド様、すっげぇ怒ってたなぁ」
「長期出張を終えられて、しばらくは細君とゆっくりされるおつもりだったそうだからね」
セイヤ様の後ろで、覆面さん達が内緒話の形を取っているのに、全く声を潜めずに話している。……ユーリさん!心中お察しします!
セイヤ様登場で賑わっていると、突然、ぴたっと会話を止めた覆面さん達が調度品の裏等に姿を隠した。唐突のことに私が首をかしげていると、扉の方から声がかかる。
「──また部外者がいらしてるのですか?」
扉の近くには、スイレン皇女が立っていた。澄ました表情を作っているが、明らかに不機嫌だ。
「クリス様。いくら生徒会役員とは言え、あまり生徒会室を私的に利用するのは、感心いたしませんわ」
「まあまあ、姉上。お客様もいらっしゃるようだし、そう目くじらを立てなくていいんじゃない?」
やって来たのは皇女だけではないようで、彼女の後ろから、ひょっこりと少年が顔を出した。
十歳前後であろうその少年は、綺麗に整えられた黒髪に、太くて凛々しい眉毛の下にはくりっとした丸い黒色の瞳を持つ、利発そうな子だった。この学園の制服ではなく、ダークグレーのチェック柄のジャケットに、ハーフパンツを履いていることから、外部の人間だということはわかるが、皇女を“姉上”と呼んでいたので、おそらくは……。
「サザールの皇太子・セイヤ様と、その叔父にして将軍のハワード様ですね。お初にお目にかかります。ヒラン皇国第三皇子のシオンと申します」
少年ことシオン皇子は、セイヤ様の前に進み出ると、綺麗にお辞儀をしてニコッと笑みを浮かべた。
「せっかく我が国の学園にお越しなのに、案内も付けずに申し訳ございません。まさか、将軍だけではなく皇太子までいらっしゃって、皇城より先に学園にいらっしゃるとは想定出来ておりませんでした」
「お気になさらず、シオン皇子。我が又従兄弟がこちらの学園で世話になっているので、個人的に会いに来ただけですので。残念ながら、誰にも告げず行方をくらましているようですが……」
「おや、それは心配ですね。気まぐれにお出かけされているのでしょうか?まさか、世界屈指の学習機関で、警備も万全のこの学園で何かあったとは思えませんし……捜索隊を手配しましょうか?」
「お気遣いありがとうございます。どうやら、この万全な体制のはずの学園で失踪したようでして……しかし、彼は自力で何とかできるので、直に帰ってくると思います」
……なんか、怖い。表面上はにこやか交わされている高貴な方々の会話は、皮肉の応酬です。二人の間に火花が見える気がする。
それにしても、シオン皇子とは、随分しっかりした少年のようだ。まるで大人のような話し方で、堂々と他国の王族と対峙している。そして、この腹黒さ……王族、怖い。
「サザールの王族の方々がお越しとは知らず、失礼いたしました」
話題を変えようとしてか、すっとスイレン皇女が前に出る。
「私はヒラン皇国第二皇女・スイレンと申します。よろしければ、このまま、学園長の元へ案内いたします」
「こちらこそ、前触れもなく訪問して失礼をいたしました。あなたが、スイレン皇女ですか。せっかくなので、あなたの婚約者を紹介します。叔父のハワードです」
セイヤ様に促され、将軍は婚約者のスイレン皇女と対面する。
「……お初に御目にかかる」
「……ええ。よろしくお願いいたします」
三十七歳と十七歳。サザール国将軍とヒラン国皇女。完全なる政略結婚の初対面は何とも気まずい空気のものとなった。
「では、姉上。ご案内をお願いします」
気まずい空気を打ち破り、シオン皇子が明るく声を上げる。
「……あなたはどうするつもり?」
「僕は当初の予定通り、図書館で勉強させてもらいます。適当な頃合いで勝手に帰りますので、お気遣いなく」
「そう……では、セイヤ様。ハワード様。こちらへどうぞ」
「ありがとうございます。また後でな、トーコ」
「……まあ、励め」
「え、伯父上……それって自虐……?」
「誰が“ハゲ”だ!は・げ・め!頑張れと言ったんだ!」
思ってもみなかったハワード将軍からの励ましの言葉は、セイヤ様のからかいによって打ち消されてしまうのだった。
「……そういえば、勇者さん?」
マオレク王子が未だに変わらない呼び方で私に声をかける。もはや勇者らしさなんて欠片もないので、普通に呼んでほしいが……。そんな不満が吹っ飛ぶくらいの衝撃を彼はもたらす。
「迷子の彼、今日は迎えに行ってないんじゃない?まだここに来てないみたいだけど……」
──アーティ行方不明のショックで、稔くんを忘れてた!!
私は失礼ながらもシオン皇子の横を駆け抜け、慌てて稔くんの教室へ向かうことになるのだった。




