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王子の弱点

――今、セイヤ王子の執務室は上空に暗雲が広がり、雷と暴風で大荒れ状態だ。


アーティと私、動物達は机の下に避難し、ミリアさんは誰かが入ってこないように扉を押さえ、ヨシュアさんは重要な書類が飛ばないように覆い被さっている。


そんな、悪天候の原因――台風の目となっているのは、この部屋の主。セイヤ王子その人だ。

部屋の中央で腕を組んで立っている彼は、口を引き結び、目が座っていた。美人が怒ると迫力がある……いや、今はそういう問題ではない。


物が壊れたり、誰かが怪我をしたりがないので、ある程度の理性は残っているようだが、ここまで王子が怒りを露にしている理由……。

それは、一時間程前に遡る――




「イーサ、入るぞ」


「セイちゃん!」


医務室に入ると、すぐ目の前には花が飾られたテーブルと座り心地の良さそうなソファーが置かれていて、そこで白衣の女性がカルテと思われる書類を広げていた。

女性は、この世界の女性にしては珍しいパンツスタイルだ。ふわふわの亜麻色の長い髪をポニーテールにしている。髪と同じ色の目元を緩め、ぱっと花が咲いたように笑う可愛らしい人だ。

この人がマリースさんに聞いたセイヤ王子の弱点・イーサさんのようだ。

「どうしたの?お茶の時間には早いけど……まさか、怪我したの!?」

はっと顔色を変えたイーサさんが、王子に駆け寄る。王子は見るからに上機嫌で、彼女の頭を撫でた。

「私は問題ない。彼女を診てほしいんだ」

王子に言われて私に目をやったイーサさんは、王子の手を払い除け、ずいっと私に近づいてきた。

「どこか痛むの?具合は?」

イーサさんの方が背が高いので、少し屈んで私の顔を覗き込むようにして尋ねてくる。

「えっと……」

「彼女はちょっと無茶をしたので、どこか不調を来してないかどうか診てほしいんです。ぱっと見わかりませんが、本人が気づかないところを負傷してるかもしれませんし」

じろじろ見られたり、あちこちぺたぺた触られて困惑している私を、後ろにいたアーティがフォローしてくれる。そこで初めて彼の存在に気づいたのか、イーサさんは一瞬目を丸くした後、ぱっと笑顔になる。

「アーティくん!?珍しいね、君が医務室に来るなんて……久しぶり!」

「こいつは怪我をするなんて滅多にないし、しても放置しているからな」

イーサさんに払い除けられて少し不機嫌になった王子は、ソファーに移動し、先程まで彼女が見ていた書類を手にしていた。

「あ、こら!カルテは勝手に見ちゃダメ!患者さんの個人情報だよ!」

イーサさんは慌ててそれを取り返そうとするが、王子は立ち上がり、腕を伸ばしてそれを阻止する。イーサさんも腕を伸ばすが、届かない。王子にもたれかかり、つま先立ちになって必死だ。王子は機嫌が良くなったようで、彼女を支えつつ、笑いながらカルテを遠ざけていく。


――イチャイチャを見せつけられているのは気のせいだろうか……いや、気のせいではない。


「姉さんから医師せんせいのこと聞いたんじゃないの?」

私がなんとも言えない顔になっていることに気づいたアーティが顔を寄せて、小声で尋ねる。

「王子の弱点とだけ……でも、お二人の様子を見てわかりました。“恋人”……ですね?」

「そうだよ。イーサ・ゼノスさん。王宮医師の一人で、セイヤ様が皇太子としてお披露目されると同時に、結婚する予定の婚約者でもある」

皇太子の件は聞き覚えがある。サザール国皇太子……セイヤ王子の父は三ヶ月前に急逝した。そのため王子は、本来現国王が引退し、父親が国王を戴冠した後に譲り受けるはずだったその地位を、数日後の式典で継ぐことになっている。

「せんせー、いじめっ子は放っておいて、患者さんを診てくださーい」

アーティはわざとらしい声を上げる。すると、私達の存在を思い出したのか、イーサさんは顔を紅くしながら、慌てて王子から離れた。そんな彼女の様子がおかしいのか、王子は上機嫌で笑っている。

「ごめんね!えーと……」

「トーコ・フジタです」

「トーコちゃんだね。私はイーサ。どうぞ、こちらへ」

イーサさんは、私を部屋の奥に案内する。入ってすぐのソファーの後ろはパーティションが設けられ、その向こうが診察場所のようだ。診察台と、患者と医師がそれぞれ座る椅子がある。カーテンで仕切られたベッドがいくつかあって、こういうものは一緒なのだな、と元の世界を思い出し、懐かしくなる。

偽勇者の仕事はなんとか無事に終えたので、後は早く帰れるようアーティに頑張ってもらって、私もできる限りの手伝いをしよう。私はそんなことを思いながら、イーサさんの診察を受けていた。


「――大丈夫、問題ないよ。でも、今日は温かいお風呂に入って、早く寝るんだよ?ゆっくり休めば、元気になるから!」

イーサさんが笑顔で締めくくり、診察を終えた。私はパーティションの向こうで待っていたアーティ達の元に戻る。

「終わりました」

「よし。では、私の執務室に戻るぞ。いろいろと話すことがあるからな」

「じゃあね、セイちゃん。アーティくん、マリースによろしくね」

イーサさんに見送られ、私達は医務室を後にしようとしたその時――


「イーサくん、いるかい?」


そう言って大柄な男性がドアを開けた。

私はその人の顔を見た瞬間、ぎょっとして硬直してしまった。

何故なら、その人の顔の右半分は痛々しい火傷の痕で覆われていたのだ。そして、そこにあるはずの目は眼帯で隠されている。誰でも対面した時は思わず身構えてしまうだろう。

「おやおや?セイヤ様に、宰相殿のお孫様……それに、勇者様じゃありませんか。奇遇ですね」

男性は目を細めて笑みを浮かべる。火傷のせいで、どうしても不気味に感じてしまう。私はとりあえず挨拶しようと口を開くが、すぐにアーティに肩を抱かれ、彼の後ろに下がらされてしまう。代わりに、王子がずかずかと歩み寄ると、自分より背の高い男性を見上げながらも、見下すような目をして問いかける。

「私の婚約者に何の用だ?」

「いつもの火傷の薬と包帯の替えを貰いに来たんですよ」

「叔父上にはお抱え医師がたくさんいる。従者なのだから、そちらへ行けばいいだろう」

「セイちゃん!」

どうやら、男性を追い返そうとしているらしい王子の名を、イーサさんがたしなめるように呼ぶ。そんな彼女に応えることなく、目をそらさない王子に対し、男性は笑みを浮かべたまま反論する。

「イーサくんは皇太子妃になられる方ですが、今はまだ、王宮医師です。医師は患者を診る義務があり、王宮に勤める者全てに、この医務室を利用する権利があります」

「そういうこと!ほら、セイちゃんは用があるんでしょ?患者さんの邪魔だから、早く出て行って!」

王子が何か言い返す前に、イーサさんはその背中を押して、彼を部屋の外に出した。そして、続いて私とアーティの背中も押して、外に出るように促す。

「ごめんね、アーティくん。トーコちゃん、お大事に」

勢いに押されて私達が出てすぐに、医務室のドアが閉められた。


王子はしばらくドアを見つめて呆然としていたが、唐突に踵を返し、無言のまま廊下を早足で歩き出す。彼の様子を窺っていた私とアーティは、慌ててその後を追う。一体、何がどうなっているのか、問いかける余裕もない。

最後の方はほぼ駆け足になって辿り着いたのは、王子の執務室。そこにはヨシュアさんとミリアさん、ハク達が待機していたが、話す間もなく、王子は部屋に入ると同時に雷と風を放出した。

すぐに反応したのはアーティで、ドアを閉めると私を抱えて、机の下に滑り込んだ。ハクとロンも仔猫達を運んで、私の隣に入ってきた。一瞬呆気にとられていたヨシュアさん達も状況を理解し、ヨシュアさんは書類を、ミリアさんはドアを押さえに動いた。



――そして、現在に至るというわけだ。


「なんとかできないんですか!?」

私は激しい雷鳴と風の音の中、声を張り上げてアーティに問いかけた。

「久しぶりの大荒れだからなぁ……セイヤ様が疲れるのを待つしかないかも」

アーティが普通の音量で言った答えは、はっきりと私の耳に届いた。どうやら周囲に魔法をかけたらしく、先程までの轟音がいつの間にか聞こえなくなっていた。

「王子が荒れると、いつもこうなんですか?」

「めったにないけどね。普段、いらいらした時は手近な部下に雷一発落として終わり」

お気の毒に……。

私はセイヤ王子の部下の方々に、心底同情する。ただし、雷を落とされても平然としていたアーティを除く。

「……でも、ヨシュアとミリアも辛そうだし、そろそろなんとかしてみようか」

そう言って、アーティは机の下から出て、暴風や雷をものともせず、部屋の中央で腕を組んで立っている王子に歩み寄る。

「セイヤ様、医務室を出る時にイーサ医師からお詫びに、とお菓子を預かっていたのですが……食べますか?」

王子はちらりとアーティに目をやる。アーティの手元には、たしかにかわいらしくラッピングされた袋があった。

王子は深く溜め息を吐くと、ソファーまで移動し、どかっと腰かけた。すると、雷と風が止み、雲が晴れ、窓の外からの明るい光が入ってきた。


荒れる原因がイーサさんなら、立ち直るきっかけもイーサさん……王子にとって、彼女は本当に最大の弱点らしい。


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