第8話 村へ行こう
ゴランとの対決から数日が経った。
「んっ!、よっと!」
軽く走ってからバク宙してみる。世界が逆転し感覚がマヒするがそれでも身体は正確に動く。両足が地面をしっかりと捕える。微動だにしない着地。うむ、我ながら完璧な演技だ。
「どうなっているんだ。」
アレンさんが側で信じられないといった表情で見ている。
「流石にまだ腕は使えないですけどね。」
「いやいや、それにしても早すぎる。」
アレンさんの好奇な視線を感じつつ身体を伸ばしていく。
「あ~気持ちいい。ずっとベット生活だったんでやっぱり身体が固まってますね。」
「そうだな。怪我していても適度に身体を動かすのは大事だからな。…それにしても、面白い。魔法も使っていないのに…。」
「そうですよ。アレンさんが魔法を使ってくれたら一瞬で治るのに。」
「人には何事も不得意なことはあるものだよ。」
魔法にも個人差があるのか。どうやらアレンさんは怪我を治したりする魔法は不得意なようだ。かく言うアレンさんのほうに視線を移すと、アレンさんはぶつぶつと俺を見ながら何かつぶやいている。
こういう時のアレンさんは本当に子供のようになる。この前野草を取りに行った時も、知らない花を見つけたとかでその花の前で何時間も座っていたことがある。仕方ないのでアレンさんを置いて野草を採りに行ったのだが、採り終わって帰ろうとアレンさんを呼びに行ったら、今度はなんとスケッチを書いていた。それも何処から取り出したのか鉛筆と消しゴムを器用に使い分けている。なぜこんなものは持っているのに水や食料は持っていなかったのだろう。
「スケッチとかしないで下さいよ。」
「うむ…実に残念だ。」
全く、何処まで本気なのか分からない人だ。
「そうだ、レオン。大事な話がある。」
「何ですか?」
「修業をそろそろ始めようと思う。」
「ついに―――!」
やっとアレンさんに修業をつけてもらうことが出来る。
あの日から寝る前にもご飯を食べている間も片時も忘れず考えていた。自分が空を飛んでいる姿や物を浮かしていることを考えるだけで背筋がぞくぞくした。口には出していないがアレンさんもきっと知っているはずである。その位、今か今かと待ち望んでいたのだ。
「だが、その前にしてもらうことがある。」
「何ですか?」
もはやここまでお預けをくらわされているので今更何をしろと言われても関係なかった。修業をつけてもらえるのならば裸で踊れと言われてもすぐにするつもりだ。…いや、今のは言いすぎたかもしれない。
「なに、村の人に別れを告げてもらおうと思う。」
「えっ…。」
森の中を走る影。だが、今回は一つだけではなく二つの影が森を駆け抜けていく。
「…もう、驚かせるようなこと言わないで下さいよ。」
「何がだ?私は事実を述べただけなのだが?」
そう言うアレンさんは本当に何の事だか分からないと言った顔をしている。
「どこがですか!さっきの言い方だと一生会えないみたいな言い方してたじゃないですか!」
「まぁ修業の内容によってはそうなるかもしれないがな。」
「うっ…。」
こんな調子のアレンさんと話をしながらさっきの会話を思い出していた。
「どういうことですか?!」
「なに、言った通りの意味だよ。村の人に別れを告げてもらう。」
二人の間に僅かに沈黙が流れる。アレンさんの目は本気そのものだった。
「何でですか?」
「修業に入るからに決まっているじゃないか。」
「え、そんな…どこか旅しに行くんですか?」
「旅なんか行かないよ。」
なんだ、旅には行かないのか。良かった。だが、そこで少し安堵したと同時に新たに疑問が生まれた。
「じゃあ…どうして?」
「修業に入ればしばらくは村には帰れないからね。」
「…いつまでですか?」
そこが問題だ。期間によっては本当に別れになるかもしれない。
「1年だ。」
「じゃあ別れなんか言う必要ないじゃないですか!!」
「何を言っている。日頃から世話になっているのなら言うのが礼儀というものじゃないのかい?」
「そうですけど…。」
「それなら思い立ったが吉日だ。今から言いに行こう。」
「え!ちょっ…!」
アレンさんはそう言うと俺の意見も聞かずにさっさと支度をし始めた。不意に真っ直ぐこっちを見て言うには、
「魔法を使ってみたいとはないのかい?」
「うっ…。」
なんともはやずるい。それを言われてしまったら何も言い返すことが出来ない。もはやその言葉がアレンを動かす魔法のようにアレンの思考を停止させる。こんなこと今までなかっただけに実はアレンさんが俺に魔法をかけているとさえひそかに考えている。それぐらい魔法には執着心があった。
「さぁレオン、早く案内してくれ。」
そんな俺の気持ちを知らずアレンさんはすでに身支度を終えてドアに手をかけていた。アレンさんがその時の気分で動くというのはここ数日で分かり始めていた。いつか仕返しをしてやろう。うん。いつか必ず…。そう心に誓いドアを開けたアレンさんの背中に慌てて声をかける。
「分かりましたよ!!」
そして半ば強引に道案内を要求するアレンさんを村に連れて行っているわけなのだが、しばらく森の中を走っていると足取りはやはりいつもより重く走りづらい。
「どうした。遅いぞ。」
アレンさんはそれを知ってか知らずか平然とそんなことを言ってくる。要するにおちょくっているのだ。
「俺まだ完治してないんですよ。アレンさんも知ってるでしょ!?」
「何を言っている。そんなことじゃたとえいくら修業をしたところで魔法を使うなんて夢のまた夢だな。」
「うっ、またそうやって…。」
本当にそんな魔法を使うことは辛いことなのだろうか?アレンさんはいつも椅子に座りながら物を動かしたりゴミを片付けたりと何の気なしに魔法を使っていたように見えたのだが……まぁ魔法について何も知らない俺はなんとも言えないのだが…。とりあえず意地でスピードを上げ、あわよくばアレンさんにひと泡吹かせようと思ったその時、
「おっと―――!」
不意に発したアレンさんの声に慌てて後ろを振り向くとそこにはなんと、アレンさんが突然木の根に足を引っかけてしまいこけていたのだ。それも結構派手目にこけている。
「チャーーーーーーーーンス!!!!!!」
俺はここぞとばかりに全力で足に力を込める。
「ちょっ、待て!アレン!!」
俺は後ろを振り向かずにただ前を走る。
「こら、待たないと修業をつけてやらんぞ!!」
アレンさんが苦し紛れに声をかけるが俺は足を止めなかった。
今までアレンさんに振り回された思い出が頭の中を駆け巡る。激からの草を食べさせられて丸一日味覚が戻らなかったことや、俺が大切に取っておいたアイスも気付いた時には無くなっていた事があった。アレンさんに聞いてみると、食べていないと真剣な表情で言うものの口の端にはしっかりと証拠が残っているではないか。指摘をすると笑って誤魔化されたのは今でも覚えている。そんなことを思い出すとなぜかさっきまで重かった足は軽くなり力が入る。
「アレンさん、もうすぐ着きますよ!」
遥かかなたにいるだろうアレンさんに向かって声をかける。
「アレン!!」
アレンさんの大きな叫び声が森の中に木霊した。
しばらく走ってから流石に可哀想なのでアレンさんを迎えに行く。アレンさんはこけたところで胡坐を掻いて頬杖をついた状態でじっとしていた。明らかに不機嫌そうなアレンさんは普段の大人っぽい振る舞いからは考えられないほど子供じみていた。
「次からは置いていくなよ。」
アレンさんがそう言って睨んでくる。そんな様子のアレンさんを笑わないではいられなかった。
「分かりました。」
「何を笑っているんだい?私は真剣に言っているんだよ。」
「アイスのお返しですよ。」
そう言うとアレンさんは納得いかないというような顔をするものの非を認めてか何も言わなくなった。そんな様子を見てまた思わず笑ってしまう。
「さぁもう着きますよ!」
そんなこんなでしばらく走ると森の出口が見えてきた。
「着きました!」
「おぉ眩しいな。やはり全身で光を浴びるというは気持ち良いな。」
急に光を浴びて目眩むのはいつものことながら慣れないものだ。だが、嫌じゃないのはなんとも不思議である。
「普段は森の中にいますからね。こうやって久々に光を浴びるとこう、生き返るというか何と言うか、戻ってきたなって感じがしますね。」
「そうだな。実に気持ちがいい。」
そうやってしばらく日向ぼっこをしているといつもの元気な声が聞こえてきた。
「レオーーーーーン!!!」
元気で無邪気な声が近付いてくる。いつも元気に名前を呼んでくれる子供たちと会うのは俺の楽しみの一つだ。
「おぉー久しぶりだな!元気にしてたか?」
「うん!あれ、レオンはその腕どうしたの?…それに痣まで。」
俺の身体の怪我を見てひまわりのような笑顔を浮かべていた顔が急に元気をなくし心配した声色に変わる。中には涙目の子までいた。みんな優しい子だ。思わず笑顔になる。
「ちょっと怪我しちゃったんだけどね。大丈夫だよ。心配ない。ほらな!!」
心配そうに見つめる子供たち、その中でも泣きそうな子を二人持ち上げてくるくると回る。まだ小さい子供たちはこれをしてやるととても喜んでくれる。
「わぁーーー!!」「きゃーーー!!」
「どうだ!大丈夫だろ!?」
泣きそうな顔も笑顔に変わったところで降ろしてやる。すると今度は周りのみんなが集まってきた。
「レオーン!次は私!!」
「何言ってんだよ!次は俺があれしてもらうんだよ!」
あれとは高い高いのことだ。だが、ただの高い高いではない。俺は本当に高く投げる。もちろん絶対に落としたりはしないのだが。
「なによー!」
「なんだよ!」
いつも喧嘩をしている二人だが、いつ村に来ても二人は一緒にいる。実は仲が良いのではないだろうか?
「レオン。そろそろ言った方がいいんじゃないのかい?」
「あっ!そ、そうですね!」
アレンさんに話しかけられてはっと我に帰る。
「アレン…誰?この人。」
子供たちが俺の後ろに隠れる。どうやらアレンさんに少し警戒しているようだ。無理もないか、普段この場所には滅多に、いや、全くと言っていいほど人が訪れることがない。それこそ魔法だと思ってもいいほど外部から人が入ってくることはないのだ。入ってくるとしてもじじ様の呼んだ古い知人だとか旅仲間とかでほぼ村の人とは会わずに帰っていく。俺はまだ小さい頃からそういった人と会っているからそれほど警戒はしないのだが村の、それも子供たちはどうやら相当気にするようだ。
「この人はアレンさん。大丈夫だよ。全然悪い人じゃない、むしろ面白い人だよ。」
「その紹介はないんじゃないかい。命の恩人だとかもっと言わないといけないことがあるだろ?」
「この人すごい丈夫な人だからいくら殴っても平気なんだよ。」
「おい、何言って…」
「へぇ~~!本当?!」
子供たちがアレンさんに興味を示し、さっきまで警戒していた顔はきらきらとアレンさんを見つめている。いくら警戒しているとはいえ、好奇心旺盛な子供たちの警戒を解くことは簡単だった。さすがのアレンさんも折角興味を持ってくれた子供たちの期待を裏切るわけにもいかず、何とも言えなそうな顔を引きつらせていたが、ついに覚悟を決めたのだろう、よし来い!と手を広げて子供たちを迎えている。瞬く間に無邪気な子供たちに囲まれたアレンさんは何の遠慮もなく腹を思いっきり殴られていた。
「全く聞かんぞ!ハハハハハ!!」
「すごーーい!!」
アレンさんの鍛えられた腹筋はそれこそ鉄と変わらない堅さで出来ており、子供たちのパンチなどでは何の問題もなさそうだ。アレンさんもなんとか子供たちの期待にこたえることが出来でホッとしているようである。いつまでも殴り続ける子供たちをそろそろ止めさせようと思ったその時、
「えい!!」
「うぐ!」
「なっ―――!」
子供の容赦ない一撃がアレンさんの大事なところにもろに入ってしまった。アレンさんも思わぬ展開に苦痛で顔をゆがめるも子供たちの手前なんとか耐えきっている状態である。流石にこれは放っておくことも出来ないので、
「ちょちょちょ!それは駄目だぞ。それはルール違反だ。」
「でも、全然平気だって言うから。」
「分かった分かった。でも、もうおしまい。ほら、みんなアレンさんにお礼。」
「おじちゃん、ありがとう!」「かっちかっちだね!」「今度は腕相撲勝負しよう!」
「あぁ…どういたしまして…。」
アレンさんの自尊心を守れて良かった。あのまま続けていたら取り返しのつかないことになっていた。
改めて子供たちの純粋ゆえの恐ろしさに気付かされた。
「アレン、今日は何で村に来たの?」
子供の一人が俺に話しかける。そうだ、完全に忘れていた。
「みんな!聞いてくれ!」
子供たちに話しかけるとはしゃいでいた子たちも静かになってこちらを向いてくれた。
うん、みんな素直でいい子だ。
「今日はみんなに大事な話があって出てきたんだ。」
話って何?と不思議そうな顔をして子供たちがこちらを見つめる。
「俺はしばらく森から出ないことになった。」
「えぇ~なんで~!」
「ちょっといろいろあってね。1年くらい帰らないつもりだ。」
「仕事?」
「あぁ仕事みたいなもんだ。」
修業は仕事のうちに入るのだろうか?あっさりと返事をしたものの改めて考えてみると少し違うような気がする。自分の趣味に入るような入らないような…まぁ結果、森や村を守る事につながるのだから仕事に入るだろう。うん、きっとそうだ。
「なら我慢する。その代わり今度はちゃんと遊んでね。」
「ん?お、おう。」
子供たちのさっぱりした態度に少し驚く。いやーとか、なんでーとかもう少し嫌がってくれる思っていただけに思わず拍子抜けしてしまった。…なんだかショックだな、俺が思っていたよりも仲良くなれていなかったのだろうか。
「子供たちにとっては1年なんて一瞬の時間なんだよ。別に深く考えることなんてないさ。」
俺の心を見透かすようにつぶやくアレンさんの言葉に耳を傾ける。
う~ん、どうなんだろな。もしかして俺はいてもいなくても変わらないとか…いやいや、そんなことないだろう。きっと表に見せないだけで悲しんでいるはずだ。俺は何度も自分を慰めるように言い聞かせる。そうだ、そうに決まっている。
「アレン、子供たちも何処か行ってしまったわけだし、早く村長さんのところに挨拶に行った方が良いんじゃないのかい?」
不意に話しかけられて我に帰る。ほんとだ、いつの間にか子供たちは姿を消している。
うーむ、やはり寂しいな。
「アレン。」
「あぁ!すみません!少しぼーっとしてました。」
アレンさんが目を薄くしてこちらを睨んでくる。
「まぁいい。修業を始めればそんなこと考える暇も無くなるさ。」
恐ろしいことを口にするアレンさんの言葉を聞いていない振りをしてやり過ごす。
「行きましょう、アレンさん。」
じじ様の家の方向に視線を移す。俺の立っている少し盛り上がった丘から見える景色からは沢山のものが見える。遊ぶ子供、農作業に励むお母さんたち、縁側に寝そべり昼寝をしているお年寄りの方々まで、この小さな村の中でもいろいろな人が住んでいる。そこにはいつも笑顔と元気で満ち溢れていた。
「良いところじゃないか。」
アレンさんがふとつぶやく。
「はい。」
この景色をしっかりと目に焼き付けるとレオンはじじ様のいる家に走り始めた。