第4話 支配
アレンさんは俺の目をじっと見つめると静かに語りだした。
「森の動物には手を出さず、逆に守ってくれるっていうのなら生かしておいた方がいいんじゃないのかい?」
確かにそれなら問題はないだろう。あれだけ強いのだったら頼りにもなる。だが…
「それは理想であって現実ではないんじゃないんですか?」
そうだ。それが現実になるならそれが良いに決まっている。
だが、俺は親鳥を殺しあまつさえその子供に笑って手にかけようとしたあいつがそんなことをするとは到底思えなかった。
「今の君には理想かもしれないね。」
何が言いたいんだろう。分からないことだらけで少し語尾が荒くなる。
「アレンさんには出来るんですか?」
「出来るよ。」
「どうやったら出来るんですか?」
「なに、難しいことじゃないよ。自然の摂理だよ。」
自然の…摂理?一体どういうことなのだろう。それとあのモンスターと一体何の関係が…。
「支配すればいいのさ。」
「えっ…。」
支配?どういうことだ?何が何だか分からない。
「動物は素直な生き物だ。この森の中にいる猫や猿、鳥も魚もみな人間にはない素直な心を持っている。」
「はい…。」
「それはモンスターも同じなのだよ。心を通わせることが出来れば自然とモンスターも自分の和の中に入ってきてくれる。」
確かに動物は何も言わなくても害がないと分かれば近寄ってきてくれる。
だが、あんな凶暴なモンスターが自分に懐いてくれるとは思えない。
「ですが、あのモンスターが森の動物と同じには見えません。」
「そう、中には凶暴なモンスターもいる。だが、それは動物も同じではないのかい?」
動物の中にも気性の激しいやつは確かにいるが、俺が一言注意し、話し合うとどんなに気性の激しいやつでも大人しく従ってくれるが……あっ、そういうことか。
「力の関係を教えてやる…。」
「そう、その通りだ。動物もモンスターも等しく力のあるものに支配され、主と似た心に染まっていく。自然の摂理だ。」
「つまり、俺には力がなくてやつを支配することが出来なかった…。」
「君は賢い子だ。だが、これだけは言っておこう。決して君に力がなかった訳ではない。よく考えればもっと他の方法でも十分に戦えたはずだよ。」
アレンさんはそう言って俺に優しいまなざしを送ってくれた。
そのまなざしに今までの自分の過信していた力に気付かされた。
「あとちょっとでみんなに危険な目にあわせるところだった…俺のせいで…俺が弱いばかりに…。」
言葉にするごとに自分の愚かさに気付かされた。
知らずと熱いものが頬を伝って落ちていく。何処から落ちているのか分からなかった。
「自分を責めることはないさ、君は十分上手くやっているよ。それはこの森を見ればすぐに分かる。君と心を通わしているここの動物たちはとても穏やかで優しさ満ちている。」
頬を伝うものが止まることはなかった。
「でも、俺は、守ることが出来なかった…いや、あのときはただ自分の身のことしか考えていなかった…。」
語尾が振るえる。ようやくそこで自分が泣いていることに気付く。もう止めることは出来なかった。
涙が溢れまるで降り止まない雨のようにして心を埋め尽くしていった。
「当然だ。どんな人間でも死を前にすると足は震えその場に立つことさえできなくなってしまう。ましてや君はまだ子供だ。身体も心もまだ十分に成長していない。決して自分を責めること、ましてや恥じることなど全くないんだよ。むしろそうやって自分を諌め、他者を思い涙を流すことが出来るのは素晴らしいことだ。誇りに思っていい」
もう我慢は出来なかった。恐怖と緊張からの解放、生きていることへの安堵、自分の愚かさ、すべての感情が混ざり合い、溶けて溢れかえっていく。アレンさんの慰めにもう自分を抑えることは出来なかった。
「うぅ、うわあぁぁあああああ――――。」
自分の意志とは関係なく俺は声をだして泣いていた。
アレンさんはそんな俺をじっと優しい目で見守っていてくれた。
心の波が静かに鎮まって行く。気持ちを吐き出した後はなんとも言えない爽快感と恥ずかしさが残っている。
「もう大丈夫かい?ゆっくり深呼吸してごらん。」
アレンさんの低い声が聞こえる。安心感を与える声だった。俺はアレンさんに従いゆっくりと大きく呼吸を繰り返した。泣きすぎたせいかつんと鼻が痛かった。
大分頭がすっきりしてきた。
「もう大丈夫です。見苦しいところを見せてしまってすみません。」
「そんなことないさ。自分も小さい時は苦しいことがあったらいつも泣いて気持ちを落ち着かせていた。気持ちを露わにすることはとても大事なことだ。」
「そうですか。ありがとうございます。」
そんな風に慰められるとかえって照れてしまう。思えば他人の前でこんなに泣いたのは初めてかもしれない。
「まぁ君ぐらいの歳ではあまり泣かなかったがね。」
微笑を浮かべながらアレンさんは俺にそう言ってきた。
…アレンさんはなかなか言う人だった。
「動物たちも心配してたぞ。」
言われて周りを見渡してみるとそこには沢山の動物達が俺とアレンさんを円として集まっていた。
「君が泣いている間にぞろぞろやってきていたよ。普通はこういうやつがいると近寄ってこないんだがね。」
後ろのゴルンガを指しながらそう言った。ゴルンガはまだ気絶している。まだ目覚めそうになかった。
すると俺の足もとに例の猫と小鳥がやってきた。猫は慰めるようにして体を擦りつけ、小鳥は肩に止まって頬の涙の跡をぬぐってくれた。
「みんな…。」
ぞろぞろと他の動物たちも俺の周りに集まる。傍から見ればアレンがどこにいるか分からなかった。
「ふふ、よほど君は愛されているんだね。」
少し離れたところでアレンさんは笑っていた。
「そうみたいですね。全くいつもこういう風に心配してくれたらありがたいんだけど―――。」
そう言うと猿がリンゴを投げてきた。見事頭に命中する。
「調子に乗るな、だとさ。」
「そうみたいですね。ふふふ。」
思わず笑ってしまった。周りの動物も一斉に笑いだした。
森の中はいつも通り笑顔で溢れかえっていた。
「ところでアレンさんが俺に聞きたいことって?」
動物たちも俺が元気だと分かるとみんな森の中に帰って行った。
「あぁそうだね。でも君の治療もしたいしどこか休めるようなところはないかね?」
「ああ。それなら俺の家が森の中にありますよ。そこでいいですか?」
「問題ない。そこに行こう。」
アレンさんの同意も得て俺の家にいざ…。
「うっ…!」
身体中が痛い。そうだった、身体はボロボロなんだった。歩くのもままならない。
「どれ、私の背中に乗りなさい。」
「えっ、そんな悪いですよ。ゆっくりなら歩けますし。」
嘘だ。もちろん今は立つことすらままならない。
「嘘は駄目だよ。男同士なんだから何も恥ずかしがることはない。それとも君はそっちの気があるのかい?」
「ちょっと恥ずかしい、ってそんなわけないでしょ!僕は普通の男性です!うっ、痛い…。」
あばらが折れているせいか大きな声をだすと痛い。今度からは気をつけよう。
それにしても、アレンさんはそんな冗談を言う人だったのか。それとも真面目に言っているのだろうか?よくわからない人だ。
「ほう、では好きな女でもいるのかい?」
「それはいませんけど…アレンさんが聞きたかったのってそんなことですか?」
おもわず少し非難めいた口調になってしまった
「おっと失礼。冗談だよ。移動しながら話そう。」
「はい。それじゃあよろしくお願いします。」
「うむ、了解した。」
アレンさんにおぶってもらう。広い背中だった。
「よし、行こう。」
「はい。」
アレンさんは俺に指示通りに素早く動いてくれた。大分スピードは出ているはずだが全く揺れない。
おそらく俺を気遣ってくれているのだろう。それにしても全く衝撃が伝わってこないのは不思議だった。
まるで、俺は椅子に座ったまま周りの景色だけが過ぎていくようであった。
「次を右です。それで聞きたいことって何ですか?」
「そうだね。それじゃあまず、この森に住んでいるのは君だけかい?」
「はい。ですがこの森を抜けたところに村があります。」
「なぜ、君だけがこの森にいるんだい?」
「…それには少し昔の話をしないといけません。次を左です。」
そう、あの日のことを…
少しさかのぼってケモノから親子を救ったあの夜のことだ。
あの日の夜胸騒ぎをして外に出ると大きな黒いものが親子に手を上げようとしていた。
俺はとっさに何も考えないまま、その黒いものの前に立ちふさがった。
それでも襲いかかってきた。
「だめ。」
そういうとその黒いものは動きを止めた。怯えている…俺はなぜか直感でそう気付いた。
「大丈夫だよ。怖くないよ。」
そう言うと怯えていた目は動物特有の優しい目に変わった。よく見ると熊のようだ。
「レオン…だよな。」
そばでおやじさんがそういっているのに気付いた。手には大きな棍棒を持っている。
じじ様が親子を避難させていた。
「レオン。大丈夫なのか?」
「何が?おじちゃんも触ってみなよこのクマの毛並みとっても気持ちいいんだよ。」
熊の柔らかい毛並みに顔をうずめる。
「クマ?熊だと?」
おやじさんが驚いているのを不思議に思った。
それからしばらくするとじじ様が俺に聞いてきた。
「レオンや、どうしてこんな時間に起きているんじゃ?普段ならもうとっくに寝ておろう。」
そうだ。おれは本来この時間は寝ているはずだった。
「うん。胸騒ぎがして。」
「胸騒ぎ?どんなもんじゃ?なんか見えたのか?」
「ううん。なんか胸がもやもやして、それで外に出たらこのクマが襲ってるのを見て…」
「ん?どうしたんじゃ。」
俺はその時頭の中である事に気付いた。じじ様が前に村の人に手をだしたら始末すると言っていたのを。
「このクマ殺さないで!きっと何かあったんだよ。」
「何かって?」
「わかんない。でも暴れていたのはこいつのせいじゃないよ。」
それだけは確信が持てた。なぜだかは分からないが…。
するとじじ様は俺の目をじっと見ると、
「たとえこいつのせいでなくても村のもんに手をだした以上放ってはおけないんだよ。」
おやじさんが間に入ってきた。
「いやっ!」
「嫌じゃない!レオン、これは村の掟だ。」
怒鳴られておもわず身体がびくっと振るえる。おやじさんがじっと睨みつける。だが、レオンも負けずと涙目ながらも睨み返す。
「落ち着け。今は熊ではなくてレオンのことを聞いているんじゃ。」
じじ様が間に二人を諭す。
「そうですね。すみません。」
「むうぅ~。」
謝るおやじさんとむくれるレオンを見てひとまず落ち着く。
「それでじゃ、どうやってあのケモノを大人しくさせたのじゃ?」
「ん?そんなの簡単だよ。クマが怯えているのが分かったから、大丈夫だって言ってあげたんだ。」
それを聞いておやじさんとじじ様はすごく驚いていた。
「あのケモノの気持ちが分かったのか?」
「うん。なんとなくだけどね。」
「よくもまぁなんとなくであんなことが出来る。肝が据わっているというか何と言うか…」
おやじさんが呆れたというような顔で天を仰いだ。
「おじちゃん、それ誉めてるの?」
「おう。誉めてんだよ。」
「それでじゃ、なんでケモノが熊に戻ったんじゃ?」
「それは分かんない。」
そう言うとじじ様は考えるようにして髭を触っていた。
「そうか…。」
「どうなっているんですかね。」
「分からんの。」
二人には何が何だか分かっていない様子だった。
「ねぇ、そんなことよりこのクマどうするの?」
「まだ言うか!駄目なもんは駄目だ!」
「いやーーーーー!!」
「このクソ餓鬼!大きな声出すんじゃねぇ。」
「むぅうう。」
「そうじゃのぉ、今は大人しいようじゃし森に帰してやろう。」
「なっ!」 「やったーー!」
じじ様がそう言ったことにおやじさんはびっくりした顔をじじ様に向けている。
「ただし、またこんなことがあればその時はたとえどんな理由であれ始末する。分かったな、レオン。」
「はい。」
「うむ。」
そうして熊を森に帰してその夜は終わった。
時は移り森の中
「うむ、なるほど。そのケモノとやらをおぬしが鎮められるからこの森にいるということか。」
アレンさんは相変わらず全く揺れを感じない走り方で素早く動いている。
「はい。まぁ結果そうなんですけど、いろいろあったんです。あと俺のことはレオンって呼んでください。」
「了解した。それでレオン、いろいろとは?」
「はい。それからあの夜の後もケモノは来たんですがそんな時は全部俺が村の人に手を出す前に大人しくさせたんですよ。」
「ほう、それで?」
「ケモノが出た時は村中が騒ぎになるんでそれだったら俺が森の中で獣を大人しくさせるって言ったんです。その時には俺がケモノを大人しく出来るって村のみんなは知っていましたから。」
「……。」
アレンさんは何も言わない。おそらく続けろという意味だろう。
「もちろん最初は誰も許してくれませんでしたが、俺が頑なに言い続けたもんですからみんな最終的にはおれて俺の森の移住を許してくれたんです。その代わり、13歳まで待つことと、危険だと感じることがあればすぐに村に逃げてみんなに連絡をすること、月に何度か顔をだすこと、の条件付きでようやく許してくれたんです。」
「それでは森に移住したのは最近のことかね?」
「はい。もっとも、俺が森に住むころにはほとんどケモノは現れなくなったんですけどね。それに小さい頃からこの森には遊びに来てたんで特にこだわっていなかったですし。」
「それならどうしてそこまでして森に移住したかったんだい?」
「それはもちろん村のみんなを守りたいのもありましたけど、俺が産まれた場所でもあるからなんです。」
「産まれた?」
「とはいっても、拾われたんですけどね。親の顔は見たこともありませんし生きているのか、今何をしているのかも分かりません。」
「すまない。嫌なことを聞いてしまったね。」
「いいえ。別に嫌なことじゃありませんよ。俺の親は拾ってくれたじじ様だし何の文句もありません。」
確かに親のことは何も知らないが、それで辛いと感じたことはない。
俺はじじ様が親で満足しているし、感謝している。何の問題もなかった。
「そうか。良い人と巡り合ったんだな。」
「はい。大事な人です。」
話していると会いたくなってきた。怪我がある程度治ったらまた会いに行こう。
「あれが君の家かい?」
「はい。」
ひっそりと建つ温かな光を纏った我が家が見えてきた。