第2話 レオンとエレナ
「よっと。」
ここがじじ様の家だ。じじ様の家は村と少し離れていて一番東の端に位置している。
木造の平屋で一見小さいように見えるが、案外中は広い造りになっている。
「こんばんは。じじ様はいらっしゃいますか?」
「おぉ、ここじゃここじゃ。今行くからそこに座って待っていてくれ。」
家の中は綺麗に掃除されていて清潔にされている。家のいたる所に置かれたアンティークの
置物や装飾品の数々はどこか異国情緒を感じさせる。
「いつ来ても綺麗に掃除されていますね。」
「儂は綺麗好きじゃからな。朝の掃除と散歩はわしの日課じゃよ。」
「こんばんは。じじ様。お元気そうでなによりです。」
「大丈夫じゃよ、ありがとう。今日はよう来てくれたな。」
そういって顔に笑顔を浮かべながら現れたこの人こそ、じじ様でありこの村の村長だ。
「今日もルイスんとこに手伝いにいっとんたいかい?」
じじ様はおやじさんを本名で呼んでいる。なんでも昔からの付き合いだとか。
「はい。今日は角材を運ぶのを手伝っていました。でも、遅刻しちゃって怒鳴られちゃったんですけどね。」
「ふふ、それだけレオンを頼りにしとんじゃよ。あいつなりの愛情表現じゃて。」
そういって向かいに座った老人は白のカップに入った温かいココアを渡してきてくれた。
この人がじじ様だ。白くて長い髪と髭に眼鏡の奥に見える青い瞳が特徴的な人だ。
しわの刻まれた顔は柔和な優しさが滲み出ていて、痩せた手足には質素な生活が感じられた。
特徴的な青い瞳には知的さと子供のような好奇心を含んだ光を発していて老いを感じさせないものがある。
「本当にそうだと良いんですけどね。」
「きっとそうじゃよ。」
じじ様からでる言葉には優しさが滲み出ていて妙な説得力があった。
「そんなことより、じじ様、今日はどういったご用件ですか?」
「いやいや、そんなかしこまることじゃないよ。森の様子を聞こうと思ってな。」
「そんなことですか。大丈夫ですよ。みんな元気にやってます。」
今日、猫が溺れそうになってたけど。
「そうか。あの日以来、動物も大人しくしておるようだし、最初はどうなるかと思ったがやはりレオンで間違いはなかったようじゃな。」
この村にはよくケモノが迷い込んでくることがあった。ケモノとは呪われた動物のことである。
特徴としては大きい爪や牙があり黒い影のようなもので覆われていて元の形は留めてない。
呪いは病気や天災だとの諸説があるが、実際のところは全く分かっていない。
中には気性を荒くしたケモノが村に入り田畑や家、村人にまで危害を加えるものもおった。
そんな時はいつも儂がみなに伝え、ルイスがケモノを森に追い払っていたのだが、森の中に追い払ったケモノは他の動物を傷つけ死なすことがあり、根本の解決にはなってなかった。
そんなある日、いつものようにまたケモノが村に迷い込んできた。
だがその日のケモノはいつもと変わっていて気性が激しいというよりはどこか錯乱しているように見えた。
そんないつもと違ったケモノを前にルイスと儂はどうしていいか分からずに悪戦苦闘していた。
いくつかの攻防の中、近くに隠れていたのだろう母と五歳ぐらいの娘の親子が危険を察知したのだろう急いでその場から逃げようとしていた。
するとそれを目の端で捕えたケモノはルイスとの攻防から突然進行方向を変えたのだ。
ルイスと儂も一瞬の出来事に反応が僅かに遅れてしまった。
驚きと恐怖に悲鳴を上げる親子にケモノが襲いかけたその時、一人の子供が突然ケモノと親子の間に割って入って来た。
「あっ!!」
あまりにもの突然のことに驚き、思わず声がもれる。しかし、ケモノは見えていないのか意にもかえさない様子でその子供ごと襲いかかった。
「だめ。」
子供の鈴のような声が響きわたった。すると振るわれていた爪がその子供の目の前で止まった。
その場の時が一瞬止まる。誰も何も言わない。誰も動かない。
子供は広げていた腕をケモノの顔に近づけ、そっと触れる。
「大丈夫だよ。怖くないよ。」
月明かりがその場を照らす。微笑む子供とひれ伏すケモノ、その様子は神々しくまるで絵に描いたように美しかった。
「どういうことじゃ。」
自分の目の前で起こっている光景に驚きと疑問の入り混じった声が漏れる。
「レオン・・・だよな。」
月明かりで照らされた顔は間違いなくレオンの顔だった。
レオンは寝巻き姿で今まで暴れていたケモノと楽しそうに戯れている。
後ろではよほど緊張していたのだろう、恐怖から解放された親子が安堵の表情を浮かべて座り込んでしまっている。
「大丈夫かい?」
いまだケモノの警戒を解かないまま親子を安全な場所まで連れていく。
「ええ、あの子のおかげで怪我もありません。それより、あの子は一体・・・。」
「レオンじゃよ。わけあって儂の家で面倒を見ておるんじゃ。」
曖昧な言葉でその場をごまかした。いや、自分でも何が起きているのか分からなかったのだ。
母親は安心していたのだろう儂の言葉で納得して帰って行った。
「レオン。大丈夫なのか?」
「何が?おじちゃんも触ってみなよこのクマの毛並みとっても気持ちいいんだよ。」
そうルイスに言って気持ちよさそうに顔を柔らかそうな毛にうずめている。
「クマ?熊だと?」
子供は今もケモノと戯れでいる。だがそこにはケモノではなく茶色い毛の大きな熊がいた。
「・・・どういうことだ?」
「今はケモノではないってことじゃよ。」
「じじ様。」
「さぁな。儂にも分からんて。ただ、いま言えることはレオンがあの親子を救ったということだけじゃ。」
「そうですね。」
そしてその日からケモノは姿をあまり見せなくなった。出てきてもレオンが一言発すると大人しくなり、いつしかケモノは全く村に現れなくなった。
あの頃からだいぶ時が経ちレオンも元気に逞しく成長していった。
「あの熊は今でも元気かい?」
あの時の熊は本来村の人に手を出したので始末されるしきたりなのだが頼み込んで森に帰してもらった。
「はい。あの熊も今では大人しく森の中で過ごしてますよ。」
「そうかそうか。そりゃ良かった。何かあったらすぐに言うんじゃぞ。」
「分かってますよ。でも、その心配はいりませんよ。俺が一番強いですから。」
そう言って自慢げに胸を張る。
実はレオンはこの村ではかなり強い。
力だけで言えば一番強いのはルイスだがレオンにも十分にある。その他のスピードや身のこなしなどは動物のそれに近く、森の中で縦横無尽に動けば捕えるのは不可能に近かった。
「ほっほっほ。頼もしい限りじゃ。任せたぞ。」
「はい!!」
今日はもう遅くなったので久しぶりにじじ様の家に泊まることになった。
一晩くらい森にいなくても大丈夫だろう。
「ところでじゃレオン、エレナとはどうなんじゃ?」
寝巻きに着替えていると不意に聞いてきた。エレナとは昔からの仲で小さい頃はよく遊んだ仲だ。
「エレナですか?元気だと思いますよ。この頃会ってないですけど、どうかしたんですか?」
「隠さんでも良いんじゃぞ。エレナとはどこまでいったんじゃ?」
エレナとはこの村の娘で村一番の美少女だと言われている。だが、なんとあのおやじさんの娘だ。正に遺伝子の神秘といったところだろう。噂では何人か娘さんに手を出そうとしておやじさんに殺されかけたらしい・・・。
「何もしてませんよ!変なこと言わないで下さいよ!」
「変なこととはどういうことじゃ?昔はあんだけ仲が良かったではないか。」
「いや、それは昔の話でしょ。」
「お風呂も一緒に入ってたしのぉ。」
「それも昔のことでしょ!それも一回だけですし!」
そう、まだ男と女の区別もよくわからなかった頃、外で遊んで帰ってくるとじじ様に言われて一緒にお風呂に入ったのである。もちろん、やましい気持など全くない。純白な心の子供だったのだ。そして今も純白な心だと信じている。
「ほっほっほ若いとはいいのぉ」
「ちょっと!話進めないで下さいよ!」
久しぶりのじじ様の家は昔と変わらない温かさと笑いの絶えない心地いい場所だった。
そうして今日の夜もいつもと変わらず更けていった。
「はぁ~。よく寝たぁ。」
起きた時にはすでに日が昇っていて時刻はどうやらお昼を過ぎているようだ。
「腹減った~。」
寝癖も直さずに台所に向かう。おや、何やら美味しそうな匂いがするな。
「お、ハンバーグじゃん。やった!」
起きてすぐだがそんなものは関係ない。俺の胃袋は人よりも頑丈に出来ている。
「おう、おはようレオン。もう出来るぞ。」
「おはようございます。」
言っておくが今はお昼でランチの時間だ。
「おはようじゃないわよ。全く、今何時だと思ってんのよ。早く顔洗って寝癖も直してきなさい。」
「はぁーい。」
そういわれて洗面台に向かう。・・・ん?今、聞きなれた女の声がしたような・・・。いや、間違いなく知っているぞ。
「って、なんでエレナがここにいるんだよ!」
改めて台所に向かうとそこには料理をするエレナと椅子に座って料理を待つじじ様がいた。
「何って何よ。別にここにいちゃいけない理由なんてないじゃない。それともなに、私がいちゃいけない理由でもあるの?」
ハンバーグを裏返しながらそういってくる。うむ、美味しそうな匂いだ。ここで文句を言ってお預けなどされたら大変だ。
「いや別にないけど・・・。」
「ならちゃっちゃと支度してきてちょうだい。もうすぐご飯もできるから。」
「分かった。」
はんにやけのじじ様を目の端で捕えたがあえて何も言わないでおくことにする。
「何でいるんだ・・・。」
再び洗面台に向かいながら考えてみるが何も浮かばなかった。
そうこうしているうちに準備も終わりようやく昼食にありつけた。料理は若干冷めていたが食べやすい熱さになっていて味にはなんの問題もない。
うん、美味い。
じじ様も普段食べない料理だが美味しそうに食べているようだ。
「うむ、これなら立派なお嫁さんになれるな。」
「そうですか。和風の味付けにしといて良かったです。」
じじ様のハンバーグはソースではなく大根おろしが上に乗っていてポン酢がかけられている。
「レオンはどう?」
「あぁすごく美味しいよ。」
「そう。良かった。」
料理を作っていて熱かったのだろうか少し顔が赤くなっている。
「熱いのぉ。」
「じじ様もですか?俺はそうでもないけど。」
暑いだろうか?まぁ一様窓を開けておこう。今日もいい天気だ。
「そうじゃないわよ。バカ。」
エレナはそう言うもののレオンは天気を見ていて気付いていないようだ。
「ん?」
「なんでもない。」
「・・・ならいいけど。」
ぷいっと顔を背けるエレナに疑問を抱くもすぐにご飯を食べ始めた。
「エレナも大変じゃのう」
「小さい時から何も変わんないんだから。」
そういって二人で見つめる。口にソースが付いている。
「ソースついてるわよ。」
レオンは慌ててソースをティッシュで拭いた。
「今日はどうするの?」
昼食も終わりゆっくりしているとエレナが聞いてきた。
「とりあえず森に帰るかな。みんなが心配だし。」
「そう・・・。」
自分の身を案じているのだろう声に張りがなかった。
俺は森からあまり出ない。森の中にいるのが仕事みたいなものだからだ。
「心配すんなって。俺がしだしたことさ。」
エレナに面と向かって話す。確かにエレナも大分変わったと思う。
小さい頃はあまり意識していなかったが、アーモンド型の大きな目、スッとした感じの主張し過ぎていない鼻、桜色の唇、手入れの行き届いた髪と肌は大人らしい雰囲気を出していた。
「あ、そうだ。今日は何か用事があったのか?」
「ううん。特に何も。じじ様に会いに来ただけよ。」
「ふぅーん・・・まぁまた飯作ってくれよ。楽しみにしてるから。」
「うん。」
少しは元気になったかな?
「またな!」
レオンは颯爽と森に駆け抜けていった。
「行ってしまったの。」
じじ様が隣に立っていた。
「そうですね。」
「本当はレオンに会いに来たんじゃろ?ルイスに聞いたんじゃなかったのかい?」
「たまたまですよ・・・。」
もちろんたまたまではない。お父さんに聞いてレオンに会いに来たのだ。じじ様には日頃からよく会いにきているので聞いていなくても会っていたかもしれない。
「大丈夫じゃよ。レオンなら心配いらんよ。」
「心配なんかしてません。ただ・・・。」
「ただ?」
「いえ、なんでもありません。」
足元で動きを感じた。ふと足元を見ると小鳥がこっちを見ている。
「この子は?」
小鳥に手を伸ばしてみる。人に慣れているのだろうか、逃げずに触らしてくれた。
頭を撫でてやると気持ち良さそうに目を細めた。
「さぁの。今朝がた家に来たんじゃよ。もしかしたらレオンの知り合いかもの。」
「そう、レオンの・・・レオンをよろしくね。」
言い終えると小鳥はすぐに森の方に飛んで行ってしまった。