第五話
異世界に来てから三日目。
雑草を引き抜いて一時的に使えるようにした裏庭で昨日買ったメイスを振るっていた。もちろん相手は頭を下げて頼み込んだロナ姉だが、こちらの攻撃を汗一つかかず余裕な表情で避け続けていた。
「これなら、どうだっ!」
縦に振るだけでなく、今度は横なぎに振るってみる。
それも後ろに跳んで避けられた。その光景を視界に入れながらも、振るったメイスの重みで体勢を崩し、前のめりに倒れそうになる。
「うわっ!」
「もっと足に力を入れないからそうなるんだ」
情けない声を上げた直後、あきれた声が目の前から聞こえた。
気付けばロナ姉に両肩を掴まれて、支えられている。
だが前のめりに倒れたせいだろう。視線が嫌でもロナ姉の胸元に向いてしまい、悪意のない行動だと自分でもわかっているのに顔を赤らめてしまう。
「す、すみません」
二つの意味で謝るが、構わないさと全く気付いていない様子。
あっているけど、ちょっと違うなと思うが、口に出してからかわれるのも癪だ。体を起こして再び距離を取るとメイスの先端をロナ姉へと向ける。
「もう一度お願いします」
朝からもう何度も武器を振るっているせいだろう。
腕は僅かに震える程限界を迎えている。武器もそれに従って小刻みに動いている。
正直に言えば疲れていて、震えを隠す気力もわかないが、決闘までの時間は刻一刻と迫っている。
それまでに最低限使える奴にしておかなければ、その気持ちが自分を押すと、ロナ姉に向かってメイスを振りおろしていた。
直後ロナ姉の持っていたショートソードが鞘から抜き放たれ、的確に柄を突かれた。
予想外の攻撃に驚きもしたが、痛みと共にメイスが自分の手を離れ、音も無く遠くへと転がっていた。
「あいたたた」
遅れて無理に自分の手から離れたせいか痺れが自分の手を襲った。
軽く手を振るいつつ、遠くに転がっているメイスを拾おうとする。
そうしようと思ったのに、どうしたのだろうか。柄を握って持ち上げようとするも、一向に持ち上がらない。たかだか二~三キロほどの物だと言うのに、一体どうしてしまったのだろうかと自分の体を疑ってしまう。
「どうやら訓練はここまでだな。クレアも構わないな?」
「うん、大体の能力は分かった。明日からは素振り」
「ま、待って下さい。まだやれます!」
まだやれるはずだと言うのに、一向に持ち上がらないメイスを一瞥し、二人に慌てて声を掛ける。
こんな所で終わってしまっては、期日まで間に合わなくなるはずだ。それならば多少無理してでも、鍛える必要性があるのに、こんなにも早くは終われない。
「はぁ、まったく。――落ち着け」
ロナ姉が呆れた表情を浮かべると、自分の額に向けてデコピンをした。
一体どう言う意図があってそんな行動をとったのか意味が分からず目を白黒させてしまうが、意図を読もうとしない自分に再度あきれたのか二人からため息を吐かれた。
本当にどう言う事なのだろうか。
「気持ちは分からなくはない。でも休息も時には重要。急いでやって体を壊したら、それこそ間に合わなくなる」
「そう言う事だ。お前は頑張った、だから少しだけ体を休めてやれ。クレアもマッサージのやり方をコースケに教えといてくれ、良いな?」
「わかった、まかせて」
それで話は終わりだと言わんばかりに二人とも自分の武器を鞘へと戻すと、自分を置いて話しあいを始めていた。
それを見てこれ以上抗議しても無駄だと判断を下すのは簡単だった。渋々武器から手を放すと、急に体の力が抜け、その場でへたり込んでしまう。
「あ、れ?」
自分の体と言うのに、いう事を聞きはじめない体になってしまうなんてどうしてだろう。
二人に心配かけさせないよう必死に動け、動けと何度も脳内で繰り返すが、身体がピクリとも反応しない。
「ほらな。コースケの身体も休みたい、そう主張しているじゃないか」
「あとでマッサージしてあげる。それと水」
そう言って、あらかじめ用意されていた水筒を投げ渡される。
こんな状態で飲めるのだろうかと一瞬思ったが、どうやら無駄な心配だったらしい。
蓋を開けるだけの力は残っているのか、乱暴に蓋を開けると中に入っていた水に口を着ける。
訓練していた最中は全く気付かなかったが、喉はからっからに渇いていたのか、気付けば水筒の中の水を全て飲み干していた。
二人の分の事を考えておらず、一言謝るべきだと思い、目を向けるがこの事を予想はしていたのかそれぞれ自分の水筒を持ち軽く口を潤していた。
「ふぅ、それじゃあ二時間後にギルドで落ち合おう。その時にコースケにもクエストの説明をさせてもらおう」
「わかりました。なるべくなら自分の体を鍛えられるようなものをお願いします」
そう言うとロナ姉は苦笑まじりに任せておけと言うと、踵を返して家の中へと入っていった。
きっとそのまま帰るのだろうと思うが、ロナ姉が去ったところを見送るとその場で小さく息をこぼした。
「どうしたの?」
「いや、一回目から全然ダメだったからさ。このままで本当に大丈夫なのかなと思ってね」
自分から言いだした事とは言え、やはり無謀な事だっただろうか。
二十九日後にはリュゼさんと戦うはめになると言うのに、これでは一撃で斬り殺されると言う言葉もあながちありえそうだ。
そんな弱気な言葉を吐いたせいだろう、クレアから小さくため息を吐かれた。
「一回目だから仕方ない。それに一回目で良い結果を出せたら誰も苦労しない」
「わかってる。わかってるんだけど、それでも早く強くならないと……」
「気休めになるか分からない。私もコースケと似たようなものだった。その時は同じように悩んだけど、少し経ったらそんな事を悩んでる暇が無かった」
「一応なんでか聞いても?」
「生きるのに必死だった。あとは――――ロナ姉の訓練が死に掛けるほど、厳しかった」
多分、後者が本音なのだろう。
声が僅かに震えているのを感じ取ると、自分も似たような目にあうのだろうかと考えた。
厳しいぞ、と言ったからには同じ目にあうのだろうが、一体どんな目に合うのだろうか。多分聞いても教えてはくれないが、クレアが「死ぬ」と言う単語を使う時点で嫌な予感はヒシヒシと感じられる。
「死にたくは、ないなぁ」
その言葉でクレアの同情を買ったのだろう。肩に手を置かれると、頑張ってとだけ掛けられた。
「それと、時間が教えてるからご飯食べてギルドに向かおう」
「あぁ、わかった。それよりも今日中にクエストが終わったら衣服見ても良いか? いつまでも服を借りるのも悪いし」
そう言って今自分が来ている厚手の冬着を軽くつまんで見せる。
昨日の夜、寝ようとしたところで何着か大きめの男性服を差し出され、言われるがまま借り受けたがいつまでも使っていては元の持ち主が困る事だろう。
それならば今日の仕事が終わってすぐにでも自分の衣服を購入し、着ている物を洗濯して菓子折りと共に返せば余計な荒波を立てずにすむだろう。
そんな中クレアと言えば、触れてはならない話題だったのか、一人苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべていた。
だが、それに気付く暇もなく顔を家の方に向けた。
「私の一存じゃ決められない、ロナ姉に聞いて。それと、その衣服はもう着る人が居ないから気にしなくていい」
あまりにも素っ気ない態度に疑問を覚えるが、それを聞くよりも先に家の中へと入っていった。
多分、この後顔をあわして再度聞いてもクレアの機嫌を損ねるかも知れないと思うと、衣服の話題に触れない方がいいのかも知れない。
「――あとで謝らないとな」
少しだけ浅はかな発言に反省すると、水を張った桶に入れていたタオルを絞り体から出た汗を拭きとっていた。
17
二時間後。クレアとともに食事を済ませ、ギルド宿り木につくと待ち合わせをしていたロナ姉を探すためにテーブル群へと目を走らせていた。
長身で眼帯を着けた紅髪の女性と、思い返せばかなりわかりやすい特徴を持っているためにクレアの時と違い、即座に見つけられた。
しかし一人で座っているようではなく、どこか見覚えのある茶髪の女の子と談笑しているようだ。
「見つけた」
クレアに聞こえるよう、わざと呟くとクレアも自分の視線を追って、ロナ姉たちが座っている席に目を向けた。
しかしクレアも同席している女の子には見覚えが無いのか、少しだけ首を傾げてはいたがすぐに席へ向かっていた。
「お待たせ、ロナ姉。そっちは誰?」
向こうも歩いてくるこちらに気付いたのか、一度会話を切って、視線を向けてきた。
ただクレアの目はもう一人の子に向いていた。自分ももう一人の方に注目するが、良く見れば昨日大通りでぶつかった子と特徴が似ている。
お礼はまたいつか、そう言っていたが、昨日の今日で自分の所属しているギルドを見つけてくるとは凄い探索能力だと素直に驚いてしまう。
「そこまで待っていないさ。それと、隣の子だが、そうだな――お互いに自己紹介でもしてくれ」
「は、はい。わ、私リリィ=ハルマークと言います。昨日はとんだご迷惑をおかけして失礼しました!」
ロナ姉が茶髪の子を一瞥すると、ぶるりと体を震わせて、その場で立ち上がった。
そして自分の名を告げると、深々と頭を下げていたが、自分も含めて昨日の件を気にしている人は居ないだろう。
「クレア=ラーディッシュ。よろしく」
「殻木 浩介です。昨日の件はお気になさらず」
「クレアさんにコースケさんですね。わかりました、改めてよろしくおねがいします」
そう言いながらリリィは人懐っこい笑みを浮かべていた。
「さて自己紹介はすんだな? これから依頼の概要を話すが――いつまでも立っていないで、座ったらどうだ?」
そう言われると、たしかにと呟いてクレアと共にロナ姉、リリィと向かいあう形で席に着いた。
「それでだ、話をする前にコースケ。お前の考えるクエストを思いつく限りで良いから答えてくれ」
「そうですね。――と言っても、依頼の期日を守るって事と、受注したら違約金を払わないと取り消しが出来ないって事位ですかね」
「ふむ。まぁ、あながち間違ってはいないな。付け加えるとギルドの冒険者にはそれぞれランクが与えられている」
再び新しい単語がロナ姉の口から零れた。思わずランク? と聞き返すとクレアが小さく頷いた。
「ランクはその人の実力を簡易的に表すもの。入りたての人はE。コースケもE。私はC、ロナ姉はB。――ところでリリィは?」
「私も七日ほど前にここに入ったばかりなので、Eですね。あぁ、あと依頼にもランクがあるって聞きました」
そう言いながら、お揃いですね。と小さく笑みを向けてくるリリィに心臓が跳ねるが、すぐにクレアから肘で小突かれた。
一体なぜと思いもするが、一緒のギルドならば探索能力が凄いのではなく、偶然鉢合わせた可能性もありえるなと一人納得してしまう。
「ちなみに、だ。クエストのランクはそのランク以上の人間しか受けられない事を表している。理由に関しては、まぁわかるだろう」
どう考えても死人を出さないようにしか思えない配慮に思わず苦笑いがこぼれる。
それに対して、ただの笑いごとじゃない。とクレアから直接釘を刺された。
「ただランクが見合っていたとしても、時たま不慮の事故で死ぬ可能性もある。クレアの件が良い事例だな。――ちなみにランクの高い人とチームを組んだ場合、一番ランクの低い人物はより一つ上のランクを持った依頼を受けれる」
「なるほど、つまりはランクが高い人がチームの保護者的な立ち位置になるのか。ところでクレアと会った時は、どんな依頼を引き受けてたんだ?」
話を聞きながらもふとした好奇心から、クレアは一体何ランクの依頼を受けていたのだろうかと言う疑問が頭を走る。
それを深く考えずに口に出すと、あきれたように今日二度目のためいきを吐かれた。
「それは国家機密。同じ屋根の下で暮らしてるとは言え、教えられない」
「あぁ、そうか。じゃあもう一つ、ギルドのランクが一気に上昇すると言う事はあるんですか?」
「ここ数年は聞いた事が無いな。一応一気にランクが上がる手段がない事はないが、二人とも自分の命が惜しいと言うならば、辞めといた方がいい」
一応は存在していると言う事だけ確認できただけ充分だが、リリィが深く突っ込んで質問を始めた。
「その手段とはいったいなんでしょうか?」
「ふむ、一つ上のランクでも手におえない生物を狩る。または街で指名手配されているような悪人を捕まえる等と言った治安維持活動などだな。――ただ、今のコースケとリリィがそれをやったら死ぬのは確実だな」
そう言いながら、まぁ死にたいのならば好きにすれば良いさ。と若干冷たさすら残る言葉が続けられた。
なにか過去にそう言う物でも見てきたのだろうかと、少しだけ気にはなるが詮索して機嫌を損ねてしまったら、今後顔を合わせづらい。
ここは、やりませんよと本音交じりの言葉をこぼすと、少しだけ安心したようにそうかと返答が返ってきた。
「あぁ、あと依頼の期限の最低時間を教えてほしいんですが」
「物にもよるけど、一日が最低。ちなみに私が受けてたのは十日ほど」
「機密の仕事なのに、そんな事を話しても大丈夫なのか?」
「日数だけで全容は把握できない。大丈夫」
なるほどと一人納得していると、説明は以上だ。と話を切りあげられた。
「後々聞きたい事があれば私かギルドマスターにでも聞くと良い」
「わかりました。ではコースケさん、クレアさん、ロナさん、私はこれで――」
そう言って席を立とうとするが、その腕をロナ姉が掴んだ。自分もそうだが、リリィも一体何用で、と思ったのか首をかしげていた。
「まぁ、待て。どうせこの後依頼を受けるんだろう? なら一人も二人も変わらんさ、まとめて面倒を見てやろう」
「え? でもご迷惑がかかりますし」
「Eランク二人のフォローも出来ないと思われる方が心外。私もフォローするから甘えて構わない」
「いや、あの、その――」
助けを求めるようにリリィの目がこちらへ向けられる。
だが同じランクであり、二人目のサブヒロインであろう人物をわざわざ放っておくなどといった、もったいない事をするつもりはない。
「自分としては同ランクの人が居た方が安心できるので、一緒に行きませんか?」
「で、では、お邪魔じゃ無ければ失礼します」
自分も歓迎した態度を見せたためだろう。リリィの方が折れ、再び席に着くと一枚の羊皮紙がロナ姉のポケットから出てきた。
「よし、それじゃあこれにサインしてくれ。私は受注手続きを進めてくる」
「準備が良い。もしかして最初から考えていた」
「まさか。未来予知が出来る程有能な力を持った覚えはないさ」
そう言いながら席を立ってカウンターへと向かって行った。
その姿を見送りながらも羊皮紙にサインすると、クレアから一つだけ気遣いの言葉が掛けられる。
「コースケもリリィも初クエストだけど気を張り過ぎないように。疲れは死に直結することだってある」
まさに経験者の言葉。重みのある言葉に自分とリリィが首を縦に振ると、お互いの武器を確認するためにテーブルへと得物を置いた。
「――やっぱり」
「――あっ」
お互いに出た言葉の意味は違うだろうが、リリィの持っていた武器と自分の持っていた武器は似ていた。
それは1mほどはあろう長物――ウォーハンマーだった。これとリリィの容姿だけを見れば原作で出てきたサブヒロインの一人として可能性は強くなった。
ただ確証を得るためには彼女が、どの種族なのか確かめる必要があるが、今は聞いたところで望んでいるものとは違う答えを聞かされるはずだ。
ならば、リリィが言いたくなる時まで待つべきだろう。ただ一つ気になった事があるとすれば。
(最初のクエストって何やらされるんだっけ?)
幾つもの候補があるせいで少しだけ期待してしまうが、すぐに思い出す事となった。
ここが現実の世界である。その事実に――