第十話
「はぁ、はぁ、はぁ」
どれだけ走らされただろうか。
おそらくだが、あの怪物との距離は充分離したはずだ。
それでもなお目の前で走っている彼―コースケ―は手を離すどころか、手を強く強く握りしめ森の外に向かっていた。
そしてようやく森の外に出たところで、その手が離され険しい表情のまま、私の両肩を掴み、目を見て言われた。
「このままリリィは街まで戻って、この事をギルドの人に伝えて応援を連れて来て下さい」
「え、こ、コースケさんは、どうするんですか?」
「自分はさっきの場所へ戻ります。逃げろってクレアは言ってたけど、放ってはおけないから」
そう言うと、振り返って声を掛ける間も無く、再び森の中へ駆けていった。
「--あ、どうして、みんな、置いて行くんですか?」
思い出したくない光景が目に浮かぶ。
あの時もそうだ、大丈夫だといって、絶対帰ってくる。
そう言って、返らぬ人となった両親がいた。
その時を思い出し、引き留めようと願った小さな嘆きは、彼の耳に届く事は無く、風の音とともに掻き消された。
「あぁ、あのときと一緒だ。全部、ぜんぶ……」
同時に彼らの待ち受ける運命に瞳からは涙を溢れ出す。
どうにも出来ない不甲斐なさに、ただただ謝りながら、その場で泣き崩れ落ちてしまった。
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一方その頃。クレアは一人、森の中で遭遇した巨大な熊―グリードグリズリー―に立ち向かっていた。
ただし、その手には武器が握られいない。先程反撃で使ったナイフは、未だにグリードグリズリーの背に突き刺さったままだ。
まだマチェットが二振り腰に挿してはいるものの、ナイフを刺して痛みを訴えなかった以上、物理的な攻撃は意味をなさないだろう。
しかし何もしないのと出来ないは、大きく違う。目の前の敵を狩る手段を一つ、また一つと考えながら大きく振るわれる剛腕を回避した。
だが空振った一撃は、降り積もった雪を吹き飛ばし、その下にある地面すら深々と抉る。
それだけで目の前の奴がどれだけの力を持っているのか、想像が着く。
とりあえず接近戦など論外だが、あの攻撃がかすりでもすれば、それだけで致命傷となりえるというのは、避ける側としては肝が冷える。
いっそう気を引き締めないと、とつい思考がもれるが、唯一の救いがあるとすれば、非常に見切り安い攻撃であると言う事だけか。
ある程度観察を終えると、足を止め再び魔力を練り込む。
狙いは、相手の攻撃を再び誘うのと同時に足止め。
「守りの力をここに--『障壁』」
そう呟くと同時に眼前に、鋭い一撃が振るわれる。
けれど、触れるよりも先に、硬い何かがグリードグリズリーの一撃を阻んだ。
グリードグリズリーにとっては理解し難い現象に一瞬たたらを踏む。けれどその攻撃が届かないと理解すると、ドン、ドン、ドン、と明確な怒りを感じさせる一撃を障壁へと叩きつけていく。
(今のところはこれで耐えられる)
その光景を横目に、チラリと彼らの去った方向に目をやる。
逃げるには充分な時間は稼げただろう。
しかしこんな事は長く続けてはいられない。今は余裕を持っているが、ある程度のところで撤退しなければ、こちらの魔力が底を尽きてしまう。
その上、あのお節介焼き―コースケ―が心配してこの場に表れてくるかもしれない。
それだけは避けなければと思っていると、口からふと悪態が漏れる。
「これの討伐、ロナ姉の仕事。――いったい何をしてる?」
そう言いつつ準備をしていた獣避け用の毒々しい色のポーションの一つを取り出す。
「あまりこれは使いたくなかった」
小さなため息一つ、覚悟を決め障壁を解除すると目の前の熊に向けて、それを放り投げた。
直後、グリードグリズリーのおたけびがあたりへと鳴り響いた。
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「あぁ、クソっ! なんでこんな事に!」
リリィを森の外へと連れ出した後に、再び来た道を走りぬけていた。
今回遭遇した奴―グリードグリズリー―は本当なら物語の中盤に入る直前に出てくる最初のボスよりも強い、通称初見殺しともいわれた凶悪なクエストボスだ。
それが、こんな初期の初期で表れるというのは予想外ではあるし、幾ら戦い慣れしたであろうクレアでも、長い間放っておいたら――。
そこまで考えて、嫌な予感を払うように頭を振るう。
「そうさせないためにも、ここに来たんだろうが!」
自分に言い聞かせるように、その場で声を上げる。
そんな時、ふと自分の物と違う足音が響きわたる。
こんな時に一体何がと悪態をついて振り向く。
そこには因縁深いモンスター、ウルフが複数体追従して走って来ていた。
その事に運が悪いと思うのと同時に、明確な苛立ちをウルフに対して覚える。
「邪魔をするな!!」
獣に人の言葉は通じない。だが少しでも叫んでなければ気が昂って仕方がない。
腰に挿していたメイスを抜きながらも、こちらを囲もうとするウルフたちをにらむ。
その口はダラしなく涎が垂れており、ようやく見つけた獲物という意志が感じられるが、生憎。
「食われるつもりはないんだよっ!」
跳び掛って来たウルフの首にメイスを叩き込む。
骨の砕ける音と衝撃が腕に伝わるが、気味悪がる暇が今はない。
次から次へと、跳び掛ってくるウルフたちの姿に狩りへの執念を感じられる。
それでも、まだ怪我一つ負わずに対処できているのは、厳しい訓練のたまものという奴だ。
「あぁ、ホント教えてくれる人が良くて助かるよっ!」
その事実に感謝するように声を上げるが、数の多さには先程と変わらない。
手が足らなさすぎて全てのウルフたちを捌ききれないのが現状だ。
むしろ、先程から無傷のウルフを目にするせいか、徐々に増えていっているのではとすら錯覚しかける。
それが事実であったなら冷や汗が止まらず、彼女より自分の命が危ういのではと感じてしまう始末だ。
「はやく終わってくれよ!」
「分かった」
そう悪態を着いた瞬間、後ろから聞き覚えのある声が響いた。
それを確認するよりも早く、頭に鈍い衝撃が走り、ガラスと液体の混じった何かが散らばる。
一体何が起きたと確認するよりも早く、一瞬めまいを起こしそうになる程の悪臭が鼻の奥をついた。
「うぉぇ」
「――汚い」
ここに来るまでに感じた不快感をさらに超えたものにたまらず胃液を吐き出す。
だが、それ異常に悲惨な目に合っているのは、人の数倍優れた嗅覚を持つウルフたちだろう。
あれだけ居たウルフたちも、この匂いにやられたのだろう、その殆どがひっくり返り痙攣していた。
意識を辛うじて保っているのもいるが、今なら止めをさせそうなくらい弱弱しさを見せていた。
「そ、それより無事だった、のか?」
「なんとか、ただいつまで効くか分からない。追い付かれる前にこの場を離れる」
足早に森の外に出ていくクレアを追いかける。
ただ、倒れているウルフを一瞥すると、どうしても気になったため質問を投げかけた。
「ウルフたちは殺さなくても良いのか?」
「別に構わない。それよりも幾つか聞きたい事がある」
そう言いいながら、視線をこちらに向ける。その目は怒りに満ちており、厳しいものだ。
「どうして戻ってきた? 今の腕前じゃ戻って来られても足手纏い。――それに、これ以上言う事を聞けないなら、今後、訓練しない」
「それは、心配だったから」
「そんな一丁前な台詞。私より強くなってからほざいて」
明確な怒りが灯った瞳に気圧される。
それに一瞬気圧されるが、その場で歯を食いしばって踏みとどまる。
たしかにクレアの言うとおり、あの場に戻ってウルフに殺されそうになったのだ。
彼女の言う事は間違っていない。
だが、こちらにも譲れないものはあるのだ。
怒りのこもった目に対抗するよう睨み返し、何かを言おうと口を開くが。
「キャァァァァァァァァァァァァァ!!」
遠くの方から悲鳴が上がった。一体何事かと目を向ければ、森の入り口からだ。
その声が聞き間違えじゃ無ければ、リリィに何かあったという言葉がありありと分かる。
変えがたい事実に言い争うよりも先に顔を見合わせる。
どちらも何かを言う間も無く、頷き合うと森の入り口に向けて走り出した。
悲鳴が先程から上がり続けている以上、まだ生きているという事実は変わりない。
せめて無事であってくれと言う思いが気持ちを逸らせた。
ただ、それもいつまでも続くとは限らない。
「――まずい、かも」
クレアが小さく呟いた。
一体何がと聞くよりも先に、それに気付いた。
先程まで上がっていた悲鳴が徐々に、徐々に、小さくなっており最悪の予想が頭をよぎった。
「自分の、せいだ。自分がクレアの言うとおりにしていれば……!」
「最悪の可能性を考えない。今は急ぐ」
クレアから叱責の声がとぶが、予想出来る耐えがたい事実。
サブヒロインを守りたい、という考えが早々に覆ったであろう事実に涙が出てきそうになる。
それを腕で拭いながら、足に力を込めて入口に向けて走っていく。
25
ようやく森の外に出たと思ったら、あたり一面が紅く染まっていた。
それはリリィの血では無い。
六匹のウルフだったものであろう残骸が、風船が破裂したように体の一部が弾けている。
濃厚な血の香りが、その場で凄まじい殺戮の嵐が起きたことを語っていた。
その匂いに先程とは違った忌避感を感じながらも、肝心のリリィを探す。
彼女は紅く染まった雪の上で、その手に血で染まったウォーハンマーを握っていた。
それだけで、彼女がウルフを倒したと理解する。
けれど、先程の弱弱しい姿から一変し、ただただ微笑みながら虚空だけを見つめていた。
「り、リリィ?」
その事に違和感を抱く。
一体なにがあったんだ、そう聞こうと無警戒に近寄った瞬間のことだった。
「っ! 危ないっ!」
クレアから声が上がる。次の瞬間空気が破裂し、地面が叩きつけられる音が響く。
一体何が、と声をあげるよりも先にクレアの手には既にマチェットが握られていた。
視線の先はリリィを捉えている。
肝心のリリィと言えば、その獲物の位置が自分の頭があったであろう位置に振るいながら、微笑む。
「なに、してる? それの意味わかってる?」
先程のとは違う、困惑と怒りの混じった震えた声がクレアから読み取れる。
その質問に対し、リリィは答えない。ただ可愛らしくクスクスと笑い始めた。
「壊さなきゃ。怖いものはぜーんぶ、壊さなきゃ。でないと、次は私が死んじゃうの。だから、殺しちゃうね?」
そう言いながらリリィの手から、再びウォーハンマーが振り上げられる。
その目には正気を感じられない。
跳躍と共に振りあげられた一撃が体重を乗せて振り下ろされる。
「チッ、正気じゃない」
クレアが舌打ちすると同時に、自分の首根っこを掴まれ、リリィの攻撃を避けてみせる。
だが、振りおろされたハンマーは雪の下にある地面を再び陥没させる威力を見せた。
その事実が顔を青ざめさせ、自分を救ってくれたクレアに対して感謝の念を送る。
「あーぁ、なんで避けちゃうかなぁ、手間取らせないでくださいよぉ?」
けれどリリィの方は、その事実にチェッとつまらなさそうに口を尖らせた。
あんなものに当たったら、そこらに散らばっている残骸と同じような目にあうという事だけ理解出来る。
「一難去ってまた一難。ほんと運がない」
「ど、どうするんだ? このままじゃ、どっちかが」
「決まってる、少し痛い目にあって貰う。――何かにつけて文句言うのはこうやって性根を叩き直すのが速い」
そう言うと、マチェットの逆刃に持ってリリィへ向ける。
痛い目にあって貰うとは言っていた。
けれど、鉄の棒として使うマチェットで殴れば、骨の一本や二本は覚悟して貰うしかない。
その痛みを正気に戻った時のリリィがなんと言うか気にはなるが、仕方がない
「少しだけ我慢してもらいます」
同じようにメイスを引き抜き、その切っ先を向ける。
急所にさえ当てなければ、主に腕か足を狙えばメイスも殺傷能力は低いはずだ。
ある程度機動力を奪えば、あとはクレアが何とかしてくれるはずだ。
「あ、そっちから来てくれるの? わざわざ動く手間がはぶいてくれて、ありがと」
未だに無邪気に笑うリリィの表情は、違う場所であれば可愛いものだった。
けれど今はそうじゃない。
申し訳なさを覚えながらも、意識を刈り取るために、自分とリリィは二人して襲い掛かった。
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