第九話
リハビリ中
あれから更に一時間歩いたところでようやく森の入口へと到着した。
一度ここで小休止しようと、クレアに提案するよりも先に、目つきが鋭い。
「ど、どうしたんだ?」
「血の匂い。いやな予感」
「いやな予感ですか。一体何がいるんですか?」
「それは分からない。でも離れないで」
そう言いつつ人形の一体を既に宙に浮かし、周囲を警戒していた。
ただ、ふと何かを思い出したかのように、こちらへ向くと十分休憩と呟いた。
一体この場で何を警戒しているのか、疑問は尽きない。
経験の差というのもあるのだろうが、ここにきてまで血の匂いに気付けないのは致命的なのだろうか?
「それは単純に風邪引いてるだけ。早く寒さに慣れて」
口に出していたのだろうか、とリリィの方を見れば苦笑と共に首を縦に振られる。
それを見ながらクレアの言葉は続く。
「しばらくは私も同じ依頼を受ける。でも一人の時になったら環境に適応できるよう慣らす必要がある」
「それはさっきクレアが言った血の匂いとかをかぎ分けるためか?」
「そう、視覚だけの情報は死に直結。必要なのは嗅覚、聴覚。可能なら触覚と味覚の五感全て頼って視野を広くする必要がある」
「でないと、死ぬだけ、なんですよね……?」
死という言葉に限りなく恐怖を抱いているリリィが獲物を両手で握りながら呟く。
「身を弁えれば死なない。でも、一定以上の成長は見込めないまま、そこで足踏みを続けてるだけ」
そう言いながら、自分の手の平を一度広げると、強く握りしめ小さく目をつぶった。
「――すこし話し過ぎた。休憩は終わり、各自獲物と防具の確認。隊列は私、リリィ、コースケの順で森に入るから後ろは任せた」
そう言うと、もう一体の人形が姿を表し、マチェットの柄へ手をかけた。
それを合図に自分とリリィも武器を片手に立ち上がる。
それぞれ周囲に気を配りつつも、森の中へと入るが、いかんせん雪が深い。
気を抜けば、すぐにでも足が取られる状況に何処からともなく舌打ちが響く。
誰が、という言葉はなかったが心境は同じなのだろう、歩く速度が徐々に落ちているのを感じつつも、歩いてはや十分。
先を行くクレアの足が止まった。
小さなリリィの悲鳴が聞こえ、自覚できるほどの濃厚な血の匂いに襲われた。
見るな、見てはいけない、そう訴えているというのに、好奇心が自分の足を進め、見てしまった。
赤茶色した体毛、丸っこい形に不釣りあいな赤い鬣を揺らす四足の生物。
つい先程狩ったばかりであろう獲物を貪り、時折硬質的な物を噛み砕く音が森に響き渡る。
ただにヒグマですら驚異というのに、特徴的な鬣という情報だけで、目の前の生物が何なのか理解し、苦々しく、ソイツの名を口にしてしまう。
「グリードグリズリー……!」
最初のマップに登場するなかでも最悪の敵だ。
今は食事に夢中だが、こっちを標的とすれば、明確な死が待っている。
「全員ゆっくり、ゆっくり後ろに下がって」
そんな中でも冷静なクレアの指示が飛ぶ。
ただし顔色はいつもより悪く、額からは小さな汗が滲んでいた。
それもそうだろう。一人であったならば逃げ切れる可能性は十分にあったのかも知れない。
けれど、今は足を引っ張る荷物が二つ。そのうち一方は護衛対象なのだ。
何が何でもリリィは生きて帰さなければならない以上、最悪のやり方も行わなければならない。
その手段を避けるためにも、藁にもすがる思いなのだろう。
現在グリードグリズリーは、食事に夢中となっている。
それが雪の軋む音を掻き消してくれるが、聞く三人の心境は穏やかではない。
自然と呼吸が早くなり、少しづつ摺り足の速度が上がる。
あと少し、もう少しで、森の中へと戻れると思った瞬間、後ろから、きゃぁ、と悲鳴が上がる。
突然の事に振り向けば、リリィが雪に埋もれたウルフにつまづいていた。急いで助け起こそうとしたいが、グリードグリズリーの視線がこちらに向けられている。
「あ・・・・・・あぁ!」
恐怖で自分の口から声が漏れる。
走って逃げ出したい衝動に駆られるが、それよりも先に動き出した人物がいた。
「あぁぁぁぁぁぁ!!」
クレアだ。
自分達の居る方向から離れるよう、後ろ姿をグリードグリズリーに見せ叫びながら走り出した。
それに反応して、食事を止め、新たな獲物と判断した彼女を追いかけるグリズリー。
その光景にどちらを優先すべきか、一瞬だけ迷うが、チラリと此方を一瞥し、首を強く出口の方へ振ったクレアの姿に答えが決まる。
「逃げようっ!」
そう言って、リリィの腕をつかむと、森の出口に向かって、駆けていった。
最後にもう一度だけ、不安を拭いきれずクレアの方を見れば、空を舞いグリードグリズリーの背へと取り付いていた。
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