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英雄王の国ソレイユ。その首都エスペランには、エスぺラン魔法学校というものがある。
読んで字のごとく、魔法を学ぶための学校である。
魔法学校の入学条件は比較的単純で、魔法の素質を持っていて、尚且つ勉学を勤しめるだけの年齢に達している事が最低条件となっている。
魔法の素質と言うのは魔力の有無。年齢としては六歳頃から成人となる十八歳頃までに入学するのが大体の基準となっている。
年齢に関しては例外的な者ももちろん居るが――――。
ただ、条件を満たしていたところで簡単に入れるかどうかは別問題で、入学するには多額の入学資金が必要となるため、一般市民では資金が免除される特待生として入学する以外に入る事は難しく、大抵は上流貴族の子ども達の学び舎とかしているのが実情であった。
そんな魔法学校には今、創立以来最も注目を浴びる状況を作っている二人の存在があった。
一人は英雄王の末裔であり現代の勇者とされる少女マリア。
誰もが目を向ければ逸らす事が出来ないほどの麗しい容姿と、剣と魔法の非凡な才能、周囲を引きつけてやまない明るく優しい性格で、非の打ちどころの無い人物である。
そして、注目を浴びる状況を作るもう一人はというと――――。
「潮時かな……」
エスぺラン魔法学校の敷地内で最西端にある魔法学校最古の建物の一つ、西の時計塔。
そのすぐ側にあった筈の管理人が駐在できる小さな小屋――――の残骸の前に、その人物は居た。
先月在学中の生徒の中で最高年齢となる二十という年齢となった、リオと言う女性である。
目も当てられないほどに汚らしくボロボロな格好だが、容姿としては決して悪く無く、着飾れば彼女に見惚れる人も少なからずいるだろうと思われるものの、いかんせん今の格好が酷過ぎており、この学校に来て以来ずっとそのひどい格好が改善されたためしが無いため、彼女に近づこうとする者などまず居ない。
そんな彼女が学校の許可を得て住いとしていた小屋が、彼女が不在だったほんの数刻の内に残骸に変えられてしまってしまっていた。
それ自体に彼女は大してショックは受けて居ないようで、ただ静かに、何かを悟ったように頷いただけだった。
◇ ◇ ◇
首都エスぺランの一般市民街の比較的裕福な家に生まれた少女リオは、両親と二人の兄を持つ、活発な性格の子であった。
家族皆仲が良く、二人の兄をもっているがゆえに少々男勝りな所は有れども、すくすくと健やかに育ったリオだったが、十四歳の誕生日を迎えた日に、彼女の運命は強制的に変わってしまったのである。
普段通りの時刻に目覚め、朝食を済ませて家を出ようとしたところ、いきなり家の扉がけたたましく叩かれ、慌てて扉を開けた母親を押しのけるようにして入ってきたのは近所の住人達であった。
「なんでもうちの娘に嫌がらせをしたそうじゃないか。躾けのなっていない娘には仕置きが必要だ!」
家族皆がわけがわからぬ状態に困惑している間に、リオはひと際体格の良い男に頬を叩かれ体が横に吹き飛んだ。
叩かれた痛みに吹き飛んで倒れた時に打ちつけた体の痛み、何より見知った人物に突然わけのわからない事を言われて叩かれた事に衝撃を受けたリオは、呆然と自分を叩いた男を見上げた。
「うちの子にも酷い仕打ちをしたそうね。なんて子かしら!」
毎日挨拶をすれば笑顔で挨拶を返してきたおばさんが。
時折お菓子をくれる優しいおじさんが。
面倒見が良い優しい八百屋の青年が。
気立てのよい優しい給仕のお姉さんが。
まるで汚いものでも見るかのような目をリオに向けて立っていた。
その様子を異常に思ったリオの父親は兄達と共に住人達をなんとか家から追い出し、母親はリオの体を抱きしめて泣いていた。
「一体どうなっているんだ!?」
一旦の静寂を取り戻したリオたちは、今起きた出来事が一体なんで起きたのか、誰一人としてわかるものは居なかった。
「信じないわけじゃないけどあえて聞いておくよ。リオ、昨日お前は誰かに酷い仕打ちをしたり、嫌がらせをしたりしたのか?」
「してない」
長男の問にきっぱりと答えたリオの目には偽りの色は全くと言っていいほどに無いのを見てとり、長男は考え混むようにして沈黙した。
「本当に、なんなんだろう。まるで皆人が変わった見たいにリオを敵視していたみたいだし……」
冷やした布を持ってきた二男は、リオの腫れた頬にそれを当て、普段は穏やかな表情を、今はとても険しい表情に変えていた。
「皆、どうしちゃったのかな……?」
わけもわからず敵意を向けられて、その敵意を体に受けたリオは、不思議な事に泣き叫ぶ事も無ければ怖がってはいなかった。
活発で少しおてんばすぎる所のあった彼女が、不思議なくらいに落ち着いている事に、父親は違和感を覚えて娘をみやった。
何かが変わった。だが、その変化が何なのかがわからず、父親は思考を巡らし続けて、行きついた先の答えはこうであった。
「城に行ってみるとしよう。まだ、今朝の受付は終わっていないはずだから、運が良ければ、何かわかる事があるかもしれない」
言うや否や、父親は外套を見に纏って急ぎ城へと向かって行った。
残った母親と二人の兄は、何かあるといけないからと、リオを護る様にして、父親が帰ってくるまで家から出る事はしなかった。
日も暮れ夜が訪れた頃に、城へ行っていた父親が、客人を連れて帰ってきた。
「今晩は」
その客人とは、数え切れないほどの悪行と悪事を重ねて国の汚点と誰もがさげすみの目を向ける人物。
ソレイユ国の宰相であった。
誰一人彼の悪行と悪事の尻尾をつかめずに、尽く皆の功績をかすめ取って今の地位に着いたと言われる、良い噂は一つとして無い人が、何故父親と共にやってきたのかわかりかねたように、家族一同は警戒した。
だが、そんな警戒もどこ吹く風といったように、白い髭を撫でながらもリオに視線を向けた途端に、にやりと笑んだ。
「お前の娘は間違いなく、私の同胞だ」
「どうほう?」
「左様」
リオの側にやってきた宰相は、目線をリオと合わせるために腰を下ろし、そして言った。
「私の同胞と言う事は、何をしても人々に悪口を言われてしまうという事である。それが、どんなにその人にとってよかれと思った行動であったり言葉であったとしてもだ」
首を傾げたリオの頭に手を置いて、噂とは全く異なる優しい表情を浮かべて頷いた。
「私は十四の時には戦場に居て、ありもしない見方殺しの罪を着せられ、かつて見方だった者達に剣を向けられた事がはじまりであった。それに比べればそなたの身に起きた事はまだマシであり、マシであったことに私はホッとしている」
その言葉に、皆が息をのんだ。
その反応に、宰相は実に嬉しそうに目を細めて笑った。
「そう。その反応は私の言葉を正しく理解している反応だ。大変喜ばしい事だな」
何がそんなに嬉しいのかわからないが、リオにとっては、きっとこの宰相の感じて来た何かを知る事になるのではないかと、漠然とした考えの中で思っていた。
「幸い、この子には魔法を扱う器量があるようだから、是非魔法学校へ入学させてほしい。資金は私が全て受け持とう。私もそうだがこの子も私の同胞であるから、どうしても酷く悪い噂は立つだろう。だが、我が地位で守ってやるにたやすい場所であるし、守る術を教える事も出来る場所だ。――――いかがかな?」
詳しいやり取りは両親に任せきりでわからなかったリオだが、それから三日後には、リオは魔法学校へと入学することとなった。
入学してから絶え間ないイジメと不本意な仕打ちは数多く受けることとなったが、それは恐らく何処へ居たとしても変わらないということを、リオはすぐに理解した。
そして、常に逆境の中、宰相と言う地位を手に入れた人物を尊敬し、それがリオの夢となるのは早かった。
「ろくなことは無いが、数少ない味方は私の全てを捧げても良いほどに愛おしい者たちだ。力をつけ、その力でもって手に入れなさい。己の望むモノを」
こうして、リオの人生が変わり始めた――――。
◇ ◇ ◇
「潮時かな……」
リオは残骸となった小屋を放置し、踵を返してある場所に向けて歩き出した。
ある場所というのは、勇者と言われる少女マリアが居るその場所である。
少女を見つけるのは非常にたやすい。
少女の周りには何時も人が居て賑やかであるからだ。
「おい、汚い魔女が来たぞ!」
「マリア様をお守りしろ!」
まだ何もやってないのにこの始末である。
流石にこの体質に慣れたリオは、その程度気にする事は無いが、癇に障るのは否めない。
「何の御用でしょうか」
凛とした声音でそう言ったのは勇者マリアその人だ。
誰をも魅了する彼女に嫉妬を覚えた事は昔の話で、今は唯その存在自体が迷惑でしかないと思うリオである。
「躾けのなっていない犬ころ共に言っておきなさい。学校の物を許可なく壊すなと」
「まさか、皆さんがそんな事をするはずがないでしょう?」
「人を信じるのはアナタの美点だけれど、度を越せばただの馬鹿よ。自覚なさい」
「なんですって!?」
実に陳腐なやり取りを自ら打ち切り早々に退散し、その足で宰相邸へと向かった。
宰相邸には宰相の言葉を正しく理解出来るものしか存在せず、無論、宰相と同じ体質である私の言葉も正しく理解する事が出来るために拒まれる事は無い。
「おやおや、今日は随分と早い。何かあったかね?」
「何も無い事の方が少ないですが、ええまあ、何かありましたよ」
仕事の合間に立ち寄った宰相は、居間でお茶を飲んで居るリオを見つけて笑った。
だが、次の一言ですっと表情が無くなった。
「学校を出ようと思います」
コトリと小さな音をたててカップを皿に戻したリオは、向かい合った宰相を見つめた。
出会ってから六年という歳月は決して短くはない歳月であり、リオにとっては人生の三分の一程度は宰相と過ごした日々であるため、その存在は極めて大きいものであった。
だが、リオは迷いを見せず、真っすぐに宰相を見つめて言った。
「己の望むモノを手に入れる旅に出ようと思います」
その言葉に、ようやく宰相は穏やかに、けれど少しだけ寂しそうに笑った。
「そうか。ならば行きなさい」
汚くボロボロな格好の彼女を、宰相は躊躇することなく抱きしめた後、悪い噂でまるで理解されていないが、その恐ろしいほどの手腕を大いに発揮し、リオの旅立ちを支援した。
手腕を発揮した分、また新たに宰相に悪い噂が立ったが、元々悪い噂しか無い宰相には何の意味も為さなかったが。
そして、人が殆ど居ない深夜に、フードを深くかぶって、リオは静かに旅立ったのだった。