内緒-4
隆羅の実家を後にする頃には日が傾き夕方になっていた。
少し裏通りにあるビルの駐車場に車を入れる。ビルの横には首都高が走っていた。
「海、すまないがここで少し待っていてくれ。車を置いて来るから」
「うん、判った」
海が車を降りて少し車から離れて返事をすると隆羅が緩やかなスロープを車で上がっていった。
しばらくすると、ビルの駐車場入り口で隆羅を待っている海にガラの悪い数人の男達が海に近づいて来た。
「彼女、こんな所で何してるの?」
「人を待っているんです」
「こんな綺麗な女の子を置いてきぼりにするようなヤツほっておいてオイラ達と遊ぼうよ」
「結構です。止めて下さい」
男の1人が海の腕をつかんだ。
「行こうぜ、なぁ、良いだろ。楽しい事教えてやるよ」
「嫌です。人を呼びますよ」
「こんな所じゃ人なんて来ねえよ」
そこにメガネをかけたスーツ姿の男性が歩いて近づいて来た。
「あれ、海ちゃん。こんな所でこんな奴らと何しているの?」
「た、宅さん」
「ああ、なんだ。このおっさん」
「サギは一緒なんでしょ?」
「今、車を置きにココの駐車場に」
海と宅が男達を無視して話をしていると回りの男達が苛立ち始めた。
「いい加減にしろ。このおっさん」
「ちょい、面かせや」
「キャア」
「その汚い手を離せ」
男が海の手を引っ張ると海が声を上げた。
直ぐに宅が男を睨み男の腕をつかむ。
男の顔が苦痛に歪み手を離した瞬間に、海が宅の後ろに隠れた。
「ふざけるな、ツラ貸せや!」
「やれやれ困ったもんだ」
「宅さん……」
海が不安な目で宅を見ると宅が優しい目で海を安心させようとする。
「大丈夫だから。直ぐにサギも来るからね」
とても、落ち着いた大人らしい言葉だった。
隆羅が駐車場の空きをやっと見つけて車を止めて下に降りて来ると、数人の男に取り囲まれて何処かに連れて行かれる海と宅の姿が見えた。
その内の1人が仲間でも呼びに行くのだろう横道に走り去った。
「やれやれ困ったもんだ」
男達に気付かれないように後をついて歩いていく。
しばらく歩くと人気の無い高架下に数人の男がすでに集まっていた。
「こらぁ、おっさんボコボコにしてやるからな」
「はぁー、しょうがない」
宅が呆れ顔で上着を脱ぎネクタイを緩めて上着を海に渡した。
「海ちゃん、これ預かっておいて」
「ええ、でも」
「大丈夫、もう直ぐ来るからね」
「えっ、誰がですか?」
「ほら、来た」
宅が後ろも見ずに言った。
すると、2メートル近くあるフェンスの向うから隆羅の声がした。
「海、何をしているんだ。そんな所で」
「隆羅。助けて」
「タコ、何の騒ぎだ。これは」
「海ちゃんが、この汚い兄ちゃん達に絡まれていたんだ」
「何をコラァ。汚いだと」
宅の言葉に男達が一斉に殺気だった。
「サギどうする、ただじゃ帰れそうに無いぞ」
「仕方が無い久しぶりにコンビ復活するか」
次の瞬間、隆羅がフェンスに手を掛けると軽々とフェンスを跳び越した。
「ええっ、隆羅?」
海が驚いて隆羅を見る。
「えへぇへぇ」
海の後ろから気色悪い声がした。
その瞬間、海の頭の上を突風が吹き抜けたかと思うと男が蹴り飛ばされた空き缶みたいに吹っ飛んだ。
目の前にいる宅がくるりと回転していた。
宅が回し蹴りを男の側頭部に叩き込んだのだ。
「た、宅さん?」
「殺っちまえ」
男達が一斉に襲い掛かって来た。
海の体がフワッと宙に浮き男達の頭の上を跳び越した。
隆羅が海を抱き上げ走り出しジャンプしたかと思うと高架の橋脚に足を掛け、一気に男達の頭の上を走り抜けた。
宅の方を見ると宅が地面に片手を着いて足を蹴り出し、地面すれすれを高速回転すると男数人が吹き飛んだ。
「海、平気か?」
「う、うん、でも隆羅」
「大丈夫だ、少し遊んで来るからここに居てくれ良いな」
隆羅が頬に軽くキスをした。
「うん、分かった。気をつけてね」
「タコ! まだ片付かないのか?」
「サギ! お前も片付けるの手伝え」
あっという間だった。
宅はまるでダンスをしているかのようなアクロバティックな蹴りだけで相手をなぎ倒し。
隆羅はフェンスや橋脚を使いまるで鳥が空を飛んでいるかのように男達を次々と倒した。
そして、残された数人の男が2人を見てガタガタ震えながら呟いていた。
「あ、あれは伝説の……」
「足技の蛸と空殺の鷺?」
「T・Dだ!」
「ツゥー・ドラゴンに敵うわけが無い」
「逃げろ!」
男達が蜘蛛の子を散らすように顔色を変えて逃げて行った。
「やれやれ」
「まだまだ、鈍ってはないな」
「そうだな」
「海、済んだぞ」
隆羅と宅がお互いの拳を突き合わせて、笑顔で喋りながら海の所に歩いてきた。
「2人って……何者なの?」
「ルコの元パパと今パパで、海の恋人じゃないのか」
隆羅が何事も無かった様に海に言い放った。
「それは、そうなんだけれど」
「しかし、サギ。あんな所に海ちゃん1人を危ないだろ」
「駐車場が混んでいて少し手間取ったんだ。海、怖い思いをさせて悪かったな、すまない」
「うん、もう平気」
隆羅が海に頭を下げて謝ると直ぐに海は安心しきった顔になり微笑んだ。
「タコは、もう仕事良いのか?」
「ああ、もう終わりだ」
「久しぶりに、飯でも食いに行くか?」
「そうだな、お前のおごりでな。この辺に居るって事は、あの店に海ちゃんを連れて行こうとしてたんだろ。ほら、このあいだの原稿料だ」
宅が徐に封筒を投げると隆羅は軽々と受け取った。
「しょうがねえかぁ。沙羅には連絡入れておけよ、余計な事は言わずにな。しかし相変わらず軽いな」
「軽い言うな、仕方が無いだろ。沙羅なら大丈夫だよ」
隆羅が宅から受け取った封筒をブラブラと振っていた。
「ねぇ隆羅、ツゥー ドラゴンって何?」
「俺と宅がヤンチャしていた頃の通り名だよ」
「海ちゃん。2人の呼び名がタコとサギだから自分が足技の蛸、サギが空殺の鷺。誰が付けたのかは、知らないけれど2人合わせてツゥー・ドラゴンだそうだ」
「2人でここら辺、一帯しめていたからな」
「そんな事、していたんだ」
「ただ、ガラの悪いのを懲らしめていただけさ。昔の話だ」
「でも、サギは……」
「悪い、タコ。その話は止めてくれ」
「すまん、すまん」
「飯でも食いに行くぞ。海」
「うん!」
海が隆羅の腕にしがみ付くと3人並んで歩き出した。
「隆羅、何をご馳走してくれるの?」
「ラーメンかなぁ」
「ブゥー、馬鹿」
「じゃ、高級フレンチが良いのかな?」
「その、格好で?」
海が隆羅の格好をまじまじと見ている。
隆羅は何がいけないのか普段着のシャツを広げていた。
「いけないか?」
「そりゃそうだ、サギ。その格好じゃ入れてくれないぞ」
「駄目か。じゃ、いつもの所だな」
「最初からそのつもりだったんだろうが」
「ねぇ、そこって何のお店?」
「行けば分かるさ」
そこは路地裏の雑居ビルの地下にあるあまり目立たない洋食屋で、看板には『ボスコ』と書かれていた。
「ここは?」
「俺らの、昔からの馴染みの店だよ。最近はご無沙汰だけどな」
隆羅がドアを開けて店に入っていく。
店内はログハウスの様な内装でとても落ち着いた雰囲気で、ゆったりとした木のテーブルと椅子が並んでいた。
「ちわーす。マスター」
「おおっ。サギにタコか! 久しぶりだな」
赤いチェックのシャツにGパンで生成りのキャンパス地で作られたエプロンをつけた、見るからに山男ぽい髭面が少し驚いた様な笑顔で片手を上げて挨拶をしていた。
「おひさしぶりです、ご無沙汰しています」
宅がカウンターでマスターに挨拶をしていると、隆羅と海は奥のテーブルに座ってメニューを見始めていた。
「タコは相変わらずだなぁ。あれ? あの子は誰なんだ?」
「サギの彼女すよ。マスター」
「へぇっ?」
「マスター。鳩が豆鉄砲食らったみたいに固まらなくても」
「だ、誰の彼女って?」
「だから、サ・ギの彼女」
「アハハハハ冗談はよせよタコ。どう見てもサギの娘にしか見えないぞ」
「そうですよ、だって俺の娘になるルコの同級生ですから」
「未成年?」
「まぁ、そんなところですかね。色々と訳ありで」
「相変わらず、サギも型破りなヤツだな。しょうがねえか」
「今日は、実家にでも連れて行っていたんじゃないですかね」
「それって、おいおい本気という事か。でも裏の事は……」
「それは、言えないでしょ」
「しかしだな」
髭面の山男のようなマスターが良く見ると可愛らしい瞳を細めた。
「あの、海ちゃんなら大丈夫ですよ。サギが唯一見込んだ女の子ですから。それに俺も沙羅も側に居ますしね」
「そうか」
隆羅と海の方を宅とマスターが見ると、楽しそうに2人してメニューを見ていた。
「ねぇ、隆羅。ここは何が美味しいの?」
「何を選んでもはずれは無いけれど、ドミグラスソースを使ったハッシュドビーフとかビーフシチューとかだな、オムライスもお勧めだぞ」
「そうなんだ、何にしようかな」
海がメニューを見つめて何にしようか考えていると宅がテーブルにやって来て隆羅の前に座った。
「おっ、タコ。話は終わったか」
「まぁな、注文は決まったか?」
「とりあえず、ビールと行きたいが車だしな、いつものヤツで」
「サギが頼むなら自分もそれで」
「ええっ、いつものって何?」
海が少し驚いたような顔をして隆羅と宅の顔を交互に見ている。
「2人の為のスペシャルメニューだ」
「じゃ、私も仲間に入れてょ」
「OK! マスター。いつもの2つに、いつものスモール1つ」
「あいよ」
山男のマスターが返事をするとカウンターの直ぐ後ろのキッチンに入っていった。
「でも、隆羅がヤンチャなのはなんとなく分かるけど、宅さんもヤンチャだったんですね。驚いちゃいました」
「海も酷いな、俺の何処がヤンチャに見えるんだよ。一応、これでも教師だぞ」
「だって、その格好は?」
「これは、普段着だって言っただろう」
「でも、宅さんは普段でも落ち着いているから」
「まぁ、こいつの実家は日本舞踊の宗家だしな」
「ええっ! 宅さんの実家も凄いんだぁ」
海が驚いて宅の顔を見上げると、宅が大人らしい涼しい顔をしている。
「サギの所に比べればとんでもなく庶民だけどね」
「その、庶民が舞踊を習わずに、カポイエラなんか修得するか?」
「それは、家が嫌だったからじゃないか、お前と変わらないだろ」
「まぁ、そうだな。タコは昔から冷静で落ち着いているからな」
「でも、出逢った時は喧嘩ばかりしていたよな」
「そうだな、嫌味なくらいクールだったからな。お前が」
「誰かさんが熱くなり過ぎるんだ」
「ふふふ、可笑しい。2人は正反対の性格なんだね、昔から変わらないままで2人は居るんだろうな」
「そうかもな」
そんな話をしているとマスターが熱々の出来たての料理を運んできた。
「はい、お待ちどうさま。いつもの2つにスモール1つ」
「うわぁ、美味しそう」
「これが絶品なんだよな、タコ」
「そう、ここはこれじゃないとな」
フワフワに仕立てられたオムレツが乗っている特製のオムライスに、美味しそうな香りが立ち込めるハッシュドビーフがかけられていた。
「いただきまーす。す、凄く美味しいよ!」
海がスプーンで1口食べるとそう言って幸せそうな顔をした。
「そうだろ、これがここの超お勧めだ」
「おいおい、それはT・Dスペシャルだからな。あんまり人に言うなよ」
「そんな事は分かってるて、マスター」
「そう言えば隆羅。おじ様が言っていたTのお仕事って何? 隆羅凄く怖い顔していたけど」
「それは……」
隆羅が突然の海の問いに困った顔をしていると宅が助け舟を出した。
「海ちゃん、それは仕事の後片付けや掃除みたいなもんだよ。誰でもそんな仕事は嫌いだろ」
「そうだね、私も片付けや掃除は得意じゃないから」
「なぁ、サギ」
「ああ、そうだな。いつも面倒ばかり親父は押し付けるからな」
楽しい食事が終わり店を出て宅と分かれて、隆羅と海は駐車場へ向かい車でマンションへ帰る。
「なぁ、海はやっぱり俺がしている教師以外の仕事とか気になるんだよな」
「うん、だって今日だって凄く驚いたんだよ。あんなに喧嘩が強いなんて想像も出来なかったし、先生の顔しか知らなかったから。それに好きな人の事を知りたいと思うのは普通じゃないの?」
「そうだな」
海が隣で運転している隆羅の顔を見ると何処と無く気のせいかもしれないが寂しそうに見えた。
「でも、隆羅がしゃべりたくない事は無理に知りたいとは思わないよ。それに、隆羅はあまり私の事も聞いてくれないし」
それは海の切実なとても切ない声だった。
「ゴメンな海。こんな言い方しか出来ないのだけれど、1人の女の子をこんなに本当に好きになった事が無いからどうして良いか正直な所分からないんだ。でもこれだけは分かってくれ。俺は目の前に居る海の事が好きなんだ」
隆羅の言葉に海は天と地がひっくり返るくらい驚いた。
「ええっ? でも今までだって誰かを好きになった事はあるんでしょ」
「無いとは言わない。こんな歳だからな、でもこんなに海を失うのが怖いと思った事は無いんだ」
「でも、それは私も一緒かな。男の人と付き合うの初めてだし、それにあれがファーストキスだったし」
「そうか、申し訳ない事をしたかな」
「そんな、言い方嫌い。好きだからしたんでしょ、違うの?」
海の声がとても揺れている。
「そうだ、好きだし守りたかった。どんな事をしてもな」
「これからも、守ってくれるんでしょ」
「ああ、当然だ。お姫様が呼べば、たとえ火の中、水の中。銃弾の嵐だって潜り抜け助けに参る所存です」
「また、匂うよ。ぷんぷん」
「オヤジだけに、オヤジギャグ?」
「もう、馬鹿。隆羅の事、オヤジなんて思ってないもん」
「ありがとうな」
「当たり前でしょ。そんな風に思うわけ無いじゃん。世界で1番、愛してる人なんだから」
海が自分で言って真っ赤になって俯いた。
「愛してるか」
「うん、だって……」
マンションに着き、車を地下駐車場に入れ車を止める。
隆羅が海の言葉を遮る様にキスをして抱しめ車に乗ったまま抱き合った。
すると後ろから咳払いが聞え振り向かずに隆羅が言い放った。
「また、ルコか? 邪魔するな」
「なんで、顔も見ずに分かるのよ!」
「いつも、邪魔をするのはルコだけだからだ」
「ママが、そろそろバカップルが帰ってくるから呼んで来いって、来て見ればこれだもんね」
ルコが呆れた顔で2人を見ている。
いつもより言葉に棘があった。
「悪いのか? 恋人同士がキスしていたら」
「人目も気にしないでする普通は?」
「ここには今、ルコしか居ないじゃないか」
「ああ、もううるさい! それよりママがカンカンなんだけど。今日、大暴れしたんだって?」
ルコが頭に鬼の角みたいに両手の人差し指をあてて不機嫌な声で言った。
「あのタコ、本当にタコ助だな。使えない」
「でも、それは私が絡まれて」
「それも、ママの前で説明してね。海」
「ルコ、何をそんなに怒っているの?」
「今日は3人で何か美味しいもの食べて来たらしいじゃん」
「海、とりあえず沙羅の所に謝りに行こう。ルコの食い物の恨みも怖いけれど、沙羅の逆鱗の方がもっと怖いからな」
「う、うん。分かった」
隆羅と海が車から降りてエレベータに向かうとルコが後を追いかけて来た。
「海、何でそこで納得するかなぁ」
「ルコ、いい加減にしろ。海は何も悪く無いだろ。今度は海とルコを連れて行くからそれで文句は無いだろ」
「やったー。如月パパ約束だよ、茉弥も一緒にね」
ルコが不機嫌な顔から一転して喜んで飛び跳ねた。
「ああ、了承した。まったく現金なヤツだ」
「海、説明しに行くぞ。早く行かないとタコが可哀想だからな」
「うん」
沙羅にこってりと絞られたが、今回は海が柄の悪い男に絡まれてそれを助ける為にという事で不問にされた。
しかし、宅は相当絞られたと見えてぐったりとしていた。
そして2人も部屋に帰りリビングのソファーでゆっくりとコーヒーとココアを飲んで寛いでいた。
「しかし、なんでばれるような事するかなぁ。タコは」
「真面目だから、嘘が付けないんじゃ無いの? 誰かと違って」
「誰かって誰の事だ。海」
「知ーらないっと」
「そうだな、嘘か」
隆羅の眼がいつに無く遠くを見つめていた。
「ええ、隆羅。どうしたの?」
「別に、なんでもないぞ」
「それならいいんだけれど」
「海、すまないがこれから少し出かけてくる。先に寝ていてくれ」
「何処に行くの?」
「大した用事ではないんだが、親父の仕事の片付けがあるんだ」
「こんな、時間から?」
海が驚いて時計を見るともう直ぐいつもなら眠るような時間になっている。
「こんな時間じゃなきゃ出来ない仕事もあるんだよ」
「そうなんだ、分かった。行ってらっしゃい」
「悪いな」
「そんな事言わないで。仕事ならしょうがないでしょ、気をつけてね」
「そうだな。行ってくる」
隆羅の後姿がとても哀しく感じられた。
それは何故か分からなかったが海自身も言い知れぬ不安に包まれていた。
しかし、その不安も朝目覚めると何処かに消えていた。
何時に帰って来たのかは分からないけれど隆羅に抱しめられ大好きな隆羅の腕の中で眠っていた。
そしてもう直ぐ新学期が始まる。
高校生活の最後の1年がスタートする。




