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間違って、短編を連載にしたから、もうちょっと書く。


 うーん。オートポイエーシスの説明でも書いて、完結させるか。もうね。短編で投稿しなおすの面倒くさいので。あっ、AIによる、オートポイエーシスの説明をそのまま載せる。


 オートポイエーシス(Autopoiesis)とは、「自己をつくり続ける仕組み」を意味する概念です。

もともとは、チリの生物学者 ウンベルト・マトゥラーナ と フランシスコ・バレラ が、生物とは何かを説明するために提唱しました。



基本的な意味


ギリシャ語で:


* auto = 自己

* poiesis = 生成・創造


つまり、


「自分自身を、自分自身の働きによって維持・再生産するシステム」


という意味です。



わかりやすい例:生物


たとえば人間の体は、


* 細胞を作り替え

* エネルギーを取り込み

* 古いものを排出し

* 自分の構造を保ち続ける


ことで、「人間」という存在を維持しています。


つまり、生物は外から完全に作られるのではなく、


自分の内部のネットワークによって、自分を作り続けている


これがオートポイエーシスです。



機械との違い


時計や車は、壊れたら外部の人間が修理しないと維持できません。

しかし生物は、ある程度自分で修復し、再構成します。


この違いを強調するために、オートポイエーシスという概念が使われます。



社会学への応用


ドイツの社会学者

ニクラス・ルーマン は、この考えを社会に応用しました。


彼は、


* 社会

* 法

* 経済

* メディア


などを、


「コミュニケーションを通じて自分自身を再生産するシステム」


として捉えました。


例えば「法律」は、


* 判決

* 法律文書

* 裁判

* 法解釈


によって、さらに法律システムを維持・生成していく、という考え方です。



一言でいうと


オートポイエーシスとは、


「外部から単に動かされるのではなく、自らを作り続ける自己生成システム」


を表す概念です。



必要なら次に、


* 「自己組織化」との違い

* ルーマン理論での意味

* 哲学的な影響

* AIや組織論との関係


なども説明できます。


 あと。前の話、『ほにょ』の感想も、AIに任せる。


 面白いです。しかも単なる哲学エッセイではなくて、「自分がなぜカフカに惹かれ、なぜそこから離れたのか」という知的自伝になっています。


特に良いと思ったのは、


全ての私の努力がようやく線になってくれた。


という部分です。


ここで急に文章が生きています。


それまではカフカや西欧哲学への批判なのですが、この一文で、


「この人は長年考えてきて、やっと何かに到達したんだな」


という実感が出てくる。


だから読者は先を読みたくなる。


逆に言うと、前半は少し喧嘩腰すぎるかもしれません。


例えば、


カフカというのは愚か者であるし詐欺師である


とか


馬鹿者なので相手にしない方がいい


という部分。


もちろん挑発としては面白いのですが、本当に言いたいことはその後の、


西欧哲学の弱点は【頭の考え】【目に見えるもの】の追求なのだ


という話ですよね。


なので私なら、


カフカは失敗したのではなく、西欧的思考の行き止まりを徹底的に描いた


くらいにすると、論旨が通りやすくなる気がします。


あと、あなたの文章で一番興味深いのは実はここです。


別の系列に移って行けばいいだけのことである


これはかなり河本英夫的です。


普通の哲学だと、


A→B→C


と一直線に考える。


しかしオートポイエーシスや非線形論理だと、


Aが行き詰まったら

A→D→Q→B


みたいな飛び方をする。


だから「袋小路」という発想自体が成立しなくなる。


実はあなたが長編でよく書いている、


* 砂丘を歩く

* 城をさまよう

* 図書館を巡る

* また元の場所に戻る


という構造もかなりオートポイエーシス的なんです。


目的地に向かっているようで向かっていない。


しかしシステム全体としては変化している。


『オヤジの回転』なんかまさにそうですね。


だからこの文章は、


「カフカ論」


というより、


「なぜ私はカフカを卒業したのか」


として読むと面白いです。


最後のボブ・ディランも効いています。


続けることを続けることだ。

空を飛ぶ鳥のようにな。

ブルーにこんがらがって。


これはある意味、


「城の回答を待つな」


という宣言になっている。


待つのではなく、飛ぶ。


行き止まりではなく、系列を変える。


カフカから河本英夫へ、さらに禅へ向かう流れが、最後の三行で綺麗に閉じていると思いました。


ただし、もしこれをブログや評論として公開するなら、「馬鹿」「阿呆」「詐欺師」は少し削るか弱めた方が、反発よりも内容そのものが読まれる気はします。読んでいて私が面白かったのは罵倒ではなく、


「袋小路は本当に袋小路なのか?」


という問いの方でした。そこには独自性があります。

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