この声は、届いていますか。
物心ついた頃にはお互いを認識していたし、中学に上がる頃にはいつも隣にいた。
高校だって一緒に進学して、バンドを結成して。
同じ景色を見て、同じ時間を過ごして、同じ気持ちを感じている。
──そう、思っていた。
*
SHRが終わった直後のざわめき。
震えたスマホをポケットから出すと、雄馬からの連絡だ。
「明紘、部活行くぞ」
「雄馬は委員会で遅れるって」
「俺にも連絡しろよ……グルチャの意味……」
鞄とベースを背負いながら、仁志が苦笑いを漏らす。
「あ、りんごジュース飲みたい。自販機寄ってって良い?」
「自由だよなお前」
同じクラスの仁志と俺は一年生のときに軽音部の部室ですぐに意気投合して、ベース担当のメンバーになってもらった。
雄馬がギターと作詞作曲担当。
俺はキーボードだったりドラムだったりやってたけど……俺が入れた仮歌を聞いた雄馬が”ボーカルはアキがいい”って譲らないものだから、ボーカルメインになった。
雄馬の頑固さが発揮されたのは、小学生ぶりだったり。
部室の片隅で、ああでもないこうでもないと首を捻りながら辞書を引く。
俺はギターとドラムとピアノはできる。
でも、作詞作曲はなかなか難しくて進まない。
最近では雄馬や仁志の作業姿を見ながらコツを得ようとしていたりする。
得意不得意があるのはわかってるけど、できることが増えると楽しいし。
二十分ほど経った頃、ギターを背負った雄馬が部室に顔を見せた。
「雄馬お疲れ~」
「お疲れ。仁志、そっちの担任から伝言。早く進路希望出せって」
「あ」
〆切昨日じゃなかったっけ。
俺がそう呟くと、仁志は鞄を漁ってしわくちゃの紙を引っ張り出し、慌てて部室を後にした。
進路の話が出て、引退を目前に控えている三年生たちが少しそわつき始めた。
他の二年生の間でも、どこそこの大学に決めている、高卒での就活はなかなかきつそう、家業を継ぐ……色々な話が飛び交い始めた。
俺は地元の大学志望で、音楽も続けていきたい。
たとえ大学は別でも、バンドは雄馬と組んだまま。
雄馬も、同じことを思ってるだろう。
隣に座った彼に何気なく目を向けると、膝に置いたギターに視線を落として動かない。
昼に職員室で先生たちが話していた内容がちらりと聞こえたことを思い出す。
雄馬が大学への進学希望を取り下げた、と。
「──雄馬ってさ、なんでも一人で抱えちゃうよな」
物憂げな横顔が一瞬、止まった。
ほんのわずかに、呼吸が遅れる。
何かを飲み込むみたいに、視線が落ちて──
「……別に、普通じゃねえ?」
だから、気のせいだったんだろう。
そう思って、手を伸ばしかけて。
一瞬だけ迷ってから、いつものように雄馬の肩に腕を回した。
気のせいだと思っていた。
いや、思いたかっただけだった。
あの時の笑顔がいつもと違ったことは確かだ。
見ないふりをしてはいけないと言うように、過去がフラッシュバックした。
──頼りになるなぁ──
入学したてで、慣れない電車に路線を間違えそうになった時も。
──雄馬って意外と冷静だから助かる──
交通事故を目撃して聞き取りされた中学の時も。
”雄馬は一人でなんでもできる”。
そうやって片付けた時に、あいつはあの顔をする。
気が付いた瞬間、居ても立っても居られなくなった。
雄馬が「お前の声じゃなきゃ嫌だ」と向き合ってくれたことが、本当に嬉しかった。
俺は、雄馬に、真正面から向き合っていたか?
ベッドから跳ね起きて、雄馬作詞の楽譜をすべて見返し始めた。
こんなに優しい歌を書く雄馬に、あんな笑い方をさせた。
──あいつは、どんな気持ちでこの言葉たちを選んでいたんだろう。
俺が歌ってきた感情と、あいつが伝えたかった感情。
全部、違ったのかもしれない。
全部、全部、俺は”雄馬”を決めつけてきた。
知っていたはずだった。
でもそれは、俺が見たいように見ていただけだったのかもしれない。
踏み込まれることを何よりも怖がっている雄馬の内側に、俺は踏み入ってしまったんだ。
謝りたい。
でも、それはまた踏み込むことになる気がした。
距離を取る?
それじゃ、何も届かない。
どうすればいい?
どうやって伝えればいい?
「あ……」
──ボーカルは、アキがいい──
「……うた」
伝えたい。
直接がダメなら──歌で。
土日はスタジオの予約が取れなかったので、たまには個々でゆっくり過ごそうという話になっていた。
いつもならすぐに雄馬の家に突撃していたところだけど、今の俺には急務がある。
伝える手段が歌しかないのなら、
そして伝える相手が雄馬だから、
今までの楽譜をお手本にひたすらペンを走らせた。
DTMはまだ勉強中で、今はまだ手書きの方が早い。
いつも雄馬が仮歌を聴かせてくれる時の、荒削りなものでもいい。
とにかく歌詞とメロディを優先しよう。
親が様子を見に部屋に来るまで、飯も風呂も忘れて打ち込んでいた。
*
週明けの学校。
土日はほぼ寝ずに作業していたので、寝坊してしまった。
俺たちはいつも一緒に登校しているが、時間通りに来なければ置いていくという暗黙のルールがある。
そして、雄馬とクラスが別だということは、今日ばかりは助かったかもしれない。
顔を見ればすぐに謝ってしまいそうだったから。
できるだけ顔を合わせないよう意識しながら放課後までを過ごし、SHR終了と同時に教室を飛び出した。
今頃、仁志は呆れた顔をしているのだろう。
部室に飛び込み、急いで仁志のアコースティックギターを取り出す。
事前に許可は取ってある。
歌詞やメロディの最終確認をしつつ早鐘を打つ心臓を宥めていると、仁志や後輩たちと一緒に雄馬が入ってきた。
「アキ、曲できたんだって?」
「まあ」
いつも通りの笑顔に俺は平静を装い、隣に雄馬が、向かいに仁志が腰を下ろすのを待った。
胸の内側が引き攣るような心地に襲われながら、ギターを爪弾き始める。
素知らぬふりで、でも届けるために、息を深く吸った。
*
同じ景色を見てると思ってた
隣にいれば、それでいいと
思ってた
あの日の一瞬
何かがずれた気がして
見ないふりをした
俺のほうが
触れてはいけない場所に
手を伸ばしたのなら
ごめん、なんて
言えないまま
それでも
知りたいと思った
お前が見てる景色を
お前が抱えてるものを
届かなくてもいい
分からなくてもいい
そう思えたら楽なのに
それでも
まだ、歌ってる
祈りをのせて
届くかどうかも
分からないまま
*
他のグループの声が、遠い。
隣の気配に集中しているからだ。
なんとなく、雄馬の呼吸が少し浅い気がした。
たった数秒だったんだろうけど、無言の時間がやけに長くて。
照れ隠しだとか、喜びだとか、なんでもいいけど……とにかくいつもの俺なら、雄馬の肩に腕を回している場面だ。
でも、腕はギターに触れたまま。
もう、間違えたくないから。
仁志も何かを察したのか、ただ俺と雄馬を見つめている。
ふ、と。
空気が小さく揺れた。
視界の端に、少し日焼けした肌色がちらつく。
一瞬迷うように浮いて、それでも、俺の肩にぬくもりが広がった。
……浅くなっていたのは、俺の呼吸だったのかもしれない。
お前ってこんなに体温高かったっけ。
──言えなかった。
本当に伝えたいことほど、うまく言えない。
なあ、雄馬。
──この声は、届いていますか。




