第6話「襲い来る盗賊団との攻防」
朝露がまだ草葉を濡らしているうちに、俺たちは柵の外へ出た。
畑の畝は均一に伸び、若い芽が陽を受けて淡い緑に光っている。ようやく形になってきたフィオラの“命の源”だ。守らねばならない。
「合図用の鐘は北門と西柵。火矢の壺は三か所に分散。杭は胸の高さ、間隔はこれぐらい――」
俺の指示に、若者たちが動く。丸太を抱え、縄で結び、土に叩き込む。女たちは水瓶を運び、火打石とともに素早く並べた。子供たちには家の地下へ避難する合図を教え直す。
「アルト様、罠の編み上げ、これで良いですか?」
声をかけてきたのは、元猟師のロイだ。彼の指先で撚られた蔓縄は、目立たない色で地面と一体化している。
「いい腕だ。ここに**支援魔法・土精の糸**を通す。踏めば土が締まり、脚が沈む。焦るほどに抜けない」
俺は蔓縄へ掌を当て、魔力を流す。土の粒子が微かに震え、縄と土の間に見えない“縫い目”が走った。
「それと……西の茂みから入ってきた場合を考えて、音の仕掛けも増やそう。支援魔法・木霊の鈴」
枝と枝の間に結んだ細い竹筒が、風もないのに小さく澄んだ音を返す。敵が触れれば、同じ音が村中に連鎖する仕組みだ。
昨夜、道端で見慣れぬ足跡を見つけた。革靴の跡、かかとの削れ方は街道歩きに慣れた者のそれ。獣ではない。数は十五から二十。しかも歩幅が揃っている――盗賊だ。
畑が動き始めた匂いを嗅ぎ付けたのだろう。獣よりも厄介だ。人の欲には歯止めがない。
準備は昼までに終えた。
村人たちは互いの肩を叩き、深く息を吸い、手のひらの汗を服で拭った。
「怖いか?」
問うと、若者のひとりが苦笑した。
「そりゃ、怖いさ。でも……今は怖いまま走れる気がする。アルト様の魔法があるから」
「よし、なら走れ」
俺は両手を広げ、彼らを包むように魔力を解き放つ。
「支援魔法・全体強化。
支援魔法・冷静沈着。
支援魔法・薄霧の外套」
力が筋肉の芯へ染み込み、鼓動が早すぎず遅すぎず一定に落ち着く。薄い霧が足元から立ち上がり、輪郭を淡く溶かした。視界は晴れたまま、敵からだけ曖昧に見える“半隠蔽”だ。
村長が短く頷く。
「お主の指揮に従う。ここは……皆の家じゃ」
うなずき返したとき、北の茂みで木霊の鈴が一斉に鳴った。
――来た。
最初に現れたのは、ボロマントの斥候二人。続いて、粗末な革鎧の男たちがぞろぞろと姿を見せる。十、十二……最後尾から一人だけ、艶のある黒革と飾り留めの肩当て。あれが頭領か。
斥候が地面に何かを見つけたのか、しゃがみ込んで手を伸ばした瞬間、蔓縄が微かに鳴る。
足首が土に沈む。
男が顔を上げるより早く、俺は指先で合図した。
「今だ。前列、押すな。後列、槍で牽制。横列は茂みに回り、音の仕掛けに触れさせろ」
若者たちが動く。
“押さない”――恐怖で突っ込めば罠ごと崩れる。俺は彼らに“待つ勇気”を教えてきた。
「なんだこれは!? 足が抜けねえ!」
「落ち着け、ばかども!」
頭領らしき男が怒鳴る。片目に古傷、顎には銀の輪。
彼の視線が柵の間から覗く俺に絡みついた。
「へえ……隠れて隙を狙うタチかい、補助屋」
声に嘲りが混じる。
俺は肩をすくめ、淡々と応じた。
「正面から殴り合う気はない。守る側は、勝ち筋を選ぶ」
「選べるとでも? いいか、お坊ちゃん。畑も女も家畜も、全部出せ。命は残してやる」
「断る」
言い切った瞬間、俺は地面に掌を当てる。
「支援魔法・地脈共鳴」
薄く震えた土が、盗賊たちの足裏の重心を狂わせた。
蔓縄と土の縫い目が強く締まり、数人が次々と転ぶ。立て直そうとした腕に、村の後列から投げ縄が飛ぶ。
「引け!」
掛け声とともに、一気に引き倒す。
俺は間髪入れず、前列へ別の支援を投じた。
「支援魔法・筋繊維活性――二十呼吸だけ出力を上げろ! 深追いするな、退くときは俺の声で!」
「おうッ!」
訓練の通り、若者たちは押して、斬らず、離れる。
盗賊は足を取られて姿勢が悪い。そこへ槍の石突で肋を突き、即座に半歩下がる。致命傷を狙わない“削り”だ。相手の士気と呼吸を崩し、こちらは傷を負わない。
「ちっ……面倒なやり方を」
頭領が舌打ちし、背中から短弓を抜いた。
矢が唸り、前列の少年の頬をかすめて柵に突き立つ。
「下がれ! 支援魔法・風壁!」
透明の壁が矢を弾く。間を置かず、俺はもう一つ重ねた。
「支援魔法・反響の幕」
風壁に当たった矢の衝撃が反射し、二割ほどの力で射手側に“戻る”。盗賊の弓手が目を見開き、慌てて身を伏せる。
「前へ出るな、横を削れ!」
横列のロイたちが茂みを滑るように移動し、木霊の鈴をわざと鳴らしながら撹乱した。音が四方から重なり、敵の耳と方向感覚を奪う。
「囲まれてる……のか?」
「数じゃ勝ってる! 行け!」
頭領が怒鳴り、二、三人が無理に踏み込む。
踏んだ先は――土精の糸。足首が沈み、体重が前に流れ、槍の石突が的確に鎖骨を叩いた。
――折るな、眠らせろ。
俺は彼らの手加減を、何度も口酸っぱく言い聞かせた。人を斬る恐怖は容易に“やりすぎ”へ転ぶ。命を奪わず、戦闘力だけを奪う。それがこの村の“戦い方”だ。
劣勢を悟ったのか、頭領が口笛を鳴らした。
後方から、粗末な盾を持った大柄な男が前に出る。盾壁で罠を踏み潰し、力ずくで間合いを開こうという腹だ。
「押し切れぇ!」
大柄な男が吠えた瞬間、俺は低く唱える。
「支援魔法・滑土」
目に見えない薄膜が地表に張り、盾の足元だけが極端にぬめった。巨体が前につんのめり、盾が“坂”になって男たちが雪崩込む。その頂点、頭領の肩が一瞬だけ露出した。
「今!」
ロイの投げ縄が蛇のように走り、頭領の右腕に絡む。
同時に俺は地面を蹴った。
「支援魔法・瞬歩」
視界が伸び、時間がわずかに引き延ばされる。
俺は頭領の懐へ滑り込み、短剣の腹で手首を弾いた。
落ちたナイフを足で蹴り飛ばし、顎へ掌底。ぐらりと膝が落ちる。
「クソが――!」
頭領が肩を回し、縄を引き千切ろうとした。
ロイが耐え切れずに一歩退く。
俺は咄嗟に男の胸板へ掌を押し当てた。
「支援魔法・力の偏移」
腕力の“方向”だけをずらす。
千切る力は空へ逃げ、頭領の体勢が大きく崩れた。
「そこだ、寝ろ!」
背後から飛び込んだ大男――村の粉挽きラグが、石突で鳩尾を一点突き。空気が乾いた音を立て、頭領はその場に崩れ落ちた。
頭が地に落ちる音に、盗賊たちの目が一斉に揺れる。
士気は、切っ先よりも速く崩れる。
「――ここまでだ。武器を捨てろ。命は取らない」
俺の声に、最初は唾を吐いた者もいた。
けれど、周囲で木霊の鈴がまたひとつ、またひとつ鳴る。四方八方に“仲間がいる”と錯覚させる音の重層。実際、横列の連中はもう背面に回っていた。
「……降りる」
誰かが短剣を落とした。音が土に刺さる。
次いで一人、また一人。やがて半数以上が武器を手放した。
縄を回し、負傷に応急の布を巻き、倒れた者に水をやる。
村人たちは荒い息を吐きながらも、誰ひとり、敵を蹴ることはしなかった。
「アルト様……終わった、のか?」
ラグが額の汗を拭いながら問う。
俺はうなずき、空を仰いだ。青が高い。風が畑の葉を撫で、規則正しいざわめきを立てる。守れた。
「終わった。よくやった。誰も死んでいない」
その言葉に、みんなの肩が一斉に落ちた。
張り詰めていたものが、静かにほどけていく。
縄をかけられ、膝をついた頭領が顔を上げ、俺を睨む。
「……あんた、ただの補助屋じゃないな。戦の流れを“作る”補助だ。王都じゃ見ねえ手だ」
「王都のやり方は知らない。俺は“守る”ために使う」
頭領は鼻で笑い、しかし少しだけ目を細めた。
「勘違いすんな。俺たちが来たのは偶然じゃねえ。**“看破の勲章”**を付けた騎士が言ってたぜ。『辺境に一人、面倒な補助術師がいる。畑も人も、全部へし折ってこい』ってな」
背筋に冷たいものが走る。
看破――敵味方の能力や装備を見抜く鑑定系の勲章だ。騎士団の高位しか持たない。
「名は?」
「知らねえ。だが――“青の外套”だった」
青の外套。王国騎士団の正規色だ。
村長がぎゅっと杖を握り、歯を食いしばる。
「やはり王都が……」
俺は頭領に視線を戻した。
「お前たちに選択肢をやる。今すぐ去るなら命は取らない。二度とこの村に近づくな。王都に戻りたきゃ戻れ。行き先がないなら……畑を耕せ。働き口はある」
盗賊たちがざわつく。
ラグが目をむいた。
「アルト様、いいのか?」
「盗賊という“過去”は消えない。でも、この村は“未来”を見る場所だ。俺がそう在りたい」
しばしの沈黙ののち、頭領が低く笑った。
それは嘲りではなく、どこか乾いた諦め混じりのものだった。
「……笑っちまうな。敗けた相手に畑を勧められるとは。いいだろう、俺は去る。だが覚えとけ。青の外套は本気で来る。今日みたいな情けはない」
「覚えておく」
夕暮れ。
縄を解かれた数人は森へ消え、残った数人は工具と鍬を受け取った。
ロイがぽつりと言う。
「人の選び方って、難しいな」
「だから俺は“選ばせる”。選んだ後の責任は、俺も一緒に背負う」
茜色に染まった畑の葉先が、柔らかく光る。
村人たちの顔には疲労と同時に、不思議な晴れやかさがあった。
誰も死なず、奪わず、奪わせなかった――それが今日の勝利だ。
だが胸の底で、別の熱がゆっくりと形を取る。
青の外套。看破の勲章。王都は俺を“面倒”と判断した。なら次は――法と正義の名を掲げてくる。
夜風が畑を渡り、若い芽が一斉にさざめいた。
俺はその音を背に、静かに決意を固める。
「来るなら来い。補助は“支える”だけじゃない。世界の流れを変える」
焚き火に火が入り、村の灯りがまた一つ、また一つともる。
俺は皆とともに、その灯りの数を数えた。ここにある命を、確かめるように。