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It Happens In A Forest - 3



 どこか遠くで、雷鳴がとどろいていた……。

 ノースウッドを含む北部地方はその気候の気紛れぶりでよく知られていて、今、晴れていると思ったら、急に雨が降り出すのも珍しくない。

 オリヴィアたちの頭上はまだ青い空が広がっていた。

 ――しかしそれが、この先の晴天を約束するものではないのは、オリヴィアもよく分かっている。


 二人は言葉少なにハーブ狩りを再開したが、どうやら、エドモンドのハーブに対する情熱は、昼前にくらべるとだいぶ冷めてしまっているらしかった。

 今までと同一人物とは思えない放漫な動きで働きながら、ふと無言で天を見上げていたりする。

 少し離れた場所でハサミを操りながら、オリヴィアはそんなエドモンドをじっと見つめていた。


 彼はまるで、何かを祈っているようだわ……と、オリヴィアは思った。

 何かに、救いを求めているようだ、とも。


 それから間もなく急に空気が湿りだして、オリヴィアはぶるっと身体を震わせた。

 頭上の木々が揺れだし、バサバサという重い音を立てはじめる。

 先に顔を上げたのはエドモンドだった。

 彼は顔をしかめてみせ、手にあったハーブをいささか乱暴に荷袋へ詰めると、オリヴィアの側へ大股で近づいてきた。

「雨になる」

 エドモンドはきっぱりと言った。「それも、強いのが来そうだ。私について来なさい」

「お屋敷に戻るのですか?」

「いや、これは通り雨だ。屋敷に戻るころに私たちはずぶ濡れになって、雨は止んでしまっているだろう。それよりも近くに雨をしのげる場所がある」

 慌てて立ち上がったオリヴィアは、エドモンドにならってハサミとハーブを荷袋へ押し込み、次の彼の指示を待った。

 森の中で雨に降られたとき……どこへ行けばいいのか、何をすればいいのか。そんな知識もオリヴィアにはなかったのだ。今朝は一人で森に入るつもりだったことを考えると、そら寒い思いだ。

 オリヴィアが待っていると、エドモンドはおもむろに息を吸い、唇をぎゅっと一文字にして歯を食いしばった。

 そして、「ついて来なさい」 ともう一度言うと、颯爽と馬に乗り込んだ。



 雨をしのげる場所というから、てっきり小屋か何かがあるのだろうとオリヴィアは思っていたのに、辿り着いたのはある大きな木の根元だった。

 縦の高さよりも横に幅の広いつくりの木で、大ぶりの葉が頭上で何重にも重なっているお陰か、雨が届かない。いわば、大きな傘が地面に突き立っているような感じだ。

 馬を近くの木に繋いだ二人は、その木の下に立ちながら、雨が過ぎるのを待った。

 雲が唸りをあげ、雨が水飛沫をあげても、その木の下だけは不思議ととても静かで、安らかだった。まるでまゆに護られた蚕になったような気分……。

 問題は、そのまゆが少しばかり大きすぎることだった。

 オリヴィアはエドモンドの近くに立ちたいのに、エドモンドは幹をはさんだ向こう側にいる。

「…………」

 気温がぐんと下がったせいもあって、オリヴィアは温もりが欲しかった。

 ここには馬を除けば二人しかいなくて、エドモンドもどちらかといえば薄着だ。彼は寒がるそぶりを見せなかったが、この気候である。そばに人肌の温もりがあっても困らないだろう……。

 しばらく考え込んだあと、オリヴィアはゆっくりと、しかし確実に、エドモンドの方へ移動しはじめた。

 すると、オリヴィアの動きを察したエドモンドが、素早く横に一歩動いた。――オリヴィアの対極へと。エドモンドの一歩が大きく素早かったので、オリヴィアは最初、ただの偶然だと思った。

 む、

 もう一度。

 オリヴィアはまた、するすると、育ちのいい女性独特の優雅な小股でエドモンドの方へ近づいていった。今度こそ近づけただろうとオリヴィアは心の中で喜んだのに、またしてもエドモンドは大きく一歩横にずれた。

 その時やっと、オリヴィアは理解した。

 エドモンドはオリヴィアを避けている!

 雨宿りの木の下で、オリヴィアの隣に立ちたくなくて、逃げ(文字通り)回っているのだ!

 オリヴィアは動悸がするのを感じた。

(どうして?)

 こんな、時くらい。

 隣にいてくれたっていいのに。

 温めてくれたっていいのに。サンドウィッチは食べてくれたのに。逃げることなんてないのに!

 オリヴィアはスカートの裾を両手で少し持ち上げて、木の胴回りを小走りで回った。すると、なんと強情なことに、エドモンドはまたも移動しはじめた。しかも歩幅が違いすぎるため、オリヴィアは走っているのに、エドモンドはゆっくりと大きく足を進めていくだけだ。

「……っ……ノースウッド伯爵!」

 思わず声を上げながら、オリヴィアはエドモンドの背中を追った。

 そして、幹の回りを二、三周したところだっただろうか。突然、エドモンドが立ち止って振り返ったので、オリヴィアは彼の胸の中に軽く突進をするような感じで入っていった。

 そして、意外なことに……エドモンドは両手を広げてオリヴィアを迎えていた。

 走ったことで温まりはじめた身体が、もう一つの身体の熱と出会い、交じり合って、熱くなる。

 気が付けばオリヴィアは、エドモンドの腕の中に抱きすくめられていた。

 熱い鼓動の中に。

 そして、

「私がいくら突き放そうとしても――」

 優しい、とさえいえるような穏やかな口調で、エドモンドは呟いていた。

「あなたはこうして私を追ってくる……。私は、どうすればいいんだ? どうやってあなたを逃がしたらいい?」

 オリヴィアは彼の腕の中で顔を上げた。

 緑の瞳がオリヴィアを見下ろしている。いつもは強さに溢れた精力的な瞳が、今は切なく揺れているように見えた。

「私は逃げません。私は……あなたの妻になりたいんです。あなたが好きだから」

 オリヴィアはそう言ってみた。

 エドモンドの言っていることは難しい。だから、もっと賢い答えを返さなくてはいけなかったのだろうけれど、素直な想い口にする以外は困難だった。

「それでも、駄目なのですか?」

「駄目だ」

 エドモンドは即答だった。

 しかし、そのくせ……オリヴィアを突き放したいと言っているくせに、彼の腕は強くオリヴィアを抱きしめていて。

 その緑の瞳は、まっすぐオリヴィアにだけ注がれている。


 嫌われているようには思えなかった。

 それどころか、いっそ、愛していると言われたら、信じてしまいそうなほどの抱擁に包まれているのだから……。


 その時ふと、エドモンドの片手が、オリヴィアの頬に触れた。

 壊れやすいガラス細工に触れようとするような、注意深い動きだった。大きな筋だった手は、オリヴィアの頬をなでるように滑ったあと、彼女のあごの下でぴたりと止まる。

 オリヴィアは一切抵抗しなかった。――まるで、エドモンドは、それを待っているようだったけれど。

「私はあなたを愛するべきではない……」

 と、エドモンドは言った。

 オリヴィアは瞳を揺らした。「愛していない」 ではなく、「愛するべきではない」 ……。

「なぜ……なぜですか? 私がバレット家の女主人に相応しくないから?」

「なぜなら、あなたが美しいからだ。あなたは砂糖菓子のように甘くて、真っ白い肌と空色の瞳で私を誘い、柔らかい声で私の名前を呼ぼうとする。そして……」

 エドモンドは言葉を止めた。

 しばらくの沈黙のあと、慎重に言葉を選びながら続ける。


「そして、私は……あなたを愛してしまったら、あなたを失えなくなる。しかし私があなたを愛せば……あなたは消えてしまう。オリヴィア」


 オリヴィアはその言葉の意味を理解しようと努力した。

 エドモンドがオリヴィアを愛すと、オリヴィアは消えてしまう……? でも、なぜ。

「私は消えたりしません。どこにも行かないわ。どうして、そんなことを思うの?」

「そうであればいいと思う。しかし……私はその危険を冒せない。あなたを失えない」

「私を信じてください」

「あなたを信じる、信じないの問題ではないんだ」

 会話は平行線を辿る。エドモンドがその心に抱えている秘密を教えてくれない限り、これが延々と続くだけで、二人は永遠に他人のままだ。

 オリヴィアは苦しくて下唇を噛んだ。

 悲しかった――。自分が悲しいのはもちろんだが、それ以上に何よりも、エドモンドの表情があまりにも切なくて寂しそうだったからだ。オリヴィアの両目におなじみの涙が溢れてきて、視界がぼやけだした。エドモンドは苦々しげに頭を振る。

「泣くんじゃない、オリヴィア」

 彼の声は優しくて、それが余計にオリヴィアの涙を誘った。

「泣かないでくれ……」


 二人は一緒にうつむいた。

 そして、お互いを慈しむサラブレッド同士のように、ほおほおひたいひたいを、ゆっくりとなで合わせた。口づけではない……それよりももっと親密な行為。

 ひどく切なくて、胸がはちきれてしまうのではないかと、オリヴィアはぼんやりと思った。



 気が付くと、雨音がひき、周りの空気が明るく輝きだし、雨上がり独特の湿った若葉の香りがあたり一杯に広がりはじめている。

「ノースウッド伯爵……」

 オリヴィアが下を向いたまま呟くと、エドモンドは彼女の唇にそっと人差し指を当てた。

 何も言うな、という意味なのだろう。

「帰ろう。今のことは……忘れなさい」

 エドモンドの口調はいつもの厳しさを取り戻していた。


 それからバレット家の屋敷に戻るまで、二人はお互いに一言も言葉を交わさなかった。しかしオリヴィアの心の中は、沢山の疑問と、抱えきれないほどの渇望と、大きな不安で渦巻いていた……。

 それでも、言葉には出さずとも、オリヴィアは感じていた。

 ――二人の間には愛がある。

 たとえそれが、芽吹いたばかりの花の種のように繊細で、頼りないものであっても。

 

 目をそらしてはいけない……。逃げることなんてできない……。





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