海で泳ぐということ
・
立ち上がって身体に付いた砂を払いながら思った。
( やはりゴブリンなのか・・ )
肌の色が微妙な褐色なのは兎も角として、
腕が細い。
脚も細い。
何より身長が低い。
…予め分かっていたことではあるのだが。
プレイしていたアバターとはフィジカルなアライメントが変わってしまった。
( ・・そんなことよりも ! )
身体から砂を払い終えた私は海に向かって走り出した。
波打ち際から引き波を追い越して更に進み浅瀬に踏み込む。
ああ。
”海” とはこういうものだったのだな。
浜に打ち寄せる小波を膝で砕きながら沖に向かって駆け進む。
水面が臍より高くなるまで岸から離れると私は海底の砂を蹴って泳ぎ出した。
最初はクロールで。
次には背泳ぎで。
平泳ぎや横泳ぎも試してみた。
( ゴブリンも泳げるんだな! )
他愛もないことかもしれないが穏やかな海面を泳ぎながら私は感動していた。
・・・最後に海で泳いだのは何年前だろう。
私は子供の頃スイミングスクールに通っていた。
学校の体育でのプール授業は私の独壇場でもあった。
それは中学・高校時代も変わらなかった。
勿論、夏は海でもよく泳いだものだ。 家は浜まで歩いて行ける距離だったから。
ゼミやサークルの仲間も誘えば ”湘南の海” には喜んで来てくれたものだった。
海は良い。
夏の海は猶更だ。
湘南は言うまでもないが三浦・伊豆・房総をはじめ全国の海水浴場は日本の宝だ。
何千円、或いはは万を超える金を払わなくても一日楽しめるのだから。
水着とシート、後は適当な弁当とコーラの一本もあればいいのだ。
浜辺で一緒に夕日を眺める以上に素晴らしい事なんてそれ程多くはないだろう。
だが、その海岸に私は二度と行けなくなってしまった。
就職も決まった大学4年の時 バイクの事故で頸椎を損傷してしまったのだ。
別に無謀に飛ばしていた訳ではない。
西湘バイパスをゆっくり流していただけだった。
もっと車間距離を空けておけば、
もっと先行車に注意を払っていれば、
避ける事が可能であった事故だったかもしれない。
浮かれた心持ち、気の緩みが無かったとは否定しきれない。
しかしそれを悔やんでも詮無い事だろう。
先行するトラックの荷台から大きな箱状の物が落ちて来たのだ。
公衆電話ボックスくらいの大きさだったのを覚えている。
それが私が "屋外で見た" 最後のシーンとなった。
病院で目覚めた時、私は自力で呼吸することが出来ない体になっていた。
良いヘルメットを被っていた為か幸い脳そのものにはダメージはなかったものの、
四肢は全く動かすことが出来ず言葉を話すことも不可能になってしまった。
唇や瞳は動かせたので意思の疎通は何とか可能だったが何もすることが出来ない。
私は身体機能の殆どを失ってしまったのだった。
・