貴女の運命だったのね
「キャロライン様、ひどいと思いませんか?
わたくし、わたくし……どうしたらいいのか」
「……」
何と言っていいかわからず無言でいれば、勝手に言葉が返って来る。
「そうですわよね! こんなこと、普通じゃ考えられませんもの。
何も言えないのが当たり前ですわ!」
「……ええ、本当に」
とりあえずの相槌は打っておく。
学園時代の級友に、突然呼び出されたかと思えば、カフェの個室に通された。
高級カフェの個室。幾らするのかもわからない。
奢りじゃなかったらどうしようと、一抹の不安が過る。
今日のおすすめスイーツと紅茶が出てくると、彼女は人払いをした。
そして、開口一番。
「夫が浮気しているんですの!
わたくしという者がありながら、考えられませんわ!」
実のところ『あ、そうなのね』と思っただけだった。
彼女とは、特別仲が良かったわけでもないし、何で呼び出されたんだろうと訝しむレベル。
危険は無いと思ったし、たまたま暇だから出て来ただけで。
話聞きながら、スイーツ食べちゃダメかしら?
……判断に困るわ。
目の前の元級友は、よよよと泣きながらも、化粧が崩れないよう、けして顔面をこすったりしない。
やや斜めに座って精神的不安をアピールしつつも、ドレスの皺を最低限に抑えるような力の入れ具合。
彼女、意外と鍛えてるのかもしれない。
夫に浮気された悲劇の妻の姿を見せられて、なんか相変わらずだな、と思う。
彼女は学園時代からこんな感じだった。
学園にはいろいろな伝統がある。
卒業前に、婚約者を求める貴族令嬢令息のために、先輩方が集団お見合いのお茶会を開くのも、その一つ。
わたしは、婚約できなければ侍女として働きに出てもいいと考えていたので、気楽に、そのお茶会に参加した。
しかし、目が血走っている方々もいるわけで。
彼女も、その一人。
なかなか良縁に恵まれず……おそらく、望みが高すぎて決まらなかったのだと思うけれども。
とにかく、彼女もお茶会に参加して、そして、自分好みの殿方を見つけた。
その時、たまたま同じテーブルにわたしもいた。
「わたくし、ブルース様と運命だと思うんです」
指を組み、目を潤ませる彼女。
お茶会の翌週、学園で昼休みに呼び出され、何かと思えば彼女のヒロイン劇場が始まった。
「……キャロライン様、こんなこと、お尋ねするのはどうかと思うのですけれど。後から、揉めるのも嫌ですし。
あの、お茶会で同じテーブルになったブルース様のこと、どう思われていらっしゃいます?」
ブルース様はロッドフォード侯爵家の三男。
騎士として働いていて、婚姻後はサンプソン子爵となる予定だ。
顔面偏差値は高い。あの日のお茶会では一番イケメンだったはず。
それに女性の扱いは非常にジェントル。
参加した男性陣の中では、一二を争う人気だったろう。
「素敵な方、でしたね」
「……でしたら、もしお声がけがあれば、お応えに?」
いや、無いと思った。
特に一対一で話が盛り上がった記憶もない。
万一、声をかけられたとしても断るだろう。
なぜなら。
「あの、正直申しまして、わたしはあのように涼やかな美男子は苦手なのです。
騎士様という職業に就く方ならば、もっと筋肉ムキムキの方が好みですわ」
「そ、そうなのですね」
わたしのぶっちゃけに、一瞬、唖然としたリリアン様。
それはそうだろう。彼女は、自分の獲物に手を出すなって言いたいだけなのだから。
もう一押ししておくことにする。
「あのような美しい殿方には、貴女のように花のような楚々とした美女が、お似合いですわ」
「ありがとうございます」
満面の笑みになったリリアン様。
はいはい、納得したならわたしを解放してくださいね、と思ったものだ。
その後も、聞こえてくる女子内の噂話によると、彼女はあの日、ブルース様に近寄った女子を出来る限り牽制して回ったらしい。
真似のできない執念である。
しかし、結果として見事、彼女はブルース様を勝ち取った。
牽制と並行して、実家総動員で侯爵家にアピールしたとか。
彼女の実家の皆さんが、愛する令嬢のために協力したのか、思い込みの激しい娘を速やかに片付けたかっただけなのかは定かではないが。
とにもかくにも、彼女は美男子の夫を勝ち取り、彼の実家の侯爵家の財力で豪勢な結婚式を挙げてもらい、それはもう得意満面な花嫁姿を見せつけた。
もともと儚げで美しい外見を盛りに盛って、まさにお姫様のようであった。
その姿に、わたしは微笑んで拍手を送った。
特に仲良くもなかったのに、袖触れ合ったせいで披露宴に招待されてしまったのだ。
……ところが、そこからたった一年で、この有様。
今度は悲劇のヒロイン劇場である。
大通りでグラマラスな女性と話すのを見た、とか。
路地でマッチ売りの少女に親切にしていた、とか。
浮気、というより、それ騎士の仕事のうちでは?
王都の警邏中に、行き交う人々と話すのは少しも不自然じゃない。
それに、女性のみカウントしているようだけど男性とはもっと話してるんじゃないだろうか?
婚姻という人生の大イベントで思い込んだ運命が叶い、それ以降も思い通りに行くと思っていた彼女。
でも、彼女が見た現実は、思い通りじゃなかったようだ。
「大丈夫よ。きっと考え過ぎよ。少し落ち着いて様子を見たら?」
そんなふうに、当たり障りのない助言をして、その日は別れた。
それから、しばらく後のこと、元級友の別の知人と会った。
世間話に花を咲かせていると、思わぬ話題が出て来たのだ。
「ねえねえ、リリアン様のこと聞いた?」
「サンプソン子爵夫人?」
「ええ、そう、彼女のこと」
「何かあったの?」
「騎士の旦那さんが、地方へ飛ばされたらしいわ」
「え?」
「不祥事でも起こしたのかしら」
「……彼女は?」
「離縁した噂が聞こえてこないから、一緒に行ったんじゃない?」
「そう、なのね」
わたしは急遽、使いを出し、婚約者と会う約束を取り付けた。
「キャロライン、どうしたんだい?
君が、騎士団まで訪ねて来るなんて初めてだ」
「お忙しいところにお邪魔して、申し訳ありません、レナード様」
「君の顔を見れば元気が出るから、むしろ歓迎だが。
それより、君の方は元気がないようだが?」
「あの……サンプソン子爵のことなのですけれど」
「ああ」
「地方の騎士団へ転籍になったと伺いました。
それで、もしかして、と思いまして」
わたしの婚約者である彼も、例のお見合いお茶会に参加していた。
と言っても、独身ではあるが三十五歳という年齢のため、参加者ではなく保護者枠。
若者ばかりだと羽目を外すこともあるということで、お目付け役の一人としてそこにいたのだ。
あの時、筋肉ムキムキが好み、と言ったわたしの視線は彼の姿を捉えていた。
ちょっとでも話す機会があればと思ったが、結局接触する隙はなかった。
ところが数日後、古本屋でばったり彼と会った。
「あの……先日のハーシェル邸のお茶会でお見掛けしたのですが」
わたしは、なけなしの勇気をかき集める。
見知らぬ男性に下心から話しかけるなど、初めてのことだった。
「ああ、学園の生徒さんでしたね」
「わたしを覚えていらっしゃる?」
話してもいないのに、どうして?
「年齢のわりに落ち着いたお嬢さんだと、ちょっと気になっていました」
「まあ」
「しかも、どうやら、俺と趣味が合いそうだ」
わたしたちは、互いが手に取っていた本を見比べて笑った。
それから、何度か本屋や図書館で待ち合わせ、話をする中で少しずつ距離が縮まり、半年後には求婚された。
わたしの親に許しを請うと、思いのほか、あっさり許可されたのだ。
「お前には落ち着いた大人の男性の方が安心だ」
父がそう言うと、母も頷いている。
それは、わたしがあまり若い娘っぽくないということかしら、それとも、自分は思うほど信用が無いのだろうか?
しかし、彼の手前、そんなことは訊けなくて、そのままになってしまった。
とりあえず、年齢差が噂になるのも面白くないので、婚姻するまで二人の関係は伏せることにした。
で、大事なことは、レナード・ウェルズこと、わたしの婚約者の職業は王都の街中を守る、第二騎士団長だということ。
リリアンの夫の上司だったのだ。
あの日、お茶会に参加する騎士団員が多かったので、そのお目付け役として呼ばれていた。
実は、彼にポロっと言ってしまったのである。
リリアンが、夫が浮気していると疑っていると。
あの日のカフェのケーキが、あまりに味がしなくて残念で。
後から思い返せば、まるで八つ当たりだ。
言いつけるつもりじゃなかったのに、その後、彼女の夫の転籍が決まってしまったのだ。
「……なるほど、だが、君が告げ口したせいではない。
君がどう思おうと、それはひとつの情報でしかないんだ。
騎士団の人事に、身内であろうと外部の人間が干渉することは出来ない。
転籍の決定は、規則通りに検討された結果だ。いいね?」
「……はい」
「さあ、この件は終わりだ。家まで送ろう」
「ありがとうございます」
素直に返事したものの、わたしの心には小さな棘が残った。
半年ほど後、わたしたちは予定通り婚姻した。
お金持ちで時間が自由になる人たちは、新婚旅行なるものに行くらしい。
だが、夫は騎士団長。
金銭的なことはともかく、何日も職場から離れるわけには行かないので、そんな洒落たものには縁が無いと思っていた。
ところがだ。
「一か月、家を空けることになる。抜き打ち視察の旅に出る」
「長いですね。その間、わたしは……」
「君も一緒だ」
「え?」
「抜き打ち視察は別名、仕事半分旅行だ。
旅行に出たついでに近くの騎士団にふらりと立ち寄る体だ。
たいていはもっと年配の騎士団上層部が行くんだが、今年は辞退者が重なり、俺に回って来た」
「まあ」
「行先の一つは、ラルストン領だ」
「!」
そこは、リリアンの夫が赴任した土地だった。
「気になっているんだろう? 自分の目で見て来ればいい」
「……はい、ありがとうございます」
抜き打ち視察といっても、本当に大まかな様子を見るだけらしい。
そもそも、各領地の騎士団は独立したもので、王都の騎士団の干渉は受けないのだ。
どちらかというと、領地の雰囲気を実際に見て、その様子を報告するのが仕事だという。
わたしの実家は、貴族と言っても領地持ちでは無いので、あまり遠方へ旅をしたことは無かった。
初めての経験の中で驚きがあり、楽しみがあり、夫との絆も少しずつ深まっていく気がした。
やがて到着した目的地は、思ったより田舎だった。
左遷を疑われるのも仕方の無いような、何もないところ。
あの、誰よりもお洒落に気を遣い、感情をあらわにしながらもドレスの皺も忘れない彼女が、こんな場所で幸福を感じられるのだろうか?
そう思うと、ここまでの浮かれ気分もしぼんでいく。
「お疲れ様です! お待ちしておりました」
「お待ちしてちゃダメだろう? 一応、抜き打ち視察なんだが」
「まあまあ、固いことは言いっこなしで!
ウェルズ団長と顔見知りの連中が、待ち構えてますよ」
「しょうがないな」
騎士団本部の入り口では、陽気な騎士が迎えてくれた。
各地の騎士団員の中には、研修で王都の騎士団に世話になったものも少なくないと聞く。
案内されたのは騎士用の食堂。
「ウェルズ団長、ようこそ! 奥様も、よく来てくださいました」
「まったく、視察だというのに」
「こんにちは、お邪魔いたします」
顔見知りばかりの夫は、話の合間に歳の差婚を揶揄われて小突き返すのに忙しそうだ。
思わず笑い声をこぼしながら、その様子を見ていたら、奥の厨房から二人の人物が出て来た。
「リリアン?」
思わず呼び掛けた。
わたしに気付いて応える彼女の声は明るい。
「久しぶりね、キャロライン。元気そうだわ」
「ええ……貴女も」
まるで別人のようだった。顔を見るまで彼女だと分からなかったのだ。
田舎の、平民の若い女性にしか見えない。
「ふふ、びっくりでしょう?
ここでは着飾ることも必要なくて。
この辺りの奥さんたちが着ているような服にしたら、とっても動きやすいのよ。
夜会も茶会もないでしょう?
時間が余るから、騎士団の料理長にお菓子作りを教えてもらったの。
わたし、筋がいいんですって」
彼女は簡素な姿でも十分に美しい。自然な笑顔で、それが更に映える。
「ついに、料理長からデザート係としてスカウトされましたよ。
このラズベリーパイも、彼女が作ったものです」
共に現れたのは、彼女の夫である騎士団員のサンプソン子爵だ。
手には美しい焼き色のパイが載ったトレーを持っている。
「いやあ、貴女も来てくださってよかった。
彼女は、ずいぶんここに馴染みましたが、たまには、王都での友人と話したいんじゃないかと心配だったので」
「友人と呼んでいただけて、光栄ですわ」
「リリアンさん、このソースは使うのかい?」
厨房から声がかかった。
「料理長! そうでした、忘れるところだったわ。
ちょっと、取って来るわね」
彼女が行ってしまうと、サンプソン子爵は少し声を低めた。
「団長から伺っています。
貴女が、話を漏らしたせいで、私が田舎に左遷されたのではないかと悩んでいるようだと」
「……はい」
「まったくの誤解ですから、気にしないでください」
「本当に?」
「ええ、転籍は私が自分で望んだんです。
妻は、都会での生活に疲れてしまっていた。
思い切って環境を変えて、もっと自分を解放できるような生き方を見つけてくれればと思って」
「そうだったのですね」
サンプソン子爵の目には少しも嘘が無い。
「さあ、彼女のパイを召し上がってください」
「ええ、いただきます」
「ああ、間に合ったわ。このソースをちょっとかけると更に味が引き立つのよ。お皿の縁に載せていいかしら?」
「ありがとう。……美味しいわ!」
「よかった」
あの日、味を感じなかったスイーツよりきっと、甘い甘い美味しさ。
まるで、今の彼女の幸福を味わっているようだった。
「キャロライン、貴女にも、きっと嫌な思いをさせていたわね、ごめんなさい」
夫が本来の視察業務に行ったので、わたしは彼女と食堂に残って話をすることにした。
「たくさん謝ったのよ、彼にも。
幸福はこうじゃなければという、偏った思い込みに付き合わせてしまって、ごめんなさい。嫉妬深くてごめんなさいって。
他にもいろいろ。……思い出すだけで恥ずかしいけど。
だけど、彼は笑って許してくれた。
そんな君だから一人にしておけないと思った、って」
物凄い惚気だった。でも、肩の力が抜けて幸せそうだ。
「貴女の運命だったのね」
「ええ。そうみたい」
「良かった」
「ありがとう」
それから、彼女とは本当に友人になった。
その夜、宿の部屋で彼女との話を夫に伝えた。
「俺はこれでも団長だぞ?
部下の心根はよくわかってるつもりだ。
あいつは軽薄に見られがちだが、芯の通ったいい男だ。
本当に守りたいと思った女性だったから、婚姻を受け入れたのだろう」
確かにそうだと思う。
いくら、子爵という身分があるからと言っても、王都の騎士団から地方の騎士団への転籍に葛藤がないはずはない。
そして、そんな決断ができる男性を選んだ彼女もまた、人を見る目を持っていたのではないだろうか。
「わたし、彼女より自分の方がモノを分かってる気になってたのね。
彼女は、自分の将来のために懸命に動いていたのに、その必死さを見て、どこか馬鹿にしてたかもしれない。
わたし、格好悪いわね」
「今から、いくらでも学ぶチャンスはある。
君だって、自分に相応しい伴侶を選んだからな」
「相応しい伴侶?」
「君より経験豊富で、地位も実績もあり、寛大で……」
「おまけに、わたし好みの筋肉ムキムキ!」
「その通りだ」
「でも、なんか、悔しいわ!」
わたしは、夫の胸に小さく拳を当てた。
きっと、彼にとっては痛くも痒くもないだろう。
「この筋力の差と同じくらい、わたしって貴方に比べて子供なのかしら」
「そう悲観的になるな。
確かに生きた年数分や、修羅場をくぐった回数分、差が出るのは当たり前だ。
だが、人間には得手不得手というものもあるだろう?
君だけにしか出来ないこともある」
「例えば?」
「筆頭は、十七も歳の離れた男を恋に落として、諦めていた婚姻を決意させたところかな」
「初めて聞いたわ」
「初めて言った」
「もっと詳しく!」
「しょうがないな」
その夜、わたしは、彼の胸にもたれながら、今更な愛の告白を子守歌のように聞かせてもらったのだった。