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□稲田大学小論文問題にチャレンジ

作者: 柳キョウ

制限時間はお昼休みの50分


『退屈』の意味について800字以上1200字以下で論ぜよ

(制限時間60分)




(回答欄)


まず『退屈』、若しくは『退屈でない』を定義してみる。


難し過ぎて理解できない学校の授業は退屈である。

反対に簡単過ぎる学校の授業も退屈である。


どっちが勝つか分かっているスポーツ観戦は退屈である。

負けると分かっているゲームに参加することは退屈である。


いや、この論理は少しずれていると感じる。感じた。

簡単過ぎる授業は退屈で、どっちが勝つか分かっているスポーツ観戦は退屈である。これはしっくりくる。

難し過ぎる授業や負けると分かっているゲームを退屈と表現するには、少しニュアンスがずれていると考えなおした。どちらかと云えば『モチベーション』という観点で論ぜられねばいけない問題であろう。


しかし本論文は『退屈』についての論議であり、難し過ぎる授業に関してよりも、簡単過ぎる授業についての論議がその本題であり、難し過ぎる授業に関しての考察は本題ではない。。



すなわち『簡単過ぎない授業』と『どちらが勝つか分からないスポーツ観戦』が『退屈ではない』ものである。この二つに共通するものは、ずばり『不確定要素』、そして『均等』。

不確定要素があり、どちらに転ぶか分からない均等の顛末について、人は『退屈』を感じることがないのだろう。

ただし、ここでも補足が必要であると考える。世界中のボクシングファンが固唾を飲む世界タイトルマッチでも、それに興味がない者には10ラウンドに及ぶ激闘も、極めて退屈な時間だろう。


『興味があるものの均等がどちらに転がるかの顛末』が『退屈』でないものの正体である。



人が最も興味を持つこと、持たねばいけないこと、取りも直さず『自分』に対する興味である。


自らが『退屈』しない適切な目標を適時設定し、その偏差を進捗を常に意識する。そして自らの努力によって成功側へ転ばせる。

『退屈』の意味を考える事は、あのピーター・ドラッカーの経営理論に相通じるところがある。


『退屈』な人生は幸福な人生とは言い難い。

楽な人生が幸福と考えるのは必ずしも正解ではないどころか、その考え方は間違いである。

『退屈』の意味を考えれば、それは自明の理である。


以下、少し余談になる。

本課題の狙いを考えると、チャットGPTに代表される生成AIには、極めて相性の悪い課題である。おそらくは『退屈』の意味を味気なく列挙するだけのものとなるであろうと愚考する。



以上



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