#06:ハイファイブ
――次の練習日
「……8、9、10!」
ショウと並んでバックランジ100kgを10回やり終える。
「Woo-hoo! Good Vibes! Yeah!」
ショウの声に合わせ、私はショウの大きな左手に、右手を伸ばして、手を合わせて叩く。
次に指文字で彼が「G」、私が「V」を作り、最後にもう一度手のひらを強めに合わせて、パン、と音を鳴らす。
この後、彼は私の腰を軽くたたく。
これはちょっとどうかと思ったが、動画サイトで見ると、チームメートにも同じことをしていたので、許容することにした。
今回から私はショウと同じメニューをこなすことになった。トレーニングは一緒に初めて一緒に終わるほうがいい、という彼の意見はもっともなことだと思ったので、そうしてみることにした。
次はさっきやったハイファイブ(ハイタッチ)だ。
メニューを1つこなす度にこれをやる。これに意味があるのか疑問だが、ショウが強く推したのでそれに従う。つまり、トレーニングについては、プロアスリートである彼に全面的に従うことにした。
あと、敬語の禁止だ。
トレーニングパートナーの関係は対等であるべき、というのが彼の考えだ。これも彼に従うことにした。
だから、呼び方も「王谷さん」から「ショウ」に変えた。
――VIP専用ラウンジ
トレーニング後、私はトレーニングウェアのままぐったりと全身をソファに預けていた。シャワーを浴びる余裕もない。身体強化魔法をかけてこれだ。さすがプロのトレーニングは違う。そんなことを考えていると、さわやかな様子でショウがのぞき込んできた。
私はあわてて姿勢を正したが、だらしないところを見られたかも知れない。
しかも彼は既に着替えていたので、余計にその差を感じる。
「その服、素敵ね」
ショウはグリーン系のシャツにジャケットという姿だった。シンプルだがとても洗練されている。彼はいつも私を褒めてくれるので、私も気づいたところは褒める。
「ははっ、これはスポンサーが提供してくれたのをそのまま着てるだけだよ。それにしても、テノエってマジすごいな。僕と同じメニューをこなせるって、相当なモンだ」
「ありがとう。でも、クタクタで動けないから、用があるなら先に帰ってね。ちゃんと予約時間内には私も出るから」
「大丈夫だよ、さっき1時間延長してきた、ホイっ」
そう言って、ショウはプロテインスムージーの入った紙コップを私の頬に当てた。
「あ、ありがとう」
口にしたらミックスベリー味だった。
「ところでさ、テノエ。身長と体重は?」
女性に対してかなり不躾な質問だと思うが、女だと妙な意識をしてないから、そんなことも気軽に聞けるのだろうと良い方向に解釈する。
「169と59」
トレーニングパートナーである彼に「正直な数値」を申告する。
「そうかな? 絶対170超えてるよね?」
彼はいきなり否定してきた。
「169だってば」
まるで強弁しているような返事をしてしまった。
「……それっていつの話?」
ショウは気になるところを突いてきた。169は高校生のときの身長だ。
「最近測ってないけど、身長は169だから。体重は一昨日計ったし」
「そうかなあ?」
彼の声音はあきらかに疑っていた。
「体が大きい男性にとっては些細なことかも知れないけれど、170を超えるとね。女子は変に目立って周りから余計なことを言われるの。だから169なの。わかるかな?」
極力穏やかな口調で、彼に理解を求めた。
「目立つって……背の高さなんて関係なくテノエは目立つだろ?」
「そんなことないって、うちの大学は可愛い娘、多いんだから」
「その中でもテノエはNo.1じゃないの?」
ずいぶん私を高評価してくれるが、一番可愛いと言われると、私の頭に浮かぶのは彩ちゃんだ。
「No.1というなら、私の仲の良い友達かな。私よりずっとずっと可愛いから」
「そうかなあ、僕がこれまで会った女性の中でテノエが1番美人だけど」
「ふっ」
つい鼻で笑ってしまった。トレーニングパートナーへのリップサービスとはいえ度が過ぎる。
「そう言ってくれるのは身に余る光栄です。けれどもショウは競技に集中していて、他の女性と会う機会が少ないから、そう見えるだけよ」
彼のことはネットで一通り予習した。競技だけでなく女性関係についてもストイックだというのは有名な話だ。つまりこれまで会った女性といっても、その分母の数は極端に少ないはずだ。それで1番といわれても面映ゆい。
すると、今度はショウが鼻で笑った。
「それ、ネットの情報だよね。まさか本気で信じてるの?」
「違うの?」
「女性からのアプローチなんて、うんざりするほどあるよ。一水さんがブロックしてくれているから、かなり減っているけど、それでも1ヶ月に20人は下らない。だから普通の人よりもずっと多く美女を見ているよ」
ショウは苦笑しながら、私の見解を否定した。
「その上で言うけど、君は一番だよ、テノエ」
ショウは一瞬真顔になり、そして悪戯っぽく笑う。
「……あ、そう、ありがとう」
これは冗談だ。私をからかっているに違いない。そうとわかっていながらも返す言葉が見つからず、私はプロテインスムージーを飲み続けた。
「話は変わるけど、テノエってご両親は日本人?」
「そうだけど。どうして?」
「雰囲気が他の日本人と違うから、ご両親のどちらかが外国人なのかなって思ったんだ。英語だってスコッティと普通に話していたし」
「だとしたら帰国子女だからかも。5歳から15歳まで外国に住んでいたの」
「どこの国?」
「ショウが聞いたこともない国よ」
「そうなの? じゃあ、それこそ教えてよ」
「イダフって国」
――3回目の練習終わり
今回も体はクタクタだが姿勢を正してソファに座る。前回のようなだらしない姿は見せたくない。ショウも私に合わせてくれているのか、トレーニングウェアのまま、隣に座った。
「テノエ、この後、ジャグジーに行かない?」
「……本気?」
「もちろんテノエの水着も持ってきてる」
「もしかしてそれ……」
「うん、スポンサーの未発表の新作」
そう聞くとちょっと着てみたい。
「でも、一緒にジャグジーに入ったりしたら、世界中の王谷ファンの怒りを買いそうだから遠慮します」
名残惜しさはあるが、この辺りで線引きが必要だろう。
この数日間、ショウとのトレーニングは、私にとって数少ない楽しみの1つになっていた。でも、ショウはあくまでもトレーニングパートナーだ。これ以上親しくなるのはお互いにとってあまり良くない気がした。
「誰も見てないって。このジムのセキュリティは鉄壁だよ」
「それはわかるけど……」
「いいじゃないか。それにいつも同じルーティンというのも、あまり良くないんだ。トレーニングを重ねれば、少しずつ自分の身体は変わってくるのに、クールダウンの方法はずっと同じというのもおかしいだろ? 色々と試して今の自分に合ったものを選んで行かないと進歩はできないよ」
ジャグジーはあくまでトレーニングの一環のようだ。私は考えすぎなのかもしれない。超一流のプロアスリートにそう言われてしまうと、素人である私に反論の余地は無かった。
私が水着に着替えてジャグジーに行くと、ちょうどショウも入ってきた。
「おお、めっちゃセクシーだな。足の指先まできれいに揃ってる。そこらのモデルなんかよりも圧倒的にイケてるね。スポンサーに推薦してもいいかな?」
ショウはとんでもない冗談を言う。
水着はワンピースのワンショルダーだった。ワンピースだから、露出はトレーニングウェアのときよりも少ないのだが、やけに色気を強調する水着だった。自分ではまず選ばない。
スポンサーへの推薦はさておき、やはり褒められるのは嬉しい。それに彼の褒め言葉には裏表を感じなかった。いつの間にか私は彼が褒めてくれるのを心のどこかで待つようになっていた。
「ありがとう。でもスポンサーへの推薦はやめてね」
なんだか恥ずかしくなって急いでジャグジーに身体を沈めると、強い気泡が疲れた筋肉をほぐしていく。私は無言のまま、気泡の心地良さに身を委ねていた。
そういえば、誰かとこんな風にお湯につかるのは、ハオと魔法泉に入って以来……いや彩ちゃんか。
「でもね、テノエ」
ショウは少し真面目な表情で話し始めた。
私はハッと我に帰る。しまった、緩みきっただらしない顔を見られたかもしれない。そう思ったが、そんな顔はトレーニング中に散々見られているから、今更気にすることでもないと思い直し、ショウの話に耳を傾ける。
「スポンサーとはアドバイザリー契約をしているから、僕が一番良いと思う助言をするのは義務でもあるんだ」
「そうなの?」
「そうだよ、まさかコマーシャルを撮影して終わりだと思ってた?」
「うん」
「それだけじゃないよ。スポンサーは僕に大金を出しているんだ。だから僕もスポンサーの商品は売れて欲しいし、さらに言うなら、僕を起用したことをきっかけに業界ナンバーワンになって欲しい。だから、採用するかどうかは、スポンサーの判断だけど、僕は彼らにとってベストだと思う提案はしているし、これからも続けるつもりだよ」
「そう、そうなんだ……そういうことなんだね」
彼がスポンサー好感度No.1と言われている理由がよくわかった。
※次の更新は9:00となります。