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脱出転生サイドストーリーズ  作者: 等々力 至
テノエ=ソライダフの恋人
4/16

#04:彼女たちのルビコン川

 手に汗をためながら、店長に教えられた電話番号を1つ1つ押す。よーく番号を確認して、緑色の発信ボタンをタップする。

 呼び出し音が鳴り、数コールで相手が出た。


『……Hello、もしもし』

 相手は英語と日本語で応答した。実に落ち着き払った声音だった。


 深く息を吸ってから、「まるで別人」とテノエさんにも評された営業用の声で話す。

「わたくし、XXXXジムの黒乃(くろの)と申します。平原(ひらはら)一水(いっすい)さまのお電話でよろしかったでしょうか?」

『ん? そうですけど……何の用?』

 明朗快活に社名を名乗ったのに、警戒心丸出しの声が返ってきた。まるでこちらを敵とでも見なしているようだ。


 でも、世界的スーパースターのマネージャーともなれば、これくらいの警戒は当然かもしれない。立場上、素性の怪しい電話がかかってくることも想像はつく。私は気にせず用件を告げた。

「私どものジムで女性をお探しされている件で、お伝えしたいことがございます」

『ああ、その件!』

 急に電話の声が明るくなる。

『それはご連絡ありがとうございます! で、どうなりました?』

 さっきとは一変して相手の口調が弾んだ。どうやら、私を味方と認めたようだ。

 普段の会話なら、ここで一安心するところだが、逆に私の緊張はこれ以上ないほどに高まっていく。

 今、私はルビコン川のほとりにいる。


「お名前などの個人情報はお教え致しかねますが、次にお探しの方が来られるのは……」

 いよいよ川を渡る。そう思うと、緊張で口の中が乾き、言葉に詰まる。

「……明後日の15時頃です」


 なんとか日時を告げると、電話の向こうで話し声が聞こえた。内容は聞き取れないが、誰かと話をしているようだ。しばらく待っていると、相手が話し始めた。


『……確認するけど、明後日の15時頃ですね』

「はい、そうです」

『わかりました。ありがとう。では、これで』

「はい、それでは失礼いたします」

 私は赤い受話器ボタンを押し、通話を終えた。


 時間にして2分もない通話だが、話し終えると全身から脂汗をかいていることに気づいた。気持ち悪さに我慢できず、浴室にかけこんでシャワーを浴びる。


(本当にこれで良かったのだろうか?)

 テノエさんを売るような真似をしたのではないだろうか? いや、そんなことはない。テノエさんだって、まんざらでもない様子だった。大丈夫だ、これは長い目で見れば、テノエさんの為になっている筈だ。


 そう自分を言い聞かせると、すかさず、嘘をつくなと別の声が叫ぶ。

 彼女は話を合わせただけで、男と引き合わされることなど望んでいない。お前が彼女の親友だというなら、それくらいわかるはずだ。


 私の頭の中で延々と自分同士の問答が繰り返され、その夜は一睡もできなかった。


― * ― * ― * ―


――2日後、午後3時

 テノエは室内に誰もいないことを確認してから、VIP専用トレーニングルームに強めに結界魔法をかけた。これならよほど何かの能力者でもない限り、入ってこられないはずだ。そして、自分自身に身体強化魔法をかけ、トレーニングを始めた。


 まずはチェストプレス200kgを10回。いつもより気分が良い。もう50kg上げてみようかな♪

 初めの5回はゆっくり、後の5回はできるだけ早く行う。巨体の相手にマウントポジションを取られた際、()()けるのが目的なので、回数は10回もできれば十分。一旦、敵の下から逃れられれば、後は攻撃魔法を使えばいい。想定しているのはそういう状況。


 それなら格闘技を学んでもいいのではないかと考えた。


 けれども、ハオによると格闘技も無駄ではないが、魔族覚醒すると人間とは身体構造が変わるので、一般の格闘技では効果は薄いそうだ。対魔族用の格闘技であるイダフ随神拳(ずいしんけん)なら効果もあるそうだが、現在、それを教えられる彼は治癒の氷柱(コールドスリープ)の中で治療中。


 だから、今はウェイトトレーニングに励む。いい気分のまま、次のメニューに移ろうとしたとき、背後でプレート同士が触れ合う金属音が聞こえた。


 まさかと思って振り返ると、バーベルでバックランジをこなす大きな体格の男性が目に入った。


――世界的スーパースター王谷(おうや)翔偉(しょうい)

 私の視線に気づくと、彼は明るい笑顔を見せ、そのままバックランジを続けてから、バーベルをゆっくりと置いた。


「こんにちは、また会いましたね……」

 彼は額にさわやかな汗をにじませながら、旧知のような親しさでこちらに近づいてきた。どうやら正しかったのは彩ちゃんのようだ。

「……東山(とうざん)大学の大江(おおえ)(てん)さん、ですよね? 親しい友達はテノエって呼ぶそうですけど、僕もそう呼んでいいですか?」


 スーパースターだけあって、人との距離の縮め方が違う。くだけた感じでありながら、紳士的であり嫌味がない。

「あなたほどの美人なら、探すのは簡単でした。東山大なんて頭もいいんですね」


 他人が自分のことを知っていて、いきなり名前で呼んでくる、相手によっては、問答無用で攻撃魔法を使う状況だが、彼にはそれを許される何かを持っていた。


――※ただしイケメンに限る

 聞いたことのあるネットスラングが頭に浮かぶ。


「有名な方とは知らず、先日は失礼しました」

 前の非礼を詫びながら、探索魔法で彼を探る。


 彼は私の結界魔法を破って、この部屋に入ってきた。つまり、彼は踏み込んで欲しくないところに入ってきた「敵」だ。

 たとえ日本が世界に誇るスーパースターであっても。


「あの……僕のこと知らないみたいですけど、決して怪しい者じゃないですよ。それにここは僕が予約取りましたし」

 私の視線に一瞬怯んだものの、彼はすぐに余裕の表情を取り戻し笑顔で言った、私は意味がわからず聞き返す。


「……予約?」

「うん、ここの予約。空いてたから。もしかして、君も予約取ってた?」

「えっ……」


 実に痛いところを突かれた。

 予約したということは、この時間、VIP専用トレーニングルームを使う正当な権利は彼にある。だから、彼はここに入室できることを疑わなかった。

 それでも私の結界魔法なら、常人を寄りつかせないはずだが、極めて優れたアスリートともなれば、ある意味、特殊能力の持ち主だ。私の結界魔法を破ることもあり得る。


「それともダブルブッキングかな?」

 彼の申し訳なさそうな声に、ようやく私は事態を飲み込めた。立ち入ってきたのは彼でなく、私のようだ。


「いえ、こちらの間違いです……すみません。失礼します」

 この場は私の完敗だ。非はこちらにある。トレーニングを止め、素直に出て行くことにした。


「テノエ、ちょっと待ってよ」

 彼は強めの、でも親しみをこめた口調で私を引き留めた。

「せっかくだから、一緒にトレーニングしないか」


 王谷翔偉は動画サイトで見たのと、全く同じ笑顔を私に向けた。それはとても魅力的であり、つい「はい」と答えてしまいそうになる。


「ありがとうございます、でも結構です」

 私もどういうわけか、対抗するかのように作り笑顔で断った。


 私のトレーニングは魔族と戦うため……それだけが目的だ。

 イダフ人の視点で見れば実戦向けで有用だが、日本人の感覚で考えるなら邪道だ。プロスポーツの世界的スーパースターに見せられるトレーニングではない。


「そんなこと言わずに一緒にやろうよ。誰にも(・・・)よけいなこと(・・・・・・)は言わないからさ」

 含みのある言い方に、歩き出した私の足が止まった。


「どういう意味でしょうか?」

 私は感情をなるべく表に出さないように聞き返した。


 スーパースターである彼の発信力・影響力は桁違いだ。もしも彼が私のことをほんの少し……たった1行でもSNSで言及しようものなら、私の生活に破壊的な影響をもたらしかねない。


 探索魔法で探った限り、彼は人間であり、魔法もなければ武器もない。

 つまり、私が魔法で攻撃すれば、彼を圧倒できる。

 自己の保身のためだけに魔法を使うことは避けたいが、彼が余計なことをするつもりなら止むを得ない。世界中の王谷ファンには申し訳ないが、私には天命がある。


「テノエって訳ありだよね? 詳しいことはわからないけど秘密の特訓がしたいんだよね。それなら僕も協力するよ。絶対悪いようにはしない。だから一緒に練習しよう」

 その言葉からはとても優しいものを感じた。


 会うのは2度目だが、彼の言葉は信用できる、そんな気がした。

 でも、強く気持ちを持たないと何もかも彼の言いなりになってしまいそうだ。それは女としては楽かも知れないが、私としては受け入れがたい。


「……さすが超一流のアスリートですね。敵の腹の内はお見通しってことですか?」

 愛想も抑揚も無い口調で問い返す。それにもかかわらず、彼はニコニコしたまま答えた。

「僕は敵じゃない。むしろ一番の味方になれるよ」


 その言葉に私の心がグラリと揺れ動いた。

(なんて女たらし……いや、人たらしなのだろう)


 ここでトレーニングを続けたいという私の本音はお見通しらしい。だが、彼は会った女性に対して、いつもこのようなアプローチをとるのだろうか。


「地位も名誉もあるスーパースターが味方になってくれるのは心強いことですけど、私の味方をしても、あなたにはなんのメリットも無いと思いますけど」

 私は心に浮かんだ疑問を率直にぶつけてみた。


「トレーニングってさ、誰かと一緒にやるほうがいいんだよね。特にウェイトみたいに単調なものはね。でも、これまで僕と同じレベルでやれる相手はほとんどいなかった。いたとしても妙に競争意識丸出しだと煩わしいし、そうでなければ、無理して僕に合わせて怪我するし、そういうのって嫌なんだよね」


 私はアスリートの世界ではそんなこともあるのかと思って、彼の話を聞いていた。


「でも、テノエ、君はすごい。モデルみたいな体型なのに世界記録並みの重さを上げている。つまり、君は【持っている人】なんだ。そんな人と一緒に練習できるなら……そうだね、ギャラを払ってもいい。きちんと代理人を通して契約書を作るよ」

 言葉に熱が帯びてきた。


「ぶっちゃけると、綺麗な女性と練習する越したことはない。でも、余計なことは言わないで欲しいし、匂わせとかもして欲しくない。だから、女性との練習は避けていたんだけど、君からはそんな空気を微塵も感じない。とても信用できそうな気がするんだ。君と一緒に練習すれば、僕はより高みに行ける気がする。だから、協力してくれないか?」


 私の気持ちは揺れに揺れた。

 世界的スーパースターに「より高みにいくために協力してほしい」と言われて、拒絶できる者などいるだろうか?


「でも、私がお教えできることなんてありません」

「わかってるって、やり方を教えるわけには行かないんだろ。だから僕は勝手に君から盗む。だからテノエは練習を見せてくれればいいんだ。もちろん、ここを使う費用は僕が持つよ」


 彼の言うことを真に受けるなら、悪い話ではない。


 だが、彼は男性だ。1人の女として無警戒というわけにもいかない。

 偏見かも知れないが、人間の若いオスの性欲は怖い。程度の差はあれ、距離を0まで縮めようとするベクトルを持っている。


 それに彼は超人的な体力の持ち主である。

 ハオもそうだったが、性欲は体力にほぼ正比例する。ハオはイダフ貴族としての矜持を持っていたから、私も信頼していたが、そんな歯止めを持たない相手から超人的な性欲を向けられてはたまらない。


 王谷ファンに言わせれば、彼はそんなことしない、と主張するだろう。

 メディアで見る限り、彼はストイックであり、女性絡みの問題や醜聞は一切聞こえてこない。

 でも、彼ほどの立場になれば、どんな醜聞だって周りが勝手にもみ消してくれることも想像に難くない。


 魔法なら私は誰にも負けない自信はある。

 だからこそ、魔法が決して万能ではないことも理解している。どんな強力な魔法を持っていたとしても、この現代日本という世界において、私は非力な1人の女子大生に過ぎない。


 彼がその気になれば、私を社会的に潰すことも可能だ。

 だから、むやみに彼を敵に回すのは得策でない。しかも、彼は「一番の味方」だと言っているのだ。それが本当ならありがたいが、彼の真意がわからない。


 一般的な話として、敵は自ら敵と宣言して近づいて来ることはない。敵味方問わず、誰もが最初は味方の顔をして近づいて来る。


 彼を味方として頼りたい気持ちと、そうすることへの抵抗感が渦を巻いていた。私はどうしていいかわからなくなった。


「では、契約書ができたら見せてください。それから考えます」

 絞り出すように私は告げた。

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