#07:花々緒 都愛(カカオ トア)の2号機
――土曜の夜、株式会社リーンベント
1人株式会社には広すぎる60坪のオフィスは間接照明の薄暗い緑色の光に満ちていた。
執務室には使用されている形跡のないオフィスデスクが整然と並んでいる。
入り口の右側には社長室があり、そこだけが唯一照明が灯っていた。その部屋の主であるシンはAIパソコンの前で自嘲気味に溜息をついた。
「これではわからないと言っているのと変わらんな……プロンプトを見直すか」
見た目やシンが感じた特徴を入力してネット上のあらゆる情報を検索させたが、出て来た候補は100人を超えていた。
超小型カメラに問題はなかった。だから、画像ファイルが全て破損するということはあり得ない。だが、事実、ファイルが全て壊れていた。
つまり、あの女が何かをしたに違いない。なんらかの「能力」を持っているのだろう。
幸いなことに魔族由来の能力ではない。あの女から魔族の気配は全く感じなかった。おそらく人族の「能力持ち」なのだろう。
かつ、あれだけの美貌だ。
本人が発信しなくても、周りの人間が勝手にSNSへ発信していてもおかしくない。
だが、ここまで情報が出ていないということは、何らかの対策をとっているに違いない。
それなら、1つ1つしらみつぶしに探すだけだ、と腹を決めたとき、内線電話が鳴った。
「トイ・ヨイ・デリでーす」
いつもの愛想の良い声を受け、シンはすぐに立ち上がり廊下に出ようとしたが、その前に大きな姿見の前で立ち止まると、自分の姿を確認した。
(よし、人間だ)
自信を持って、廊下に出ると顔なじみの女性配達員が待っていた。
「いつもお世話になってまーす。ストイックマッスル弁当10人前です」
にこやかな様子で重い弁当用レジ袋を手渡してくる。
「ああ、いつもありがとう」
シンは10人前の弁当を受取るとオフィスに戻った。
「候補の画像を順に表示、10秒ずつに」
1つ目の弁当を開けながら、AIパソコンに指示をする。女性の画像が次々と表示されるたびに、弁当を頬張りつつAIパソコンにキープあるいはスキップの指示をする。その間もシンは黙々と弁当を平らげていく。それは食事というよりも燃料補給だった。
「仕事」をした後はとにかく腹が減る。魔族になった唯一の欠点は食費がかさむことだ。
8つ目の弁当を食べ終わったところで、候補を10まで絞り込めた。次に10件の候補について詳細を並べて比較する。すると、1人に目が止まった。
「花々緒都愛?」
顔は少し違うと思ったが、他と比べると印象がかなりあの女に似ている。
職業は学生。SNSとは別に個人のホームページを開設しているようだ。
指定されたリンクから『花々緒都愛のホームページ』を開く。
一瞬、AIパソコンの挙動が遅くなった。
アプリケーションを起動させ過ぎたかもしれない。シンは不要なアプリケーションをいくつか終了させる。すると、『Cacao Toa’s Home Page』とタイトルロゴが表示された。
どことなく古いデザインだなと、最初は鼻で笑ったものの、個人ホームページ自体は理にかなったやり方かも知れないと思い直す。自前でホームページを立ち上げておけば、将来、何らかの理由でソーシャルメディア側のアカウントを凍結されても発信手段は残る。
清潔感のあるシンプルなレイアウトに、最新情報や自己紹介を兼ねた経歴、ニュース、活動報告のような日々の出来事について日記風に書かれている。
すると、ホームページが更新され、今日の投稿を表示した。
それを見て、シンは身を乗り出す。
(よし当たりだ!)
花々緒都愛が探していた女で間違いない。
表示された自撮りの写真はシンが見たままの女だった。
キャプションには『撮影の下見で大宮に来ました。今日は〇〇さんのおすすめキャスケットとサングラスです』と書かれている。
シンは食べる手を止め、ホームページを読む。
花々緒都愛は現役の学生らしい。
けれども、国際エターナルフォースランゲージ大学というのは初めて聞く名だ。どちらかというとタレントのホームページのようだが、芸能プロダクションには所属しておらず、個人で活動しているようだ。そのためか案件の申し込み用のフォームまで準備されている。
女子学生が個人でどれだけの活動ができるのか疑問だが、「能力持ち」の女であれば、それも可能かも知れない。
次にコメント欄を覗いてみる。そこには激しい熱狂もなく、荒んだ誹謗中傷もなく、程よい温度の賛辞にあふれていた。
(全然荒れていない。情報操作系の「能力持ち」と見て間違いなさそうだ)
シンは確信した。
これまでの娘たちと同じ方法になるが、自分の魔族細胞を埋め込むことにしよう。そうすれば、彼女の見えざる「負荷」を下げてやれる。
「能力持ち」ゆえに彼女は人族社会の中で生き辛い思いをしているのは容易に想像できる。そうでなければ、「負荷」があれほどの値になるはずがない。
若く美しい女性は才能があればあるほど、精神面の不安定さは増す。
周囲の盛りのついた犬のような男達からの欲望に四六時中晒されるからだ。そして、それは放射能のように彼女の心身を蝕んでいく。
そして、一見取るに足りない(ように見える)些細な出来事で彼女の全てが崩れてしまう。そうして日本は人材を失っていくのだ。
この国をより良くするためには「能力持ち」の保護育成無しではありえない。
人族とか魔族とかは脇に置き、まずは一個人として彼女を救うことが再優先だ。
シンは魔族覚醒前の人族としての経験や記憶を基にそう考えた。
そして魔族の頭でも考える。
あれだけの上玉だ。男はいくらでも寄ってくる。
だから自分の魔族細胞を女に埋め込んで、女を生殖活動に専念させれば、その女を経由してチャータ魔族の魔族細胞をより多くの人間に植え付けられる。そうすれば、チャータ魔族の数を爆増させることも不可能ではない。
数万人のチャータ魔族が上げる歓声の中、シンが登壇して号令をかける。
チャータ魔族による新国家樹立。
その新国家を率いる自分を想像する。シンは身震いした。
彼は定期的にこのビジョンを想像し陶酔する。
だが、これは単なる妄想や絵空事ではない。彼はそれを実現できる能力を有している。
歴史上、日本に生を受けたもので国を立ち上げた者はいない。
だが、自分にはそれができる。
とはいえ、実現にはまだまだ時間はかかる。これまで魔族細胞を植え付けることができたのは、たった3人の少女に過ぎない。それにも一ヶ月かかっている。
ビジネスマンとして地道な努力を惜しむつもりはないが、自分の労力にも限りがある。魔族細胞の移植は別の者に任せて、自分はチャータ魔族の新国家樹立に必要なスキルを蓄えたい。だが、魔族細胞の移植を任せられる者などいない、と心のどこかで思っていた。
だが、花々緒都愛が現れた。
この女をうまく使うことができれば、それができる。
(よし、ちょっと高額案件で釣ってみるか)
シンは案件申し込み用のフォームを開いた。
――その頃、テノエの自宅
テノエが遅めの夕食の準備をしていた。一方、彩月は席について、テノエが準備するのを眺めている。
「彩ちゃん、作り置きばかりでごめんね」
そうは言いながらも、作り置きだけではなく、煮浸しと焼き魚を手早く作っていた。
「いえいえ、全然そんなことないです」
目の前のテーブルに料理が並んでいくのを見て、彩月は口の中に唾液が満ちていくのを感じていた。彩月はテノエの料理が大好物だ。何を食べてもとんでもなく美味しい。
それだけではない。テノエの料理を食べると魔力が満ちてくる。カロインという魔力の素となる栄養素が多いからだそうだ。でも、それを褒めるとテノエは少し戸惑ったような表情になる。世間は広いもので上には上がいるらしい。
だが、それは彼女の慎ましさ故の認識の誤りだ。テノエよりできる人が日本にいるはずがない。
こうして美味しい料理を目の前にすると、もてなされてばかりで申し訳なく思う。
テノエほどではないが自分も料理はできる。だから、こんな風に座っているだけでなく、積極的に料理を手伝いたいのだが、どうやらテノエは他人がキッチンに入るのを嫌がっている節がある。だから『彩ちゃんは座っていて』という言葉に素直に従う。
ふと、テーブルの端を見ると、花柄ケースのスマホが置いてあった。
(あ、2号機、使ってくれているんだ)
彩月は嬉しい気持ちになる。
――2号機
なんとかテノエの連絡先を手に入れたがる有象無象の対策として、彩月の強力な提案により、テノエが持つことになった2台目のスマートフォンだ。
最初は、そんな仮IDを教えてお茶を濁すのではなく、お断りするのが誠意ある対応だと、テノエは渋っていたが、そんなことに時間を取られるのは人生の無駄だと力説したのだ。
すると、2号機が無音のまま振動した。
彩月はためらうことなく2号機を手にしてロックを解除し画面を見る。そして、キッチンにいるテノエに声をかけた。
「テノエさぁん、カカオに引っ掛かりました。さっきの社長です」




