#06:チャータ魔族と自分のことを客観視できない女
彩月がトイレから出ると、誰かの視線を感じた。
(また、男が見てんのかな、ナンパだったりしたらめんどくさいな)
彩月が目を向けると、高校生くらいの女子が自分を見ていた。
(えっ? アンナ?)
そう思ったが全くの別人だった。
一瞬でもそう思ったのが不思議なほどだ。おそらくアンナのことを考えすぎているからだろう。その女子は何か自分と話したそうにも見えたが、あいにく今はテノエを待たせている。向こうから話しかけてこない限り、相手にしないでおこう。
(頼むから話しかけてくるなよ~)
半分祈りながら彼女の前を通り過ぎるが、その女子から話しかけられることはなかった。
彩月は歩みを速めると、手に何かを持ち考え込んでいる様子のテノエを見つけた。
「お待たせしました、って……」
彩月がテノエに声をかける。さっきの変装姿に戻っているが別に気にはしなかった。それよりもテノエのいる場所の方が気になる。
「……高層階エレベーターってあっちじゃないですか」
「うん、そうなんだけど。ちょっと、これ」
テノエは持っていた名刺を彩月に手渡した。
「名刺って、またナンパっすか? でも受け取るなんて珍しいですね」
そう言いながら、彩月は名刺を見た。
「このビルの15階にオフィスのある会社の社長ですか、さすがテノエさん」
彩月は一応驚きを示したが、その温度は平温だった。
自分がちょっとトイレに行っているくらいの短い間に社長からナンパされることは滅多に無いことだが、テノエなら珍しくもない。それよりもテノエが名刺を受け取っていることの方が意外だった。
「その人、あのキャップを被っていたの」
テノエはそれだけ答えた。
「それってKですか? 向こうから接触してきたってことですか?」
彩月は勢い込んだ。
一方、テノエは沈んだ口調のまま言った。
「わからない。けれども、こちらに挑戦する意図はないような気がした」
「でも、偶然にしては出来すぎですよね」
「そう思う。彩ちゃん、私、一度この場から離れたいけど、いいかな?」
このまま乗り込むのは性急だ。一旦戻って対策を練るのがより良い選択だ。彩月にも異論はない。
「はい。そうしましょう」
彩月とテノエは肩を並べて、急ぎ足でミュートシティを後にした。
――ミュートシティ 15階
このフロアには、地元企業育成支援の名目で賃料が割安なことから、多くのスタートアップやベンチャーがオフィスを構えている。ただ、この手の企業は玉石混交であり、大層な野心に対し資金の少ない経営者が、この地域で一番大きなビルにオフィスを持ちたいという背伸びした欲望を程よく満たしているという側面もあった。
そんなフロアの中で比較的広いオフィスを構えている会社がある。
――株式会社リーンベント
登記書によると『1.個人的な問題解決に特化したAI開発。2.知識ライブラリーの構築・保守・販売。3.前各号に付帯する一切の事業』とある。
発起人兼株主兼取締役は威吹新、ただ一人。いわゆる1人株式会社だ。その割には広いオフィスを手にしている理由は資金にある。前払いで2年分の家賃が支払済だった。
シンは自分で淹れたコーヒーを手にして、窓から地上を見下ろした。さっき名刺を受取らせたキャスケットを被った若い女を探す。
(あれは掘り出しモノだ……それにしても下手な変装だったな)
シンは思い出し笑いをした。
あんな帽子とサングラスで隠したつもりでいるのが滑稽だった。
あの若い女は自分のことを客観視できていないのだろう。立っている姿だけでモノが違うとわかる。並みの人間相手ならごまかせるだろうが、見る目のある者にはバレバレだ。
単に美女というレベルではない。
だから、それゆえの苦労もあるのだろう。「負荷」の値が明らかに高い。ざっと見て85はあった。ちゃんと測ったら90を超えるかもしれない。サラリーマンなら過労死の一歩手前だ。その一方で「汚染」は10未満にしか見えないので、「耐久」か「深度」がよほど高いのだろう。
若い女にしては珍しい。もしかしたら自分と同類かもしれない。
シンは鍵付きのノートを取り出すと、これらの考えをノートに書き込んだ。
彼は重要なことはノートにしか書かないようにしていた。
紙に書かれた内容であれば、どのようなハッキングも及ばないからだ。それは自分もハッキングをするからよくわかる。
5年前、シンは魔族になった。
魔族覚醒したのは24歳の冬。それまでは会社勤めの1サラリーマンに過ぎなかったが、いつものように朝起きたら、自分が普通の人間とは異なる存在になっていることに気づいた。それが単なる勘違いでないことは、能力だけでなく、知識や魔族の記憶までも有していた。だから、シンは自分が現代日本において特別な存在になったことを疑わなかった。
――チャータ魔族
戦闘以外の分野、特に商売や人間を改造・操作することには長けている。だが、総じて戦闘力は低く、魔法も得意でないことから、魔族の中では弱小であり、商売で蓄えた財も往々にして他のザミダフやヴラリガなどの強力な魔族に簒奪される傾向にある。
だから、他の魔族の気配を察することには敏感であり、彼らから見つからないように生きる習性を持っていた。
数年前、シンの住むさいたま市大宮近辺には、10数名ほどのヴラリガ魔族が人間に紛れて生息していた。シンは彼らに見つからないように、魔族の能力を細々と生かしながらビジネスをしていた。
だが、1年ほどすると、ヴラリガ魔族が一気に姿を消した。
勝手に移動したのか、あるいは別の魔族や人間に掃討されたのかはわからない。だが、いなくなったのは確かだ。シンはビジネスを慎重かつ大胆に進め、ミュートシティにオフィスを構えるまでに成長した。
さっきの女を探すのをあきらめ、自分のデスクに戻る。
特殊仕様のAIパソコンがシンを認識すると6台のディスプレイが次々と切り替わり、現在の状況を持ち主に報告する。特に異常がないことを確認すると、シンはジャケットの襟に仕込んだ超小型カメラをAIパソコンに接続した。
さっきのキャスケットの女の身元調査をさせておこう。
AIパソコンに画像ファイルを読み込ませておけば、後はAIパソコンが自動的に女について調査し報告書を作成してメールで送ってくれる。今日の仕事は終わったし、時間は早いが土曜でもある。今日はやる気もないから終わりにしよう。報告書は気が向いたら家で読めばいい。シンはもう仕事を終える方向に気持ちが傾いていた。
「ん?」
AIパソコンがエラーメッセージを表示した。それを見てシンは声を上げた。
「マジかよ、まさかあの女の仕業か……だとしたら本当にレベチだな」
急に彼はやる気になった。超小型カメラ内の画像ファイルは全て破損していた。




