#05:シンの名刺の渡し方
――ミュートシティ1F、土曜日午後3時25分
テノエと彩月はフロアマップの前で思案していた。
「女子高生の呼び出しに使えそうな場所となると、51階のビュッフェか、1階から3階のレストランだよね。彩ちゃんはどう思う?」
テノエは黒乃彩月に意見を求める。
「51階じゃないですか」
彩月はなんとなく思ったことを口にした。
「そうよね。でも、今もそこにいるとは思えないから、そこからどこへ移動したかだよね、魔族警報もキャッチできていないし」
「それなら、まずは51階に上がってみませんか?」
彩月はとりあえず足取りを追ってみようという意見だ。テノエに反対する材料はない。
「そうしようか」
高層階用エレベーターへ向かおうとすると、彩月が申し訳なさそうに口を挟む。
「す、すいません。ちょっとトイレ」
「わかった。エレベーター前で待っているね」
彩月の背中にそう声をかけ、テノエは高層階エレベーター前で待つ。
もしかしたら、アンナって子が下りてくるかもしれない。そして、もし、その隣に男がいれば、それが魔族Kである可能性は高い。
展開によっては、戦闘も有り得る。
テノエは静かに身構えた。
しばらくすると、4、5人の若い男たちが大きな声で喋りながらエレベーターに乗り込んでいく、そのうちの数人がテノエを見るなり、ぶしつけな視線を向けてきた。
自分を品定めするような視線だが、テノエはいちいち反応しない。
彼女はゴキブリが大の苦手だが、それが窓の外にいるなら、そこまで気にしない。
そんな自然な無視が気に入らなかったのか、男の1人がエレベーターに乗るのを止め、果敢にもテノエの方へ歩いていく。絡むつもりなのかナンパするつもりなのかはわからないが、テノエはそんな奴に構っているほど暇ではなかった。
彼女は近づいてくる「ゴキブリ」に気づくと、目に力を込めるわけでもなく、表情を厳しくすることもなく、無表情で相手に目を向ける。だが、テノエと目を合わせた途端、若い男は急に足を止め、エレベーターへと引き返していった。
――威嚇魔法
以前、魔族Eが使用した技を魔法に落とし込んだものだ。
精神干渉系の魔法であり、かけられた相手がこちらに畏れを感じる効果がある。友人や知人にかけるには失礼な魔法だが、いきなりちょっかいをかけてくるような輩相手には何の問題もない。
ただ、テノエは個人的には他人の心に影響を及ぼす魔法は嫌いだ。
彼女はキャスケットを被り直し、サングラスをかけ、改めて締心術を掛けなおす。
(これで大丈夫)
テノエは大きく息を吐いた。
知らないうちに息を止めていたようだ。やはり、物理的に距離を詰めてくるゴキブリには緊張する。だが、所詮はゴキブリだ。10秒でテノエの心は別の考えに移った。
(もしかして、彩ちゃんをガマンさせていないかな……)
彼女は何度目かの反省をした。
こちらから頼みにくいことを彩月はいつも先回りしてやってくれる。ついそれに甘えて、今日も彼女の時間を半日も浪費させてしまった。
(こんなことを続けていいのだろうか……)
テノエは悩んでいた。
現実問題として、自分一人で魔族に対処しきるのは難しい。どうしても誰かの手助けが必要な状況が発生する。これまでは彩月が(半ばお節介なくらい)手を出してくれた。
大雨の日のレインブーツのように。
だが、そんなことがいつまで続けられるだろう?
自分は大学を卒業しても就職しても続ける意志がある。
なぜなら魔族と戦うことは自分で自分に課した使命であり、それに納得しているからだ。
けれども彩月は違う。
高校時代、彼女は魔族に利用され苦しめられてきた。これ以上魔族と関わらせることが最善とは思えない。むしろ魔族のことなど忘れて、楽しいキャンパスライフを送れるように仕向けたほうがいいのではないか。
彩月のことは大好きだ。だからこそ思う。
このままでは彩月の大学生活を台無しにしてしまうのではないか。もちろん、このことは直接、彼女に話したことも何度かある。だが、彼女は否定する。
「私も魔族はクッソ嫌いだし、テノエさんの役にも立ちたいんで、全然大丈夫っすよ」
返ってくるのは決まった答えだ。
けれども、彩月の本心が言葉通りとは限らない。
(いけない。悪循環だ)
体調が優れないせいか、悲観的な考えがぐるぐると回っている。
戦闘に影響するほどではないと思いたいが、今日の戦闘はなるべく避けた方が賢明だ。
そんなことを考えていると、背後に人の気配を感じた。
テノエは警戒しながら背後に目を向けると、ブラウンのジャケットを着た男がにこやかな表情で立っていた。輩とは少し違う。ビジネスマンのような雰囲気だった。
「以前、お会いしましたよね」
奇襲攻撃のように男が話しかけてくるが、テノエは誰なのか思い出せない。高校時代か大学の知り合いかもしれないが、顔に覚えはない。
「……あ、僕の勘違いみたいですね。すみません」
どうやら人違いだったようだ。男は紳士的な態度で謝り立ち去ろうとした。しかし、何歩か歩いたところで、何かを思い出したように足を止めた。
「失礼を承知で言いますけど、貴女、とても大きなお悩みを抱えていますね」
いきなり心を見透かされ、彼女は目を丸くした。
男にはサングラスの奥の目の表情は読み取れないはずだ。
けれども、男はテノエの反応など気にしないかのように話を続けた。
「学生さんのようですけど、お悩みは学生のレベルを遥かに上回っています」
(この人は何を言いたいのだろう?)
彼女は男の言っていることの意味を3秒考えた。
単なるナンパなのか、何かの勧誘か。
とにかく、今初めて会った男に時間をかける道理はない。
そう判断するとテノエは適切な行動を選んだ。
――無視
テノエはその男の姿と声を意識から締め出した。
男は敏感にも、テノエが自分を無視したことにすぐに気づいた。
けれども、男は不快を一切に表に出さず、穏やかな表情のまま胸ポケットから何かを取り出すと、テノエの前にしゃがんで、何かを床に置いた。
「直接受け取ってはもらえないだろうから、名刺、床に置きますね」
そういうと、男は中層階エレベーターへと向かっていった。
テノエは意表を突かれた。
大学生であるテノエでも、日本のビジネスマナーでは、名刺はその人自身の分身とされることくらいは理解している。だから、自分の名刺を床に置くという行為は、彼女にとって常識外の行動だった。
反射的にテノエは床に置かれた名刺を拾い上げ、男の後を追っていた。
けれども、男はエレベーターに乗っており、ドアが閉まるところだった。
(サンディエゴ・ドミニオンズ?)
そのとき、テノエには男がそのキャップをかぶっているように見えた。
エレベーターのドアが閉まると、テノエは手にした名刺を見つめた。
『株式会社リーンベント 代表取締役社長 威吹 新 Shin Ibuki』
洒落たデザインの名刺には、そのように印刷されていた。




