#02:糞野郎の股間に制裁を
(強く言い過ぎちゃったかな?)
黒乃彩月は心ここにあらずといった体で、仕事の後片付けをしていた。手は動かしているが、落ち込んだ様子で帰っていくテノエの後ろ姿が、頭から離れない。
「ええっ!……王谷翔偉を知らないんですかああ!?」
彩月はしばし絶句し、そして叫んでいた。
「テ、テノエさぁん、いくらなんでも常識なさすぎ! 世間知らずにもほどがあるって! 少しは世間一般のことにも関心持たなくちゃダメだってば! 人としてちょっとおかしいですよ!」
あまりの驚きに勢いにまかせ、強く言い過ぎてしまった……と彩月は反省しながらも、テノエのことを本当に思えばこそ、と落ち込む気持ちを立て直す。
(私のせいじゃない! そもそも、あのバカが悪い!)
ハオウガがコールドスリープに入ってから、テノエは魔族に対し一層敏感になった。魔族覚醒を検知するアプリを開発し、それをスマホやタブレットにインストールして、四六時中監視している徹底ぶりだった。
まるで魔族討伐に人生を捧げているかのようだ。
彩月はテノエの生き方を否定はしないものの、彼女ほどの美人がそんなことに青春を費やしていることが、もったいない気がして堪らなかった。
以前、彩月はテノエに言ったことがある。
「そんな地方にまで行かなくてもよくなくないですか? ハオウガさんだって目の前に現れた魔族しか対処してなかったですよ」
「でも、もし強くなったら対応しきれなくなるし……」
テノエはうつむいたまま答えた。
「弱いうちに倒しておくってことですか?」
「うん、私、そんなに強くないから……」
彼女はそういうが、ただの取り越し苦労だ。
――『彼女は俺の知る中で最強の魔法士だよ』
ハオウガが以前彩月にそう話したことがある。そして、彩月自身も同じ意見だった。テノエの強さなら完全に覚醒した魔族でも余裕で倒せる。だから、さほど脅威でもない未熟な魔族を倒しに、地方まで遠征するのは時間と労力の無駄……そんな説得を何度かした。
それでも彼女は魔族討伐をやめたりしなかった。
そんなテノエが心配で、彩月は時間の許す限りついて行った。
― * ― * ― * ―
――4ヶ月前
黄警報の反応を確かめるため、夏休みということもあり、テノエさんと私は旅行者を装って、ある地方の田舎町を訪れた。
話が逸れるが、私は田舎が嫌いだ。
男尊女卑で、声の大きい者の意見がまかり通り、力のある者が幅を利かす。
祖母の暮らす村がそうだった。
広い視野でモノを見ることもなく閉鎖的であり、自分の住む村が世界の全てで、そこでしか通用しないルールの中で暮らしている。父もそれが嫌で村を離れたそうだ。
話を戻す。テノエさんと一緒に訪れた田舎町は田畑が広がるのんびりとしたところだったが、なんとなく嫌な雰囲気を感じていた。
その日、結局魔族らしい人物は発見できなかった。夕方になり、私はコンビニに行きたくなって、少しくらいならと別行動したのが失敗だった。
テノエさんと2人で旅行した気になって、浮かれていたのだ。
嫌な予感がして急いで戻ると、水田のそばにある物置小屋の裏で、歩空鎧を展開したテノエさんが大男に組み伏せられていた。
タンクトップに短パンの大男が、テノエさんにまたがっている。マウントポジションを取り、片手で彼女の両手と顔を押さえつけ身動きをとれなくしている。
魔族からの反撃は想定していたことだが、急な出来事に何が起こっているのか、すぐには理解できなかった。
男の見た目は人間のままであり、魔族と呼ぶには無理があった。
だが、とても獰猛な雰囲気を放っていた。魔族とか人間というより知性のない獣のようだ。だが、その獣は人のカタチをしており、日本語でテノエさんに卑猥な言葉を吐きかけている。
『ああん、オラを殺りに来たのか、なら、犯られったって文句はねえっせな』
男はテノエさんに顔を近づけ、鼻をひくつかせる。
『へへっ、お前、処女の臭いすんな、当たりだろ』
男は舌なめずりしながら、力任せに歩空鎧を引きちぎろうとするが、いくら大男の力でも簡単には破れないようだ。
『この服、なかなか固いな、じゃあ口からヤるか』
男は空いているほうの手で自分のズボンのベルトを緩めて、汚らしいソレを取り出した。テノエさんに何を強要するつもりなのかすぐにわかった。
あってはならない光景を目にして、私の中で何かがプツンと切れた。
同時に、グチャッ、という異音がした。
気づくと私は大男の股間を蹴り上げていた。つま先から何かを潰した感覚が伝わってくる。2つのうちの1個を潰したようだ。とてもキモい。
男は弱々しい悲鳴をあげ、滑稽なポーズで飛び上がる。どれだけ筋肉の鎧をまとっていようが、急所は鍛えられない。
「テノエさんの上からどけ!」
怒りにまかせて大男の股間をもう一度蹴る。大男は泣き声を上げながら、オロオロと逃げはじめた。
「逃がすか!」
もう一度股間を蹴ると、男は地面に倒れ失神した。普段なら1個潰せば十分だが、未遂とはいえ、テノエさんにあんな真似をした糞野郎は許さない。
それだけじゃない。
この男からは常習的に女性を乱暴している臭いがした。
田舎にいるこの手の男は力づくで「女をモノにする」ことを当たり前だと思っている。そんな糞野郎にかける情けは無い。大男の股間に集中攻撃を浴びせる。
4回目の蹴りでソレが折れ、7回目で残りの1個が潰れた。もう少しと思ったが、男の股間から、正体不明の液体が染み出してきたので蹴るのを止めた。
我に返ってテノエさんを見ると、彼女はよろよろと身体を起こしていた。
「テノエさん、だいじょうぶ!?」
「うん……」
彼女は身体を震わせながら、弱々しくうなずいた。
歩空鎧にはヒビが入り、髪や顔に土がついている。強く捻られて腕か肩を痛めたようだ。表情は疲れ切って酷いものだった。
「コイツ、どうします? 禁則の指輪、はめときます?」
私は悶絶している男の処置を尋ねた。禁則の指輪をはめておけば2度と悪事はできない。
「ううん、要らない。黄に使うのは勿体ないし、それにもう再起不能でしょう?」
「そうですね、再起不要です」
私が意味したことはわかったはずだが、テノエさんは苦笑いすらしなかった。やはり気持ちが参っているようだ。
――『試合みたいに正面切って戦うなら、何の心配も無い。けれども実戦は予想外のことが普通に起こる。そういうとき、テンは戦いに慣れてないから、何もできなくなることがある。それが心配だな』
ハオウガの心配は当たった。
おそらく、急に現れた大男の巨躯や獰猛な雰囲気に気圧されたのだろう。歩空鎧は展開したものの、魔法を使うことも守護者を出すこともないまま、あっというまに押し倒されてしまったようだ。
なんともやり場のない怒りを感じていた。
そもそも、ハオウガが身辺を綺麗にしていれば、あんな病気にかかって退場することもなく、テノエさんがこんな目に遭うことはなかったはずだ。
やはり根本的にはあいつが悪い。
あいつを治癒の氷柱から引きずり出して、股間を蹴り飛ばしてやろうかと思ったその時……。
「ねえ、クロノちゃ~ん」
急に店長に話しかけられ我に返る。
トレーニングジムの店長らしくない緩い口調だ。
「はい、なんでしょう?」
私は指示を伺うべく店長に向き直る。残業ならしたくないが、長い目で見て自分の立場が有利になるならそれも構わない。また、店長の仕事に対する情熱には、私も尊敬するところがあるので、自ずと手伝おうという気持ちにもなっていた。
「ちょっと聞きたいんだけどさぁ~」
店長はパソコンの管理画面をのぞき込みながら、私にも見るように手招きした。
「はい」
それは施設利用照会画面だった。時間ごとに施設の利用状況がわかるものだ。そして店長は画面の一か所を指さした。
「この時間帯、誰がVIP、使っていたか分からな~い?」
ドキッとした。口から心臓が飛び出そうだ。
この時間帯はテノエさんだ。もしかしてライト会員であるテノエさんにVIPトレーニングルームを使わせていたことが、バレたのだろうか?
「……さ、さあ、すぐにはわからないですね……この時間帯は誰も来てないと思いますけど、どうしたんですか?」
平静を装いながら、私は店長の真意を探った。
「実はね、今日、仮入会した“キング”がね~」
うちのジムは高級店だけあって、VIP会員には著名人やプロスポーツ選手もいる。
そんなVIP会員が通っているとなると、良い宣伝にもなるので、なるべく便宜を計るようにしているのだが、直接名前で呼んでしまうのもマズいのでジム内では符号で呼ぶことになっている。
――キング
言わずと知れたサンディエゴ・ドミニオンズの王谷翔偉だ。日本人で知らぬ者はいないといっていいスーパースターであり、VIP中のVIPだ。
「はあ、キングがどうしたんですか?」
「この時間帯にVIPトレーニングルームにいた女性にどうしても会いた~いって、マネージャーから連絡があったけど、誰か分からない~?」
店長が意味ありげな目で私を見る。
(あっ!)
誰なのかすぐにわかった。
テノエさんだ。彼女なら王谷翔偉の目に留まっても不思議ではない。
「でも、その女性に会ってどうするつもりなんでしょうね?」
私は店長に聞き返した。
「そういう詮索は一切厳禁だってさ~。余計なことをしたら、入会を止めるって匂わせてきた」
店長の顔が真剣なものになった。
「ウチのジムがさ、もう一つ上に行くには、『オフシーズンに王谷翔偉がトレーニングするジム』って肩書は、喉から手が出るほど欲しいの、わかるでしょ?」
口調が徐々に熱くなる。
「はあ、それはわかりますけど、どうするんですか? まさか個人情報を教えるとか?」
すると、店長は鼻白んだ。
「それはナイナイ。会員さんの個人情報なんて漏らしたら、それこそウチの信用に関わるから。でも、その人を「偶然」にでも引き合わせることが出来たら、貸しになるでしょ。そうなったらゆくゆくは向こうとパイプができるかも知れないじゃない。ウチにとっては大チャンスなの。絶対に逃したくないの」
軽い口ぶりとは裏腹に、炎のような熱意が伝わってきた。
「クロノちゃん、頼まれてくれるよね? それとなく会わせるだけでいいんだからさ~」
口調は柔らかいが、店長は熱くなっており、室内を温めそうなほどだ。
「……は、はい」
この場は、素直に店長のいうことを聞くことにした。
※用語解説
魔族覚醒
人間(人族)が魔族としての能力に覚醒する現象。
危険度に応じて、黄警報、赤警報、黒警報の3段階に分類される。黒警報の段階に達すると、完全な魔族となり変身能力を獲得する。
変身時は人間に他の生物の要素を追加した姿となるのが一般的である。また変身は可逆的であり、人間の姿に戻ることはできるが、思考面において他者を劣った存在とみなす為、人間を殺傷することへの抵抗感が希薄になる。
魔族覚醒を起こす原因は不明。反社会な性格の人物に発生しやすいと言われている。
魔族結界
魔族の代表的な能力の1つ。自らの周囲に灰色の光の幕を生成し、外部からの認識や接触を遮断する。主にターゲットとなる人間をその中から逃がさないように閉じ込める為に使われる。
【例の条件】
テノエが付き合う男性(あるいは結婚相手)に求める絶対的な条件。普通の女性なら決して相手に求めない条件であるため、内容を知っている彩月には半ば呆れられている。
守護者
テノエの影に控える生命体(?)。外見は蜥蜴男の武人。彼女の就寝時など意識を失っているとき、護衛のため現れる。テノエに意識があるときは、彼女の呼び出しで出現する。(名はスピナムというらしい)
歩空鎧
テノエ専用の特別な鎧。通常は数ミリ四方のサイズに折り畳まれている。
結界魔法
自分のいる場所に他者が入ってこないようにする魔法。
禁則の指輪
指輪をはめられた者は、はめた者が決めた禁止事項を破れなくなる。
治癒の指輪
テノエの治癒魔法が込められた指輪。指輪をつけた者が負傷すると自動的に治癒魔法が発動する。この指輪は2つしか存在しない。