#16:その日が来るまで(章末話)
――翌日の夕方、テノエの自宅
「それで、それでどうなったんですか!」
彩月はテノエに経緯を尋ねた。彼女は夜が明けてから、王谷翔偉のマネージャーが運転する車で帰宅したという。つまり、彼の自宅で一晩過ごしたということだ。
「……うん、お付き合いすることになった」
はにかみながらテノエは答えた。
「やった! おめでとうございます!」
彩月は祝福の言葉を叫んでいた。
送り届けたのが本人でなく、マネージャーというところが気になるものの、まずはテノエの言葉に安堵する。
だが、もう一つ、最後の疑問が残る。
「……それで【例の条件】はどうなったんです?」
彩月はおそるおそる尋ねた。
テノエと王谷が深い関係になったのなら、それはそれで喜ぶべきことだ。20代前半の美しい盛りのあるべき過ごし方だ。
一方でそれはテノエが魔族との戦いから身を引くことを意味する。
彼女の意志でそう決めたのなら、それはそれとして彩月は応援するつもりだったが、その反面、これまでテノエがやってきたことが無駄になってしまう気もしていた。
「ちゃんと全部話した。それでもいいって、将来は結婚しようって……」
そこまで言うと、テノエは顔を赤らめて俯いてしまった。とても初々しい。
「本当すか!」
あまりの驚きに素で喋ってしまった。
「すげえっすね、さすが王谷翔偉。でも、本当にシなくても我慢できるんすか?」
率直な質問にテノエは苦笑した。それが少し寂しそうに見えたので、言い過ぎてしまったのかと、彩月は気を落ち着けた。
「いくら本人がそのつもりでも、周りの女は放っておかないと思いますけど。もしかして、禁則の指輪を使いました?」
これなら半強制的に約束を守らせることができる。
「自分の彼氏にそういうのは使いたくない」
テノエはきっぱりと否定した。
「その辺は彼に任せるしかないよ。もしそれでお別れするなら仕方ないし」
「それって、今から諦めてるんですか?」
彩月はテノエが期間限定で王谷と付き合うつもりなのかと思った。
「十分に話し合いはしたけど……現代日本の常識からは大きく乖離したお付き合いだから、先のことなんて想像つかない」
そう言いながらも、テノエは微笑を浮かべた。
「なーんて言いつつ、かなり自信あるみたいですね。本当に何もしてないんですか?」
「何も、ただ抱きしめてもらっただけ。キスもしてないよ」
「抱きしめてもらった……ですか。それでこれからどうするんですか?」
「このまま」
テノエは短く答えた。
でも、短すぎると思ったのか、話を続けた。
「あんまり変わらないよ。私は卒業してからも日本で(魔族討伐を)続けるし、彼も当面アメリカでプレイ。でも、年に何回かは会いに行くつもり。ライブで試合も見てみたいし」
「じゃあ、こっちで会えるのは」
「来年の1月までかな」
「じゃあ、その間、いっぱい会わないといけませんね」
その間はテノエと会うのを控えないといけないな、と彩月は思った。ところが予想外の答えが返ってきた。
「それはもう十分。週に3回はトレーニングで会うし、彼には日本で別の仕事があるから」
テノエは微笑んでいるが、彩月にはそれで十分とは思えなかった。
「それじゃあ、何も変わらないじゃないですか」
「うん、だから、『このまま』」
「はあ……」
彩月は複雑な心境に陥った。
あまり考えたくないことだが、王谷翔偉はテノエという1人の女性でなく、彼女の治癒魔法を目当てに付き合うと言い出したのではないだろうか。どんなアスリートだって、こんな力を持っている相手となら絶対に関係を維持したいと思うに違いない。それにこれだけの美人だ。王谷側に付き合って損はない。
Doormat Girlという言葉が頭に浮かぶ。
王谷が怪我をする度に、テノエがアメリカまで呼び出され、一所懸命に治癒魔法をかける。その一方で彼はこっそりと別の女と遊ぶ。そんなことを想像して彩月は腹が立ってきた。
まだ起こってもいないことだとわかっていても、王谷は男だ。
男である限りいつか性欲に負ける時が来るし、時として平然と女を道具扱いする。
男はそういうものだと彩月は考えていた。だから、言わずにはいられなかった。
「こんなこといったら身も蓋もないかもですけど、まさか、テノエさんの魔法が目当てで付き合うって言い出したとかはないですよね」
「それはあるよ。ショウもそれが決定打って言ってたから。でも、仕方ないよ。性的なことは殆どしてあげられないし」
「それでテノエさんが良いっていうんなら……」
彩月はそれ以上言うことが無くなってしまった。
しばらく沈黙の時間が過ぎた。
テノエはふと時計を見ると、おもむろにテレビのスイッチを入れた。画面一杯に王谷翔偉の姿が映る。テロップには『王谷翔偉 凱旋帰国記者会見!LIVE』とあった。
記者会見は既に始まっていた。
『……次に本年一年の振り返りをお願いします』
インタビュアーの質問を受け、王谷がマイクを手にした。
「そうですね、タイトルは獲れましたけど、シーズン後半、欠場が重なったことは反省しています。でも、体調面、特に腕については100パーセント治っているので、来シーズンは今年以上の結果をだせると期待しています」
穏やかな表情ながら自信満々に語る姿に、彩月は改めて感心した。人としてのレベルが違う。しばらくの間、見とれていたが、テノエがどんな顔をしているのか気になった。
テレビに彼氏が出たら、やはり嬉しそうにするのかと思ったが、意外にも彼女は無表情だった。そのまま2人は静かにテレビを見ていたが、彩月は気になってテノエに言った。
「テノエさん、彼氏が出ているんだから、少しはうれしそうな顔したらどうです?」
「だって、全然実感が無くて……昨日は魔力枯渇していたから、もしかして、その影響で幻覚でも見たのかな?」
「そんなこと言わないで下さい。付き合うことになったって言ったのはテノエさんですよ」
彩月はテノエの自信のなさに呆れていた。
「……そうだけど、テレビ見ていたら、なんだか昨日のことが信じられなくなってきて……住む世界が違うって感じ」
そう言うとテノエはテレビのスイッチを切った。そして小さくため息をついた。
「何も切らなくても」
彩月はリモコンを取り、再びテレビを点けた。でも、テノエはもうテレビを見ようとしなかった。まるで王谷を避けているようだ。
「お茶でも淹れるね」
テノエは立ち上がると、質問は次に移っていた。
『立ち入った質問で申し訳ないのですが、右手の薬指にされている指輪。ちょっと気になるのですが、どういった意味のものでしょうか?』
テノエの動きが止まった。
「これですか? これは最近付き合いを始めたから恋人からもらったものです。怪我をしないようにとの、彼女の祈りが込められています」
王谷はそう答えると、報道陣に右手の甲を向けた。指輪がテレビ画面に大写しになる。
会場が大きくどよめいた。
彩月もその指輪に見覚えがあった、治癒の指輪だ。
『今、恋人と言われました?』
インタビュアーが改めて確認をとる。
「はい」
王谷の答えに、会場のどよめきは更に大きくなった。なぜか女性の悲鳴も聞こえてきた。
「でも、一般の方なのでプロフィールは非公開とさせていただきます」
質問を求める記者の手が一斉に上がった。
『王谷さんの目標である世界一のプレイヤーとなるため、女性とのお付き合いは避けていた、と考えているファンも多いと思うのですが、今回、その方と交際をされることで、世界一の選手という目標にとって良い影響も悪い影響もあるのではないかと思うのですが、その辺りのお考えを教えていただけないでしょうか?』
記者の口調は柔らかいものだったが、要するに女にかまけていて世界一になれるのかという質問だ。以前のインタビューで、練習に忙しくて女性と遊んでいる時間はない、と答えていたので、その質問は記者として間違ってはいない。
その質問の真意をわかっているかのように、王谷はゆっくりとマイクを取った。
「まず、皆さんが想像されるようなマイナス面は一切ありません。彼女は僕の時間を奪うような人ではないからです。むしろその逆で、僕が世界一の選手になるために、神様が遣わしてくれた女性だと思っています。彼女と出会って、僕はそうなれると確信しました」
王谷がそう言い切ると、会場の興奮は最高潮に達した。
『そこまで言われると、我々としてはますますその女性について知りたくなってしまうのですが、差し障りのない範囲でプロフィールを教えてもらえないでしょうか?』
「僕より年下の女性、としかいえません」
『今日はこの場に代理人のスコッティ氏と平原さんも来ておられますが、もう紹介されているのでしょうか?』
「2人とも彼女には会っています。この話をすることも事前に伝えてあります」
カメラが切り替わって、スコッティと平原を映した。2人ともそれに納得しているように見えた。
『お二人はなんと言われましたか?』
「スコッティは、自分の事務所にスカウトしても良いか、だったかな? それは遠慮してもらいましたけど。平原さんは何だろう、あまり覚えてないです」
会場から軽く笑い声が上がる。
『交際を公表された理由はなんでしょう?』
すると王谷はテレビカメラを見た。まるでテレビ越しにテノエに語りかけるかのようだ。
「僕の方から強くアプローチして交際することになったのですが、今でも彼女が半信半疑のようなので、この場で宣言しました」
『なるほど、王谷選手に交際を申し込まれるなんて、女性からすれば夢のような話ですから、逆に信じてもらえないかも知れませんね。これで伝わるとお考えですか?』
「そう願っています」
『それでしたら、カメラに向かって、彼女さんに名前で呼びかけてはどうでしょう』
今度は失笑が上がる。
「そうはいきません。もし、そんなことをしたらフラれます。目立つのをとても嫌がる人なので」
『でも、王谷さんと付き合ったら、どうしても目立ちますよね』
「そのことを彼女はとても気にしていました。それを無理矢理押し切って、付き合ってもらうことになったので、みなさんも過剰な取材は控えてくださるようお願いします」
質問に答えながら、王谷が指文字で「G」、「V」と作って見せると、テノエは口元を手で覆った。
しばらくして、記者会見は終わった。明日は『王谷翔偉 交際宣言』のニュースで持ちきりになるだろう。彩月はテレビのスイッチを切った。
そして改めてテノエの顔を見た。
彼女は目を潤ませながらも花笑んでいる。
それを見て彩月は思った。いつの日かテノエの使命が終わりを告げ、1人の女性として王谷と結ばれることを。
けれども、そんな日が来る可能性はまだ見えていない。むしろ魔族の数は微増している。
それでも彩月はその日が来るまで、せめて2人の仲が『このまま』でもいいから続いて欲しいと強く願った。
(テノエ=ソライダフの恋人 終)
「テノエさん。突然ですがここでクイズです」
しんみりとした空気を変えたくなって彩月は話題を変えた。
「彩ちゃん、急になにかな? 私クイズは得意だよ」
テノエも彩月の意図を察したのかそれに乗ってきた。
「では問題です。サンディエゴ・ドミニオンズ王谷翔偉のポジションはどこでしょうか?」
テノエは人差し指を立て、自信満々に答えた。
「ミッドフィールダー!」
彩月は頭から氷水をかけられたような冷たい声で答えた。
「……不正解」