#10:戦闘(1)
「なあんだ、本人に会ってたのか……それじゃあバレるよな。でもぉ、それがどうしたぁ」
そういいながら、男は周囲を包む灰色の光の幕を満足げに眺めた。
「ここからは誰も出られねーし、誰も入れねえ。携帯の電波も入らないし、どれだけ叫んでも外には聞こえねえ。それがどういうことかわかるか、あん?」
男は彩月の全身を舐めるように見て、舌なめずりをした。その様子にテノエは怖気が走った。
「アンタさぁ、言ってることわかんないんだけど。わかりやすく説明できる? アンタのアタマじゃ無理か」
彩月は不敵に言い返した。
テノエも怖れを振り払い、無表情を保ちながら男を見返す。彼女たちにとって魔族結界はそれほど珍しいことではない。むしろ、相手が魔族結界を張ってくれるほうが、他の人を巻き込まないという点で戦いやすい。
「何をイキってやがる。オマエラにできることは何もねぇ。おとなしくしていれば、明日には返してやるよ。ま、股が痛くてまともに歩けないかも知らねえけどな」
そう言う男の輪郭がゆらゆらと揺れていた。魔族覚醒による変身が始まっている。
テノエと彩月は目を合わせた。
彼女たちには魔族と戦う際のルールがある。相手が人間の姿を留めていれば、命まではとらない。だから、夏に田舎で遭遇した相手には「とどめ」を刺さなかったが、今回は警報のレベルも上がり、魔族覚醒による変身を始めている。
だから、Eには何の遠慮もいらない、と二人は確認しあった。
一方、男は変身を邪魔されることを警戒していたが、目の前の女たちにそれを邪魔する素振りはない。これまでの女どもと変わらないな、と男は考えた。
そして、程なく揺らぎが収まると、Eの姿はヤモリのような姿に変わった。
かなり腕や脚が太いので、一見ヤモリには見えないが、リザードマンを見慣れたテノエの目にはヤモリに見えた。
ハオウガがいれば、ヤモリ魔人とでも名付けるところだが、普通のヤモリとは異なるところが2つあった。
1つは色である。全身が蛍光色のような鮮やかな緑色で、ところどころ金粉でもまぶしたように輝いている。南国に生息していそうなヤモリだ。そして、もう1つは股間にある大砲だ。これは男性器の比喩ではなく、その部分だけ明らかな武器に置き変わっている。下品な武装だが威力はありそうだ。
「どうだぁ。このオレ様の姿はぁ」
Eは、驚け、とばかりに、自らの姿を誇示した。
「ふーん、それが正体なんだ。やっぱり下品だね」
彩月は淡々と批評する。
「強がってもしょうがねえぞ。オマエラに逃げ道はねぇ。下手に本人に会っていたのが不運だったな」
「一応言っとくけど、名刺もらったなんて嘘だから」
彩月は口の端を上げ、不敵に笑った。
「なんだと」
「だって、モノホンのスカウトがこの女性を無視するはずないもん」
そう言われて、Eはテノエに目を向けたが、彼女はその視線を遮るように歩空鎧を展開した。
「そうか、オマエらだったのか、あの時はよくもやってくれたな」
Eはテノエの歩空鎧を見て、この夏に乱暴しようとして逆に手酷い目にあわされた相手と気づいたようだ。
「やっぱり、あのときのデクノボー……」
うすうす気づいてはいたが、彩月もこれで確信した。
「……あの時はタマだけで許してやったのに、わざわざ東京までやって来て、今度はアタマでも潰してもらいに来たわけ?」
彼女は全く動じることなく、むしろ煽っている。
「ざけんなよ。この大砲をオマエのくされ○○○にぶち込んで、体の中からヒィヒィ言わせてやる。そしたら、オレ様のコイツは完全復活だ」
そう言って、エコーは股間の大砲をなでた。どういう理屈で大砲が男性器に戻るのかわからないが、男がそう信じ込んでいるなら、そうなるのかもしれない。
「そしたら、次はそっちのオンナ!」
エコーは歩空鎧を着たテノエに目を向けた。
「今度こそ犯ってやるぜ、たっぷりとな」
そう宣言され、テノエは不覚にも少し体が震えた。
魔族から悪意を向けられるのは初めてではないが、前回この男には不意をつかれたのもあって、テノエは手も足も出なかった。そうさせないために彼女はトレーニングを積んできたのに、直接、対峙して害意を向けられると、テノエの中で闘争心よりも、恐怖が少し勝ってしまった。
「やれるもんなら、やってみなよ!」
彩月が啖呵をきると、頭上から淡い紫色の光の層が降りてきた。
「グ、グッ、これは?!」
淡い光からは想像できない強い力がEを押しつぶしにかかる。一気に決着をつけるつもりだ。
「つぶれろ!」
――紫の層壁
小さな防御魔法の壁を積み重ねて敵を押し潰す彩月の必殺魔法だ。
これまでも強力な圧力で何体もの魔族を地面と一体化させてきた。いくらEの力が強くても、パープルレイの直撃を受ければひとたまりもない。
それだけの威力を持つ代わりに、この魔法の発動には時間がかかるのだが、彩月は会話しながらその準備をしていた。
Eは太い両腕で上からの圧力に抵抗したが、すぐに体が反り返った。腕力だけではパープルレイに対抗できない。
だが、そんなことはお構いなしに、股間の大砲が真上にそそり立つ。それはまるで自分の苦境に興奮しているようにも見えたが、大砲は轟音を上げた。
「おらぁ、イったあ!」
発射された砲弾がEを押さえつけていた光の層を吹き飛ばした。
「ウソ?!」
彩月とテノエは同時に叫んでいた。まさか(この程度の魔族が)パープルレイを破るとは思っていなかった。
「ウソじゃねぇ。見りゃ分かっだろ!」
Eは立ち上がると、彩月に近づいてきた。
「くっ!」
彩月は防御魔法を展開した。この体格差での接近戦は不利だ。
「そんなもん、きくかよ!」
Eは真上に向いていた大砲を水平に向け、彩月に発射すると防御魔法の壁が消失した。
「ウソ!」
「さっきからウソウソって、見てわかんねえのか、オラっ!」
Eが彩月を殴りつけると、彼女の軽い身体はあっさりと結界の端まで飛んで行った。
「彩ちゃん!」
テノエが彩月に駆け寄ろうとすると、怒声が飛んだ。
「うごくな!」
威圧するような声に一瞬テノエの足が止まった。
魔族の固有技「恫喝」だ。
技がきれいに入ると、普通の人間であれば、ほぼ相手の言いなりになってしまう。そして、Eの「恫喝」はかなり威力のあるものだった。
「くっ!」
前にやられたのはこれかも知れない、と思いながら、テノエは気合を入れた。すると、動き始めたテノエの動きを制するようにEは再び吠えた。
「動くんじゃねえ! さもないと、オマエを10人目にすっぞ!」
その言葉にテノエは足を止めた、今度は自らの意思で。
「10人目? それ、どういう意味?」
テノエは、Eに鋭い視線を向けた。
「コレを治すにはよ、コレで10人ヤらなきゃならねえんだ。東京に来るまでは、1人しかヤレなかったんだけどよ。ココでこの男に化けたら、あっという間に9人もヤれたよ。でも、コレじゃあ、女も壊しちまうし、オレサマもイマイチ気持ちよくねえ。だから、その女を10人目にして、コレが元に戻ったら、改めてオマエをヤってやるよ。だから、そこでおとなしくしてろ!」
そう言い捨てると、Eは倒れている彩月へ足を向けた。
「9人……」
9人の女性たちがEから、どのような目に遭わされたのか想像に難くない。テノエは怒りのあまり、それ以上言葉が出なかった。
「なに、オマエ、まさかキレてるわけ? しゃあねえだろ。治すにはコレしかねえんだからよ」
Eはテノエの怒りなど痛痒にも感じていなかった。前回、いとも簡単に組み伏せた相手だ。Eにとっては取るに足りない。
だから、Eは彩月を倒したことで、勝負はついたと考えていた。あとはこの場にいる女2人をどう料理するか、それだけだ。
(特にコイツは念入りにしてやらないと……)
エコーは倒れている彩月に目を向けた。
(今だ!)
テノエは隙だらけのEに、右手を向けると、無言のまま、閃光爆裂魔法を放った。
光の球がEにぶつかり爆発する。
(やった)
テノエは確かな手ごたえを感じていた。
後は爆散したエコーの破片を消去魔法で始末すればいい。それよりも彩月が気になった。早く治療魔法をかけなくては。
「えっ?」
テノエは自分の目が信じられなかった。
閃光爆裂魔法の直撃を受けたはずのEが、何事もなかったように立っていた。
「痛えな、クソっ。でも、オマエラのソレ、魔法っていうの? オレには効かねえんだわ。でも、一応仕返しはしとくな」
次の瞬間、Eは素早い動きで、テノエの腹に左拳をめり込ませていた。
「グッ!」
彼女の身体はくの字に折れ曲がり、その場にうずくまった。胃の奥から液体が逆流し、そのまま地面に吐いた。目がかすみ、気が遠くなる。
(どうして……)
うずくまったまま、テノエは考えた。
魔法が効かないとは全くの想定外だ。そして、歩空鎧は胴回りを中心に細かいひびが全体に入っていた。もう1発受けたら、鎧としての体をなさなくなるだろう。だが、そんなことはどうでもいい。
テノエのかすんだ目には、残忍な笑みを浮かべ、彩月を見下ろすEの姿が映っていた。
一方、Eはどのようにこの女を凌辱してやろうかと思案していた。
そもそも、コイツのせいで、オレはこんな体になったのだ。たっぷりと復讐しなくては、気がおさまらない。
嗜虐的な想像に、Eの大砲が反り返った。
(彩ちゃんが危ない)
次の瞬間、テノエはEに飛び掛かっていた。
自らに身体強化魔法をかけ、Eの尻尾をしっかりと掴むと、思い切り引っ張った。
「なっ!……」
Eの身体が宙に浮き、そして、地面に叩きつけられた。最初、自分の身に何が起こったのかわからなかったが、すぐに立ち上がると、状況を把握した。
「ほう、やるじゃねえか、女のくせに。でも今度は手加減しねえぞ!」
Eは更に強い「恫喝」をかけながら、テノエに向かってきた。
だが、もう、テノエも負けてはいなかった。
魔法攻撃は効かなくても、直接攻撃が効くなら勝ち目がある。そう思うと、闘志がメラメラと湧いてくるのを、彼女は感じていた。
※次の更新は2023年10月22日 15時となります。