40話 帰還
その日、カストロ邸の豪華なサロンでは、4人の聖女が黒装束のまま、夕餉の晩餐前のティータイムを楽しんでいた。
モーリアン教会の4人の聖女たちは、カストロ公アーロンによってニアホレスト付近の全線に送られる事になっていた。
だが、ニアホレストの町で自軍の敗退を聞いた騎士団長アダンは、自分が死ぬのが恐ろしくなったのだろう、早々に前線を捨て、聖女たちを連れ、カストロに戻って来たのだ。
お陰で聖女たちは、前線に行く事なく王都のカストロ公爵邸の別棟に匿われ、カストロ公アーロンがいなくなった今、こうして堂々と優雅に贅沢な暮らしを堪能している訳だが……。
「毎日毎日、暇ね。やる事と言ったら、あなた達とお茶をするだけ。早く喪が開けて、貴族の殿方ともお茶会をしたいわね」
このサロンの大きな窓からはミサの後の会食を行う会場の入口がよく見える。
頬に手を当て、不満げに来客を見つめるのは、豪華な美人、エレーンだ。
「そうね。でも、黒服を着た殿方も素敵じゃない?中でも1番は……」
テスリナは夢見る表情を浮かべる。
「言わなくても分かるわ。ユリアス様ねっ!素敵よねぇ……。あのお方だけは、リルに優しくしてくれたのよ!」
リルアンヌも頬をピンクに染め、両手を組み尊んだ。
しかし、その横で、フォールンが暗い顔を歪める。
「隣にミミがいなければね。本当にあの子、邪魔よね。いなくなればいいのに」
「怖っ!フォールンって、昔から1番ミミにキツく当たってたわよね。何か恨みでもあるのかしら?」
楽しそうにニヤけるエレーンをチラッと見るも、フォールンはすぐにそっぽを向く。
「あの子が、使用人たちや剣闘士たちに、チヤホヤされているのをよく見たわ。私は自分の不幸な境遇を餌にして、人の同情を集めるような奴は大嫌いなの」
「ああそうか。フォールンは平民出だったわね。でも今は聖女でしょ?オモチャと私たちは違う生き物なの。だから気にする事なんてないわ」
「でも、勇者パーティの皆様も、ミミの偽善者ぶりに騙されてるわよ?」
口を尖らせるテスリナにフォールンは頷く。
「だから厄介なのよ」
「知らなかったわ……あの子、何にも考えてなさそうだったけど、結構策士だったのね」
リルアンヌの呟きはノックの音で消された。
「聖女様!失礼致します!」
了承を得ずに入ってきたのは、ブラス。故カストロ公の補佐で、この国の政治的な部分のほとんどを取り仕切っている、官僚だった。
「どうしたの?勝手に入って来ないでくれる?」
エレーンの不躾な流し目に、元騎士であるブラスは、顔をひくつかせた。
三領土におけるカストロの大使を務めるブラスは、この国の宰相と匹敵する立場。にも関わらず、アダンに優遇されてきた聖女たちにとっては、雑用係とかわらないらしい。
カストロ公の前では大人しくしていたと言うのに、アダンという傘を着て、こうも大きな顔をする様になったとは……図々しいにも程がある。
ブラスはそれでも冷静を保ち、壮年だが明朗に新しい主の決定を述べた。
「殿下より、葬儀の後、聖女様におかれましては、モーリアン教会へとお帰りになるようにとの通達がありました」
4人の聖女は顔を見合わせる。
「え?……私たち、アダン様にこの屋敷で暮らす許可を貰ってるんですけど?」
ブラスは、湧き上がる怒りをひた隠し、淡々と告げる。
「勇者様方の活躍はめざましく、聖女様は現時点では不要と判断されました。1度教会にお帰りになるのがよろしいかと」
エレーンが、バン!とテーブルに手を付き、立ち上がった。
「そんなの困るわ!やっとここでの生活に慣れてきたのに!」
……慣れただと?どれだけ図々しいのだ。
この者らが、きちんと仕事をしていれば、助かる命があったやもしれぬのに!
前線に行けとは言わぬ。だが、救助を求める者らに手を差し伸べるくらいは出来ただろう。
それを見捨て、おめおめと戻って来ておって!
お陰で、ただでさえよくない貴族らとの関係を悪化させるばかりか、先だっての幽霊騒ぎでは、ルーン城の除霊は愚か、助けを求めた貴族家の除霊をも出し惜しみ、不評を買ったばかりではないか。挙句には国の金を使い、この、贅沢三昧だ。
……だがそれも、今日までにしてもらおう。
ブラスはほくそ笑みたいのを、懸命にこらえる。
新たな主はそこに聖女を帰せと言って下さったのだ!
「明日の朝、迎えを寄越します。支度をしておくように」
ここでの生活を知ってしまえば、教会でいくら優遇されようとも、その差は歴然。共同生活は道端で寝るも同然。食事など食べられたものではないのではないだろうな。
案の定、聖女らは、聖女とは到底思えぬ程醜い顔をブラスに向けた。
「嫌よ!!そんな事、アダン様が許す訳ないわ!」
「アダン様に会わせてよ!!」
「リルはここに住むの――っ!!」
詰め寄る姿は、魔物の様だ。近衛兵に止められ、地団駄を踏む姿の醜い事!
ブラスは見るに堪えず、踵を返すと、眉間を押した。
「こんな事で、失われた多くの騎士たちの魂が救われる訳もない……」
聖女たちの顔を見て溜飲は下がる。しかし、苦い想いはいつまでも残るだろう。
……こんな事ではいけない。前に進まねば。
ブラスは頭を振ると、ギャーギャーと煩い部屋を後にし、これからの業務へと集中する。
ユリアス様はまだ若い。しかも、魔王討伐という任務の途中だ。誰かが支えて差し上げないと。
「これから忙しくなるな……」
いや、今までも十分忙しかったではないか。……だが、同じ忙しさでも、何かが違う。
それは、1から国を作るに等しい作業となるだろう。何せ、竜との共存作業だ。
「……何だこの胸の高鳴りは……」
「ブラス様、分かりますよ。ワクワク致しますね」
後ろに控える若い近衛が親しげに声をかけて来た。だが、怒るどころか、巻き込みたいとさえ思ってしまう。
どうやら、新しい主の性格は伝染するらしい。
「ワクワクか……。私は途方もない仕事量に、竜の前にでも立たされた気分だ」
「ハハッ!ブラス様なら全て丸く治めて下さいますよね」
「ふっ……確かめてみるか?そこのお前、こき使ってやるから、覚悟するがいい!」
顔を青くする若い近衛を笑顔で叱咤し、ブラスはまだ公表できぬ新しい主の元へと急いだ。
日が沈み、カストロ公爵邸の大広間では、カストロ公アーロンの親しい者を集めての会食が行われていた。
立食であるにも関わらず、会場の正面に座るアダンの姿をした竜は、不機嫌そうに足を組み、まるで玉座から接待客を見下ろしている様に見えた。その威圧感に、招待された貴族らも挨拶出来ずにいた。
しかし、聖女らには、それが分からぬらしい。
「どういう訳?いきなり帰すっておかしくない?何かの間違いよ!」
「アダン様に直接聞かなきゃ!」
聖女らはコソコソと話しながらアダンの前でお辞儀すると、しなだれ掛かる様に、その足元へと縋り着いた。
「アダン様ぁ――。先程ブラスが来て、私たちをこの屋敷を追い出すって言い出したのよ!」
「近衛に剣を突き付けられたわ!怖かったんですからぁ」
「アダン様は、リルを追い出したりしないよね」
アダンの姿をした竜は、無表情で縋り付く聖女を見下ろす。
今日は葬儀。ただでさえ厳かな会場が凍りついた様に静かになっていた。
「お前たちは何だ?何しにここに来た」
その冷たい言葉ですら、ずに乗った聖女を怖気付かせる事は出来ない。
「聖女ですわ。アダン様、お忘れになったの?」
アダンの姿をした竜は、ピクリと眉を釣り上げた。
「では、聖女とは何だ」
「癒す力を持つ者の事でしょ?転移も使える特別な人間よ!……どうしたの?アダン様。私たちが必要だって仰っていたじゃない」
エレーンの説明に、他の聖女達も頷く。
「私たち聖女は他の人とは違うの。特別なのよ!なのに、ブラスは私たちを不要だと言って追い出そうとしたの!」
「ブラスになんの力があるって言うの?何も出来ない癖に、聖女を追い出そうとするなんて、無礼じゃない?」
あまりの言いように、アダンの後ろに控えていたブラスも、平静を保つのが難しくなる。
だが、アダンの姿をした竜はその殺気を片手で制し、聖女の方へと体を乗り出した。
「では、お前たちは何をしたんだ?カストロの騎士団は敗退し、その生死も分からぬ。お前たちはいったい何を癒したのだ?聞かせて貰おう」
威圧感のある言葉に、聖女らは少しだけ怖気付いた。だが、互いに顔を見合せる事で自信を取り戻したのか、強気に出た。
「私たちは、アダン様を転移で連れて帰って来たわ!」
「そうよ!アダン様はこの国にとって、なくてはならない人!その人が無事だったのは、私たちのお陰よ!」
すると、アダンの姿をした竜は、なるほどと、真剣な顔で返した。
「それは、転移しか使ってないという事で間違いないか?」
「「え……?」」
アダンの意外な言葉に、聖女は首を傾げる。
「死にかけた騎士には、何の治療も施さなかったと。国の為に命を懸け戦った騎士は見捨て、ただ自身の亡命の為に、その力を使ったと、そういう事で間違いないか?」
「それは……」
聖女たちは返す言葉失った。
すると、今まで、ただ様子を伺っていた貴族たちが、いきり立った。
「戦地にいながら、なんの治療も施さなかったのか!?」
「いや、こいつらは、助けにすら行かなかったというではないか!」
「だって仕方ないでしょ?行った時には、もう負けてたんだから!」
「私たちは聖女なのよ!死ぬ訳にはいかないじゃん?」
これには貴族たちも呆れて言葉も出ない。
その時、壮年の貴族が1人、目を剥いて聖女らに詰め寄った。
「だから見捨てたと!?ふざけるな!!お前のせいで……私の息子は……」
「いやぁぁーー!離してよ!!」
涙するその貴族を、汚いものでも見るかの様に、聖女は振り払った。
途端に貴族らは拳を掲げ、聖女らに詰め寄り始めた。その剣幕に、ブラスが近衛を動かす騒動となる。
だが、それも仕方の無い事だろう。騎士団には貴族の親族だけでなく、信頼を置いた部下が多く在籍していたのだから。
敗北したとは知っていたが、それでも希望を捨てられずにいた貴族らの怒りは爆発し、中々収まらなかった。
そして……。
近衛が貴族らを抑え、ようやく落ち着いた頃。おもむろにアダンの姿をした竜が立ち上がった。
「此度の事、責任はこの私にある!だから私は、騎士団を脱退し、カストロ公爵家から廃嫡する事で、この責任を取ろうと思う!」
……ん?今、なんと?
会場は水を打ったように静まっていた。貴族らはそれを当然の様に無言で受け止めていた。
……これは作戦にないぞ?
「ブラス、後を頼んだ」
唖然とするブラスの肩を叩き、アダンの姿をした竜は、そそくさと退席してしまった。
それを見送った貴族らは、今度は、残された聖女へと冷たい視線を移す。聖女らは焦った。
「アダン様ぁ――!」
出遅れた聖女たちが後を追おうと立ち上がったその時。
ようやくユリアス殿下が、小柄な娘を連れ、会場に入って来た。
「遅くなってすまない……どうした?」
ユリアス殿下を見た聖女たちは、見事に方向を変えた。
「「ユリアス様――!!」」
だが、その後ろの可憐な娘に気付くなり、立ち止まると、愁傷な顔は何処へやら。瞬く間にその顔を憎悪に歪めた。
「ミミじゃない!?」
「ミミ……なんであんたがここに?」
小柄な娘を指さし、罵り始めた。
「アンタ!喪服も着ず、何様のつもり?」
「……そうよ!この子だって何もしてないじゃない!!みんな聞いて!!」
何もしてない自覚はあったのか。
聖女たちはミミと呼ばれた小柄な娘の腕を取った。
「おい!やめろ!」
ユリアス殿下が慌てて娘を庇い、それを取り払う。
すると、聖女は益々大声で罵り始めた。
「この子、勇者パーティの癖に、討伐に参加しないで逃げてたのよ!」
「こんな時にだけ顔を見せるなんて、卑怯だわ!!」
「ユリアス様はこの子に騙されているのですわ!可愛い顔をして、この子がどれだけ汚い性格してるか!!一緒に育った私たちがいちばんよく知ってるんだから!!」
聖女たちの罵りに、貴族らは冷めた眼差しだ。だが次の瞬間、温厚なユリアス殿下が声を荒らげた。
「黙れ!これ以上、この場を汚す事は許さない!!控えろ!!」
途端に、貴族らは下がり、近衛は聖女を取り押さえた。
ユリアス殿下はギャーギャーと煩い聖女らを見ると、すぐに近衛に指示を与えて下さる。
「教会にお送りしろ……今すぐにだ!」
聖女らは泣き始めた。
「どうしてですの?私たちが何をしたと言うの!?」
ユリアス殿下は、分からないか、と呆れた様に首を振る。
「何をした?……そうだな。君たちは何もしなかった。目の前に助けを求める者がいてもね。だがそれを、罪として裁く事は出来ないだろう」
聖女らは顔を明るくする。それを真っ直ぐに見て、ユリアス殿下は眉を顰めた。
「だけどね。俺は……俺たちは、そんな君たちの顔を、二度と見たくないんだ」
聖女たちは黙り込み、近衛に引き摺られる様に、会場から出ていった。啜り泣きの残る会場をユリアス殿下は見渡す。
「ブラス。何があった」
ブラスは驚くも、普段通りに戻られたユリアス殿下にご報告申し上げた。
「ラ……アダン様が退去されました」
想定外ですと眉間を押すブラスを見て、ユリアス殿下は悟った様に、ライゾめ……と、ため息をつかれた。
しかし、すぐに顔を引締め、貴族らの方へと真っ直ぐに向き直る。その顔には、どこか決心を固めた様な清々しさがあった。
「今日は父、アーロンの為にお集まり頂き、ありがとう御座いました。……知っての通り、アーロンはこの国の人々の心に嘆きを与えてしまった。だから、偲ぶ会食は早々に畳む事にしよう!」
早いお開きの言葉に貴族らは戸惑いを隠せない。
しかし、ユリアス殿下が横に控えていた近衛に扉を開けるよう指示をすると、途端にその表情を変えた。
開け放たれた扉から、失われたと思われていた騎士団の主要メンバーが、綺麗な隊列を組み、入って来たからだ!
「騎士だ……騎士が帰って来た!!」
「カストロの騎士団だ!!戻ってきたぞ!!」
見れば外にも大勢の騎士がいるではないか!!
「部下たちが生きておった……!!」
「息子だ!生きて……これは夢なのか?」
騎士達はザワつく貴族らの開けた会場の中央を進み、ユリアス殿下の前で止まると、ビシリと敬礼をした。
それだけで、皆、胸がいっぱいになる。
第1隊副隊長のナタン様が進み出、ユリアス殿下に帰還の挨拶を簡潔に述べると、一気にお祝いムードとなる。だが、まだ騎士団は動かない。
……と、ここでナタン様は、すぐにその横にいる小柄な娘の前へと進み、いきなり膝を折った。
娘は驚いたのか、ユリアス殿下の後ろに隠れてしまった。しかしナタンは少し苦笑すると、すぐに顔を引締め、次の瞬間、声を張り上げた。
「聖女ミミ様!我々は貴方様に命を救われた事、決して忘れは致しません。ここに騎士団一同、感謝の気持ちを込め、心からの忠誠を誓わせて頂きます!ミミ様。本当にありがとう御座いました!」
ザッ!と後ろの騎士達が膝折り、同時に外からも音が響く。驚き振り向けば、外に並ぶ騎士らも一斉に膝を折っていた。
「「ありがとう御座いました――!!」」
その大合唱に、会場が震えた。
ユリアス殿下によって前に出された娘を見れば、涙目だ。ユリアス殿下はそれを優しく拭うと、娘を抱き寄せた。
「俺からも感謝するよ、ミミ」
そして、彼女を見つめる騎士たちを見渡し、声を挙げる。
「出立の時程の数はない……失った者は多く、胸を締め付ける思いだ。だかしかし、我がカストロ騎士団は確かにここに戻って来た!だから今、この時だけは、皆の帰還を素直に喜び合うおう!」
そして、涙を流す。
「ここに命がある事。そして戻って来てくれた事に感謝を!!皆、本当にありがとう!!」
騎士らは歓喜し、共に手を伸ばし、その肩を叩き合い、涙を流した。
――この時、会場にいた貴族らは悟ったのだった。
ユリアス殿下の腕の中からそっと顔を出し、可憐に微笑む小さな娘こそが、真の聖女だと。
騎士らの涙が……そして少女を見るユリアス殿下の優しい眼差しが、それを証明していた。




