19話 対決
戦いは均衡していた。
均衡とは、前線が移動してないだけの事。少人数相手に我が騎士団は苦戦していた。
洞穴に溜まっていた水は、洞窟の主スルトの動きによるものか、レイハルト側に流れたようだ。洞窟内の水位は下がったが、足場はかなりぬかるんでいる。否応なしに体力は削られるというのに、敵である冒険者はこちらの数などものともせず悠々と剣を奮っていた。
「何故ここまで苦戦を……」
敵の数は20人ほど。なのに、誰ひとりとして倒せていない。かたや、こちらの騎士は既に100は転がされている状況。しかも、奴らはトドメを指すことをしない。仲間の呻き声がこちらの恐怖を駆りたてる。
「強い!強すぎる!!」
3領土でも最強と謳われるファリアスの騎士団が慄いている。
正面を守る全身甲冑姿の冒険者は、微塵も崩れる様子がない。連携を取らない冒険者が、甲冑の男を信頼し、正面を任せ、サポートにまわっているのだ。これでは、人数を割り、両翼から攻めるのも難しい。ここまで手強いとは……。
「両翼から崩せ!人数で押すんだ!!魔術師はどうした!」
先程から火球が飛ぶのを見ていない。弓を扱う者がいるのは分かっていたが……。
隙を見て振り返れば、いつ突破されたのか、短剣使いと見目麗しい男性が、後方の魔術師らを、軽い動きでのしていた。
冒険者一人ひとりが規格外の強さだ。
マルス師の前に立つ魔術師でさえも、小さな棍棒1つで応戦できるほど強い。……棍棒ではないな。あれは杖だ……。
「何故、魔法を打ってこない。我々を舐めているのか?……まさか……」
クリストスは剣を下ろし、頭を抱えた。すかさず部下が駆け寄り、援護してくれる。そして、おもむろに顔を寄せ、後方を指さした。
「隊長、聖女が現れました。怪我人を治療しております!」
「ぬ?」
クリストスは後方へと下がり、部下の指さす方を見た。
聖女と言うには幼い少女が、重装兵の両手を握っていた。
最初に投入した重装兵は、冒険者の総攻撃を受け、死を待つのみ。自分が先に苦しみから解き放ってやるべきだった。
「あの者にはもう打つ手などない……。苦しみを長らえるだけだ」
……と、重装兵はガチャリと音を立て、起き上がる。そして、涙を流しながら、少女に膝を着いたではないか!!
「信じられん……」
「あの者だけではありません。見てください!入り口の方を!」
まるでゾンビの集団……。ボロボロの装備を纏ったまま血まみれになった集団が、出口を探し、我々が突入した、入り口の方に集結しつつあった。
「聖女様は戦いをやめるよう、説得なさいました。彼らが断る事など出来るはずもありません」
あれだけの傷を治せるのだ。彼女が女神だと言われても信じるだろう。
……だが、勝手に戦線を離脱すれば、咎められるのは彼らだ。
「隊長、左翼が崩れました!指示を!!」
ようやく敵が崩れた様だ。クリストスは、チャンスとばかりに切り込んだ。どうしても確かめなければ行けない事があったからだ。
「頼む!援護してくれ!我々は大きな間違いをしているのかもしれない」
「え?」
クリストスは剣を再び構えると、崩れた左翼から後方で応戦する魔術士に向かって突撃した。慌てた冒険者がこちらに気付き、邪魔をするが、私も騎士団を束ねる者。そう易々とは捕まらない。それに、奴らが我々を殺さないのは分かっていた。
「イグニート様!!」
クリストスは叫んだ。
そう、この人間を超越した強さは、勇者パーティにほかならない。我々を癒す聖女の存在がそれを示していた。
しかし何故、今、勇者パーティが我々の敵となっているのだろう?マルス魔導師が容疑者である事をイグニート様は知らないはずだ。なのに、冒険者を庇い、我々に剣を向ける理由が分からない。イグニート様は、我々を見捨てたのか?
クリストスの声に反応して、困惑した幾人かの部下が落とされた。だが、声を張り上げ突っ込んで来た私に、その御方……イグニート閣下の棍棒は振り下ろされなかった。
「イグニート様!お下がり下さい!この場所は言わば我が領土の戦力を奪う砦。貴方が庇う必要などないはず!!」
騒ぐクリストスに、ファリアス公爵の息子、イグニート様らしき魔術士は、胸を張って言い切った。
「私はイグニートではない!これは、コスプレだ!」
「何を仰います!イグニート様!?」
戸惑うクリストスだが、イグニート様の後ろにいる人物と目が合い、素早く剣を突きつけた。
「マルス魔導師。貴方をバンデロ公爵殺害容疑で、連行致します!我々と共にファリアス城までご同行を!」
しかし、相手も黙ってはいない。首筋に冷たいものが当たる感触に、クリストスは震えた。完全にクリストスの動きは見切られていた。
「撤退しろ。ここに悪人はいない」
リオン様らしき甲冑の男だ……。まだ青年だというのに、恐ろしく落ち着いた声音で、彼は言い切った。その威圧感に、クリストスは動けなかった。
「あなた方がマルス魔導師を庇うのは分かります。しかし勇者様。貴方が何故、この違法な洞窟を護るのからそれを教えて頂きたい!」
クリストスは平静を装う。しかし、リオン様は口調を変えなかった。
「そもそも、その法とやらがおかしいとはお前たちは思わないのか?罪人ならまだしも、冒険者の国内の移動を規制する法などないはずだ。それを不当に留め、従わねば打首だと?ふざけるな」
レイハルト領の者に何を言っても無駄だろう。クリストスはイグニート様に目をやった。
「イグニート様!貴方はファリアスが不利になってもいいと言うのですか!?」
「そんな事だから、他領土に舐められるのだ。お前達は急場凌ぎの傭兵に負ける程弱いのか?」
「!!」
何かが胸に刺さった気がした。我々騎士団は1日足りとも鍛錬を怠った事などない。なのに、言い返す言葉が見つからない。
「悔しいと感じるのなら、鍛錬が足りぬのだ。だから私はここにいる。お前達なら分かってくれているのだと思っていたが……」
「イグニート様はハガル魔導師を知らないからそう言われるのですよ。我々は……」
そこまで言って、クリストスは言葉をつまらせた。
そんなのは理由にならない。
私はハガルに反発する勇気すら持たず、自分の意に沿わない虐殺ですら、ハガルのせいだと自分自身を納得させ、罪悪感を転嫁していたのだ。
私はいつの間に、騎士道精神の欠けらも無い、大馬鹿者に成り下がっていたのだろう……。
クリストスは膝をつき、イグニート様にひれ伏した。
「申し訳ありませんでした!!イグニート様!!」
「……何を言っている?私はイグニートではない。コスプレイヤーだ!」
「はい!申し訳ありませんでした!」
「そう言うな、イグニート。そうか、ワシを追って来たのなら良かったではないか。ミミではなかったのだからの」
顔をあげれば、マルス魔導師が私を優しく見つめている。
戦いは小康状態となり、皆が手を止めこちらの様子を伺っていた。
「良くはないでしょう!バンデロ公爵を殺したのは、ハガルと聞いております!」
リオン様が大剣を地面についた。もう誰も戦おうとは思わなかった。
「しかし、ここはワシが行かんと、収拾がつかんじゃろ?騎士が容疑者を逃がせば、処分されるのは見えておる」
「しかし、マルス師が城にゆけば、処分されます!」
心が痛い。何故、罪の無い者を犠牲にしてまで、我々は職務を全うしなければいけないのか……。
しかし、私だけならまだしも、若い部下達の命は守りたい。その家族も……。
家に残してきた、長年連れ添った妻の顔が頭に浮かんだ。
「マルス様、まだ、処分は決まっておりません。現在、ファリアスは領主不在の状況。すぐに判決が下る訳では……」
クリストスは苦しい言い訳をした。しかし、マルス魔導師にはお見通しのようだ。
「心配無用じゃ。お前達はしっかりと職務を全うするがいい。ワシを舐めるでない。さあ、兵を引き、ファリアス城に連れて行くがいい」
そう言い、マルス魔導師はクリストスの前に進み出た。
「クリストス様。この場所を潰せとのご命令が……」
そう、我々はもう1つの命令を受けていた。この場所の制圧だ。私は片手で部下を黙らせた。
「目的は成された。この先の命令は続行不可能と判断。この事については全て私が責任を取る。すぐに怪我人を連れ、撤退するぞ!!」
全て……。そう、我々騎士団の命があるのは全て、イグニート様とマルス魔導師のおかげだ。私はその恩を仇で返すのか?
「おい!!見ろ!水が!」
その時、入口に詰めていた者らが叫んだ。
大量の水が、入口の横の壁をぶち抜き、流れて来たからだ。
「聖女様を!!」
騎士達が必至に、疲れきった幼い聖女を、滝のような水から守る。しかし、誰よりも素早く、ユリアス様と思しき男が聖女を抱え、我々の後方にある洞窟へと連れて行った。恐らくそこにレイハルト領側の出口があるのだろう。
「ダムだ、上流のダムが壊されたな。お前らの上司は、スルト様が動かないと思っていたらしいが、残念だったな。俺たちには逃げる道がある。だが、お前らは……」
冒険者が気の毒そうに、「お前らもこっちに来い」と言う。
「そうか……」
心は凪いでいた。最初からハガル魔導師はこの場所を、我々共々、纏めて消し去るつもりだったのだ。
我々は、冒険者が逃げぬよう、この洞窟入り口を塞ぐ、栓でしか無かったのだ。
私は丁寧に敬礼すると、振り向き叫んだ。
「全軍撤退!入口に向かえ!!これは私の独断による命令だ!」
レイハルト領に抜ければ、命は助かる。しかし、ファリアス領には二度と戻れないだろう。
ハガルは裏切り者を領土に入れる事はない。
それは、家族のいるものにとって、死よりも辛い事だ。
「ならん!!そちらは狭すぎ……くッ」
イグニート様が叫びかけ……そして突如、その体が揺らいだ。
「イグニート、悪いな……」
ユリアス様だ。見事な手刀で我らの大切な御方を守ってくれたのだ。私は頭を下げた。
意識を失ったイグニート様が運ばれていく。
「では、行くか……」
マルス魔導師がその後ろ姿を、目で追うのを見て、私は喉の奥が苦しくなった。
「いいえ。この状況。マルス魔導師に逃げられたとしても、最早、咎める者もいないでしょう。マルス魔導師。本当に申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。こんな私が申すのも可笑しいかと存じますが、どうか、ご無事で」
マルス魔導師は頷いた。
「我が教え子よ。死に急ぐでないぞ……急げ!」
全軍が入口目指して、水の中を移動していた。
クリストスも近くで落ちている怪我人を拾いながら、必死に水を掻き分け進んだ。
有難い事に、水は入り口よりも左下方向、壁の裂け目から流れ込んでいる。更には、入り口付近には聖女に癒された者達が、ロープを携え、戻ってきていた。
1人でも多くの命が残る事を祈る。
しかし、救える者にも限りがある。水は濁流となり、押し寄せてきていた。
「隊長!御早く!」
最も優秀な部下が叫んだ。必死にロープを伸ばし、クリストスに握らせる。
「私はここに残る。早く行け!」
「何故です!!」
「誰かが責任を取らねばならない。最後までここで戦ったと、キローガ様に伝えてくれ!」
「なりません!!隊長!!」
もう、足は着いていない。ロープにしがみつき、最後まで必死に部下を入り口の階段へと押し上げた。
だが、まだ部下は残っている。
「隊長!私も残ります。出たところで逃げ道はない。この先も、意思に沿わぬ殺戮をさせられる位なら、心が死ぬ前にここで潔く尽きたい」
ここで入り口の扉の上まで水が来てしまった。
「すまぬ……」
クリストスは残った部下を顧みた。
「隊長!我々も共にゆかせてください!!」
「「隊長!俺も!!」」
「共に名誉ある死を!」
残ったその人数の多い事。私は涙を飲んだ。
「私はお前達に無理ばかり強いていたというのに……」
ぐんぐんと水位は上がり、私は祈った。
「イグニート様。我が家族を……民をよろしくお願い致します」
……その時の事だ。
沈みゆく我々の間、青い髪をした青年が、水の中から不意に顔を出した。
青年は私を見て、ニヤリと笑った。
「さて、みんないいか聞け。装備を捨てろ。そして皆、固まって手を繋ぐんだ」
「何故その様な……」
「俺があんたらを地獄に連れていく。ミミに生かされたあんたらに、選ぶ権利などないぞ。これは、ミミの望みだからだな。大人しく従え」
ここに来て望みなど……。しかし、聖女がそれを望むのなら……。
死にたくないと、生存本能なのか、浅ましい心が体を突き動かす。
体力のない者、重装兵から沈んで行く。皆で協力して、その装備を剥がしあい、流されぬよう、共に手や腕を繋ぎあった。濁流によって、高く見えた洞窟の天井はすぐそこに見えた。数人が既に水に沈んでいる。必死に手を伸ばし、腕を掴む。
「手を離すなよ!!……そろそろ限界だ!!……行くぞ!!」
――転移!!