17話 白い花
――『竜王』について話そう。
人は長年、竜を魔物として扱い、戦いを挑んできた。
竜は圧倒的な強さであるのに対し、人は数で対抗した。
しかし、ある日の事。
終わりのない戦いに疑問を持ったルーンキャッスルの王、ロイグ・ルイゼンは、全ての兵や冒険者に、竜への攻撃を禁じた。
そう、ようやく人は気が付いたのだ。……竜は人と争う気などない事に。
数百年を生きる竜にとって、人は春に湧く虫と同じ。竜は、鬱陶しいハエを払う様に人を追い払っていただけなのだと。
人は、何と不毛な戦いを挑んでいたのであろうか。
ロイグ・ルイゼン王は、今までの行いを謝罪すべく、自ら竜の住まう場所へと赴くと、自身の剣を地面に突き、頭を垂れた。
「竜よ。どうか、愚かな人間の行いを許して欲しい。あなた方がもし、我々の今までの無礼を許してくれるのなら、我々はあなた方を神として敬うと誓います」
「都合のいい事を!」
竜は人の言う事など歯牙にもかけなかった。
しかしある日、魔物を狩りに出たロイグ・ルイゼン王は、傷付いた蒼い小竜を拾った。
城へと連れ帰った小竜は自由で愛想が良く、人の生活に興味があるのか、王と共に長い時を過ごした。
竜は人を知り、王は竜を知った。
王はこの時初めて、竜が魔物を喰らい、人の闇を浄化している事を知ったのだ。
許しを乞うまでもない。竜はその存在自体が、我々への許し。王はすぐさま神殿を造り、竜を敬う事にした。
小竜は怪我が治ると、旅立ってしまった。
しかし、それからしばらくが経ってからの事だ。
王の前に、次々と竜を名乗る者が現れる様になった。
王は喜び、彼の者らを側に置くと、神殿を与えた。
神殿の置かれた場所には魔物は現れず、国は豊かに栄え始めた。
ロイグ・ルイゼン王は『竜王』と呼ばれ、ルーンキャッスル王国は最も栄えた国として、後世に語り継がれる事となる。
ミミは本を閉じると、ほう、と息を吐いた。
神殿の書物を読むのは好きだった。でも、竜たちと知り合ってから読む本は、以前読んだ時とは、また違う楽しみがあった。
【ルーンキャッスルストーリー】の中にも、同じ物語があったけど、それは単に、竜王と竜との繋がりを示すもので、実際は竜は戦う為の道具でしかなく、竜同士に繋がりはなかった。
ミミは寝床から起き上がると、未だ会議を続ける皆の方を見た。買い出しに出ていたフェオとユリアスが帰ってきたのか、会議はとても賑やかになっている。
ミミは今、ここにいられる事に幸せを感じていた。
同時に、みんなを見ると、嬉しくてじっとしていられなくなる。
そうか、これがライゾが言っていた、法力が蓄えられた証拠なんだと、ミミは納得した。
でも、ミミが嬉しくてぴょこっとすると、ここは狭いカプセルベッド。途端に頭を打ってしまった。
「実は、さっき入ってきた冒険者に聞いたんだがね、ファリアスの騎士団が、この洞窟の方向へと兵を出したらしい。冒険者らは、今からレイハルト領への抜け道を開けるよう、スルトに談判すると言っていたよ」
ユリアスの声が聞こえてきて、ミミはハッ!とした。
「ミミ、大丈夫?」
イースに頭を撫でられ、ミミは目を擦る。泣いている場合じゃない。ミミは思い出したのだ!
確か、スルトの洞窟を通るには、条件があったはず。この洞窟の中を流れる川の上流に咲く、レアなアクアステラをスルトに渡す事だ!
「イース!ミミは今から採取に行きたいと思います!」
「ミミ?どうしたの?急に……」
ミミは両手を握り締めていた。
物語を進めないと、みんなが危険な目にあっちゃうかもしれない。だってみんな、ファリアスから逃げる為にここにいるのだから。不安に胸が痛くなる。
「何処に行きたいんだ?言ってみろ」
すると、足元で声がする。覗いて見れば、ライゾがミミの方をニヤリと見ていた。
「あのね、この洞窟の中を流れる川を遡った先に滝があるの。そこにアクアステラが咲いてるんだよ!」
ミミはライゾに一生懸命に説明した。
「ほお、なるほど。じゃ、起きがけの運動に行ってみるか……」
途端に不安が吹き飛び、ミミは大きく頷いた。
「うん!!」
青年ライゾは頼れる。
ミミは、遠くじゃないのなら……と、アンスールに許可を貰い、ライゾとイースを連れて、洞窟ホテルを出た。ライゾは一応、洞窟ホテルの前に門を刻むと、川の上流を目指した。
川は村の中央を流れている。
ファリアスの騎士団の話が広まったのか、移動の支度を始めた冒険者らで、村の中は慌ただしい様相となっていた。
「この抜け道は違法だからな。捕まりたくない冒険者は皆、逃げる準備で忙しい。スルトがしっかりしていれば、こんな事は心配しなくていいんだがな……」
「冒険者が入り口を開けてしまえば、村が見つかっちゃうよ」
早くアクアステラをスルトの所に持って行かないと!ミミはライゾを引っ張った。
皆、逃げる準備で忙しいようで、ミミ達を気にする者などいない。ミミたちは早々に村を抜けると、川沿いに歩き、スルトの洞窟の入り口の左手の端の壁まで行った。そこには天井まで伸びる亀裂があり、川はその中から流れてきていた。
そこは洞窟内の狭い峡谷だった。ここにも光る苔が生えてて、峡谷中はふわりと明るい。
ミミたちは、膝位の水位の川の中を、ザップザップと歩いた。水は冷たいけど、引っ張ってくれるライゾの手はとても温かい。背中を押してくれるイースの手伝いもあって、ミミは頑張って歩いた。
しばらく歩くと、水音がどんどん大きくなる。
「滝が近くなったな。背中に乗れ」
川幅が狭くなり、水流で前に進まなくなったミミを、ライゾはおぶってくれた。イースは細くても竜。水流の中を先頭を切ってガンガン進み……そして振り向いた。
「滝よ!」
その目は輝いていた。ミミはライゾの首の後ろから顔を出した。
「うぉぉ――!」
ようやくミミたちの目の前に美しい滝が現れた!
硬そうな大岩の上から細い糸の様な水が幾重にも重なる様に流れ落ちていた。
外からの月光が滝の上の隙間からほんの少しだけ漏れていて、滝全体を幻想的に照らしている。苔むした岩で覆われた緑の滝つぼには、淡い水色の光を放つアクアステラの花が沢山咲いていて……ミミはその美しさにうっとりとため息をついた。
「綺麗ね……」
イースが呟く。
「うん。ずっと見ていたいくらい綺麗」
ライゾはミミをおぶったまま滝つぼの中の大岩まで行くと、その上に下ろしてくれた。ここまで来ると、青年ライゾでも胸までびしょ濡れだ。
「しばらく見ているといい。俺はちょっと上まで登ってみるぜ!」
「ありがとう、ライゾ」
イースも泳ぐ様に大岩までやって来た。ミミが引っ張り上げると、2人並んで綺麗な風景を眺める。
「ミミ、お花いっぱいいる?」
しばらく眺めていると、イースがミミにそっと声をかけた。ミミは首を振った。
「中に一つだけ白いお花があるはずなの。それだけ貰おうと思うの」
「ミミが優しくて良かった。探しましょ」
アクアステラは重なる様に沢山咲いていた。でも目を凝らせば、そのお花はすぐに見つかった。
淡い水色の花の中にポツンと1つ、透き通る様な真っ白い花びらを持つ小さなアクアステラが咲いていた。
「待っててミミ。取ってきてあげる」
イースはそう言うと、ザブン!と滝つぼに飛び込み、姿を消した。潜ったのか、次に水面に現れた時には、白い花のすぐ側だった。
花に囲まれたイースの姿は絵画のようで、言葉にできないくらい綺麗。
イースは綺麗な花を掻き分ける様にミミの所まで戻ってくると、首を傾げた。
「どうしたの?ミミ」
ミミはその時になって初めて自分が泣いていることに気が付いた。ミミはイースに抱きついた。
「イースがとても綺麗だったから!取ってきてくれてありがとう!」
イースは、濡れるのに……とミミをそっと離すと、ミミにお花を渡してふわりと笑った。
「どういたしまして」
その時、慌ててライゾが凄い水飛沫を上げながらこちらにやって来た。
「ミミ!花とイースを仕舞え!すぐに転移するぞ!」
「どうしたの?」
ミミは慌てる。
「冒険者たちがスルトの洞窟の入口を開けようとしている!堰き止められた水がこっちに流れて来るぞ!!」
そうか!洞窟の扉を開ける時に塞き止めた川は、ここに流れてくる仕組みだったのね。
「急げ!既に洞窟の外には騎士団がいるようだ。1度開けられてしまえば、扉は二度と閉まらないかもしれない!村に水が流れ込めば、スルトの洞窟はおしまいだ」
「そんな……こんな素敵な場所なのに!!」
ミミはこの素敵な場所が消えて無くなるのが悲しくて、思わず花に手を伸ばした。
吸い込まれる。
そんな感覚がした。
実際、イースが掴んでくれてなければ、ミミは滝つぼに吸い込まれてしまっていたかもしれない。
突如滝つぼに現れた渦は、アクアステラを巻き込みながら竜巻のように天へと登った。
そして、水諸共、ミミの伸ばした手の中に吸い込まれていった。
辺りから音が消え、一瞬、滝つぼが空になった。
「嘘……だろ?」
驚くライゾの横で、ミミは自分の手を見つめ、そして水底を見た。
そこには光る石が!!
「星の欠片!!」
ミミは岩から飛び降り、濡れた水底を走ると、その小さなトゲトゲとした石を拾った。
「イース!ミミを!!」
ライゾが叫んだ。
途端、滝が溢れた。大量の水が滝つぼに押し寄せる。
イースがミミに覆いかぶさり、ミミたちは水に押し流された。
水の中でミミはイースに体を預けた。
息はそんなに続かない。でも大丈夫!ライゾが泳いで来るのが見えたから。
ミミの腕を握るその手は、いつだって温かいの。
ミミは精一杯手を伸ばした。
――転移!