7.
アーサーは、思い返しながら話をしてくれた。
「一度目の人生で、私には息子がいた。名前はエリオット。私によく似ていて、賢い子だった。ああでも、君が愛情たっぷりに育ててくれたおかげで、私とは違って感情表現豊かな子に育ってくれていたが」
「……」
「それに母親思いだった。常に君のことを気にかけてくれる優しい子だっただろう? だから二度目の人生もこの子は『エリオット』と名付けて、また、一度目のときのような愛らしい子に育ってほしいと思っている」
あり得ない話を聞かされたセレーナは、唖然としてしまい言葉が出てこない。
「ちょっ、と……あの――」
「神が私に、やり直す機会を与えてくれた」
それが、決定的な言葉だった。
「神……?」
「ああ。前回、君の治療法を探して各地を回ったけれど、結局君を助けられなかった。恥ずかしい話だが、君が亡くなってからの私は自暴自棄になって、最期は戦地で無謀な戦い方をして死んだ。そして死にゆく中、突然神が私の前に現れて、二度目の人生をくれた」
(……え?)
「ま、待ってください。私の治療法を探していた? あなたが?」
神という突拍子もない話が出てきたことにも驚き、そちらについても問い詰めたいが、アーサーはさらにセレーナが気になることを言っていた。
セレーナの記憶では、彼はずっと戦地に行っていた。セレーナの状態には目もくれず、ひたすら戦っていたのだ。見舞いにだって、一度も来ていない。
それなのになぜ『治療法を探していた』なんて話が出てきたのか、セレーナには理解ができない。
「そうだ。まあ、結局君が生きている間には見つけられなかったがな」
「嘘ですそんなの……」
「嘘では――」
「だって! あなたは私に無関心だったではないですか……!」
セレーナはアーサーの言葉を遮り、彼が治療法を探していたなんて信じられないと告げる。
「病に伏せってから一度も……。一度も、会いに来てくれなかったのにそんなの……」
「現実を見たくなかったんだ」
困惑して気を昂らせているセレーナに、アーサーは淡々と答えていく。
「君が死ぬだなんて、私には受け入れられなかった。医者から、君の病気はもう治療する術がなく余命もあまりないと聞いたときは、意味が分からなかった。弱っていく君を前にしたら、その残酷な事実を受け入れざるを得ないだろう? たとえ冷え切った関係だとしても、ただ生きていてほしかった。エリオットと君の二人が笑っている様子を遠目からでも見られさえすれば、それで良かったのだ。だから必死に治療法を探した。そうすれば少しは、君が死ぬという絶望から目を背けられる気がして。……でも、君を一人にするべきではなかった。私が愚かだった」
「そんなこと今更……」
「もちろんだ。ただ今回は君にみっちり教えられたからな。言葉にしなければ伝わるものも伝わらない、と。だから今、思いの丈を素直に伝えている」
「何を、そんな……」
セレーナは言葉を詰まらせた。
目の前にいるアーサーは、表情筋をどこかに置いてきた一ヶ月前までのアーサーとは違う。
思っていることを口に出してくれて、表情も前よりは出すようになった。
そんな彼の顔には、黙っていたことを申し訳なく思う気持ちと、私がどう思うかを不安に思う気持ちが表れている。
そしてその表情から、彼が嘘をついていないことも分かる。
「私は、神がくれた機会を無駄にしたくない。それなのに回帰した瞬間の私は遠方にいた。だから急いで邸宅に戻ったが、君は離婚するという置き手紙だけ残して既に出て行った後だったんだ。そのとき思ったよ。神は私だけではなく君も回帰させて、君は今回、私と離婚しようとしているのだと。あのときは心臓が止まるかと思ったよ。……それからここで君と再会したときも、私は久しぶりに会えて嬉しかったのに、君からは『伯爵様』と呼ばれたことで距離を感じて。まるで谷底に突き落とされた気分だった」
(旦那様は私まで回帰するとは思ってなかったのね。それに再会したあのときも、そういう意味であの顔だったなんて……)
セレーナはすぐ、あのときのアーサーの顔を頭の中で思い出す。眉間に皺を寄せて何やら不機嫌なのかと思ったが、彼は単に傷ついていたらしい。ただ、その感情も表に出さないように堪えた結果があの顔だったというわけだ。
分かりにくいにも程がある。
「呼び方については申し訳ございません。あのときはてっきり、もう離婚が成立しているものとばかり。もし成立していなくとも、離婚すると決めた以上、旦那様と呼ぶのは違うと思ったのです」
「分かっている。君はそういうところもしっかりしているから。それに、そう呼ばれたのも、元を辿れば私の感情表現が皆無なせいで君に辛い思いをさせてしまったからだからな。全て私のせいだ。……すまなかった」
アーサーは深々と頭を下げながら、セレーナに謝罪した。そんな風に謝られて、セレーナもこれ以上責める気は起きなかった。
(旦那様は本当にずっと、私のことを想ってくれていたのね)
「……まったくもう。頭を上げてください。子供の目の前で父親が母親に頭を下げるなんて、威厳がなくなるではありませんか」
「セレーナ……」
セレーナは横で寝ているエリオットを見ながら言う。
「今度は一緒に、この子に愛情を注いでくれるんでしょう?」
「え……。一緒に、って……?」
「離婚は取り下げますわ。私、あなたとエリオットと三人で、幸せに暮らしてみたいです」
「!」
セレーナの口からはっきりと、離婚撤回の意思が聞けたアーサーは、彼女の頬を大事なものを扱うかのようにとても優しくさすりながら言う。
「ありがとう。……愛してる」
「私もですわ。旦那様」
彼の顔は綻んでいた。
初めて告白されたときの表情筋が微動だにしなかった彼と同一人物とは思えないほどに。
その表情は柔らかく、とても嬉しそうで、セレーナに向けられた愛情がここぞとばかりに滲み出ていた。
そんな彼を見て、たった一ヶ月で人はこうも変わるのかと、セレーナは嬉しく思った。
……しかし、その後すぐにアーサーは気を失って倒れてしまった。
処置を受けた後とは言え、事故で大量に出血していたので、貧血で倒れたのだ。
むしろ大怪我を負いながら、しっかりと意識を保ったままここに駆けつけたことが驚きなほど。
本来であれば絶対安静だったが、周りの制止を振り切ってセレーナの元に飛んできていたのだ。
そんな状況を知り、「奥様への愛だけで体が動いてしまったんだろうね」なんて、アーサーを診た医者は冗談混じりで言ったのだった。