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5.

「今日で十日か」

「そうですね」

「今日はクッキーを買ってきた。最近人気らしい」

「……ありがとうございます」


 一ヶ月間毎日会いに来ると言う約束をしてから早十日。

 セレーナの予想に反して、アーサーは欠かさず会いに来ていた。


 しかも最近は、何か手土産を持ってきている。


 昨日は、薄紅色のバラを。

 その前は、美味しいショートケーキだった。


 もちろんセレーナは、手土産はいらないと伝えている。だがアーサーが、持ってくることをやめてくれないのだ。


 もはやお断りすることも疲れてしまい、彼が真顔で差し出す手土産を、セレーナはそのまま受け取っている。


「……あら可愛らしい」


 アーサーから受け取った缶の蓋を開けると、そこには可愛い動物が描かれたアイシングクッキーが並んでいた。


「確かに、これは人気になりますね。イヌやネコ、それにウサギにクマかしら。どの子も可愛くて、食べるのがもったいないくらい」

「食べたくなければ捨ててくれ」

「…………そうは言っていませんわ」


 『食べるのが勿体無い』のと、『食べたくない』のとではまるで意味が違う。

 せっかく、可愛いクッキーを前に笑顔になっていたセレーナの顔が、アーサーの一言で一気に暗くなってしまった。


 だが少しだけ進歩したことがある。

 アーサーがセレーナの顔色を窺えるようになったのだ。


「あ……すまない。また、言葉を間違えたようだな」

「では言い直していただけますか?」


 スッと謝罪の言葉を出したアーサーに、セレーナはもう一度発言する機会を与える。

 最近では会話の節々でこのようなやり取りが行われているのだ。まるで、言葉足らずな生徒と、正しい言葉遣いを教える先生の会話である。


 セレーナに怒られたアーサーは、顎に手をやり考えて、改めて言い直す。


「……君が、喜ぶと思って買ってきた。食べてくれたら嬉しいが、もし食べられないなら、私に気を遣って無理に食べる必要はない」

「はい」


 アーサーの言い直した言葉を聞いて、セレーナは満足そうな笑顔を見せた。


「最初からきちんと言ってくださいな。私が喜ぶと思って買ってきてくれたならそういうことも言ってくださらないと、気持ちは伝わりませんわ」

「……すまない、気をつける」


 しゅん、と肩を落とす彼の姿は、なんとも可愛らしい。

 離婚を言い出す前は一度も見たことのない姿だ。


(今までも、実は心の中では落ち込んでいたことがあったのかしら? だとしたら少し、可愛く思えるわ)


 セレーナはくすっと小さく笑い、アーサーを許した。


「ではせっかくですので、このクッキーを一緒に食べませんか?」

「え、いや……」

「甘いもの、お好きですよね?」


 先日手土産にショートケーキをもらったとき、アーサーが甘いもの好きであるという情報は聞き出し済みなのだ。嫌いでないのなら、遠慮はしない。


「伯爵様はどの子がいいですか?」

「……」

「特に希望がなければ、このネコなんてどうです?」

「……」


 白いネコが描かれたクッキーを、手で差してみるセレーナ。

 だが、なぜかアーサーは無言だ。


「伯爵様?」

「……ネコは嫌だ」

「あら。ネコはお嫌いで――」

「好きだ」

「?」

「ネコは、好きだ。ただそのネコは……君に似てるから食べにくい」

「は……い? このネコのどこが私に?」


 まじまじと見てみるが、セレーナ本人の目には似ているところなど見当たらず、アーサーの言葉を不思議に思う。

 すると彼は、ゆっくりと答えてくれた。


「…………雰囲気が似ている。気品もあって、可憐で、キリッとした目元も似ている気がする」

「そうでしょうか? まあでもとにかく、伯爵様が食べられないのならこのネコは私がいただきます。代わりに……」


 セレーナはちらりと他のクッキーに視線を落として、改めてよく見てみる。そして、ネコ以外から、アーサーに食べてもらうクッキーを見繕う。


「このクマはいかがですか? 無表情なお顔が伯爵様にそっくりですよ」

「む」


 ふふふ、とセレーナは笑いながら言った。


「……じゃあそれを食べよう」

「はい、どうぞ」


 お互いにお互いの選んだ、互いに似ていると思われた動物を食べるという、なんとも不思議な状況だった。だが、そんな会話をしながら食べるクッキーは、甘く優しい味がした。




 ――そしてあと二日で約束の一ヶ月が経とうとしたとき。


「お嬢様、大変です! シュトラウス伯爵様が怪我を負って意識不明だそうです!」

「え……?」


 勢いよく部屋に飛び込んできた侍女から聞いた衝撃の内容に、セレーナは驚きが隠せない。

 そして、重たいお腹を持ち上げながら立ち上がり、息を切らせた侍女に近づいて更なる情報を求めた。


「それは本当なの? 一体どうして……」

「そ、それが……!」


 侍女は必死で息を整えながら、セレーナに説明をする。


「先ほど街へ買い物に行っていたのですが、事故があったようなのです。聞いたところ、馬車の前に飛び出した子供がいて、その子を助けたのがシュトラウス伯爵様だったと。……そして、助けた直後に伯爵様は血を流して倒れ、意識を失っていたようです」

「そんなっ……!」

「ただ、すぐに伯爵家の方が伯爵様を運んで行ったようなので、今は治療を受けられていると思います。しかし、詳しい容体は分かりません。事故現場も見ましたが、道路一面真っ赤で……かなり出血されたのかもしれません」


 侍女から出てきたのは、聞いただけでゾッとしてしまう内容だった。

 馬車にはねられたのだとすれば、相当な深傷を負ったに違いない。大量に出血もしていたとなると、もしかしたら彼はもう――。


(いいえ、ありえないわ。一度目の人生ではそんな事故なかったもの。旦那様がここで死ぬだなんてそんなこと)


 最悪の想定が頭を過り、セレーナは慌てて振り払う。

 でもすぐに、ハッとした。


(……私に、会いに来ていたから…………?)


 前回は確かに、アーサーが大怪我を負うような事故は一度も起きなかった。

 だけどそれは、前回は彼がそのタイミングで街にもいなかったからなのだ。街にいなければ、事故に遭うこともない。

 けれど今回はセレーナに毎日会いに来るという、前回とは違う行動をしてしまっている。


 その結果、彼が事故に遭ったのだとしたら……?


(私のせいで……彼が、死ぬ……?)


 セレーナの顔色がみるみるうちに青ざめていく。

 ただ離婚したくて無理難題を言っただけだったのに。それが彼を事故に巻き込むことになってしまったのだとしたら、あまりにも辛い。



「………………うっ」


 すると突然、ズキン、とお腹に激痛が走った。

 セレーナは咄嗟に両手でお腹を押さえ、その場にしゃがみ込んだ。


「お嬢様!?」

「うぅ、痛…………」

「大丈夫ですか!? すぐにお医者様を呼んできます!!」


 セレーナの異変を見て、侍女はバタバタと部屋を飛び出して行った。


(まだ生まれるのには早いのに……)


 出産予定日まではまだ一ヶ月ほどあったから完全に油断していた。

 これは陣痛だろう、とセレーナは直感で悟る。


 十分に大きくなっているお腹に視線を落としながら、「せっかちな子ね、エリオット」とセレーナは痛みに耐えながらも微笑みながら囁いた。

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