3.
離婚宣言後、セレーナの動きは早かった。
妊娠八ヶ月の体なので無理のない範囲を見極めながらではあるが、邸宅を去るにあたっての後処理を滞りなく終え、持って行きたい荷物だけトランクに詰め。……そして最後にアーサー宛の手紙を書いて、馬車に乗って実家へ帰ったのだ。
もうすぐ子供が生まれるタイミングで娘が出戻ってきたので、両親はそれはもう驚いていたが、セレーナが事情を話せば理解してくれた。それどころか、不憫な娘を思って母親は号泣、父親は怒ってアーサーに物申しに行こうとする始末で、両方を落ち着けるのは大変だった。
――ここまできてようやく安寧の暮らしができると思っていた矢先のこと。
アーサーがセレーナを訪ねて実家にやってきた。
「旦那様……いえ、シュトラウス伯爵様が……?」
「はい。お嬢様と話がしたいとのことです」
まさか訪ねてくるとは思っていなかった。
シェイから言われるがまま、セレーナは何も言わずに妻の座を明け渡したというのに、なぜわざわざ訪ねてくるのか。
最後に顔を合わせて挨拶することもなく家を出たことを多少申し訳ないとは思いつつ、最低限の礼儀として別れの手紙は残してきたし、何より家を出る理由を作ったのがアーサー本人なのだ。勝手に家を出ても、文句を言われる謂れはないと思った。
だから、何故今訪ねてきているのかセレーナには理解できない。けれど来てしまったのは仕方がない。セレーナはゆっくりと立ち上がり、アーサーのいる応接室へと向かった。
***
「お待たせいたしました。……伯爵様」
「……っ」
セレーナがアーサーを「伯爵様」と呼ぶと、彼は眉根を寄せて険しい顔をした。
(何……? 不機嫌そうね)
「……何か、ご用でしょうか?」
「ああ」
「何でしょう?」
「シェイのことなんだが――」
「その話なら結構ですわ」
彼の口から「シェイ」という単語が出てきて、セレーナは反射的に話題を切った。
(なぜ、わざわざ彼の口から彼女のことを聞かされなければいけないの?)
だが、アーサーの気は済まないらしく、無理やり話を続けようとしている。
「聞いてくれセレーナ」
「……」
アーサーがどうしても話したいのなら、これ以上は何も言えない。しかし聞きたくないものは聞きたくないのだ。
セレーナは精一杯の抵抗と言わんばかりに、顔をそっぽ向ける。
何も言わないセレーナに対して、アーサーはそのまま話を続ける。
「……シェイは、邸宅から追い出した」
「そうですか。………………はい?」
聞き流しながら適当に相槌を打ったセレーナだったが、それは聞き捨てならない内容で、目を見開いてアーサーを見る。
「身重の彼女を追い出したのですか?」
セレーナが一番気になったのはそこである。
シェイのことは好かないが、もし本当に追い出されたのなら同じ妊婦として心配が募ってしまう。
「ああ、そうだ」
「っ見損ないましたわ! いくら氷騎士と言われるあなたでも、愛する女性にそのような仕打ちをするなんて有り得ません!」
「は?」
「良いですか伯爵様。私が身を引いた意味をしかとお考えください。あなた方が愛し合っていて、シェイさんの子供を後継にしたいという話までされている。その状況で私が伯爵夫人の座にしがみつけば滑稽でしかないでしょう。……それに何より、私たちの関係は初めから冷え切っていました。生まれてくる子供にも、両親が不仲な光景より仲良しな光景を見せるべきです。むしろ、不仲な光景を見せるくらいなら最初から父親なんていないものとして、私が父親の分まできちんと愛情を持って育てた方が良い。そう考えた末の結論です! それをあなたは分かっていますか?」
カッとなり一息で言い切ったセレーナは、はぁはぁ、と少し息切れている。
口を挟む間もなく聞いていたアーサーは、何かを考えながら、セレーナに尋ねる。
「……今の話は、シェイが君に?」
「他に誰がいるのですか。……というより、あなた方のふしだらな関係を知っている方が他にいるのですか?」
それはそれで嫌だ。
せめて周りには隠しておいてほしい。
「…………そうか」
アーサーは、少し間を空けて、一言そう吐いた。
そして、言葉を探しながらゆっくりとセレーナの問いに答える。
「……まずなんだが、シェイの腹に私の子はいない」
「はい?」
「そもそも、私たちはそんな関係ではないのだ。子などできるはずもない」
アーサーの口から出てきた事実は、簡単には信じられない内容だ。
「そんな話、信じられませんわ」
「だが事実だ」
「ですが伯爵様は、あの方を受け入れていましたでしょう?」
「私が? いつのことだ?」
「シェイさんの邸宅への出入りが多いことを忠告した際、『君には関係ない』と私の意見は跳ね退け、シェイさんは諌めませんでしたわ」
「それは……」
アーサーは言葉を詰まらせる。
セレーナの言うことが事実だからだろう。
だが実を言えば、その裏にはアーサーなりの事情があった。
「……シェイは、先代がお世話になった家の娘なんだ」
初めて聞く話に、セレーナは黙って耳を貸す。
「シェイとは先代が生きていた頃に会わされていて、その時に先代から、彼女のことを頼まれたんだ。お転婆で少々性格に難ありだから、幼馴染として、問題を起こさないよう常に見張っていてほしいって。だから、シェイのしたいことや欲しいものができたときには、私が何でも叶えてきた。それこそ、彼女が問題を起こす前にな。……だが、こんな面倒なことになるのなら、もっと早くに距離を取るべきだったと反省している」
先代のシュトラウス伯爵――つまりアーサーの父親は厳しい性格で有名だった。
ただ、厳しくはあってもその手腕は確かで、息子のアーサーは誰よりも父親を尊敬していた。だからだろう。彼は父親の教えに忠実だったのだ。
先代に「シェイを頼む」と言われれば、アーサーは愚直に従う。ただそれだけで、アーサーからシェイに特別な感情なんてものはないということらしい。
「先代から頼むと言われたのは私だから、君にまでその荷を背負わせたくなくて、君には関係ないと言ったんだ」
『君には関係ない』と言われたセレーナがどれだけ傷ついたか、アーサーは分かっていなかったようだ。また、その一言がそんなにも相手を突き放すことになるとも思っていなかったのだろう。
「……それは、言って欲しかったです」
セレーナに負担をかけないためとは言え、言葉足らずに相手を突き放せば、関係が悪化するのは当然である。
「夫婦の間にそのような秘密は、あるべきではありません」
「……ああ」
セレーナがまとめると、彼はこくりと頷いた。
「分かってくだされば結構ですわ。次の奥様を迎えた際にはお気をつけを」
そう言うと、アーサーは「え」と小さく声を漏らしてセレーナを見つめる。
この反応は何か?
セレーナは不思議に思い、尋ねた。
「……私が何か、失言でもしましたでしょうか?」
「あ、いや……」
「?」
何とも歯切れが悪い。
いつもなら深掘りはしなかっただろうが、離婚を決めた今なら相手に遠慮することもないだろうと思い、セレーナはさらに問い詰める。
「何かあるなら仰ってください」
「あ……」
「伯爵様?」
「その……離婚したくない……んだが」
「………………はい?」
アーサーは、セレーナにとって予想外の話を持ち出した。
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