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押しかけ少女とはラブコメが始まらない

作者: 稲荷竜

「いやありえんでしょ!? なんでッスか今のミス!? 目ぇ閉じてました!?」


「うるせっ! うるっせ! 居候の分際でわめくな!」


「はぁぁぁぁぁ!? そこでそういうの持ち出してくるの解釈違いなんスけど!? オラ死ね! 死ね! f××k! 死んだわ。ゆーちゃんさん、敵を倒してあげたあたしにお礼の言葉はねぇんッスか?」


「……す」


「はいぃぃぃ? 声が小さすぎて聞こえねぇんスけどぉ?」


「殺す……俺の死体に屈伸煽りするんじゃねぇ! 仇討ちKillぶんを相殺して余りあるわ! なんで味方の死体に屈伸煽りするぅ!?」


「はぁ? 弱者はふみにじられて当然なんスけどぉぉぉ?」


「よろしい。ならば夕食抜きだ」


「すいませんっした!!!!」


 ふん、雑魚が。


 虚しい勝利なのだった。

 というか、コイツが隣でゲームをしているという時点でもう、俺の敗北なのだった。


 どうしてこんなことになってしまったのか、思い出す。


 すべての失敗は今から一ヶ月前、八月のある暑い日。

 持ちかけられたオフ会にあっさり参加表明をしてしまったことが、全部の原因。



 八月の熱気は容赦なく人体にダメージを与える。

 日曜日だ。明日からまた仕事。何が悲しくてこんな日に昼間から外に出なくてはならないのかと、二週間前の自分の行動を後悔していた。


 オフ会。


 ……という言葉ももう古いんだったか。何かで爆笑された記憶があるのだけれど、俺は嫌なことをすべて忘却して生きているのでよく覚えていない。いいじゃないか、年齢に合った言葉遣い。こちとらもう二十六歳だぞ。


 その二十六歳が会ったこともない相手とどうして真昼間から会おうかと言えば、すべての原因はゲームなのだった。


 特定のゲームじゃない。

 俺がやる『ゲーム』と名のつくすべてにかかわっている『ネット上の知り合い』がいた。


 FPS、MMORPG、スマホゲーはもちろん、果てはTRPGまでやっているような知り合いがいるんだ。

 とある大作コンシューマーゲームが発売するということで『やっぱ物質のソフトほしいですよね』『そッスね』『この日に予約したんですよ』『マジ? 自分もッス』『どこかですれ違うかもしれませんね』『いっそ会ってみないッスか?』『お、いいですねぇ(ただのお追従)』『んじゃ時間はこのぐらいで』『あ、はい(え? 本当に会うの?)』『待ち合わせ場所はこのあたりで』『ああ、そこなら知ってます(これマジじゃない?)』『じゃ、当日よろしくッスー』『はーい。楽しみにしてます(え? 本気? 本気なの?)』


 流されました。


 こちとらゲーム上のやりとりはすべて文字、ボイスチャットもしないほどのコミュ障。にもかかわらず声も聞いたことのない相手とオフ会が成立してしまったのだった。


 今さら断るのも……いやでも断った方が……あああああ行きたくねぇぇぇぇぇ!! などと葛藤しているうちに待ち合わせの日が来てしまい、俺は目的の場所に行かざるを得なくなったのだった。


 アスファルトから陽炎のくゆる休日の繁華街。四車線の広さがある大通りを挟んで向かいの歩道には、すでに人だかりができていた。

 あのうち何割が転売ヤーなのかな……と思ってしまうとただでさえ暗い気分がますます暗くなる。悪い癖だ。ネガティブになってる時は、どんどんネガティブなことを考えて、ますますネガティブに陥っていく。


 会いたいわけあるかよ。


 ゲームでしか知り合ってない、声も知らない相手と会うなんか怖いよ。


 こちとら成人男性という肩書きはあっても、いまだに居酒屋で年齢確認される見た目なんだぞ。

 むくつけき大男が出てきて詐欺にでも勧誘されたら逃げきれねぇんだわ。だいたいさあ、『ひろりん』さんの口調、絶対に体育会系じゃん。いや文字上のやりとりだけだからそういうキャラ作ってるだけかもしれないけどさあ……!


 横断歩道が青になるまでたっぷり悩んで、重い気持ちと足取りで信号を渡っていく。


 ゲーム屋に続く道には、ソフトを配信で手に入れられる現代だというのにいまだに行列があった。

 やっぱパッケージ版店舗特典は人気なんスねぇ……なんて思いながらスマフォで連絡を入れる。SNSのダイレクトメッセージ。さて、それらしい体育会系マッチョはいないが、すでにいるのか。

 唐突に用事ができて『来れません』とか言われたら助かるな。助かるけど『いやもっと早く連絡しろ。ほうれんそうを知らねぇのか?』という気持ちにはなる。俺は助かるがそれはそれとして連絡なしは失礼、みたいな。


 そうして見回していると、ふと、行列そばの人物に目が吸い寄せられた。


 妖精。


 人間にこんな表現を使う日が来るだなんて思ったことがなかったけれど、その女の子は妖精としか思えなかった。

 さらさらの長い金髪に碧眼。フレンチスリーブの白いワンピースを着て、腕にはハンドバッグを提げている。

 両手で抱き締めるように裏面が銀色になった黒い日傘を差していて、その女の子のあたりだけ世界観が違うような印象を受ける。


 そこだけファンタジー。

 存在が剣と魔法の世界。


 ゲームの中から抜け出してきたような彼女は━━バッグの中に手を入れると、かわいい白いケースに入ったスマフォを取り出して操作する。


 彼女が画面を『送信』って感じでタップした瞬間、俺のスマフォに連絡が来た。


「嘘だろ」


 思わずつぶやいた。

 それは『もういるッス』に対する反応というよりは、あの妖精のような女の子がどうにも待ち合わせ相手っぽい可能性に対する反応だ。


 勘違いだと思いたい。

 でも、俺の人生で、俺が勘違いだと思いたいことが勘違いだった試しがない。


 どうしよう。


『すいません、私、成人男性なんですが』とか言ってみようか。向こうのほうから危険性を感じて合流をなしにしてくれるかもしれない。


 いやでも性別を偽った記憶はねぇな? あからさまに言ってはいないが隠してもいない。というかわかるだろ性別ぐらい、口調で……俺はひろりんさんの性別が女性だって読み取れなかったけどさ!


 そうだな。何かのすれ違いだ。

 でも『すいません、あなたがかわいい女の子で、私はさえない成人男性なので、このオフ会はなしにしませんか?』とか言ってしまうと今後の関係が気まずくなりそうで嫌だ。

 俺は遊び相手としてのひろりんさんのことは好きだ。というかこうまで広範なジャンルでいっしょに遊べる相手がいない……失うのが痛すぎる……


 何か急用できたことにする? でも『もういますか?』って送っちゃったんだよなァ! 絶対に近場にいることバレてんじゃん!


 あああああ! 決めらんねぇよぉぉぉぉ!

 職務外で俺にストレスをかけるんじゃねぇ! そんなのはFPSに出没するチーターだけで間に合ってんだよ!


 頭を抱えたい気持ちを抑えつつスマフォを見たまま固まってしまう。


 そこに、もう一通送信があった。


『見つけた』


 ホラーかな?


 背筋が冷えて動けない。

 深呼吸を繰り返す。


 そうして、スマフォを顔の前からどける。


 そこには、日傘を差した、中学生か高校生ぐらいにしか見えない、金髪碧眼の女の子が、俺を見てにっこり微笑んでいて、


「ゆーちゃんさんッスね」


「その見た目でその口調なの?」


 思わず本音が漏れてしまった。



 ゲームをつつがなく手に入れたあとは、事前に計画されていたかのような周到さでやっすいファミレスに行くことになった。


「あの、ひろりんさん、もしかして高校生か中学生ぐらいじゃありません? まずくないですか、こういうの……俺、お金ならありませんけど……」


 向かいの席で微笑んでいた美少女は、一瞬きょとんとしたあと、テーブルを叩くようにつっぷして肩を揺らした。

 こいつ、爆笑してやがる。


 そうやってひとしきり肩を揺らしたひろりんさんは、顔を上げると満面の笑みで言った。


「キャラ、(ちが)!」

「いやリアルとネットはそういうもんでしょ」

「いやいやいや! え? そうなんスか? マジで?」

「その見た目で『ッス』口調なのは本当にキャラづくりとかじゃなく?」

「え!? っていうかキャラ作ってSNSやってんスか!? マジで!?」

「どうやらこちらとそちらには、ネットリテラシーについてかなりの違いがあるようですね……」

「っていうかもしかして、カツアゲされると思った!? あたしより背も高いのに!?」

「いやほら、外部になんかこう、高校生男子の集団とか……」

「マジかあ!? いや金がほしかったらゲーム仲間引っ掛けたりするよりもっといい手段あると思うんスけど!? っていうかあたし、金には困ってないんで」

「ああ……」


 まあ、どこからどう見ても『いいところのお嬢さん』という感じだ。

 遠目に見ても剣と魔法のファンタジー世界から出てきた妖精、あるいはエルフという感じの彼女だったけれど、こうやってテーブルの対面に座って見てみると、ますますファンタジー疑惑が高くなる。

 なんていうか、綺麗すぎるんだ。


 生物を寄って見た時にあるべき凸凹とかがない。……いやボディラインの話じゃなくて、もっと毛穴とかそういうのね。ボディラインもまあ凸凹はないけれど。


 産毛もないんじゃないか? 手入れが万全なのか、それとも天然なのか……こうして夏に近寄ってみても化粧独特の香りがないあたり、これ天然物なのかもしれない。


「いやでも、だとしたら危ないですよ。こういう……知らない人、それも男と会うのは。ひろりんさん、美少女ですから……」

「すいません、笑っていいッスか?」

「もう笑ってんだろ」

「あーまー、ご心配は感謝するッス。でもあたし、強いんで」

「いやその体格で『強い』はちょっと信用できないです。もっとSIZ(サイズ)上げてから言ってもらって」

STR(筋力)だけでダメージボーナスつくタイプッスよ」

「マジ?」


 そうは見えない。


 剥き出しの腕をじろじろ見ていると、ひろりんさんがニヤニヤ笑う。


「……えっち」

「は!? えっちじゃないが!? 悪質な誘導尋問では!?」

「いやーそうそう、その感じでお願いするッスよ。自分の方にはやましいことないんで。ゆーちゃんさんも堂々としててください。堂々としてないと勘違いされるッスよ」

「あ……」


 そうだ。

 こんな美少女と歩いているんだから、それはそうだろう。


「むしろ『この子は俺の妹だが?』みたいな感じでお願いするッス。歩きづらいんで」

「いや妹ってほど歳近くないでしょ。そもそも似てなさすぎる」

「いくつなんスか?」

「二十代……中盤……ですかね……」

「マジで? じゃあ姪っ子にするッス」

「そっちはいくつなんですか? 中学生?」


 そうたずねればひろりんさんは先ほど買ったゲームを取り出した。

 レーティングはR15。

 なるほど『中学生ではない』ということか。


「え!? っていうか、ゆーちゃんさん、その見た目で二十代!? ウッソだろ!?」

「なんだ文句あんのか表出ろ」

「急にキレたッスね!?」

「俺は童顔でいじられ続けてきたんで童顔いじりだけは許さないって決めてるんです」

「じゃああたしの金髪いじりもやめてもろて」

「アッハイ」


 そういうわけで、互いの見た目、年齢には触れない協定ができあがって……

 あとはもう、なんだか、いつもどおりに会話ができた。

 暫定歳下にうまく誘導された感がある。歳下に誘導されて会話の緊張をほぐしてもらう二十代中盤男性がいるらしい。死んだ方がいいかも?


 とりあえずその日は死ななかったし、楽しく会話した。

 飯代は割り勘にされてしまったけれど、なんだか俺が金を払うべき時間をプレゼントされてた気がする。



「そういや家近いんスか?」

「まあ二駅ぶんぐらいですね」

「ワンルーム?」

「いえ、実家です。親はまあ、いないんで。広いは広いですけどね」

「遊びに行っていいッスか?」

「え、いや」

「ゲームやりたいんで」


 倫理観は俺に反対意見を述べさせたが、逆にここで倫理観先輩に御出陣願うのは、自分の中にやましいものがあると言っていることになる気がした。


 八月の暑さで頭がゆだっていたんだ。


 俺はこうして、家に金髪美少女を連れ込んだ。



「とりあえずマルチが解放されるまでやりこんでいッスか?」

「そうですね。まあでも、時間を見て帰ってくださいよ。送りますから」

「わかってるッスよ。じゃあやりましょ」




「そっちは解放まだッスか?」

「寄り道があると全部埋めたくなるんで……」

「いやレトロゲーじゃないんスから……ちょっと手伝っていいッスか?」

「あ、お待たせしてすいません。でもそろそろ遅いんで帰りますか」

「まあまあ。まあまあまあまあ。早くストーリー進めないならネタバレするッスよ」

「テメェ鬼か!?」

「ほらはやくーはやくーやるッスよー」

「わかったよ!」




「あの、もうさすがに、遅いので帰ってもらって……」

「あー今日はホテル泊まる予定だったんで大丈夫ッス。でもちょっと着替えていいッスか?」

「着替えなんかあるんですか?」

「このバッグ、案外入るんで。あとお風呂とか借りてもいいッスか?」

「いや、それは、さすがに……」

「汗だくがお好き?」

「使えよオラァ!」

「あざッス!」




「払うんで出前とかとりません? 腹減ったッス」

「あー、そうですね。夕食の用意もさすがに面倒……ってめちゃめちゃお泊まりの服装してないか!?」

「いやもう家広いしいいッスよ」

「俺がよくないんだが!?」

「まあまあ。まあまあまあまあ。じゃあ頼みますよ」

「おい待て今から出前頼んだらもう終電もねぇよ! タクシー! タクシー呼ぶから!」

「宗教上の理由でタクシーは使えないッス」

「そんな宗教ねぇよ! 代金なら俺が払うから!」

「もう頼んじゃったッス。ピザ。三枚」

「食い切れねぇよ!」

「あたしがいないと余るッスねぇ」

「こいつ……!」

「まあ、食い終わったらタクシー呼ぶんで。金はあるんスよ。本当に」

「……食べ終わるまでですからね」




「あの、ひろりんさん」

「…………」

「ひろりんさーん?」

「………………」

「おいひろりん」

「……………………」

「金髪のメスガキ」

「…………………………」

「完全に寝てやがる……!? 警戒心どうなってんだよ! ああもう! 客用の布団敷くから風邪ひかずに待ってろ!」

「あざッス」

「起きてんじゃねぇか!」

「……………………」

「くそ、寝言なのか嘘寝なのかわかんねぇよ……!」



 こうなった。

 はい。



 月曜日に起きたらひろりんさんは当然のようにそこにいて、勝手に朝風呂に入って着替えていた。

 なんで金髪美少女が食卓で『ご飯まだですか?』みたいに待ってるのか全然心当たりがなかった俺は、寝ぼけながら彼女のご飯を用意して、それから出社することになったのだけれど……


「……いやなんで見送ろうとしてるんですか。帰れ。っていうか学校は?」

「夏休みッス」

「……いや夏休みがあるような学生が初対面の男の家に泊まるな!」

「まあまあ。ホテルに戻って荷物とってくる手間があるんで、ちょっと時間の都合をつけたいんスよ。合鍵とかあります?」

「ナチュラルに合鍵要求……? お前、俺の防犯意識が皆無だと思ってないか……?」

「じゃあ合鍵レンタル権を百万円で買うッス」

「受け取れねぇよ! 怖くて!」


 さらっと札束出すな。

 心臓が止まりかけたよ。


「というか人前で金持ってる美少女であること明かすな……? 危険だぞ……? マジで危ないぞ……?」

「すんません。じゃああたしの安全のために昼ぐらいまでここにおいててください」

「いや盗られるものもないからいいんだけどさ……あの、警戒心どうなってます? もしかして警戒心のない世界からお越しのエルフか何か?」

「いやいや。人間ッスよ。で、合鍵もらっていいッスか? のちほどちゃんとお返しするんで。あと時間大丈夫ッスか? あたしの飯作ってたせいでギリギリだったりしません?」

「……クソがよ! 俺も夏休みに入りてぇな!」


 けっきょく、その時は折れて合鍵を渡すことになってしまった。

 施錠したポストに入れておくように言いつけたのだが……



 今日に限って仕事が長引いて二十時帰宅だよ。滅びろ仕事。


 一日中気になってしかたなかった。ひろりんさんはちゃんと無事に帰れたのか……危ない目に遭ってないか……

 札束が『ぽん』と出てくる美少女とかすげぇいい獲物なんだよな。俺が善良じゃなかったらマジでヤバかったぞ。あとヘタレじゃなかったら。


 そうやって帰ってみれば、家に灯りがついている。


 曽祖父母の代からある古い平家はそこそこの広さで、明かりがついていると一瞬、父母が生きているような気持ちになってしまう。

 外に面しているのは台所で、照明はちょっと奥から漏れている印象だ。台所の奥には、台所の引き戸をとっぱらって無理やりダイニングキッチン化された居間がある。

 現在の俺は一人暮らしなので広すぎるこの家にどうして照明が灯っているのかと思ったが、答えは一つしかなかった。


「あいつ、電気つけっぱなしで帰りやがったな……」


 俺はわりと几帳面なタイプというか、自分の生活区域が自分の定めたルール通りに運営されていないとストレスが溜まるタイプだ。

 だから結婚できないとか言われることもある。うるせぇな。俺が結婚できない理由がそれだけのわけあるかよ。


 とにかく玄関の鍵を開けて『ガラリ』と横に引いて中に入れば、


「あ、おかえりッスー」


「いやなんでいるんだよ!」


 追い出したと思っていたやつがエプロン姿でお出迎えだった。


「っていうかなんでエプロン着てんだよ!」

「いやお世話になってるし飯の支度ぐらいしようかなって」

「帰れぇぇぇ!」

「今日のご飯はお寿司ッスよ。いい店のヤツなんで遠慮せず食べてほしいッス」

「しかも出前じゃねぇか! そのエプロンなんなの!?」

「…………コスチューム?」

「金髪美少女である自覚を持て! コスチュームプレイで成人男性を出迎えるな! 危ないから!」

「いやもう昨日一日お世話になって『そういう人』じゃないのはめちゃくちゃわかってるんで……」


 なんであきれたようにため息つくんだ?

 ケンカか? ケンカなのか?


「どうやらお前は一度『わからされる』必要があるらしいな……」

「お、合気道三段空手初段剣道二段のあたしにケンカを売るんスか?」

「えっマジで強いじゃん。合気道三段ってその年齢でとれるもんなの?」

「まあそのへんは嘘かどうか試してただいて」

「……わかった。暴力はやめよう。いや、というか法治国家で暴力なんか働きませんよ。やだなあ……ハハハハ」

「そういうところッスよ、あたしが『こいつ大丈夫だ』って思ったの」

「よし、貴様は殺す」

「お、受けて立つッス」

「ただし……ゲームでな!」

「望むところッス!」


 そういうことになった。

 いやならねぇだろ。

 でもなったんだよ。



「なんスかこの操作性がクソのゲーム!? コントローラーガバすぎないッスか!?」

「レトロゲームなんだよ。俺の親の世代だぞ」


 四角い画面で爆弾を仕掛け合うゲームで戦うことになった。

 たぶん配信もされてるはずだが最新ハードで最新ゲームばかりやってきた金持ちのお嬢ちゃんに、このかったい十字キーはきつかろう……!


「はぁー! クソ! ジャンプさせろ! この時代のゲーム、ジャンプできないのなんでッスか!?」

「それはまあ……容量とか……キーの割り当てとかでは……」

「f××k!」

「言葉遣いが汚い」

「ゲーマーの言葉遣いが綺麗なわけないじゃないッスか!」

「ゲーマー全部を巻き込むな。お前の言葉遣いが汚いのはお前の責任だ」

「あーはいはい! はいはいはい! そッスね! あたしみたいな美少女には美少女言葉を使ってほしいんスよね! みんなそう!」

「いや関係ねぇだろ。対戦相手も人間なんだからf××kとか連呼すんなって……あー!? おま、お前! リセットボタン押しやがった!?」

「f××kと言いたい気持ちをわからせてやったッス!」

「言えるわけあるか! こちとら男の子なんだぞ!?」

「はいやめ! はいやめ! 別なゲームでの再戦を希望するッス! 古いRPGないッスか?」

「この時代のRPGに対戦要素はねぇよ!」


 そのままなし崩しにこの日も宿泊された。


 気付けばこいつを寝かせていた客間にはキャリーケースがあったけれど、この日も寝ているこいつを運んで部屋に入ったので、なんでキャリーケースが置いてあるのかをたずねることはできなかった。



 当たり前のようにその翌日も泊まろうとするので、俺はそろそろ強硬に帰らせるべきかを悩み始めていた。

 悩み始めていたっていうか、帰らせるべきだ。


 けれどこの当時の俺にも言い訳はあって、それは、これだけ駄々をこねるようにして連泊するこいつにはなにか家に帰りたくない事情があるのだろうなと感じ取っていたのと、単純に、俺が忙しくて、こいつの『事情』にかかわっている暇がなかったというのがあった。


 社会人なのだ。


 さすがに二十時帰宅が毎日ではなかったけれど、それでも十九時帰宅はざらな時期だった。


 なので純粋にややこしい問題にかかわっている体力・精神力的な余裕がなく、『次の土日でどうにかしよう』と決めてしまうと、もう、火曜日も水曜日も、当たり前のようにこいつを家に泊めてしまった。


 あと、楽しかった。


 誰もいない家に誰かがいてくれて、そいつとは毎日のように遊ぶことができる。


 小さいころは弟か妹がほしいとずっと願っていたような気がする。遅ればせながらその夢が叶ったような気持ちだった。

 あとこいつはものすごい美少女なのだが、美少女すぎて逆に変な気にならないというのか、性格の気安さやそれ以前の付き合いなどもあって、気付けばもう、『女の子が俺の家にいる』というよりは『なんかいる』という感じになってしまっていた。


 水曜日が終わるころにはもうずっと昔からこんな関係だったような気さえしていたのだけれど……


 ただ一点、忙しくても、気安くても、どうしても言わなければならないことがあった。


「今日は寝る前に一つ、大事な話がある」


 ゲームをキリのいいとこで切り上げて、正座して向かう。

 するとまじめそうな顔が功を奏したのか、相手も……そういえば本名さえまだ知らない、ひろりんも、居住まいを正した。


 その顔は視線を逸らしてはいたけれど、気まずさがいっぱいで、なんらかの覚悟をしている……決めかねているかのようだった。


 でも、たぶん、お前の予想してる話じゃないんだ。


 帰れとか言われると思ってそうだけれど、その話はいかにも面倒そうなので休日に済ますつもりでいるんだ。

 俺の話は……


「あの、毎日の夕飯が出前というのは、よくないと思う」

「は?」

「金もかかるし……なんかお前に養われてるみたいになってきてるし……」

「……え? それはなんか、前置き的な?」

「いや、本題。だからね、ひろりん、これから……夕食を、手作りします。栄養と金銭のために」

「…………え? マジで? マジでこんな改まってそんな話を?」

「大事な話だ。なので、明日は早めに帰って、買い物に行き、夕飯を作るから、出前を勝手にとらないように。あと、アレルギーと好き嫌いがあれば言いなさい」

「え、は、はい。わかったッス」

「メッセージで送っておいてくれてもいい」

「うッス……」

「じゃあおやすみ」

「はい、おやすみなさい」



 今時は栄養バランスを考えた弁当の宅配サービスもある。出前もある。惣菜だってある。それらが特別健康に悪いと言われていた時代はとっくに過ぎ去っている。

 ……まあ、全部が全部健康的とも言わないけれど、そんなこだわるほど強い健康志向は俺にはない。


 それでもなぜ忙しく働きながら料理までやってるかといえば、それは習慣なんだと思う。


「基本的には土曜日か日曜日に一週間分を作りおいて電子レンジであっためながら食うんだけど、先週は暇がなかったし、日曜に帰ってから買い物して料理するつもりだったんだけど、誰かが押しかけて来たせいでそれどころじゃなかったんだ」

「つまり、あたしの美しさにかまけて料理をサボった?」

「否定はしないけど本人に言われると超ムカつくな……」


 美しいっていう言葉は自分で自分に向けてするものじゃないと思う。

 いや美しいのが事実だからタチ悪い。スキンケアとかしてる様子がないのに肌とか超綺麗だもん。俺にも分けてくれよその美しさ。


 そういうわけで木曜日は早めに上がって夕暮れ時のスーパーに来ていた。


 ここらへんの土地はまあ車がないとなかなか移動が不便なのだけれど、俺は全部自転車で済ましている。一人ぶんの買い物だと一週間でもまあカゴに乗らなくはないし、通勤だけだと運動不足になるから。

 で、自転車は一台しかないので一人で買い物に行く予定だったんだが……


「あ、払うんでタクシー使いましょうよ。次までには自転車とウェア用意するんで」


 いや、次はねぇよ。今週末には帰れ。

 ……というのは口に出せなかった。出すべきだった。でも、自然と『次』の約束が交わされたことが嬉しくて、言葉に詰まってしまったんだ。


 日曜、月曜、火曜、水曜と来て、今が木曜の夕方。

 たった三日ちょっといっしょにいただけで、もうこいつのいない生活が怖くなってる。寂しがりか? そうです。

 家に帰った時に明かりがついてるのも、『おかえり』って言ってもらえるのも、とてもよかった。そこはもう認めるしかない。


 本当に最初のほうは『こんな美少女が一つ屋根の下とか耐え切れるわけねぇよ』『絶対変なこと考えて悶々とする自信ある』とか思っていたけれど、暮らしてみるとなんていうか、美少女すぎてまったく変な気が起こらないのはびっくりする。

 あと性格の問題もあるかもしれない。こいつ、生意気な弟って感じなんだもん。


 生意気なだけじゃなくて、口が達者。

 そして俺は流されやすくて口が弱い。


 結果としてすっかり支払いを任せてタクシー移動でスーパーに行くことになった。二週間分ぐらい買いたいと思います。もったいないので。


『なぁ、お前、すっごい気軽に金出すけど、実家は大富豪か何か?』『どういうルートで手に入れた金なんだ?』


 ……さすがに気になる。さすがに聞きたい。

 でも、それは聞いてはいけないことのような気がした。聞いたらきっと、お別れに一歩近づく。別れるつもりなのに、聞けない。


 昔話を思い出す。突然たずねてきた美しい女。そいつは恩返しをしてくれるという。けれど決して恩返しの最中に部屋をのぞいてはいけない━━正体について詮索してはいけない。

 詮索されたが最後、そいつは本性を表して家から去ってしまう。


 ……だから去っていいって言ってんだろ。道義的に、今の状況がずっと続けられるわけもないんだから。

 冷静に考えてみれば、俺はとんでもなくリスクが高い状況にいる。

 誘拐、拉致監禁まで問われかねない。成人男性が暫定学生の少女を家に住まわせるっていうのはそういうことだ。


 だっていうのに……


「なんスか?」


 ……タクシーの後部座席。

 どうやら俺は、知らないあいだにじろじろとこいつを見ていたらしい。


「見惚れたんスか?」


 軽口を叩かれる。まあそういうことにしてもいい。芸術的価値のある美貌なのは諸手を挙げて認めるところだ。

 日本人離れどころか現実世界人離れをした異世界級の美貌。正体はエルフかフェアリーか。魔法とか使っててもなんにもおどろかない。


 だから、冗談めかして聞くことができた。


「なあ、本当にエルフとか、あるいはなんかこう……狐の妖怪変化とか、そういうんじゃなくて、人間なんだよな? ちょっと現実味のない美少女すぎる」

「え、口説かれてるんスか?」

「人は見た目より性格だと思ってるから、ごめん」

「え!? フラれた!? 一方的にあたしのプライドだけ傷つけるのやめてもらっていいッスか!?」

「……」

「そこで無言やめてほしいんスけど」

「ごめん」


 一度気になり始めると、どの話題が『正体の詮索』にあたるかわからなくて、何も言えなくなってしまう。


 ……同居三日ちょい。

 俺はもうすっかりほだされていて、こいつの正体を聞くことさえできない。


 チョロすぎないか? 成人男性(おれ)



 にんじん、ごぼう、こんにゃく。

 きゅうり、大根、かぶ、キャベツ。

 さつまいも、さといも、じゃがいも。

 玉ねぎ、レンコン、あとは肉がたくさん。

 卵、牛乳、納豆。


 それから、買わされたお菓子。


「これからやることは『酢で漬ける』『塩分をまとわせる』『糖分をまとわせる』『捏ねて成形して冷凍する』などの行為なので、不衛生な人は台所に立ち入らないでください」

「おお……マジッスね……」

「二週間分の保存食だからな」


 基本的には食材の水分を酢、塩、砂糖あたりと交換したりすることで日持ちをよくする作業なのだった。

 あとは冷凍も有効だ。凍るほどの温度だと雑菌の繁殖ができない。


 一人で使うには広すぎる台所。今はたくさんの食材が並べられてるのと、あとぼけっと見てるやつがいて、少しだけ狭く感じる。

 引き戸をとっぱらって居間とつなげてしまった民家の台所に工場みたいな衛生観念を持ち込めるわけもないのだが、それでも髪の毛とか手とかツバとか気をつけたい気持ちはある。


「フル装備、笑うんスけど」

「お前もフル装備だろうが。……いやマジで料理手伝わなくていいからな? 部屋でゲームでもしてろって」

「さすがに悪いッスよ」

「わかった。はっきり言うな。敵対者よりも無能な味方の方が邪魔だからどいてろって意味なんだわ」

「はぁぁぁぁ!? できるッスけどぉ!? 料理ぐらいできますけどぉぉぉ!? 余裕なんスけどぉ!?」

「その反応は『できないやつ』のなんだよな……」


 しかしフル装備美少女は引き下がりそうもないので、しょうがなく手伝わせることにしたのだった。


 そしたら本当にできるでやんの。


「できましたがぁ? なんか言うことないッスかぁ? はぁん?」

「出禁」

「いやなんで!?」

「え、ムカつくから……」

「『大人げ』はママのお腹の中に落として来たんスか?」

「いやっていうかなんで料理できるんだよ。包丁とまな板がジャズプレイヤーのドラムセットみたいな音出してんじゃん。クソムカつくわ……」

「完璧にお手伝いしてムカつかれるの納得いかないんスけど!?」

「なんか領域を侵された感じがする。もう全部お前一人でいいんじゃないかな」

「ゆーちゃんさんがいないあいだに掃除とかしてもいいッスよ」

「いや……」


 なんかもう完全に、こいつ、ここで暮らす気じゃないか?

 ……ああ聞きたい。いや、聞くべきだ。聞くべきなんだけど……聞いたら取り返しがつかないような、そういう恐怖があって。


 だから、


「……まあ、そこまではいいよ。料理の手伝いは助かった。一人でやるより早く終わった。ありがとう」


 冷凍庫にハンバーグのタネを入れながら、背を向けてお礼を言った。


 ……週末。週末には洗いざらい聞き出して、こいつを家に突き返す。

 ……もし、帰る家がなかったり、帰りたくない事情があったりしたら?

 その時は……その時は、どうしたらいいんだろう。世話をする筋合いがなさすぎるのに、このままでいいと思ってしまう自分がいて、本当に、どうすべきなのか。

 道義的責任を感じるのは今さら遅いかもしれないけれど、常識と願望が頭の中でせめぎ合い続けている。帰すべきか、いさせるべきか。


「そッスか」


 何への返事なのだろう、と余計なことを考えていたせいで、そんなふうに思ってしまった。

 でも、少しだけ遅れて気付いた。今の、寂しそうな、拗ねたような返事はたぶん、俺からのお礼に対する反応だ。


「ハンバーグは土曜日にするか。好きそうだもんな、ハンバーグ」

「え、何を根拠に??? いや好きッスけど」


 それはまあ、子供だから。

 子供だから、家に帰さないといけないんだよ。

 こんなことしてる場合じゃなく、一刻も早く。……わかってるのになぁ。俺の大人な部分、もうちょっとがんばってくれ。これじゃあ、遊び相手が帰るのが嫌で駄々をこねてる幼児と変わらないぞ、マジで。


 なりてぇな、成人(おとな)


◆ 


 だから、金曜日にあいつがいなくなって、俺はみっともなくうろたえた。



 まあ、わかってたけど、家出お嬢様だったらしい。


 クレジットカードとかキャッシュカードで足がつくとわかってたんで札束持ち歩いてたんだって。バカがよ。

 スマホのGPSも切ってた。ホテルはバレかねないから移動したくって、家出計画を立ててたころにはどこか足がつかなそうな場所に住むつもりでいて、俺がゲーム買いに行くって言うからちょうどよかったんだって。バカがよ。


 俺なら押せばいけると思ったらしい。バカがよ。


 押されていけちゃったじゃねーかよ。俺、バカじゃん。


 で、すっかり油断して、買い物なんかに出かけたせいで、足がついたってわけ。

 監視カメラのある場所までの足取りはつかまれてたから、この田舎の住宅街あたりのどこかに潜伏してるところまではわかっていたらしい。でもこのあたりじゃ街そのものにカメラなんかついてないもんだから、目撃情報を地道にあたってみたところ、ついにヒットしたと。


 まあ目立つもんな。バカがよ。


 そうして俺の家にあいつの家の人が押しかけてきたのが本日で、こうやって事情説明を受けている。

 あいつはもういない。探しに行こうとしていたけれど探す必要もなくった。そういう説明を受けている。音声通話つきで。


 で、そのあとで訪れたのは現実的な恐怖━━ようするに、俺の行為が犯罪として訴えられるのではないかと、そういうことだったのだけれど……


「ご迷惑をおかけしました」


 感触はいい。告訴とかされなさそう。

 スーツの人たちを率いていたのは俺と同い年か少し下ぐらいの女の人で、昔からあいつの性格について理解してる関係のようだった。

 なので俺が誘拐したとかじゃなく、あいつが押しかけたんだろうなっていうのをわかっていたらしい。

 わかってはいたけれど、さすがに問われた。


「あなたの家や、出したゴミについては調べさせていただいても?」


 一瞬、そうされる意味がわからなかった。


 遅れて、『手を出してない証明』がほしいのかと理解した。


 あれだけの美しい女の子をまったくそういう対象として見ていない自分に改めて気付かされて笑ってしまった。


 テーブルの向こうで、クールな印象の女性は、もらい笑いをこぼした。


「心配はなさそうですが、報告書の作成をしなければなりませんので」


 確信をもった口調で言われたので、さすがにちょっと気にした。


「あの、俺、そんなに安全そうに見えます?」

「安全というか、まあ、その、はい」


 どうやら『手を出す度胸もないヘタレ』という発言が呑み込まれた気配があった。

 そうしてすっかり家探しを許可してしまえば、改めて俺の無実は証明されるだろう。誘拐ぐらいには問われるかなとも思ったが、外聞がよろしくないのであまり大事にはしたくないのだとか。


 俺は俺の安全のために、家探しを許可した。


 このあと無実が証明されれば、迷惑料という名目の口止め料をもらって、さようならになる。


 俺の生活からあいつはいなくなるらしい。


 なんの力もない俺はこうして、日常に戻るというわけだ。

 残されるのは、二週間分、二人分の、保存食。

 それ以外の痕跡は、すべてすべて、消え失せるのだ。



 抜け殻になっているうちに土曜日。


 眠ることもできず、ぼんやりと椅子に座り続けていた。そういえばスーツの人が帰っていった気がするのだけれど、お見送りもできなかった。『さようなら』ぐらいは言ったかな。記憶にない。


 家出少女が家に戻った。それだけの話。

 そもそも家に帰そうとしていた。説得の手間もなくなったし、あいつのご両親探しの手間もなくなった。

 なんだ、いいことだらけじゃん。しかも罪に問われず、お金までもらえる。俺の生活にマイナスは何もないどころか、プラスまである結末だ。


 でも、思うんだよ。


 明日でいいじゃん。


 夕飯を食べてからでよかったじゃん。


 明日やろうと思ってたんだよ。どうして明日の夕食が終わるまで待ってくれなかったんだよ。

 いやまあ、俺のこのウダウダした思いにはなんの正当性もないのはわかってる。わかってるのに、我慢できないぐらい、鬱憤があった。


 着信音。


 SNSアプリだ。この時にようやく、テーブルに乗っていたスマフォの存在を思い出す。


 呆然としているあいだに暗くなってしまった画面をひらけばDMに『ひろりん』からのメッセージがあった。


『謝罪の機会を両親からいただきました。通話、いいですか?』


 誰だよ。

 お前、素だとその感じなの?


 やだなあ。謝罪の機会とか改まって言われるの。怖すぎでしょ。通話なんかしたくねぇよ。オフの時間に過剰なストレスをかけないでほしい。世界はもっと俺の保護に真摯になるべきでは?


 でも、わかるんだよな。

 この機会を逃したらたぶん、二度とあいつと話せないんだろうって。


 だからしぶしぶ、『いいよ』と送り返した。

 送り返して、そういえば通話可能なアプリの連絡先交換なんかしてないことに気付いて笑って……


 普通に電話番号に着信があって、ビビリすぎて椅子から落ちた。


 慌てて立ち上がって着信をとる。


「はい、お電話ありがとうございます!」

「いやなんスかそれ」


 反射だよ。


「社会人についてこのコール音がどれだけの精神負荷になるのか知らないらしいな」

「あ、すいませんッス。でも、そんな地獄みたいな声で言わなくても……」


 違う違う。

 ああ、引き伸ばしてる。絶対引き伸ばしてるわ。

 このまま無限に無駄話したい。でもたぶん、できないんだろうな。


 ふと、電話の向こうで空気が変わった気配がしたから。

 たぶんこれから始まるのが、俺とあいつの最後の会話になるんだろう。


「ええと、このたびはゆーちゃん様にご迷惑をおかけしたこと、まことに申し訳なく……」

「家探しされて、ゴミ漁りをされた」

「本当に申し訳なく……」

「で、手切金をくれるらしい。名目は迷惑料だったかな」

「……」

「お前が家に転がり込んできた時……いや、家に泊まって、朝もそこにいた時、罪に問われる覚悟してたんだ。まあ、覚悟だけで、実際に問われたら『どうしよう』って感じだったけど……」

「そッスか」

「……誘拐されてるわけじゃないんだよな?」

「誘拐されてもそっちに安否確認をさせる理由がないんで……だって、ゆーちゃんさんは別に、家族でもなんでもないんスから」


 そりゃそうだ。

 あとはまあ、声音でわかる。誘拐されてこれだけの演技ができるんならもう、騙そうとしてるあいつが悪い。もっと誘拐されてる感を出してもいいだろって感じだ。


「なんで家出なんてしたか、聞いても大丈夫かな。ある程度は説明を受ける権利があると思うけど」

「それは」


 あいつの声が微妙に遠い。

 たぶんハンズフリー通話になってて、周囲にはさっきまで……数時間前まで家にいたスーツの女性か、あるいはご両親もいるのかもしれない。


 だからたぶん、この『間』は、俺に事情を話してもいいか問いかける時間なのだろう。


「えーっと、家庭の事情です。遅めの反抗期っていうか」

「そっか」

「はい」


 答えちゃだめだったらしい。

 ……どうしよう。もう会話の権利がないぞ。

 あとは『無事でやっていけよ』とか言って、電話切っておしまいじゃん。

 もう全部、終わりじゃん。


 だから、だめでもともと、たずねた。


「土曜の夕飯だけ一緒にとれないかな」

「え」

「ハンバーグ、二人分あるんだけど」


 ……はい。

 はい。はい。


 もう認めるしかなかった。

 俺はこの通話を切りたくないだけだ。あいつとの縁を切りたくないだけだ。

 ものすごく愚かなことをやってるのはわかってる。ものすごく危険な橋を渡ってるのもわかってる。

 せっかく収支プラスで終わった『家出娘を泊める』という社会人的に死にかねない行為の収支をマイナスにしかねない。取り戻せないぐらいの、最悪懲役刑まである、マイナスに。


「あとさ、RPGもまだボス倒してないじゃん。お前のセーブデータどうしたらいんだよ。あのゲームはさ、セーブデータ三つしか作れねぇんだぞ。俺の容量の三分の一を占拠しやがって」

「それはまあ、その…………」

「本当に迷惑だったよ」

「……」

「でも、楽しかったから、またゲームやりに来いよ」

「……」

「ちゃんとご両親の許可をもらって遊びに来いよ。次は」

「……」

「迷惑料はいらないから。タクシー代も払うし、出前に使った金も俺が出すから。だから……」


 自分に何ができるのか探りながら、グダグダと会話を引き伸ばし続けた。


 でも、あいつの外聞を傷つけたくはないし、俺たちのあいだには燃え上がるような熱い気持ちもない。

 ここで『愛してる』とでも言えたら何かが変わったのかもしれないけれど、俺たちの間にそんなものがあるはずもない。


 ただ、俺たちは。


「友達なんだから、せめて割り勘にしよう」


 子供のように『明日また遊ぼう』という関係でしかなくって。

 俺は『明日』を永遠に奪い去られるのに耐えきれなくって、涙さえ出そうになっている、大人になれない成人男性でしかなかった。


「だから、『また明日』って別れてもいいじゃねぇかよ。……くそ、法律とか経済力とかさあ、そういうモンでどうにかしたいんだけどさあ……そういうんじゃないんだよな。俺たちはただの遊び相手だから……マジでゲームやるだけの関係だから……」

「……え、っと、もしかして、泣いてます?」

「この年齢になってこれだけ広範囲で趣味の合う仲間を失う悲しみ、お前みたいな若者にはわかんねぇよ! しかもゲーム! TRPG! 職場で探せるか!? こんな仲間を! 大人なのに『僕から友達をとらないでください』って言うしかねぇんだよ!」

「……あの、いいッスか?」

「なんだよチクショウ!」

「両親が後ろで聞いてるんスけど、めっちゃ困惑してます」

「こんな大人で申し訳ありませんねぇ!」

「あの、あたしからも一つ、いいッスか?」

「なんだよ!」


 長い、長い、溜めがあった。

 ここまで泣きじゃくっていた俺が冷静になりかけるぐらいの沈黙のあと、


「…………マジで、あたしのこと、性欲の対象にはしてない?」

「してねぇよ!」

「いやでも、自分で言うのもあれなんスけど、かなりの美少女じゃないッスか。わりと知らないおじさんとかにも、けっこうそういう視線向けられるっていうか。もしかしてED?」

「だってお前、生意気な親戚の男の子みたいなんだもん」

「は?」

「あのさあ! 俺は見た目より性格で人を選ぶんだって言ったよな!? お前の性格は『なし』だよ!」

「……はああああああ!? いや、それはさすがに聞き捨てならねぇんスけど!? 美少女だが!? 自他ともに認める美少女だが!?」

「だから顔の作りは綺麗だって認めてるじゃねーか! 俺が問題にしてるのは性格!」

「んじゃなんでここまでの付き合いがあるんスか!? メッセージのやりとりだったら性格いい相手と付き合うべきでは!?」

「趣味が合うからだよバーカ! あとさあ!」

「なんスか!?」

「性格悪い相手の方が遊んでて楽しいだろうが!」

「……いやそろそろマジでキレていいのでは?」

「いやでもお前、性格悪いよ、本当に。性格いい人はね、初対面の家の人になし崩し的になだれこんで合鍵要求したりしないんで」

「それ禁止カードでは!? 言い返す言葉が見つからねぇんスけど!?」

「うるせぇ! 大人がみっともなく泣きながら学生と『もっと遊びたい』してる時点で俺はもう無敵なんだよ!」

「開き直りやがったコイツ!」

「とにかくさあ! また遊ぶぐらいは、いいじゃんか。お前のこと、別に女の子とは思ってないし……」

「こいつ、いつか殺す」

「殺しに来いよ。待ってるから」

「吐いたツバ飲まないッスよね? ボコボコにしてやりますから」

「望むところだ」


 ぶつん、と通話は切れた。


 ……そして、冷静になった。


 何してんだろう俺。

 もっとクレバーに説得とかして……ああ、うん。どう考えても経済力・社会的影響力で上回ってる相手に対して『クレバーな立ち回り』とかないわ。

 大人の世界は戦略がすべて。そして相手はたぶんお金持ち。人脈と資金でこっちを上回ってる相手には何をしたって勝ちはない。


 そう考えると『だだをこねる』は正解だったんじゃなかろうか。大人の戦いで勝てないなら子供の戦いに持ち込むのだ。二十六歳、成人男性です。今さら恥ずかしくて死にそう。


「……明日は、ハンバーグ食べちゃうか」


 やけ食いだ。

 二人分の用意があるとはいえ、昼食を調整すれば入らないこともないだろう。去年まではステーキ四百グラムだっていけたんだ。二人分のハンバーグだっていけるはず。


 でも、最近は、脂っこいものを食い続けるとちょっとばかり胃が『あの……』って訴えかけてくる。


 心は子供、体は大人。

 早く大人になりたい、心まで。



 土曜日。

 午前は業務があったので早起き(休日比)しなければならなかった。


 どれほど泣き喚いた翌日も仕事があれば寝込んでるわけにはいかない。

 うちの会社はそこそこホワイトのはずなのだけれど、やっぱり忙しい時期には忙しい。

 ちなみに『ホワイト』の基準は『残業代が出る』というあたりだ。世間で聞くブラックの黒さがヤバすぎて基準がおかしくなってる気もする。


 そうして昼飯もすませずに家に戻った午後二時。


 引き戸式の玄関に鍵を差し込んでひねると、すでにそこは開いていた。


 閉め忘れたかな。


 嫌な気持ちを抱えながらガラガラと引き戸を開けて入れば、たたきに見慣れた靴があった。

 いや見慣れない靴もあるな。革靴だ。サイズ的には女性もの。


 悪い予感がとまらないのに、顔が自然とニヤケそうになる。


 ……ああ、思い出してしまう。昔、俺は弟がほしかった。両親にそうねだったこともあった。まだ子供がどうやってできるかも知らない子供の無邪気なおねだりだ。一人っ子なら誰でも覚えがあるんじゃないだろうか。


 でも、俺がほしかったのは、本当のところ、『弟』じゃなくって、もちろん『妹』でもなくって。

 俺はただ……


「来てやったッスよ! ぶっ殺しに!」


 俺はただ。

 家に帰っても遊んでくれる相手が、ほしかったんだ。



「ざーこざーこ! はいあたしの勝ち! 存在価値なしの敗北者!」

「は? リアルファイトだが?」

「ついにあたしの暴力を見せる時が来たようッスね」

「いいだろう、殴り合おうか……『太鼓』でな」

「え、まじ? そんなのまであんの!?」


 そういうわけで、遊び友達はたまに泊まりに来るようになった。

 俺の危険性のなさが両親に認められた結果らしい。

 もちろん、お付きとしてスーツの女性を伴ってはいるけれど、大人のガチ泣きは人をどんびきさせて毒気を抜く効果がある。何かの役に立つかもしれないので覚えておこう。二度とやりたくねぇな。


 今日も居間で夕食の時間までゲームをして、それから作り置きの食事を温めたり温めなかったりして提供する。

『ひろりん』はなんでもできるが、料理だけはさせない。遊びに来た友達に料理をさせたりはしないもんだろう、普通。


「そういえば、家出の原因は解決したのか?」


 太鼓を模したコントローラーで音ゲーをしながら問いかける。

 かなり鬼譜面なので声に力がこもってしまう。


 同じような声で、いまだに本名を知らない彼女は答えた。


「してないッス」

「なんかあったら言えよ。友達だから」

「いやあ、無力じゃないッスかね」

「いざとなったら土下座でもガチ泣きでもするが?」

「ぶはっ!? あっ!? ズル! 吹き出してコンボ途切れたんスけど!?」

「精神攻撃は基本」


 1P(おれ)の勝ち! Fuuu〜↑


 そうして次の曲が始まり……


「ゆーちゃんさん、そういえばなんスけど」

「精神攻撃か? 受けて立とう」

「たとえばあたしが目の前で下着姿になっても、そのノリでいられるッスか?」

「甘いな」

「マジで? そこまでしても平気なんスか?」

「女の子が下着姿でいてこのままのノリでいられるわけねぇだろ。アホか」

「あたしのことなんとも思ってないんでは!?」

「それはそれ、これはこれです」


 もう悲しいサガの問題だ。

 どれほど好みじゃなくても、なんなら顔も名前も知らなくても、一瞬視線が吸い寄せられるのは止められないし、そのあと気まずい気持ちになる。

 でも視線を一瞬で切るところ、切ったあとに『見てた』というのを悟らせないように振る舞うことが『大人力』なのだ。


「見ろ。下着姿って言われただけでリズム狂って判定がガバガバになってるこの俺の姿をよォ」

「いやだから笑わせてくるのなんなん!?」


 今回のは自爆でしょ。

 仕掛けたの、お前。


 ゲームは俺の勝利だが、発言内容と反応は俺の敗北だった。


 さて次の曲、というところで画面の前に立つ女が一人。

 隣でコントローラーを叩いていた金髪碧眼の美少女だ。相変わらず造形師の腕前が狂ってる。神造形の方向で。でも生きてるんだよな。嘘だろ。


 そいつは『にんまり』という感じで笑って、腰をかがめながらこちらを見下ろす。

 シーンが畳敷きの居間とはいえ、白いワンピースでも着ていればとても絵になった気がする。しかしこいつの格好は上下セット四千円ぐらいのスウェットトレーナーだ。九月に着るには暑くないか? でも絵になる。顔面無双がよ。


「……なんだよ」

「いやマジで視線逸らしながら照れないでもろて……こっちが恥ずかしいんスけど」

「だって急に目の前に顔があるから」

「……あたしの問題、解決する気があるんスか?」

「まあ力は貸すけど……」

「そッスか。じゃあ、あたしもがんばるんで、そっちもがんばってくださいね」

「何を?」

「仕事」

「鬱になってきた」


 遊んでる最中に仕事とか言い出すの、禁止カードだよ。


「あたしもがんばって、意識させてみせるッスから」


 小声。

 何せ目の前なのでどんだけ小声でも聞こえないはずはなく、『意識させる』という言葉の意味もなんとなくわかってしまった。

 この流れで『意識させる』ってそりゃもう、『異性として』でしょ。


 だから俺は、こう言った。


「え? なんだって?」


 俺たちの関係は『友達』じゃなくなった瞬間に終わるし、監査役としてスーツの女性はずっと背後にいる。

 まあ、心配はされてないし、普通にあの人とも遊ぶけど、それはそれとして、職務上はそういう指令が降ってるんだろうというのは想像にかたくない。


 そこまでコストを割いて娘さんをあずけてくれている、彼女のご両親も裏切れない。

 なのでこの手のことには難聴になることにしている。正面から向き合うのは過剰なストレスなので。


「なんでもないッス」


 こいつもこいつで、俺がマジで聞こえてないわけじゃないっていうことを理解してるっぽい。顔を赤くするな。好きになっちゃったらどうするんだ。大人は負けないが俺の精神は未熟なので気の迷いが起きたらまずいだろうが。俺は俺を信用してねぇんだぞ。


 まあそれでも、今のところは問題なく、こいつと出会ってから一ヶ月が過ぎた。

 すべての失敗の始まりは今から一ヶ月前、八月の暑い日、こいつに家に押しかけられてからのこと。


 今さら俺たちのラブコメは始まらない。

 だって俺たちは、ただの遊び相手なのだから。

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