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白く輝く神の奇跡

作者: 涙乃明日

好きな人がいる。


出会いは1年半前のこと。新入社員の私とベテラン社員の彼。歳は1つしか違わなかったけれど高卒で働いていた彼は課長からも一目置かれる人だった。


好きだと気付けたのは半年前。落ち込んでる彼を元気付けたいと躍起になってたときにふと好きなんだって思った。それからは私にしては珍しく猛アタックした。食事にもデートにもそれとなく誘ったし、それに付き合ってもらえて嬉しかった。だから舞い上がって勢いで気持ちを伝えて。


「ごめんなさい。いい人だとは思ってるけど恋人としては考えられない。」


当然のように断られて。そのときは「わかりました。」と笑顔で答えるのが精一杯だった。

唯一救いがあったとすればそのあとの彼の一言。


「つっちーが良ければだけど、今までどおり仲良くして欲しいな。」


そんな社交辞令を真に受けて、いや、その一言に縋って今でも"仲良く"している。一緒に食事に行って、デートして、でも好きとも言えない、手も繋げない、そんな日々を続けていた。

不思議と彼は彼女を作ったりはしなかったけど、いくら一緒にいても私に対して恋愛感情が生まれてこないことはお互いわかっていた。わかっていてそれでも側にいたいと思えた。


でも、そんな歪んだ日々が続くことは許されないことだったらしい。



『松本さんが事故にあった、病院に向かってる。』


同期で友人の七海から彼の事故を告げるメッセージが届いたのは昼休みも終わろうかという時間。


『どこの病院?』


他に聞きたいことがなかったわけじゃない。でもそれだけを、彼の居場所だけを訊ねた。

返事を待つ間に考える。彼は無事なのか、いつ事故に遭ったのか、どんな事故だったのか、なぜ七海がそれを知っているのか、どこに向かっているのか、どうすればいいのか、どうすれば。


思考は全くまとまらず頭の中をぐるぐる回り続け…、なかった。そもそも彼のことを考えて頭がいっぱいになるのはいつものことなんだ。だから冷静に、次にすべきことを考え始める。

とりあえず彼のもとに行かないと。居場所は聞いてるところ。なら次にすべきことは……。



「課長、午後半休いただきます。」

課長席の前で宣言する。報連相は大事だ。

「土屋くん、当日休は…」

「あと明日も出てこれないかもしれないです。」

「話聞いてる?松本くんのことなら今は佐藤係長が付き添ってるし、後で私もお見舞いに行くから。土屋くんが行ってもしょうがないでしょ。」

彼のところに行こうとしていることはお見通しだったようだ。こんな時にもかかわらず課長も意外と部下のことは見てくれてるんだなぁと思ってしまう。ただし、その程度の言葉で止まるような人間だと思っているなら考えが甘い。

「それでも行きます。許可がもらえないなら無断欠勤扱いでいいです。課長には報告だけはしておこうと思っただけですから。」

「いやいやいや、報告すればいいってものじゃないんだよ。わかってる?」

報告しただけマシだと思ってほしい。本当はすぐにでも飛び出したいんだけど。

「わかってます。課長こそ、私にも優先順位があって、仕事より大事なことがあるんだって知った上でそれ言ってるんですよね。」

いけないと思いつつも喧嘩腰になってしまう。

「あのねぇ。なに、松本くんと付き合ってるの?」

抉ってくるなぁ。

「いいえ。」

「だったら、」

「それでも!……それでも。」

あの人の側にいたい。

俯いてると課長がため息をつく。

「いいよ。許可します。ただ明日休むなら終業前には連絡入れること。それから後で私と、たぶん部長が行くからちゃんと挨拶すること。いいね。」

「はい!」

なんだ、意外と話せる上司だったのか。

急ぎ足で他の先輩に仕事を頼んで職場を飛び出す。

メッセージを確認すると七海から最寄りの救急病院に運ばれたと連絡が来ていた。


タクシーを降りて病院に向かう。入り口には七海が待っていてくれていた。泣きはらしたように目が真っ赤になってしまっている。

「葵ちゃん!ごめん、ごめん、あたし、なにも、動けなくて、見てることしか、ごめん、ごめん。」

取り乱す友人を前にして、しかし気にかける余裕などあるはずがない。

「七海、落ち着いて。ねえ、松本さんはどこ?」



病室の前に立つ。手術は終わっていたがまだ目を覚ましてはいないという話だった。

「失礼します。」

そう言って中に入る。


彼がいた。


真っ白な顔だった。

身体中から管が伸びていた。

いつものスーツ姿とは違う、病人が着るような服を着ていて。

頭には包帯が、腕にも包帯が、口にはマスクが。

ドラマでしか見ないような機械が置いてあって、それがまだ彼の心臓が動いていることを伝えている。


心がざわつく。機械に生かされてるような感じがする。

まるで、これではまるで。



今にも死んでしまいそうではないか。



そう思ったらもうダメだった。心の中が焦りでいっぱいになって、わけわかんなくなって……。


いつの間にか七海が隣に来て背中をさすってくれていた。

「葵ちゃん、ごめん。ちゃんと話すから。」


「トラックがね、突っ込んできたの。今日は受付の佳代ちゃんとランチに行こうとしていて。あ、葵ちゃんはお弁当だから誘ってなかったんだけど。ごめん。それでね、トラックが来て。佳代ちゃんは怪我してなかったからちゃんと逃げたみたいなんだけど。あたし、動けなくって。そしたら声がして。頭真っ白でなに言ってるかわかんなかったけど、男の人の声。そのあと衝撃があって目の前が横向きになって。身体に痛くなって地面に倒れたんだってわかった。悲鳴が聞こえて、目を開けて。血だらけの松本さんが倒れていて。でも最初松本さんってわかんなくて。佐藤係長が松本さんの名前を呼んでてそれで気づいて。救急車も係長が呼んでくれたんだよ。あたし、見てることしかできなくって。係長に言われて一緒に救急車に乗って。手術が始まってから葵ちゃんに伝えなきゃって思って。もうそれしかできなかった。ごめん。ほんとごめん。」


話している間も七海は「ごめん」と繰り返していた。私にとって七海は職場の中で1番信用できる人間だ。彼とのことも相談していたから、自分が原因でこうなったと悔やんでいるんだろう。そんなに必死に謝らないでほしいと思う。だって目の前で眠るこの人が戻ってこなければ謝られたって許さないし、戻ってきてくれれば謝らなくたって許せる。どっちにせよこの人次第なんだ。もちろん大事な友人だから許したい、という気持ちがないわけじゃないけど。あと彼に助けてもらったって話は不謹慎だけど羨ましかった。私は私のこういうところが嫌いだ。


「松本さん…。」

目を覚ましてほしい。いつものように笑ってほしい。こんなものはただの夢だと、死にかけだなんてそんな想像はあくまで想像でしかないと証明してほしい。このままではどうにかなってしまいそうだ。そんな願いをそっと込めるように手を握ろうとする。



「失礼します。」

突然声が聞こえて慌てて手を引っ込める。来訪者は佐藤係長だった。

「ああ、土屋さん、来てたんだね。」

「係長、お疲れ様です。」

「上杉さん、刑事さんが次話聞きたいって。行ってくれる?」

「はい、わかりました。」

呼ばれた七海が病室を出る。病室にわずかな沈黙が流れた。

「あの、」

沈黙を破ったのは私だ。正直なところ直属の上司でもない佐藤係長とはほとんど話した方とがなかった。でもそんなことは言ってられない。

「松本さんの容態はどうなんですか?」

まっすぐ問い詰める。係長は険しい顔をしながら答えてくれた。

「土屋さん、落ち着いて聞いてほしい。……さっきお医者様に聞いた話では一晩持つか怪しい、と。」

「そんな!」

ショックだ。だって、

「だってこんなに落ち着いてるのに!手術だって私が来た時には終わってたんですよ!?大した怪我じゃなかったんじゃないんですか!?」

言うだけ言ってみる。それでも死にそうだと思ってしまった事実は変わらないのに。

「手の施しようがなかったんだ。僕は事故現場にいたしその瞬間も見ていた。どう考えても無事じゃ済まない事故だった。正直外傷がこれだけ少なく見えるのは奇跡みたいなものだよ。」

「だったら、」

「でも外側だけなんだ。傷は少ないけど流れた血の量は多かったし心臓も呼吸もしばらく止まっていた。聞いた話じゃ内臓もいくつかダメになってる。お医者様の言う一晩って見立てもかなり良く見積もってだと思うよ。」

「そんな…。」

そんなことって。どうにかならないのか。

「どうにかならないんですか?」

係長は険しい顔のまま首を振った。


「ところで、さっき課長から連絡があったんだ。土屋さん、明日仕事休む?」

すっかり沈んでる私に係長が聞いてくる。明日行けるかではなく休むかと聞いてくれるあたりに優しさを感じる。

「はい、すみませんがそうさせていただきます。」

きっと明日はそれどころではないだろうから。

「わかった。伝えておくよ。」

係長はそういうと病室を出て私と彼だけにしてくれた。やっと、2人きりだ。


「松本さん。」

今度こそ、手を握る。両手で包み込むように、祈るように。

「松本さん。私、あなたに生きていてほしいです。たとえ選んでもらえなくても、他の人と幸せになるとしても。私もいつかどこかの誰かと一緒になるのかも。それでもあなたを好きだと思った気持ちは本物だし、これからも嫌いになんてなれっこないから。」

彼の手はとても冷たくて。でもまだ冷たい手くらいの暖かさがあった。

「松本さん、好きです。」

このわずかな温もりだけでも守らなければ。そう思ってよりしっかりと手を握る。



しばらくして佐藤係長と課長、それと部長がお見舞いに来た。立ち上がろうとすると部長がそのままでいいと言ってくれた。きっと佐藤係長が話を通しておいてくれたんだろう。

「松本くんの家族にも連絡したんだけどね。飛行機も新幹線も動かなくて今日は来れなさそうなんだ。」

課長が教えてくれる。だから土屋くんが側にいてあげてとも。彼の実家は宮崎の田舎にあってこの時期は台風直撃ルートなので毎年心配してるんだと教えてもらったことがある。

気持ちは沈んでいたけど精一杯振り絞って感謝を伝える。部長たちは長居せずに帰っていった。

七海は一度戻ってきたけど、

「必要だったらすぐ呼んで。」

そう言ってやはり病室を離れた。

気を使わせちゃったな。もう心には余裕がないと思ってたけど、そんなことを考えられるくらいにはまだ大丈夫そうだ。


「松本さん。」

また声をかけてみる。やっぱり返事は返ってこない。

「松本さん、やっぱりあなたには生きていてほしい。私、好きな人には幸せになってほしい。」

そうだった。最初からずっと。落ち込んでる彼を元気づけたくて。そのあともお人好しの彼が仕事を押し付けられるたびに何でって本人の代わりに怒ったりして。結局私には彼を幸せには出来なかった。でも。


「せめて、不幸にはさせないから。」


より強く手を握る。目を閉じて、頭を下げて、祈るように。そして願う。

「神さま、お願いします。私はどうなってもこの際構いません。だからお願いです。彼を助けてください。こんな私じゃ物足りないかもしれないけれど、彼を助けるために使ってください。お願いします。」

祈る。何度も、何度も。私に出来ることは何もないと言われた。側にいてあげてとも言われたけれど、それは死際を看取れってことなんだろう。誰も彼が戻ってくることを信じていない。ならきっと、今この瞬間、彼の無事を願えるのは私だけだ。だったらまだ出来ることはある。と言っても神頼み程度でしかないけど。それでも。

「お願いです、彼を助けてください。」

自分が尽きるまで祈り続ける。出来ることは全てやる。絶対に、絶対に死なせたりなんかするもんか。





どれほどの時間が経ったのだろう。気づくと空が白んでいる。あれからずっと手を握っていた。名前もわからない機械は変わらず彼の心臓が動いていることを教えてくれる。もう頭がぼんやりしてきてしまった。情けないなぁ。徹夜くらい余裕だと思ってたのに。意識を保つのもそろそろ限界かも。あとから考えるとそんな状態だからすぐに気づかなかったんだろう。


「………だれ?」


くもぐった声。そう、まるでマスク越しの、怪我して寝込んでいた人が久々に出すようなそんなような。


ハッとして顔を上げる。握った手はほのかに温もりを取り戻していた。


「つっちー?」


目が合う。ずっと見たいと願っていた瞳が見える。


「…はい。はい!私です!松本さん、おはようござ、ぐす、おはよ、ぐす、うう。」


言葉は涙に飲まれてしまった。

目もよく見えなくなっていく。

「おはよ、う、ございまず。」

それでも無理やり言葉を繋ぐ。

「よがっだ、ほんどによがっだ。」

きっと今鏡を見たらぐしゃぐしゃの顔をしたブサイクが映ってることだろう。でも構わない。

「生きててくれて。」

本当によかった。


「つっちー。」

そう言いながら彼が手を伸ばそうとする。私が握っていたので指先を伸ばすだけになってしまったが。

「つっちー、髪、真っ白だ。」

そう言いながら髪を触ってくる。

「え?」

言われて髪を見て驚いた。毛先には色が残っていたが途中から白い髪へと変わってしまっている。


「綺麗だ。」


私の髪を触りながらそんなことを言ってくれる彼。まだ寝ぼけてるんだろうなぁ、なに振った女口説いちゃってるんだろうなぁ、この人は。全く、そんなところも私は。

「大好きですよ。」



そのあとは忙しかったらしい。らしいと言うのは私も徹夜明けで記憶がはっきりしてないからだ。

彼はそのあともちゃんと起きていて、ちゃんと生きていて。医者が驚いて、午後に着いたご両親は泣いて喜んで。会社には病院から連絡がいったみたいで、また課長たちがお見舞いに来ていて。

『ほんと!よかったー!!こっちは任せてイチャついてこい!笑』

私が彼の無事を伝えると七海から元気なメッセージが返ってきた。メッセージに笑いながらいい友人を持ったとしみじみ思う。


彼の無事は奇跡みたいなものだと医者は言った。ついでに私の髪はストレスによるものでたまにあることなのだとか。


「神さま、何をしてくれたかわからないけど、でもありがとうございました。」

空に向かって拝んでおく。神頼みが効いたのかどうか私にはわからないけど、お礼は一応しておかないと。髪色が変わるだけで彼が助かったなら祈った甲斐があったというもの。

なんだかそれ以上のものが犠牲になってそうで心配になるけど。


「ちょっと、葵ちゃん?お見舞い行くんでしょ?」

ゆっくりお礼をしてると七海に急かされる。

「すぐ行く!」

彼が待っている。そう思うと七海への返事も自然と明るくなった。

病院行きのバス停への道を七海を追いかけて走る。きれいと言われた白い髪をなびかせながら。

彼の元へ。


余裕があれば前日譚、後日譚も書きます。

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