夜の国へようこそ
苦労の末、梯子の旅はついに終わりを告げた。ここにも有った与圧ロックを開けると、中は樹脂壁の通路だった。ぼんやりと天井が発光しており、空気も心なしか新鮮に感じる。それにわずかに暖かい。この壁の外が地中か水中か真空か分からないが、空調は管理されているようだ。いよいよ異星人との対面に備えなくてはならない。とりあえずは何者の気配も感じないので、ゆっくり進む事にする。どうせ隠れる所も無い。
「ここの通路って何で曲がってるんだろうね」
ティファラは何かに気づいたらしい。ヒコザは自分の見解を押し込めて、会話を促すことにした。
「そういえばずっと僅かな左曲がりだね。何でだろう」
「多分さ、ここは丸い大ぉ~きな建物の中なんだよ」
「ああ、なるほど。軌道ステーションの外周路みたいだね」
正直、それ以上の事はヒコザにも分からなかった。
時折壁に例の与圧ロックのハンドルの根元らしき突起が付いている。試しに工具を使って回そうとしたが、ロックされているのか、動かなかった。
途中一箇所だけ開く扉があり、狭い減圧室らしき空間を経て与圧ロックを外すとベランダへ出ることが出来た。これは大発見だった。
夜だった。彼らは盆地に建てられた塔の基底建造物に居た。あまり高くは無い山々を薄くもやが覆っており、木々は細々とした葉を風に任せている。あまりぱっとした景観ではなかった。
テララの夜明け位の明るさで、空は暗雲に覆われていた。アサルトゴーグルの簡易テストでは、あの雲の上の月の光は太陽系の太陽光と同じスペクトルらしい。しかしセルンに大気など無い。ましてや雲など掛かろうものなら二十四ある監視衛星、月に三度行われる軍の定期偵察、アステロイドに設置された十八台の宇宙望遠鏡から観測出来無い筈がない。では、ここは一体どこなのだ?
人類は未だに火星、金星、木星、その他惑星いずれにも居住を果たしていない。テララに連れ戻されたのでなければどこかのスペースコロニーとなるが、それにしては雲が厚過ぎる。それにあらゆる電波を一切受信しない。テララならばあらゆる周波数帯に電波が充満しているし、辺境のコロニーとしても管理者は居るだろうから何かしらの通信は行う筈だ。ここには時報電波すら無い。極論だが、恐らくここは人が、いや、人類は住んでいないのだ。
塔の天辺は雲に隠れており、過去の人類が失敗した軌道エレベータを連想させた。塔も建物も風雨に曝されて砂色に風化している。辺りはまばらな林で、真っ直ぐな道が塔を構成する建造物の中央部から塀まで真っ直ぐに伸びている。塀の近く、林の中の少し奥まった辺りに薄汚い小屋が方々に建っていた。木の柱に布を被せたテント式で、かなりの手作り感を感じるが、数はそれなりにあった。ヒコザはふと漂う臭いに嫌な気分になり、これが何だったのか思い出そうとした。
唐突にオスカル空尉の低く抑えた声が飛んだ。
「伏せて!」
ヒコザ達は無言で伏せて次の指示を待った。空尉は低い姿勢で眼差しを小屋から離さない。
「あそこで何か動いたの」
空尉はアサルトゴーグルを最大望遠にしているようだ。
「見えない。画素が粗すぎる」
ヒコザもゴーグルの電子ズームを最大に上げたが、暗所画素補正のため望遠は役に立たなかった。すぐにゴーグルを素に戻し、目を凝らす。木の根元・・・、見えた!
「あれは!」
ヒコザはつい口に出してしまった。
オスカルが問いただす。
「説明して」
「すぐに逃げましょう。洞窟へ!急いで!急いで!!」
飛び起きると、上から大きなものが次々と落ちてきて三人は押し倒された。
「グエェッ!ガウワッガッ!」
「ガッガガッ!」
落ちてきたものが吠えている。毛むくじゃらで半裸の獣とも人とも言い表せない生物が黄色い歯を剥き出して吠えている。デミヒューマンだ。
それはどんどん落ちてきて、ベランダは一杯になってしまった。積もったデミヒューマンの背中に押され扉が閉まる。カチリと小さな音がして扉はロックされてしまった。もう逃げられない。
「何なの!これ!?」
「痛いようヒコザぁ~」
「これは、敵です!!」
+++
デミヒューマン達は三人をその場で大きなズタ袋に入れ、口を縛るとベランダから落とした。そしてそのまま乱暴に引きずる。
ヒコザ達に一切の視界はなく、蹴られたり棒で殴られた。反撃どころか脱出もままならない。オスカルとティファラは力なく、丸くなって泣いているようだった。
しばらくすると例の嫌な臭いが強烈に立ち込め、ヒコザは苦い記憶を否応なく思い出すことになった。
それはかつて神隠しに遭い、戦いに明け暮れた日々の記憶。そう、彼は今、かつて戦っていた敵の真っ只中にいるのだ。
今度も乱暴に袋から出された。オスカルとティファラは息をしているが動かない。ヒコザが立ち上がろうとすると後ろから棍棒で殴られ地面に押し付けられた。
「なんだぁこいつら。砦の奴とは違うな」
ヒコザはデミヒューマンの言葉が理解できた。間違いない。ここは子供の頃送られ、過ごした大地だ。戦場だ。
失われた記憶がよみがえる。幼少の折、拐かされた彼は荘厳な神殿から巨大な砦に移された。汎人の最前線、白石砦。そこは度々デミヒューマンの襲撃を受け、戦闘が繰り広げられていた。
毛むくじゃらのデミヒューマンは大人達より大きく、強かったが、組織立った殲滅戦等は無く、お互い戦死者も稀だった。大概は数人で砦の前を占拠し、大騒ぎをして、迎え撃った砦の戦士達と戦い、勝った方が戦利品を持ち帰る、あまり戦争とは呼べない体をなしていた。時折、砦の戦士があまりにあっけなく敗れると、門扉を破って砦に侵入し、略奪を始める。逆に大軍団で迎え撃つと、それまで取り巻きに徹していた後方のデミヒューマンが戦闘に参加し、大混乱となってしまう。程良い対応が被害を出さない秘訣だった。このため砦は、軍団から精鋭を募り、この対応に宛てていた。
ヒコザは鼻を突く香の紫煙に眉をしかめ、過去の記憶から現実の危機へ意識を向け直す。
大きな天幕の奥まった位置に巨大な椅子が有った。あれが話に聞いた族長の大座だろうか。その巨大な椅子さえ押し潰してしまいそうな巨躯が、焦げ茶色のたてがみをかき分けながらこちらを見ていた。肩幅はヒコザが両手を伸ばしたくらい広く、牙の突き出たその口は子豚を丸呑みできそうな位大きい。歯擦音が目立つが聞き取りやすい大声で、族長は叫んだ。
「だが悪くない。メスだ!」
「うおおおおお!」
周り中のデミヒューマンが呼応して叫び声を上げる。
「はははぁ。お前たちは我らの縄張りに入った罪で三日後に死刑だ。ふん!楽しませてやるぞ。そいつらを牢へ!」
このデミヒューマンは茶色掛かったグレーを基調に腕と胸、足が黒。毛足が長くもこもこですが一本一本は太く固いです。目の周りとその下は黒です。尻尾に縞は有りません。先っちょだけ黒いです。
服は着ませんが体に布を巻くのは好きです。部分的な革鎧を好んで使用します。
戦闘ではショートソードを両手に一本ずつ持つのが主流ですが、片手剣を利き手だけに持つ流派も多いとされます。




